2024年度 大学入学共通テスト 追試験 世界史A 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

問1:正解①

<問題要旨> 

マラッカにおける人や文化の交流について、リード文A を参考にしつつ、最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢> 

①【正】

リード文には、マラッカに「モスク」(イスラーム教寺院)があること、マラッカが「中国から中東、アフリカに至るネットワーク」に組み込まれていたことが記されています。これはイスラーム文化の影響と、ムスリム商人が活躍したネットワークの存在を示唆しています。史実としても、マラッカ王国は15世紀にイスラームを受容し、東南アジアにおける交易とイスラーム布教の中心地となりました。リード文の内容と史実が整合します 。 

②【誤】

リード文には「鄭和」が立ち寄ったとありますが、鄭和は「明」の時代の人物です。「南宋」 ではありません。 

③【誤】

リード文に「ザビエル」の名がありますが、彼はイエズス会宣教師であり、彼を支援し、マラッカを最初に植民地化したヨーロッパの国は「スペイン」 ではなくポルトガル(1511年)です。 

④【誤】

リード文の最後に「労働者として移民を受け入れました。その結果、現在の多民族社会が形成されたのです」と明記されています。したがって、「民族的な多様性は失われた」 という記述は、リード文の内容と明確に矛盾します。

問2:正解④

<問題要旨>

リード文A を参考に、19世紀以降のマラッカの帰属の変化について最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

1824年の条約(英蘭協約)で、マラッカは「オランダからイギリスに」譲渡されました 。選択肢は「イギリスからオランダに」 となっており、逆です。

②【誤】

譲渡の方向が「イギリスからオランダに」となっており、逆です 。

③【誤】

「オランダからイギリスに譲渡され」た点は正しいです 。しかし、マラッカはマレー半島に位置しており 、現在は「マレーシア」の一部です。「インドネシアの一部」 ではありません。

④【正】

リード文には「(オランダが)この街を奪取しました。その後、1824年の条約により、マラッカは別の国(イギリス)に譲渡され」とあります。マラッカはマレー半島側にあり 、現在はマレーシアの一部です 。すべての記述がリード文の内容および史実と合致します。

問3:正解④

<問題要旨>

リード文A および表 を参考に、3人の学生のメモ の正誤を判断する問題です 。

<選択肢>

・相川さんのメモ :【正】

リード文に「熱帯産品の集散地」、「中国から中東、アフリカに至るネットワーク」 とあり、メモの内容と合致します。

・井上さんのメモ :【正】

表で「アヘン」が輸入品(1281)と輸出品(1186)の両方にあり、その額が近いこと 、またリード文に「輸入品の大部分はそのまま輸出されていた」 とあることから、海峡植民地が中継貿易の拠点であったことがうかがえます。

・宇野さんのメモ :【誤】

表で「錫」は輸出品(2672)が輸入品(2373)を上回っており 、輸出品の1位です 。これは、リード文の「植民地化されたマレー半島では土地開発が進み」、「後背地との関係は変化している」という記述と合わせ、後背地(マレー半島)で生産された錫が港市に集められ、輸出されたことを示します。関係が「弱まった」 のではなく、後背地の開発産品を輸出するという形で関係が(以前とは異なる形で)強まった、あるいは変化したと解釈すべきです。

したがって、相川さんと井上さんの二人のみ正しいので、④ が正解です。

問4:正解①

<問題要旨>

リード文B を参考に、ロシアの朝鮮半島への関心の根拠(あ・い)と、空欄ア に入る中国での出来事(X・Y)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・根拠の検討:

日清戦争(1894-95)後、ロシアは「三国干渉」(1895)で日本に遼東半島を返還させ、清や朝鮮半島への影響力を強めようとしました(南下政策)。したがって、「あ」は正しい根拠です。一方、「い」 の日露戦争(1904-05)でロシアは敗北し、朝鮮半島における日本の優越権を認めたため、根拠として誤りです。

・空欄アの検討:

会話では、ア の後にロシアが朝鮮半島を狙うと学んだが、それ以前(三国干渉(1895)頃)から兆しがあった、と推測しています 。ア には三国干渉より後、日露戦争(1904-05)直前にロシアが満州・朝鮮への影響力を強めた「X:義和団事件」(1900-01)が入るのが最も自然です。「Y:五・四運動」(1919) は時期が遅すぎます。

・組合せ:

根拠は「あ」、空欄アは「X」です。

①【正】 あーX ②【誤】 あ-Y ③【誤】 い-X ④【誤】 い-Y

問5:正解②

<問題要旨>

リード文B の省略された文脈(下線部6)に関し、アドルフ=ダッタンが逮捕された理由を推測する問題です。彼は「スイスとドイツからやって来て成功した商人」の一人(ドイツ系と推測)で、1913年頃 にウラジヴォストークで活動していました。

<選択肢>

①【誤】

第1次ロシア革命(1905年) は時期がやや早く、政府批判が理由かは文脈から不明です。

②【正】

第一次世界大戦は1914年に開始され 、ロシアとドイツは敵国同士となりました。ダッタンがドイツ系商人と推測されることから、大戦開始後に「敵国の人間とみなされた」 ために逮捕されたと考えるのが最も自然です。

③【誤】

十一月革命(ロシア革命)は1917年 です。時期としてはあり得ますが、ソヴィエト政権批判が理由かは不明であり、②の方が直接的な理由として可能性が高いです。

④【誤】

独ソ戦は第二次世界大戦中(1941年開始) であり、時代が全く異なります。

問6:正解③

<問題要旨>

リード文B と表1・2 を参考に、空欄イ・ウ(表1:船籍)とエ(表2:民族)の組合せを問う問題です 。

<選択肢>

  1. 会話文「ロシア船に次いで日本の船が多い」と表1 から、ロシア(283)に次いで多い「ウ」(202) が「日本」船籍と確定します。
  2. 会話文「ロシア人以外では、中国人と朝鮮人も多い」と表2 から、「イ人」(28263)と「エ人」(11351) が「中国人」と「朝鮮人」のどちらかです。
  3. 表1の残る空欄「イ」(17) は「中国」か「朝鮮」ですが、1913年当時 、朝鮮は日本に併合されていたため「朝鮮」船籍は考えにくく、「イ」は「中国」船籍と推定されます。
  4. この時点で「イ=中国」、「ウ=日本」 となり、この組合せを持つ選択肢は③のみです。 (補足:③の場合、「エ」は「朝鮮」となり、表2 はイ人=中国人(28263)、エ人=朝鮮人(11351)、ウ人=日本人(2155)と推定されます。)

①【誤】 ②【誤】 ③【正】 ④【誤】 ⑤【誤】 ⑥【誤】

問7:正解④

<問題要旨> 

リード文Cの本文中にある下線部の出来事(ビスマルクの戦争) 、写真Ⅰ(ベルリンの壁開放) 、写真Ⅱ(総統の誕生日パレード) の3つの出来事を、年代の古いものから順に正しく配列しているものを選ぶ問題です。

<選択肢> 

①【誤】 (Ⅰ→Ⅱ→下線部か)

写真Ⅰ(壁の開放) は、3つの出来事の中で最も新しいものです。

②【誤】 (Ⅰ→下線部か→Ⅱ)

写真Ⅰ(壁の開放) は、3つの出来事の中で最も新しいものです。

③【誤】 (Ⅱ→Ⅰ→下線部か)

写真Ⅰ(壁の開放) は、下線部か(ビスマルクの戦争) よりも新しい出来事です。

④【正】 (Ⅱ→下線部か→Ⅰ)

写真Ⅱ(総統の誕生日パレード) が最も古く、次に下線部か(ビスマルクの戦争) 、最も新しいのが写真Ⅰ(壁の開放) という順序になります。

⑤【誤】 (下線部か→Ⅰ→Ⅱ)

写真Ⅰ(壁の開放) は、写真Ⅱ(総統の誕生日) よりも新しい出来事です。

⑥【誤】 (下線部か→Ⅱ→Ⅰ)

写真Ⅱ(総統の誕生日) は、下線部か(ビスマルクの戦争) よりも古い出来事です。

問8:正解③

<問題要旨>

リード文C と図 を参考に、田中さんの移動方向(あ・い)と、ベルリンの壁建設の背景(X・Y)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・移動方向の検討:

田中さんは「6月17日通り」(西ベルリン側)から「ブランデンブルク門」(壁の境界線上)を通り抜け、「ウンター=デン=リンデン」、「カール=マルクス大通り」(いずれも東ベルリン側)へと移動しています。したがって、田中さんは「い:西から東に進んだ」 ことになります。

・壁建設の背景の検討:

ベルリンの壁(1961年建設)は、経済的に豊かな西ベルリンへ、東ドイツ市民が大量に流出するのを防ぐために、東ドイツ政府によって建設されました。したがって、「X:西側へ脱出する東ドイツ市民が増えた」 が正しい背景です。 ・組合せ:方向は「い」、背景は「X」です。

①【誤】 ②【誤】 ③【正】 いーX ④【誤】

問9:正解④

<問題要旨>

リード文C を参考に、ベルリンの歴史に関する記述の正誤を問う問題です 。

<選択肢>

①【誤】

戦勝記念塔は「ビスマルクがプロイセン首相だった時の諸戦争」の勝利を記念して建てられました。「ワーテルローの戦い」(1815年)ではありません 。

②【誤】

「6月17日通り」は、「ドイツ連邦共和国の成立以来首相を務めていた人物」(西ドイツ初代首相アデナウアー)が名付けました。「ブラント」 は後の首相です。

③【誤】

「アウシュヴィッツ強制収容所」 が置かれていたのは、ドイツ占領下のポーランド南部(オシフィエンチム)であり、ベルリンではありません。

④【正】

リード文に「(ベルリン大学)…相対性理論を発表したことで知られる人物も、1910年代に所属し、研究していた」とあります。これは「アインシュタイン」 を指しており、彼は1914年からベルリン大学教授を務めていました。記述と合致します。

第2問

問1:正解④

<問題要旨>

リード文A を参考に、空欄ア に入る語(あ・い)と、中世ヨーロッパ農業に対する近年の評価(X~Z)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・空欄アの検討:

会話文で「耕地を春耕地、秋耕地、休耕地に分けて輪作する ア」と説明されており、これは「い:三圃制」の説明です。「あ:囲い込み」 は近世イギリスなどで見られた動きです。

・評価の検討:

教授は、中世農業革命を「『歴史の進歩』と見て称揚する姿勢は…批判されて」いると述べ、むしろ「中世初期」の経済生活が「リスク分散」や「自然環境の持続的利用」の点で「積極的に評価されつつある」と説明しています。これは「X」の内容と合致します。「Y」は批判されている見解、「Z」は「個々の農民が単独で」とある点が「共同体として実施された」 というリード文と矛盾します。

・組合せ:

空欄アは「い」、評価は「X」です。

①【誤】 ②【誤】 ③【誤】 ④【正】 いーX ⑤【誤】 ⑥【誤】

問2:正解④

<問題要旨>

下線部⑧「人間と自然環境との関わり方」について述べた文として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

「枯葉剤」が大規模に使用されたのは「ベトナム戦争」であり、「イラク戦争」 ではありません。

②【誤】

「季節風(モンスーン)」を利用した交易はインド洋など「海の道」で行われました。「オアシスの道」 は内陸の乾燥地帯の交易路です。

③【誤】

地中海と紅海を結ぶのは「スエズ運河」です。「パナマ運河」 は太平洋と大西洋(カリブ海)を結びます。

④【正】

古代インドの「アーリヤ人」は、雷や火といった「自然現象に神性を認めて崇拝」し、それらへの讃歌を「ヴェーダ」 にまとめました。これは人間と自然環境との関わり方(自然崇拝)の顕著な例です。

問3:正解②

<問題要旨>

リード文B と地図 を参考に、二つの諺の変化が示す穀倉地帯の移動方向(a・b)と、その背景(X・Y)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・移動方向の検討:

「蘇湖」(長江下流域、地図の東側)から「湖広」(長江中流域、地図の西側) へ穀倉地帯が移りました。これは地図上の「a」(東から西へ)の移動を示します。

・背景の検討:

リード文によると、明代 に「蘇州」(蘇湖)では「製糸業や絹織物業が発達」し、「米穀の消費地帯へと変貌」しました。これは「Y:明代になって、蘇州が穀倉地帯から商工業都市としての性格を強めた」という説明と合致します。「X」 は逆です。

・組合せ:

方向は「a」、背景は「Y」です。

①【誤】 ②【正】 a-Y ③【誤】 ④【誤】

問4:正解③

<問題要旨>

下線部⑨「都市文化の発展」に関連し、世界史上の都市の経済・文化発展について述べた文として「誤っているもの」 を選ぶ問題です。

<選択肢>

①【正】

ルネサンス期のフィレンツェ では、大富豪メディチ家 がパトロンとして芸術家や学者を支援し、文化が繁栄しました。

②【正】

第一次世界大戦 を経てアメリカ合衆国が経済的に台頭し、戦後、ニューヨーク はロンドン に代わって世界金融の中心となりました。

③【誤】

アッバース朝時代のバグダード はイスラーム帝国の中心として繁栄しましたが、これは東西交易(陸の道・海の道)の結節点としての役割が大きいです。「地中海交易の中心」 として栄えたのは、カイロや、ヴェネツィア、ジェノヴァなどのイタリア諸都市です。

④【正】

唐代の長安 はシルクロードの起点であり、国際的な大都市として、東西から多くの使節、商人、留学生(日本の遣唐使など)が集まりました 。

問5:正解②

<問題要旨>

リード文B を参考に、蘇州の歴史について最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

リード文に「明を建国した朱元璋(洪武帝)が、蘇州…らを徹底的に弾圧し、蘇州は一時衰退した」とあり、「積極的な支援」 は誤りです。

②【正】

リード文に「マルコ=ポーロが口述したとされる旅行記には、その経済的活況が記録されている」とあります。マルコ=ポーロが中国(元)を訪れたのは13世紀後半であり、その旅行記が『世界の記述(東方見聞録)』 です。

③【誤】

図 (『盛世滋生図』)は、リード文で「18世紀における蘇州の活況」を描いたものと説明されています。18世紀は「清代」であり、「宋代」 ではありません。

④【誤】

蘇州が荒廃したのは「洪秀全が率いた反乱」、すなわち「太平天国の乱」(19世紀半ば)によるものです。「甲午農民戦争」(1894年)は朝鮮で起こった反乱です。

問6:正解③

<問題要旨>

リード文C の空欄イ(宣言の名)と、空欄ウ(宣言の要求内容)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・空欄イの検討:

1899年にアメリカが中国に進出する列強に対し、勢力圏内での機会均等(関税・鉄道運賃等の平等)を求めた宣言 は、「い:門戸開放宣言」です。「あ:モンロー宣言」(1823年) はアメリカ大陸に関する宣言です。

・空欄ウの検討:

メモ によれば、アメリカは他国の勢力圏内において、港湾使用料や鉄道運賃で「自国商船に課す以上の」料金を「他国の商船」「他国民」に課さないよう求めています。これは、アメリカの商人が他国の商人と「同等に」扱われること(機会均等)を要求するものです。したがって「X:アメリカ合衆国の商人を自国の商人と同等に扱う」 よう求めていると分かります。

・組合せ:

イは「い」、ウは「X」です。

①【誤】 ②【誤】 ③【正】 いーX ④【誤】

問7:正解③

<問題要旨>

下線部⑩「19世紀末に起こったヨーロッパ諸国や日本による中国分割」に関連する文として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

ポルトガルがマカオに居住権を認められたのは16世紀(1557年) であり、19世紀末の中国分割とは時期が異なります。

②【誤】

ドイツが租借したのは「膠州湾」(1898年)です。「威海衛」 を租借したのはイギリス(1898年)です。

③【正】

日清戦争後、三国干渉(1895年)の見返りとして、ロシアは清から「東清鉄道」(シベリア鉄道の満州内短絡ルート)の敷設権を獲得しました(1896年)。これは19世紀末の中国分割の典型的な事例です 。

④【誤】

「江華島事件」(1875年)を機に、日本が不平等条約を締結させた相手は「朝鮮」 であり、中国ではありません。

問8:正解④

<問題要旨>

リード文C で有田さんが紹介している「経済力の強い国家が自由貿易を通じて弱小国を経済的に支配する」という帝国主義的な政策の事例として「最も適当なもの」 を選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】

南北戦争前のアメリカ北部 は、自国工業保護のため「保護貿易(保護関税)」 を求めました。これは自由貿易とは逆の政策です。

②【誤】

大恐慌後の「フラン=ブロック」 は、自国通貨圏(植民地など)との貿易を優先する排他的な「ブロック経済」であり、自由貿易とは異なります。

③【誤】

独立後のラテンアメリカ諸国がモノカルチャー経済 に陥ったのは、経済的帝国主義の「結果」であり、自由貿易を推進した「政策」そのものではありません。

④【正】

19世紀半ばに「世界の工場」と呼ばれたイギリス は、圧倒的な工業力を背景に「自由貿易の拡大に努め」ました。この自由貿易政策は、他国の産業発展を妨げ、イギリスへの経済的従属を強いる側面があり、リード文 で述べられている経済的帝国主義の典型例とされます。

第3問

問1:正解③

<問題要旨>

リード文A の空欄ア(ネルーが書簡を送った中国の要人)と、空欄イ(中印協定で公表された原則)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・空欄アの検討:

独立インドの初代首相ネルー とともに、1954年の中印協定 や共同声明 に関わり、非同盟・平和共存路線を主導した中国の首相兼外相は、「周恩来」です。「鄧小平」 は後の指導者です。

・空欄イの検討:

1954年の中印協定の前文で示され、同年のネルーと周恩来の共同声明で確認された原則は、「平和五原則」です。「平和十原則」 は、翌1955年のアジア=アフリカ会議(バンドン会議)で採択されたものです。

・組合せ:

アは「周恩来」、イは「平和五原則」です。

①【誤】 ②【誤】 ③【正】 アー周恩来、イー平和五原則 ④【誤】

問2:正解⑤

<問題要旨>

下線部い(1962年10月の中印武力衝突)と、出来事あ(中ソ国境武力衝突)、い(イラクのクウェート侵攻)を年代の古い順に並べる問題です 。

<選択肢>

・下線部い:中印国境紛争 は「1962年10月」 です。

・あ:中ソ国境での武力衝突 (珍宝島事件など)は、中ソ対立が激化した1969年です。

・い:イラクがクウェートに侵攻 (湾岸戦争の勃発)したのは、1990年です。

年代順は、「下線部い (1962) → あ (1969) → い (1990)」となります。

①【誤】 ②【誤】 ③【誤】 ④【誤】 ⑤【正】 下線部→あ→い ⑥【誤】

問3:正解②

<問題要旨>

下線部う「第二次世界大戦」の時期にポーランドで起こった出来事として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

第二次世界大戦は、1939年9月1日の「ドイツ軍」のポーランド侵攻によって勃発しました。「ソ連軍の侵攻」 は同月17日で、ドイツに続くものでした。

②【正】

1939年9月、ポーランドは西からドイツ 、東からソ連 によって分割占領されました。1941年に独ソ戦が始まると、ソ連占領地域もドイツに占領され、ポーランド全土が枢軸国(ドイツ) に占領されました。

③【誤】

「ティトー」 は、「ユーゴスラヴィア」で抵抗運動を組織した指導者です。

④【誤】

「ワレサ」を指導者とする自主管理労働組合「連帯」 が組織されたのは、1980年代のポーランドであり、第二次世界大戦中ではありません。

問4:正解④

<問題要旨>

リード文B を参考に、空欄ウ(戦前のポーランド)に入る文(あ・い)と、戦後のポーランドの領土・住民 について述べた文(X・Y)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・空欄ウの検討:

リード文で、戦後は「戦前とは…国民の民族的な構成も変わった」とあります。これは、戦前のポーランドが多民族国家であったことを示唆しています。史実としても、戦間期のポーランドはウクライナ人、ドイツ人、ユダヤ人など多くの少数民族を抱えていました。したがって「い:様々な民族によって構成されていた」 が入ります。

・戦後の領土・住民の検討:

「X」:ポーランドとソ連の国境(東部国境)は「カーゾン線」が基準となり、ポーランドとドイツの国境(西部国境)が「オーデル=ナイセ線」 となりました。Xは国境線の記述が東西逆になっています。 「Y」:ポーランドは西部にドイツ領の一部(オーデル=ナイセ線以東)を獲得し 、その地域に居住していたドイツ人を国外に追放しました 。これは正しい記述です。

・組合せ:

空欄ウは「い」、戦後の記述は「Y」です。

①【誤】 ②【誤】 ③【誤】 ④【正】 いーY

問5:正解④

<問題要旨>

下線部え「新たな政権」(第二次世界大戦後のポーランドで成立した政権)について述べた文として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

戦後のポーランドは、ソ連の影響下にある社会主義国(ポーランド人民共和国)となりました。「ドイツと防共協定を結んだ」 のは、戦前の日本やドイツなどです。

②【誤】

「非同盟諸国首脳会議」は、ユーゴスラヴィア(ティトー)などが主導したもので、ソ連圏(東側陣営)に属していたポーランド ではありません。

③【誤】

ポーランドはソ連を中心とする「ワルシャワ条約機構」の原加盟国であり、「東欧革命以前に…脱退した」 事実はありません。

④【正】

戦後のポーランドは、ソ連を中心とする東側諸国の経済協力機構である「経済相互援助会議(コメコン)」 に参加しました(1949年原加盟国)。

問6:正解②

<問題要旨>

下線部お「1740年代~1790年代」(植民地総督の数が最初のピークを迎えた時期)に起こった出来事として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【誤】

「アンボイナ事件」 は、1623年にオランダがイギリス勢力をモルッカ諸島から追放した事件で、時期が異なります。

②【正】

「プラッシーの戦い」は、1757年にイギリス東インド会社 がフランス・ベンガル連合軍に勝利し、インドにおけるイギリスの優位を決定づけた戦いです。1740年代~1790年代の間に含まれます 。

③【誤】

アメリカ合衆国による「ハワイ併合」 は1898年で、時期が異なります。

④【誤】

「フレンチ=インディアン戦争」(1754-63)の結果、フランスはミシシッピ以東のルイジアナなどをイギリスに「獲得された」(割譲した)のであり、記述が逆です。

問7:正解①

<問題要旨>

下線部か「19世紀前半に主な中南米諸国が独立した」時期について述べた文として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【正】

「シモン=ボリバル」は、19世紀前半 にベネズエラ、コロンビア、ボリビアなど、南米北部の独立運動を指導した 人物です。

②【誤】

「ペルー」は、「スペイン」から独立しました。「ポルトガル」 から独立したのはブラジルです。

③【誤】

「ワシントン」が植民地軍の司令官となったのは、18世紀後半のアメリカ独立戦争 であり、19世紀前半の中南米ではありません。

④【誤】

「パナマ」が「コロンビアから独立した」 のは、アメリカ合衆国の支援を受けた20世紀初頭(1903年)です。

問8:正解①

<問題要旨>

空欄エ(ハイチが独立した国)のアフリカ植民地(地図a~c)と、エから独立した東南アジアの国の歴史(あ・い)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・空欄エの特定:

1804年に「エ」から独立した「ハイチ」 は、元々フランス領サン=ドマングでした。したがって、エは「フランス」です。 ・地図の特定:地図a はアフリカ大陸の西側とマダガスカル島を広範囲に領有しており、「フランス」の植民地(アフリカ横断政策)を示します。地図b は「ドイツ」、地図c は「ベルギー」(コンゴ)の植民地です。

・東南アジアの国の歴史の特定:

エ(フランス)から独立した東南アジアの国は、フランス領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)です。「あ:ドイモイ政策」は、「ベトナム」が採用した経済政策です。「い:スカルノ」 は「インドネシア」(旧オランダ領)の独立運動指導者です。

・組合せ:

地図は「a」、歴史は「あ」です。

①【正】 aーあ ②【誤】 ③【誤】 ④【誤】 ⑤【誤】 ⑥【誤】

第4問

問1:正解①

<問題要旨>

下線部あ「1948年,朝鮮半島の南部に韓国(大韓民国)が成立した」に関連し、第二次世界大戦後の朝鮮半島 の出来事として最も適当なものを選ぶ問題です 。

<選択肢>

①【正】

1948年8月に南部で大韓民国(韓国)が成立 した後、同年9月に北部で「金日成を首相として、朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)が成立しました 。

②【誤】

韓国が経済成長を遂げ「NIES(新興工業経済地域)」と呼ばれましたが、北朝鮮 はNIESには含まれません。

③【誤】

第二次世界大戦後、朝鮮半島は「北緯38度線」を境に、北をソ連軍、南をアメリカ軍が占領しました。「北緯17度線」 は、ベトナムの分断線です。

④【誤】

初の南北首脳会談(2000年)は、韓国の「金大中」大統領と北朝鮮の「金正日」総書記との間で行われました。「朴正熙」 は1960〜70年代の韓国大統領です。

問2:正解②

<問題要旨>

リード文A を参考に、1987年改正の韓国憲法(あ・い)と、世界史上の憲法(X・Y)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・韓国憲法の検討:

資料の(注1)に「大韓民国臨時政府」(三・一独立運動の後、上海で組織 )の法統を継承するとあります。これは「日本の植民地支配に対する批判の精神を継承しようとしている」(=あ)と解釈できます。(注2)に「4・19民主理念」(李承晩政権を打倒した運動 )を継承するとあるため、「い:初代大統領(李承晩)が行った政治の理念を継承」 は誤りです。

・世界史上の憲法の検討:

「X」:ドイツの「ヴァイマル憲法」は1919年に制定され、「ナチスドイツ政権の成立後」(1933年〜) ではありません。 「Y」:「アメリカ独立宣言の採択」(1776年)の後、1787年に「アメリカ合衆国憲法が制定さ」 れました。これは正しい記述です。

・組合せ:

韓国憲法は「あ」、世界史上の憲法は「Y」です。

①【誤】 ②【正】 あ-Y ③【誤】 ④【誤】

問3:正解③

<問題要旨>

リード文B を参考に、資料2 で神聖ローマ皇帝に選出された人物(=スペイン王)の治世に起こった出来事を選ぶ問題です 。

<選択肢>

・人物の特定:

資料1・2 から、この人物はスペイン王カルロス1世であり、神聖ローマ皇帝カール5世(在位1519-56年)であることがわかります。

・出来事の検討:

①【誤】 ビザンツ帝国滅亡 は1453年で、カール5世の治世より前です。

②【誤】 スペイン継承戦争 は18世紀初頭(1701-14年)の出来事です。

③【正】 「ドイツ農民戦争」は、ルターの宗教改革の影響下で1524年~1525年にドイツで発生しました。これはカール5世の治世中(1519-56年)の出来事です 。

④【誤】 「四国同盟」 は、ナポレオン戦争後のウィーン体制下(1815年)で結成されました。

問4:正解④

<問題要旨>

リード文B の空欄ア に入る語(あ・い)と、リード文から読み取れる内容(X・Y)の正しい組合せを問う問題です 。

<選択肢>

・空欄アの検討:

16世紀頃 からヨーロッパで形成され始めた、国益に基づき同盟や敵対を繰り返す(イタリア戦争 など)国際関係の枠組みは、「い:主権国家」体制です。「あ:封建社会」 は中世の社会システムです。

・内容の検討:

「X」:資料1 では「イングランド王はフランス王に…援助を求め」たとあります。「フランス王はイングランド王に援助を求めた」 わけではなく、主語が逆です。 「Y」:リード文に「(皇帝)マクシミリアンは、たびたびイタリアでフランス王と対立」とあり、資料2 では皇帝選出において「スペイン王(マクシミリアンの孫)とフランス王とによって」対立があったことが記されています。これは「イタリア戦争で対立したフランス王家とハプスブルク家が、皇帝選出の選挙においても対立した」 ことを示しており、正しい読み取りです。

・組合せ:

アは「い」、内容は「Y」です。

①【誤】 ②【誤】 ③【誤】 ④【正】 いーY

問5:正解①

<問題要旨>

下線部き「敵対関係の変化や継続」について述べた文う・え の正誤を判断する問題です 。

<選択肢>

・う:【正】

「七年戦争」(1756-63)の直前、オーストリア はプロイセン に対抗するため、長年の敵であったフランス と同盟を結びました(外交革命、1756年)。これは「敵対関係の解消(変化)」 の例です。

・え:【正】

「フランスで王政が廃止されルイ16世が処刑される」(1793年)と、革命の波及を恐れたヨーロッパ諸国は、「イギリスの呼び掛け」で「第1回対仏大同盟」 を結成し、フランス革命政府と戦いました。

・組合せ:

うー正、えー正です。

①【正】 う一正 え一正 ②【誤】 ③【誤】 ④【誤】

投稿を友達にもシェアしよう!
  • URLをコピーしました!
目次