2018年度 大学入試センター試験 本試験 世界史A 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

問1:正解2

<問題要旨>
下線部①に関連して、近現代における東欧諸国の成立過程や独立の経緯を問う問題です。ベルリン会議(1878年)での独立承認など、19世紀後半から20世紀にかけての国際会議と東欧の歴史に関する知識が問われています。

<選択肢>
①【誤】「ローマ帝国の時代にガリアと呼ばれた」というのは、主に現在のフランスやベルギー周辺地域(ガリア)を指すため、東欧の国(たとえばルーマニア)に関して「ガリアと呼ばれていた」とするのは誤りです。
②【正】1878年のベルリン会議では、オスマン帝国支配下から自立を図ったルーマニア・セルビア・モンテネグロなどの独立が正式に承認されました。したがって、ベルリン会議で独立を承認されたという文は正しい内容を示します。
③【誤】「ズデーテン地方の割譲」は1938年、ナチス・ドイツがチェコスロヴァキアに要求したものであり、東欧の近代独立(特にルーマニア)とは別の出来事です。
④【誤】「自主管理労働組合『連帯』の運動」は1980年代初頭のポーランドで起こった労働組合運動であり、ここで扱われている国(ルーマニアなど)の独立過程とは直接結び付きません。

問2:正解4

<問題要旨>
下線部②に関連し、世界史上の民族運動や国家統一運動の事例を問う問題です。パレスチナ解放機構(PLO)やドイツ統一、ベトナム統一など、20世紀の国際政治と民族自決の流れに関する理解を確認しています。

<選択肢>
①【誤】「大陸会議で、ドイツ統一が話し合われた」は誤りです。ドイツ統一(1871年)は普仏戦争を経たものであり、“大陸会議”という表現はアメリカ独立の際の“大陸会議”などを連想させるため、歴史的事象が混同されています。
②【誤】「ベトナムは、ソ連軍の撤退後に統一された」は誤りです。ベトナム統一は1975年のサイゴン陥落を経て南北が統一されたものであり、ソ連軍の撤退という表現はアフガニスタン等の別の文脈を想起させます。
③【誤】「金日成(あるいは金正日・金大中)が南北首脳会談を実現させた」といった内容であれば朝鮮半島の動きですが、ここではベトナムやパレスチナの文脈と矛盾します。南北首脳会談(2000年など)は朝鮮半島の事例で、ここで問われる民族運動・統一運動とは異なる指摘です。
④【正】ヤーセル・アラファトはパレスチナ解放機構(PLO)の議長としてパレスチナ人の権利回復を主張し、世界的に注目されました。したがって「アラファトがPLOを指導した」という内容は正しいです。

問3:正解4

<問題要旨>
下線部③に関連し、第二次世界大戦後の東欧社会主義圏がどのような国際組織や軍事同盟を結成して対抗したかを問う問題です。コミンテルン(第三インターナショナル)・コメコン(経済相互援助会議)・ワルシャワ条約機構(軍事同盟)など、ソ連を中心とする陣営の枠組みに関する知識が求められます。

<選択肢>
①【誤】「アー=コミンテルン、イー=中央条約機構」:コミンテルンは第二次大戦前に存在した国際共産主義組織で、戦後の東欧経済協力の場として示されるのは誤りです。また中央条約機構(CENTO)は中東・南アジア方面の反共軍事同盟であり、東欧社会主義圏の軍事同盟には該当しません。
②【誤】「アー=コミンテルン、イー=ワルシャワ条約機構」:コミンテルンを戦後東欧圏の経済協力組織として挙げる点が誤りです。ワルシャワ条約機構はソ連と東欧各国の軍事同盟として正しいものの、コミンテルンが戦後の経済協力の主体とは言えません。
③【誤】「アー=コメコン、イー=中央条約機構」:コメコン(経済相互援助会議)を東欧の経済協力組織として挙げる点は正しいですが、中央条約機構は西側が中東方面で結成した反共包囲の一部で、東欧の軍事同盟には当てはまりません。
④【正】「アー=コメコン、イー=ワルシャワ条約機構」:ソ連を中心に東欧諸国が戦後結成した経済協力組織がコメコン、軍事同盟がワルシャワ条約機構であり、この組合せが史実と合致します。

問4:正解4

<問題要旨>
下線部④に関連して、建国者や初代大統領に関する世界史上の人物を区別する問題です。イスラーム世界や東アジア、アメリカの歴史上重要な指導者が誰なのか、正確に把握しているかが問われます。

<選択肢>
①【誤】「アウラングゼーブが、ムガル帝国を建てた。」:ムガル帝国の建国者はバーブルであり、アウラングゼーブは17世紀中期以降の皇帝です。
②【誤】「劉邦(項羽ではない)が漢を建てた。」が史実として正しい表現であり、“楊帝が漢を建てた”というのは誤りです。楊帝は隋の皇帝であり、漢の建国者ではありません。
③【誤】「リンカンが、アメリカ合衆国の初代大統領となった。」:初代大統領はジョージ・ワシントンです。リンカンは第16代大統領にあたります。
④【正】「ムスタファ・ケマルが、トルコ共和国の初代大統領となった。」:オスマン帝国崩壊後、1923年に成立したトルコ共和国の建国の父として知られるムスタファ・ケマル(アタテュルク)が初代大統領を務めました。

問5:正解3

<問題要旨>
下線部⑤に関連して、日本の対外関係史を扱った問題です。江戸幕府から明治・昭和にかけての国交や外交、領土返還・国交正常化に関する正確な年代や出来事の結びつきが問われます。

<選択肢>
①【誤】「江戸幕府が、欧米に岩倉使節団を派遣した。」:岩倉使節団は明治政府(明治4年=1871年出発)による欧米派遣団であり、江戸幕府ではありません。
②【誤】「倭寇は、北虜と呼ばれた。」:倭寇は主に14~16世紀に東アジア沿岸で活動した海賊集団の呼称で、“北虜”は明末の中国側から見て北方の騎馬民族などを指す表現(「北虜南倭」)の一部にすぎず、倭寇自体を指すとするのは誤りが含まれます。
③【正】「沖縄が日本に復帰した年に、日中国交正常化が果たされた。」:沖縄は1972年に日本へ復帰し、同年の日中共同声明(1972年)によって国交正常化がなされました。この二つの出来事が同年である点が正しいです。
④【誤】「朱印船貿易を通じて、メキシコに日本町がつくられた。」:朱印船貿易では東南アジア各地に日本町が形成されましたが、新大陸方面(スペイン領のメキシコ)に“日本町”が作られたという史実は確認されていません。

問6:正解1

<問題要旨>
下線部⑥に示される国の位置(bまたはa)と、2003年のイラク戦争で打倒された政権がどこかを問う問題です。イラクのサッダーム・フセイン政権とアフガニスタンのターリバーン政権の地図上の位置関係を理解する必要があります。

<選択肢>
①【正】地図中の「a」がイラクを示し、2003年に打倒されたのはサッダーム・フセイン政権です。
②【誤】「a=ターリバーン政権」はアフガニスタンのことを指す誤りとなります。地図上では「a」がイラク、東側山岳地帯にあるのが「b(イランやアフガニスタン周辺)」という見分けが基本です。
③【誤】「b=フセイン政権」はイラクの位置をbとするのは誤りで、bはおそらくイランやアフガニスタン方面を指すと考えられます。
④【誤】「b=ターリバーン政権」も地図上での位置関係が逆転している可能性があります。

問7:正解2

<問題要旨>
下線部⑦に関連して、華北で起こった歴史上の出来事を問う問題です。古代から中世、近世にかけて華北と華中・華南では王朝の建都や農業形態、勢力範囲などが違い、そこを正しく区別する必要があります。

<選択肢>
①【誤】「古代に、稲作を中心とする文明が生まれた。」:華北は畑作(アワ・キビなど)が中心の黄河流域文明が発展した地域であり、稲作は長江流域を中心に発展したため、ここを“稲作中心”とは言えません。
②【正】「周が都を置いた。」:周王朝(西周)は鎬京(こうけい: 現在の西安付近)など華北に都を置いたことで知られます。華北における古代王朝の都といえば周や殷の故地などが典型的です。
③【誤】「三国時代に、呉が勢力を広げた。」:呉は長江下流域(江南地方)を拠点にしていたため、華北には直接当てはまりません。
④【誤】「太平天国が都を置いた。」:太平天国は南京を天京とし、華中方面で勢力を広げました。華北ではありません。

問8:正解2

<問題要旨>
下線部⑧に関連して、ユーラシア大陸の諸勢力がそれぞれどの地域を支配・統治したかを問う問題です。古代から中世にかけての国や民族の勢力圏を整理する必要があります。

<選択肢>
①【誤】「パルティアが、モンゴル高原を支配した。」:パルティア(アルサケス朝)はイラン高原方面に勢力を築いた国であり、モンゴル高原を直接支配していたわけではありません。
②【正】「吐蕃(とばん)が、チベット高原を支配した。」:7~9世紀頃にチベット高原を中心に強大な勢力を築いた王朝が吐蕃です。この選択肢は史実に合致します。
③【誤】「鮮卑が、元を建てた。」:元を建てたのはモンゴル系のクリルタイで選ばれたチンギス・ハンの子孫(フビライ)が皇帝となった王朝です。鮮卑は魏晋南北朝時代に活躍した異民族です。
④【誤】「ウイグルが、春秋・戦国時代に勢力を拡大した。」:ウイグルは8~9世紀頃に東トルキスタンやモンゴル高原で勢力を持ったトルコ系民族であり、中国の春秋・戦国時代(紀元前8~3世紀)とは時代が大きく異なります。

問9:正解2

<問題要旨>
下線部③に関わる出来事として、清朝末期や辛亥革命前後の対応、さらに国際連合による調査団派遣など近現代における国際社会の動きと、新政権への樹立・就任のタイミングを区別する問題です。

ここでは選択肢が(a, b)それぞれ正誤の組合せになっており、たとえば「a: 溥儀が執政に就任した」「b: 国際連合によってリットン調査団が派遣された」などの正誤を判断しています。

<選択肢>
①【誤-正】 溥儀の執政(あるいは退位)やリットン調査団の時期関係が事実とは合いません。
②【正-誤】 溥儀は清朝の皇帝として辛亥革命後(宣統帝)に退位し、その後も満洲国執政や皇帝に就任した事実があります(1930年代)。一方、リットン調査団は国際連盟が派遣したものであって“国際連合(UN)”が派遣したのではありません。よって後半が誤りです。
③【誤-正】 この組合せの前半後半が逆の可能性があります。
④【誤-誤】 いずれも誤りの組合せだと史実に合わない部分があります。

問10:正解1

<問題要旨>
下線部⑩に関連して、世界史の宗教・神殿に関する出来事を問う問題です。朝鮮の道教やインドのバラモン教(ヒンドゥー教の源流)、ギリシアのパルテノン神殿、イスラーム世界のカーバ神殿など、成立時期・場所を正しく認識しているかが試されます。

<選択肢>
①【誤っているか否かを問う問題だが、ここでは「誤っているもの」を選ぶ設問なので注意】

設問文では「世界史上の宗教や神殿について述べた文として“誤っているもの”を選べ」とある一方で、解答番号10は「正解1」となっています。したがって選択肢①が“誤り”であることが、この問題の正解を導きます。以下、それぞれを検討します。

  1. 「朝鮮で、道教が成立した。」
    → 道教は中国で成立した宗教ですので、「朝鮮で成立した」というのは誤りです。実際には朝鮮半島では儒教や仏教、あるいはシャーマニズム的な信仰が主流で、道教は中国起源です。
  2. 「インドで、バラモン教が成立した。」
    → 正しい記述です。バラモン教はインドで生まれ、のちのヒンドゥー教の源流となっています。
  3. 「アテネで、パルテノン神殿が造られた。」
    → これも古代ギリシア時代のアテネに実在する神殿なので正しい記述です。
  4. 「メッカで、カーバ神殿が造られた。」
    → イスラームの聖地として、古くからメッカにカーバ神殿が存在しました。イスラーム以前から聖所であり、ムハンマドの時代に偶像崇拝を排し、イスラームの聖殿となった史実があります。

以上より、「朝鮮で道教が成立した」だけが“誤っている”記述に当たります。したがって①が誤りであり、この問題の正解となります。

第2問

問11:正解4

<問題要旨>
下線部①に関連して、近世から近代にかけての列強による植民地支配の実態を問う問題です。メキシコやカンボジア、ナイジェリア、タヒチなどがそれぞれどこの国の植民地または保護国であったか、正しく把握する必要があります。

<選択肢>
①【誤】「メキシコは、オランダの統治下に置かれた。」
メキシコは長らくスペインの植民地であり、オランダの統治下にあった史実はありません。

②【誤】「カンボジアは、イギリスの保護国となった。」
カンボジアは19世紀後半からフランス保護国となっていたため、イギリス保護国とは異なります。

③【誤】「ベルギーが、ナイジェリアを植民地とした。」
ナイジェリアはイギリス領であり、ベルギーはコンゴを植民地としていた国です。

④【正】「フランスが、タヒチを獲得した。」
タヒチを含むフランス領ポリネシアは19世紀にフランスの保護領となり、のちに完全に編入されました。これは史実に合致しています。

問12:正解3

<問題要旨>
下線部②に関連して、世界各地の文化や文明、思想の発生・展開に関する基本的事項を問う問題です。選択肢の中で、どれが誤った記述かを見極める必要があります。

<選択肢>
①【正】「古代エジプトで、太陽暦が用いられた。」
古代エジプトでは太陽暦(エジプト暦)が発達し、ローマ暦をはじめ後世に大きな影響を与えました。

②【正】「殷代の中国で、甲骨文字が用いられた。」
殷王朝時代の遺跡からは亀甲や獣骨に刻まれた文字(甲骨文字)が多数発見されており、これが漢字の起源の一つとされています。

③【誤】「北アメリカで、スワヒリと呼ばれる文化(スワヒリ文化)が生まれた。」
スワヒリ文化は東アフリカの海岸地域(現在のケニアやタンザニア沿岸など)を中心に、アラブやペルシアなどの文化と混ざり合う形で形成されたものです。北アメリカではありません。

④【正】「18世紀のヨーロッパで、啓蒙思想が広がった。」
18世紀欧州では啓蒙思想家たち(ヴォルテールやロック、モンテスキュー、ルソーなど)が活躍し、その思想が広まった史実は正しいです。

問13:正解3

<問題要旨>
下線部③に関連し、19世紀から20世紀前半にかけての中国からアメリカ合衆国への移民数の推移と、同時期のアメリカ合衆国における金生産量の推移を示したグラフを読み取る問題です。ここでは、グラフから分かる時期と移民数の関係や、清朝の動向などを踏まえて文aと文bの正誤を判断します。

<選択肢>
①【a=正 b=正】
a「移民者数が最初に2万人を超えたのは、カリフォルニアで金鉱が発見される前である」、b「清朝が滅亡した後は、移民者数が1万人を超えることはなかった」の両方が正しいかどうかを検討すると、aは不正確である可能性が高いです。

②【a=正 b=誤】
aを正とみなすと史実・グラフと齟齬が出るため、これも全体としては合わないと考えられます。

③【a=誤 b=正】
a「移民者数が最初に2万人を超えた時期はカリフォルニア金鉱発見前」を見ると、1850年代以降に金鉱発見の影響で中国移民が増加したとみるのが妥当なため、aは誤りと判断できます。一方で、b「清朝が滅亡(1912年)した後は、移民者数が1万人を超えることはなかった」はグラフからも移民数の大幅な減少が読み取れるため正しいといえます。

④【a=誤 b=誤】
bを誤りとする史料上の決定的な根拠は見当たりません。

問14:正解2

<問題要旨>
下線部④に関連し、大航海時代やラテンアメリカ独立、近現代の政治体制などに関する事項を整理して正誤を判断する問題です。ヴァスコ=ダ=ガマ、クリオーリョの独立運動、アジェンデ政権などが登場します。

<選択肢>
①【誤】「ヴァスコ=ダ=ガマが、西インド諸島に到達した。」
彼はアフリカ南端を回ってインド(カリカット)に到達した人物であり、“西インド諸島”ではありません。

②【正】「クリオーリョが中心となって、ラテンアメリカ諸国の独立運動が進められた。」
19世紀にラテンアメリカ各地で独立運動を主導したのは、植民地生まれの白人(クリオーリョ)階層でした。これは正しい史実です。

③【誤】「アルゼンチンで、アジェンデが、社会主義政権を樹立した。」
アジェンデはチリの大統領(1970~1973)であり、アルゼンチンではありません(アルゼンチンではペロンなどが有名)。

④【誤】「ベネズエラは、BRICSと呼ばれる新興国の一つとして台頭した。」
BRICSはブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ共和国の頭文字であり、ベネズエラは含まれません。

問15:正解1

<問題要旨>
下線部⑤に関連し、人種差別の歴史や黒人差別を行った組織・制度について、南アフリカのアパルトヘイトやアメリカ合衆国のクー=クラックス=クラン(KKK)に関する知識を問う問題です。文aと文bの正誤を判断します。

<選択肢>
①【a=正 b=正】
a「南アフリカで、黒人を差別するアパルトヘイトが採用された」は史実通りです。またb「KKKが、黒人を迫害した」もアメリカ南部を中心に行われた差別・暴力の歴史として知られています。両方とも正しい記述です。

②【a=正 b=誤】
bを誤りとする根拠はなく、KKKの黒人迫害は史実に合致します。

③【a=誤 b=正】
アパルトヘイト制度が南アフリカで採用されたのは周知の事実なので、aが誤りとはいえません。

④【a=誤 b=誤】
いずれも誤りとする説は史実から大きく外れます。

問16:正解3

<問題要旨>
下線部⑥に関連し、ヨーロッパ共同体(EC)やヨーロッパ統合の歩みの年表に関する問題です。イギリスがECに加盟した時期がいつかを、表中のa~dの年と照らし合わせて判断します。

(問題文では年表にa=1952年 ECSC設立、b=1969年 ド=ゴール大統領の辞任、c=おそらく1973年 英のEC加盟、d=1994年 ヨーロッパ経済領域発足などのように並んでいると考えられます)

<選択肢>
①【a】1952年はヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立年で、イギリスは参加していません。
②【b】1969年はド=ゴール大統領が辞任した年で、これを機に英の加盟交渉が進んだが、正式加盟はまだ先です。
③【c】イギリスは1973年にECに加盟しました。設問の表で「c」がこの年に当たるならば、正しい選択といえます。
④【d】1990年代半ばの「ヨーロッパ経済領域(EEA)の発足」は、イギリスのEC加盟よりも後の出来事です。

問17:正解1

<問題要旨>
下線部⑦に関連し、各国の指導者や支配者の事績(どの国を支配したか、どの独立運動を主導したか、どの政党を率いたか)を区別する問題です。アギナルド、ムハンマド=アリ、アウン=サン、ディズレーリなどが登場します。

<選択肢>
①【正】「アギナルドが、フィリピンの独立運動を指導した。」
エミリオ・アギナルドは19世紀末~20世紀初頭にフィリピン独立運動を率いた指導者で、史実に合致しています。

②【誤】「ムハンマド=アリが、チュニジアを支配した。」
ムハンマド=アリは19世紀前半のエジプト総督(オスマン帝国下)であり、チュニジア支配ではありません。

③【誤】「アウン=サンが、ベトナムの独立運動を進めた。」
アウン=サンはミャンマー(ビルマ)独立の父として知られ、ベトナムの独立運動指導者ではありません(ベトナムではホー=チ=ミンが中心)。

④【誤】「ディズレーリが、イギリスの労働党を率いた。」
ベンジャミン・ディズレーリは19世紀のイギリス保守党の政治家・首相です。労働党とは関係ありません。

問18:正解4

<問題要旨>
下線部⑧に関連し、とくに台湾や朝鮮半島など「外地」と呼ばれた地域の歴史を踏まえつつ、どのような政治・経済的状況となったかを問う問題と考えられます。ここでは「新興工業経済地域(NIES)」かどうか、あるいは明・清との関わり、共産党との関係などが焦点となります。

<選択肢>
①【誤】「明に抵抗するために、鄭成功が拠点を築いた。」
鄭成功(通称: 国姓爺/コクセンヤ)は清朝の打倒を目指し、明朝の復興を掲げて戦った立場です。明に抵抗ではなく、“清に抵抗”が正しい歴史認識となります。

②【誤】「中国共産党が、内戦に敗れて逃れてきた。」
1949年の国共内戦で敗れたのは国民党政府(蒋介石)であり、中国共産党ではありません。国民党が台湾へ逃れたのが史実です。

③【誤】「日清修好条規により、日本の領土となった。」
日清修好条規(1871年)は日本と清朝の間の対等条約で、台湾領有の直接の根拠にはなりません。日本が台湾を領有したのは下関条約(1895年)によります。

④【正】「新興工業経済地域(NIES)の一つとして、経済的に台頭した。」
台湾は20世紀後半、「アジアNIES」の一角として急速な経済成長を遂げたことで知られています。

問19:正解4

<問題要旨>
下線部⑨に関連し、各地域や国家において採用・廃止された制度や、社会体制の変遷などを問う問題です。府兵制やカースト制度、一国二制度、徴兵制復活などが正確に行われた地域や国家を見極めます。

<選択肢>
①【誤】「高句麗で、府兵制が実施された。」
府兵制は主に中国の隋・唐で実施された兵制で、高句麗が実施したとはいえません。

②【誤】「メソポタミアで、カースト制度が成立した。」
カースト制度は古代インドで発達した社会制度であり、メソポタミアとは無関係です。

③【誤】「シンガポールで、一国二制度が導入された。」
一国二制度は香港やマカオが返還後に採用された特別な体制で、シンガポールではありません。

④【正】「ドイツで、ナチ党(ナチス)が徴兵制を復活させた。」
ヒトラー率いるナチス政権は1935年に再軍備を宣言し、徴兵制を復活させました。これは史実に合致します。

問20:正解1

<問題要旨>
下線部⑩に関連して、中国における科挙の廃止や、その後に活躍した新知識人について問う問題です。ア(朝代または国家)が科挙を廃止し、イ(人物)が白話運動や文学改革を推進した史実を組み合わせているかを確認します。

<選択肢>
①【ア=清 イ=胡適】
清朝は光緒31年(1905年)に科挙を廃止。さらに20世紀前半、胡適(こせき)は白話運動を提唱し、北京大学教授として新文化運動を進めました。これは歴史的事実と合致します。

②【ア=清 イ=杜甫】
杜甫は唐代の詩人で、近代の白話文学運動とは無関係です。

③【ア=中華人民共和国 イ=胡適】
中華人民共和国の成立は1949年であり、それ以前(1905年)に科挙は廃止されています。また胡適は主に中華民国期の思想家です。

④【ア=中華人民共和国 イ=杜南】
「杜南」という人物の名は一般的でなく、新文化運動の中心人物ともされません。これも史実に合致しません。

第3問

問21:正解3

<問題要旨>
下線部①に関連して、アジアからアフリカにかけての海域における交易や航海技術の伝播などを問う問題です。鄭和の航海範囲やバタヴィアを拠点とした国、インド洋世界での船舶の利用、羅針盤の発明国などを正確に把握しているかが試されます。

<選択肢>
①【誤】「鄭和が、大西洋に遠征した。」
鄭和は15世紀初頭、明の永楽帝の命で東南アジアからインド洋・紅海沿岸まで遠征しましたが、大西洋へ到達した確証はありません。

②【誤】「スペインが、バタヴィアを拠点とした。」
バタヴィア(現ジャカルタ)を拠点としたのはオランダ(オランダ東インド会社)です。スペインはフィリピン統治などを行っていました。

③【正】「ダウ船は、インド洋交易で用いられた。」
ダウ船はアラビア半島やアフリカ東岸からインド西岸に至るインド洋世界で古くから利用されてきた木造船であり、交易にも盛んに用いられました。

④【誤】「羅針盤は、ポルトガルで発明された。」
羅針盤は古代中国で磁石を利用した司南を起源とし、イスラーム世界を経由してヨーロッパにも伝えられたとされます。ポルトガル“発明”ではありません。

問22:正解2

<問題要旨>
下線部②に関連して、ヨーロッパの君主がどのような政治・政策を進めたかを問う問題です。アウグストゥス時代のローマ、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世、神聖ローマ帝国期のオットー1世、ロシア帝国のニコライ2世とフランスのブルボン朝など、国ごと・時代ごとの出来事を区別する必要があります。

<選択肢>
①【誤】「アウグストゥスが、キリスト教を公認した。」
キリスト教の公認は313年のミラノ勅令(コンスタンティヌス帝)が有名であり、アウグストゥス(前1世紀~後1世紀初)ではありません。

②【正】「ヴィルヘルム2世が、『世界政策』を進めた。」
ドイツ帝国の最後の皇帝ヴィルヘルム2世(在位1888~1918)は積極的な海外進出政策“世界政策”を推進したことで知られます。

③【誤】「オットー1世(オットー大帝)が皇帝となり、オーストリア帝国が成立した。」
オットー1世は10世紀の東フランク(ザクセン朝)の皇帝で、後の神聖ローマ帝国の基礎を築いた人物です。オーストリア帝国の成立(1804)とは大きく時代が異なります。

④【誤】「ニコライ2世が退位し、ブルボン朝が滅亡した。」
ニコライ2世が退位(1917)したのはロシア帝国であり、ブルボン朝はフランス(あるいはスペイン)の王朝です。両者は無関係です。

問23:正解3

<問題要旨>
下線部③に関連して、各地域・文明間の文化的影響や技術の伝播を問う問題です。鉄砲伝来やガンダーラ美術、紙の製法の伝播、ゾロアスター教の影響などが正しい地域・経路と合っているかが焦点となります。

<選択肢>
①【誤】「フランス人が、種子島に鉄砲を伝えた。」
種子島への鉄砲伝来(1543年頃)はポルトガル人によるものが一般的見解です。

②【誤】「ビザンツ文化の影響で、ガンダーラ美術が生まれた。」
ガンダーラ美術(紀元前後~)はヘレニズム(ギリシア)文化の影響を強く受け、クシャーナ朝時代に発展しましたが、ビザンツ帝国(4世紀末以降)とは時代的に異なります。

③【正】「製紙法が、中国からイスラーム世界に伝わった。」
製紙技術は唐代頃に中央アジアを経由してイスラーム世界へ伝わり、さらにヨーロッパへ広まりました。これは正しい伝播経路です。

④【誤】「東洋は、ゾロアスター教の影響を受けた。」
ゾロアスター教は古代イラン起源で、ササン朝などで国教化されましたが、“東洋全体”といった形で大きく影響を及ぼしたとは言いがたく、誤りとされます。

問24:正解2

<問題要旨>
下線部④に関連して、アメリカ合衆国がどの地域をどのように獲得あるいは拠点化していったかを問う問題です。スペイン=アメリカ戦争や太平洋地域への進出、朝鮮への介入などの正確な史実との対応が求められます。

<選択肢>
①【誤】「カリカットを拠点とした。」
カリカット(インド西岸)を拠点としたのはポルトガルなどの進出に関わる史実であり、アメリカ合衆国の対外進出とは異なります。

②【正】「グアムを獲得した。」
アメリカ合衆国は1898年の米西戦争を経てスペインからグアム島を獲得しました。

③【誤】「ケベックに植民地を建設した。」
ケベックはフランスが北米植民地の中心地として開拓した拠点です(17世紀初頭)。アメリカ合衆国ではありません。

④【誤】「朝鮮を開国させた。」
朝鮮半島を開国に導いたのは日本(江華島事件後の朝鮮開国)が主に関連する歴史で、米国の直接行為ではありません。

問25:正解2

<問題要旨>
下線部⑤に関連して、世界史における貿易路の形成や運河開通による影響を問う問題です。ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ間の三角貿易と、パナマ運河による連結先を正しく理解する必要があります。

a「ヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結んで三角貿易が行なわれた。」
b「パナマ運河の開通によって、地中海と紅海が結ばれた。」

<選択肢>
①【a=正 b=正】
bは実際にはパナマ運河(1914年開通)が大西洋と太平洋を結ぶもので、地中海と紅海を直接結ぶのはスエズ運河(1869年開通)です。よってこれは成り立ちません。

②【a=正 b=誤】
aは史実通りで、近世大西洋世界における三角貿易(ヨーロッパ→アフリカ→アメリカ→ヨーロッパ)が行われました。一方bはスエズ運河と混同しているため誤りです。

③【a=誤 b=正】
aが誤りである根拠はなく、三角貿易は正しく存在しました。

④【a=誤 b=誤】
aは正しいので、これも成り立ちません。

問26:正解3

<問題要旨>
下線部⑥に関連し、日米関係史の出来事を年代順(古い順)に正しく配列する問題です。たとえば「日米和親条約の締結(1854年)」「日本への石油禁輸(1941年)」「マッカーサーの主導による占領開始(1945年)」など、どの順番が妥当かを確認します。

設問の文
a「日本への石油禁輸が実施された。」(1941年)
b「日米和親条約が締結された。」(1854年)
c「マッカーサーの主導で、日本の占領政策が開始された。」(1945年)

<選択肢>
① a→b→c
② a→c→b
③ b→a→c
④ b→c→a
⑤ c→a→b
⑥ c→b→a

この中で、もっとも古い出来事は1854年(b)、次に1941年(a)、最後が1945年(c)となるため、正しい順序は b→a→c です。

問27:正解2

<問題要旨>
下線部⑦に関連し、歴史上のクーデタや反乱の事例を列挙した選択肢から、どれが正しいかを問う問題です。ブリュメール18日のクーデタ(1799年)はフランス、ウラービー(オラービー)の反乱はエジプト、四・一二事件は中国国民党(蒋介石)のクーデタ、ソ連クーデタは1991年の保守派によるものをエリツィンが阻止したなどを確認します。

<選択肢>
①【誤】「イタリアで、ブリュメール18日のクーデタが起こった。」
ブリュメール18日のクーデタ(1799年)はナポレオンがフランスで実行したものです。イタリアではありません。

②【正】「エジプトで、ウラービー(オラービー)の反乱が起こった。」
19世紀末、エジプトのウラービー(アラービー)が反欧運動を起こしました。これを「ウラービー(アラービー)の反乱」と呼びます。

③【誤】「西太后が、上海クーデタ(四・一二事件)を起こした。」
四・一二事件(1927年)は蒋介石率いる国民党が共産党勢力を弾圧した出来事であり、西太后(清朝)の時代とは大きく異なります。

④【誤】「エリツィンが、ソ連でクーデタを起こした。」
1991年に起こったソ連のクーデタ未遂は保守派によるゴルバチョフ追い落としの試みで、当時ロシア共和国大統領のエリツィンはこれを鎮圧・阻止した側でした。クーデタを“起こした”わけではありません。

第4問

問28:正解1

<問題要旨>
下線部①に関連して、キリスト教が政治・社会におよぼした影響や、王権と教皇権の関係を問う問題です。特に中世ヨーロッパにおいて、教皇が皇帝や王に対してどのような権威を示したかが焦点となっています。

<選択肢>
①【正】「ローマ教皇は、フランク王カールに帝冠を授けた。」
800年、ローマ教皇レオ3世がフランク王カール大帝(シャルルマーニュ)に帝冠を授与し、西ローマ帝国の復活を象徴しました。

②【誤】「フェリペ2世は、カトリックを弾圧した。」
スペイン王フェリペ2世(在位1556~1598)はカトリックの擁護者であり、むしろプロテスタントを厳しく弾圧した側です。

③【誤】「宋で、典礼問題が起こった。」
典礼問題は17~18世紀の清朝で起こったもので、儒教儀礼(祖先祭祀など)をキリスト教徒が行ってよいかを巡る論争です。宋代ではありません。

④【誤】「キリスト教の精神に基づいて、マラータ同盟(マラータ同盟)が結成された。」
マラータ同盟は17~18世紀インドのヒンドゥー勢力による連合であり、キリスト教とは無関係です。

問29:正解4

<問題要旨>
下線部②に関連して、フランスで起こったユグノー戦争(1562~1598年)の時期を、他のヨーロッパ宗教史上の出来事と年代比較させる問題です。ここでは教会大分裂(シスマ)やフス戦争、再洗礼派運動の時期と区別して、ユグノー戦争がいつごろかを見極めます。

<選択肢>
①【a】1378年の教会大分裂開始を指すため、ユグノー戦争(16世紀後半)よりも古い時期です。
②【b】1420年の第1回対フス派十字軍派遣も15世紀前半で、ユグノー戦争の時代には当たりません。
③【c】1534年の再洗礼派によるミュンスター統治の開始は16世紀前半です。フランス宗教戦争よりやや早い時期です。
④【d】16世紀後半~17世紀初頭にかけてフランス国内で起こったユグノー戦争を示すなら、この時期に相当します。1562年に始まるカトリックとプロテスタント(カルヴァン派)の抗争が該当し、したがってdがユグノー戦争の時期と合致します。

問30:正解2

<問題要旨>
下線部③に関連して、新しい政治的な運動や社会変革において象徴的な都市で起こった出来事を正しく結びつける問題です。近現代史上、どの人物がどの都市で有名な演説や事件を起こしたかを識別する必要があります。

<選択肢>
①【誤】「ワルシャワで、オバマ大統領が核兵器廃絶を訴える演説を行った。」
バラク・オバマ大統領が“核なき世界”を訴える有名な演説を行ったのは2009年のプラハです。ワルシャワではありません。

②【正】「ワシントンで、キング牧師が、『I Have a Dream』で知られる演説を行った。」
1963年、マーティン・ルーサー・キング牧師はワシントンD.C.で行われた公民権運動の大規模デモにおいて「I Have a Dream(私には夢がある)」演説を行いました。

③【誤】「ヴェルダンで、バスティーユ牢獄が襲撃された。」
バスティーユ牢獄襲撃(1789年)はパリで起こった事件です。ヴェルダンは第一次世界大戦の激戦地として知られますが、フランス革命の中心ではありません。

④【誤】「平壌で、天安門事件が起こった。」
天安門事件は1989年に北京(天安門広場)で起こった民主化運動弾圧の事件で、平壌ではありません。

問31:正解2

<問題要旨>
19世紀後半のタイの近代化政策に関わる国王が誰かを選ぶ問題です。ラーマ5世チュラロンコーンは行政・司法・軍事・教育など多方面にわたる改革を進め、タイ(シャム)が西欧列強の植民地化を免れる要因を作りました。

<選択肢>
①【誤】「スレイマン1世」
オスマン帝国のスルタン(16世紀)であり、タイ近代化とは無関係です。

②【正】「ラーマ5世(チュラロンコーン、チュラロンコン)」
19世紀後半から20世紀初頭にかけてシャム(タイ)の近代化改革を大きく進めた国王として知られています。

③【誤】「スハルト」
1967年からインドネシア大統領となった人物で、タイではありません。

④【誤】「ヘン=サムリン」
1980年代前半のカンボジア人民共和国の国家評議会議長で、タイの国王ではありません。

問32:正解1

<問題要旨>
下線部④に関して述べた文の正否を問う問題です。ソヴィエト政権やゲバラ、マムルーク、大越国などが登場し、誰がどのような軍事組織を創設したかを区別する必要があります。

<選択肢>
①【正】「ソヴィエト政権が、赤軍を組織した。」
ロシア革命(1917年)後のボリシェヴィキ政権(ソヴィエト政権)は、内戦の過程でトロツキーらの主導のもと赤軍を組織しました。

②【誤】「ゲバラが、赤シャツ隊を組織した。」
赤シャツ隊は19世紀イタリア統一運動でガリバルディが率いた義勇軍です。ゲバラ(キューバ革命など)とは無関係です。

③【誤】「古代ギリシアで、マムルークが台頭した。」
マムルークは中世イスラーム圏(エジプトなど)で台頭した奴隷軍人の身分集団で、古代ギリシアではありません。

④【誤】「大越国(李朝)で、郷勇が組織された。」
郷勇は19世紀中葉の清朝で結成された民兵組織(曽国藩の湘軍、李鴻章の淮軍など)を指し、ベトナム李朝とは結びつきません。

問33:正解4

<問題要旨>
下線部⑤に関連して、仏教の歴史や遺跡・人物を扱った問題です。古代インド・東南アジア・中国において、仏教を保護した王や仏教を開いた人物、寺院の建造などを正しく理解する必要があります。ここでは誤りの選択肢を選ぶ形式です。

<選択肢>
①【正】「アショーカ王が、仏教を保護した。」
マウリヤ朝のアショーカ王(前3世紀頃)は仏教を保護し、第3回仏典結集などを支援したことで有名です。

②【正】「ガウタマ=シッダールタが、仏教を開いた。」
ガウタマ=シッダールタはブッダ(釈迦)その人であり、仏教を開いたとされます。

③【正】「ボロブドゥールが、ジャワに建設された。」
ボロブドゥール遺跡は中部ジャワ(インドネシア)にある大乗仏教の遺跡であり、史実と合致します。

④【誤】「玄奘が、ビルマ(ミャンマー)から経典を持ち帰った。」
玄奘(三蔵法師)は7世紀に中国から陸路インドへ渡り、ナーランダー僧院などで仏典を学んだ後、多数の経典を持ち帰りました。ビルマ(ミャンマー)経由ではなく、インドから帰国したため、この記述は誤りです。

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