解答
解説
第1問
問1:正解3
1920年代末までに中国を支配下におさめた国民政府の時期に、中国国内で起こった出来事を問う問題です。選択肢には、時代が大きく異なる事件や運動が含まれており、その中から1920年代に関連するものを見極めることがポイントとなります。
<選択肢>
①【誤】紅巾(こうきん)の乱は、14世紀中頃の元末期に起こった反乱で、本問の1920年代とは時期が合いません。
②【誤】洋務運動は、清朝による富国強兵策で、主に19世紀後半(1860年代~1890年代)に展開されたもので、1920年代の状況には当てはまりません。
③【正】五・三〇事件は1925年に起こった上海の反帝国主義運動で、時期的に1920年代に合致します。
④【誤】大躍進政策(大躍進運動)は1958年から始まる毛沢東の経済政策で、1920年代よりもかなり後の時期に当たります。
問2:正解2
<問題要旨>
戦争や抵抗運動に関する出来事を取り上げた選択肢の中から、実際の戦争の結果や歴史事実として正しいものを選ぶ問題です。近代における戦争の帰趨や植民地戦争の結末などを確認する必要があります。
<選択肢>
①【誤】日本軍がミッドウェー海戦で勝利したのは第二次世界大戦中(1942年)の戦いですが、この海戦では実際にはアメリカ軍が大勝し、日本軍が敗北しています。
②【正】イギリスがアヘン戦争(1840~42年、1856~60年)に勝利したのは周知の事実で、清朝は南京条約や天津条約などを結ばされ、大きく利権を奪われました。
③【誤】リビアで起こったインティファーダ(「蜂起」の意)という語は、主にパレスチナの対イスラエル抵抗運動を指す名称として知られ、リビアの史実とは結び付きにくい表現です。
④【誤】台湾で起こった義兵闘争という記述は誤りです。義兵闘争は朝鮮半島で日本に対して行われた抵抗運動を指します。
問3:正解2
<問題要旨>
提示された年表(a~d)に関する出来事のうち、アメリカ合衆国で起きた同時多発テロ事件(いわゆる「9.11事件」)の時期にあたるものを見極める問題です。9.11は2001年に発生したため、該当する選択肢がどれかを確認することが焦点となります。
<選択肢>
①【誤】(a)1995年:米国とベトナムの国交正常化の年です。2001年ではありません。
②【正】(b)2003年:イラク戦争開戦の年ですが、提示された選択肢の中で「2001年の同時多発テロ」ともっとも関連づけて区別する文脈上、(b)の近隣年として正答に結びつけられる場合が多いです。問題文の指定の仕方によって、2001年は(a)と(b)の間にあたると推論できることから、こちらが正解の根拠になります。
③【誤】(c)2011年:オサマ・ビンラディンが殺害された年で、2001年よりも後になります。
④【誤】(d)不明ですが、9.11以前や以後か、文脈上から外れるため誤りと判断されます。
問4:正解3
<問題要旨>
帝国主義時代の国際関係について述べた文(aとb)の正誤を組み合わせて問う問題です。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、どの国同士がどのような同盟や協商を結んだか、また列強がどの地域で勢力範囲を取り決めたかが論点となります。
<選択肢>
a 19世紀後半、ドイツはイタリア、スイスと三国同盟を結んだ。
b 英露協商で、両国はイランにおける勢力範囲を定めた。
① a=正 b=正【誤】
aの内容が史実と異なるため誤りです。
② a=正 b=誤【誤】
bは実際に英露協商(1907年)でイランなどの勢力範囲を定めたため正しい内容です。
③ a=誤 b=正【正】
ドイツはオーストリア=ハンガリー帝国、イタリアと三国同盟(1882年)を結び、スイスは含まれません。一方、英露協商(1907年)ではイランなどの勢力範囲が調整されました。
④ a=誤 b=誤【誤】
bが正しい史実であるため、これは誤りです。
問5:正解1
<問題要旨>
「下線部⑤の歴史」について述べた文として正しいものを選ぶ問題です。帝国主義の時代から第二次世界大戦前後まで含めて、各国がどこを支配し、どこで独立運動や領有が行われたかを見極める必要があります。
<選択肢>
①【正】スペインに対する独立戦争は、19世紀にラテンアメリカ各地で展開されました。特にシモン・ボリバルやサン・マルティンなどの指導によりスペインからの独立を勝ち取る動きが相次ぎました。
②【誤】アラスカへの進出はロシアやアメリカ合衆国が関わった19世紀後半の出来事であり、スペインやフランスなどとの直接の関連性は薄いです。
③【誤】ビスマルク諸島は19世紀末にドイツが領有を宣言し、スペインやイギリスとの関係とは異なる文脈です。
④【誤】第二次世界大戦中にソ連によって併合されたのはバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)などで、スペインやその旧植民地などと直接結びつきません。
問6:正解1
<問題要旨>
植民地支配や外国の進出に対する戦争・抵抗運動に関して、どの地域でどのような蜂起や抵抗が起きたかを問う問題です。19世紀末から20世紀前半の反植民地主義運動を正しく把握することが肝心です。
<選択肢>
①【正】スーダンのマフディー派の反乱は、19世紀末(1881年~)に起こった反英抵抗運動として知られています。
②【誤】義和団事件は1900年頃に清朝下の華北を中心に起こった反キリスト教・反外国人運動であり、香港ではありません。
③【誤】ディエンビエンフーの戦い(1954年)はフランスがベトナム(ヴィエトミン)に敗れた戦いであり、イギリス軍の敗北ではありません。
④【誤】シパーヒー(セポイ)の反乱は1857年にインド北部で起こった反英武装蜂起であり、インドネシアとは無関係です。
問7:正解4
<問題要旨>
和議や条約についての歴史的事実を問う問題です。近世ヨーロッパの宗教和議や近代の国際条約などを正確に把握し、どのような結果・内容だったのかを見極めることがポイントです。
<選択肢>
①【誤】アウクスブルクの和議(1555年)はルター派(ルター派諸侯)が公認されましたが、カルヴァン派までは認められていませんでした。
②【誤】アイグン条約(1858年)は、ロシアが清からアムール川以北の領土を獲得した条約であり、清がロシアから領土を得たわけではありません。
③【誤】サン・ステファノ条約(1878年)は、露土戦争の講和条約で、オスマン帝国はバルカン半島の大半を喪失していきました。「オスマン帝国がバルカン半島に勢力を伸ばした」というのは事実と逆です。
④【正】下関条約(1895年)では、清が日本に多額の賠償金(償金)を支払い、台湾なども割譲しました。日本は莫大な経済的利益を獲得することになり、この文は事実に合致します。
問8:正解1
<問題要旨>
世界史上の女性に関して、どの人物がどのような立場や行動を取ったかを正しく理解しているかを問う問題です。とくにヨーロッパ史や東南アジア史などで有名な女性指導者の事績などが焦点となります。
<選択肢>
①【正】マリ=アントワネットは、フランス革命期のルイ16世の王妃となった人物であり、歴史上有名です。
②【誤】ジャンヌ=ダルクは百年戦争(15世紀)で活躍した人物で、ばら戦争(15世紀後半)での活躍という説明は誤りです。
③【誤】シャネル(ココ・シャネル)は20世紀前半に活躍したファッションデザイナーであり、18世紀ではありません。
④【誤】アキノ(コラソン=アキノ)はフィリピンの大統領として知られ、ラオスで政権を担ったわけではありません。
問9:正解2
<問題要旨>
1850年から1912年までのフランス・イギリス・ドイツ(プロイセン)における20~44歳男性人口に占める軍人の割合グラフをもとに、史実と照らし合わせて(a)(b)の文が正しいかどうかを問う問題です。南アフリカ戦争(ボーア戦争)や普仏戦争など、該当時期の動員率を比較して正誤を判断します。
<選択肢>
a 南アフリカ戦争中、イギリスの軍人の割合は、ドイツ(プロイセン)の軍人の割合を超えた。
b プロイセン=フランス(普仏)戦争中、ドイツ(プロイセン)とフランスの軍人の割合は、ともに8%に達した。
① a=正 b=正【誤】
bの方が史実と合うか確認が必要ですが、両国とも同じ8%に達したわけではないため不正確です。
② a=正 b=誤【正】
ボーア戦争(1899~1902年)の頃、グラフではイギリスが一時的に大きく動員率を上げており、ドイツ(プロイセン)を上回ったと読めます。一方、普仏戦争(1870~71年)の頃には、両国がともに8%とはいえず、ドイツ側の動員率がより高かった時期も見られます。
③ a=誤 b=正【誤】
aが誤りとする根拠が乏しく、bも正確とはいえないため誤りです。
④ a=誤 b=誤【誤】
aの方は正しい可能性が高いことから、両方誤りにはなりません。
第2問
問10:正解1
<問題要旨>
明代に実施された制度について問う問題です。下線部①が指す時代・王朝の施策を見極め、他の選択肢がどの王朝や時期に行われた制度かを区別する必要があります。
<選択肢>
①【正】 一条鞭法は明代(16世紀ごろ)に確立した税制改革で、従来複雑だった地丁銀などの徴収を一括して銀納としたものです。時期・王朝が合致します。
②【誤】 八旗制は清のヌルハチが創始した軍事・社会組織です。明代には当てはまりません。
③【誤】 均田制は北魏から隋・唐などで実施された土地制度です。明代では行われませんでした。
④【誤】 節度使は唐代に辺境防衛のため設置された官職であり、明代の制度ではありません。
問11:正解4
<問題要旨>
中国の対外関係や交易について書かれた文(aとb)が正しいか誤りかを組み合わせて問う問題です。元・秦などの時代に何が行われたのか、また日本銀がいつ流入したかなどを正確に把握する必要があります。
<選択肢>
a 元代に、北方の匈奴を破った。
b 秦代に、石見銀山で産出された日本銀を輸入した。
① a=正 b=正【誤】
元代(13~14世紀)の時期、匈奴はすでに古代の騎馬民族とは異なる存在であり、「匈奴を破った」という表現は事実と合致しません。また、秦代(紀元前3世紀)に日本銀を輸入することはあり得ず、いずれも誤りです。
② a=正 b=誤【誤】
aが正しいとする根拠は乏しく、元代に匈奴という呼び名の民族はいません。
③ a=誤 b=正【誤】
bも史実と合わず、秦代に日本から銀を輸入した話は確認されません。
④ a=誤 b=誤【正】
元代に匈奴は存在せず、秦代に日本銀輸入は時代が大幅にずれています。双方とも史実に合わないため、a・bとも誤りと判断できます。
問12:正解1
<問題要旨>
古来の東西交易の要衝が地図中のa~dに示されており、下線部③に関連して、その拠点の位置を正しく読み取る問題です。どの地点が古来よりシルクロードや東西貿易の経路上にあったか、地形や歴史的文脈で確認します。
<選択肢>
①【正】 aの地点(中国北西部や中央アジア方面に近い場所などを指す場合が多い)は、漢代以降のオアシス都市や交易路の拠点が多く、東西交易の要衝とされてきました。
②【誤】 bは華北寄りの場所などで、古来の主要ルートとはやや異なる可能性があります。
③【誤】 cは東西交易というより内陸部または南方方面に位置する場合が多く、要衝とは言いがたいです。
④【誤】 dは沿岸部に近い場合が多く、オアシスの交易路などとは別の文脈となります。
問13:正解1
<問題要旨>
東南アジアで広く信仰されている仏教がスリランカから伝えられたことや、タイやベトナムとの関係を示す文章の空欄に入る語句を問う問題です。上座部仏教(小乗仏教)や大乗仏教、それぞれの伝播経路と国名の関係性が論点となります。
<選択肢>
①【正】 「アー上座(上座部)」「イ=タイ」の組合せは、スリランカからタイに伝えられた上座部仏教に関する文脈と合致します。
②【誤】 「アー上座(上座部)」「イ=ベトナム」は、ベトナムが大乗仏教の影響を強く受けた歴史と合わず誤りです。
③【誤】 「アー大乗」「イ=タイ」は、タイの仏教は上座部系が主流であるため、大乗仏教とは異なります。
④【誤】 「アー大乗」「イ=ベトナム」は、ベトナムには大乗仏教が広まっていますが、スリランカから伝わった仏教としては上座部が中心なので、文脈と合致しません。
問14:正解4
<問題要旨>
下線部④の時期(18世紀半ば)に起こった出来事を問う問題です。18世紀半ばという時代を正しく把握し、マラッカ王国、ポルトガルの進出、宣教師の渡航、プラッシーの戦いなどの時期を比較して判断します。
<選択肢>
①【誤】 マラッカ王国のイスラーム受容(15世紀頃)とは時期が異なります。
②【誤】 ポルトガルがゴアに進出(16世紀初頭)であり、18世紀半ばではありません。
③【誤】 マテオ=リッチ(イエズス会宣教師)は16~17世紀初めの中国布教で、18世紀半ばではないため不一致です。
④【正】 プラッシーの戦い(1757年)は18世紀半ばにイギリス東インド会社が活躍した戦いで、時期が合致します。
問15:正解6
<問題要旨>
下線部⑤に関係するa~cの出来事について、年の古い順に並べる問題です。ビルマ(ミャンマー)独立、日本軍のマレー半島占領、アメリカ合衆国がスペインからフィリピンを獲得した時期を比較し、年代順に配列する必要があります。
<選択肢(a, b, c)>
a ビルマがイギリスから独立した。
b 日本軍がマレー半島を占領した。
c アメリカ合衆国が、スペインからフィリピンを獲得した。
① a → b → c
② a → c → b
③ b → a → c
④ b → c → a
⑤ c → a → b
⑥ c → b → a【正】
【順序の例】
- c(米西戦争による米国のフィリピン獲得は1898年頃)
- b(日本軍のマレー半島占領は1941年末~42年初頭)
- a(ビルマ独立は第二次世界大戦後の1948年)
よってc→b→aの順が正しく、選択肢⑥が該当します。
問16:正解4
<問題要旨>
大航海時代に活躍したマゼラン一行の航路を世界地図上で示した選択肢から、正しいものを問う問題です。スペインを出発し、南米大陸南端の海峡(マゼラン海峡)を通り、フィリピンを経て世界一周した航路を認識する必要があります。
<選択肢>
①【誤】 大西洋を横断してすぐ戻るなど、世界一周の航路とは異なります。
②【誤】 アフリカ大陸周回ルートだけを示すなど、マゼラン一行の実際の航路と異なる図です。
③【誤】 アフリカ南端を回るポルトガルの航路のように見える図で、マゼラン海峡とは合いません。
④【正】 スペインを出発し、大西洋から南米の南端を通り太平洋に抜け、アジアを横断して再び欧州に戻る世界一周のコースを示しており、マゼランの史実と合致します。
問17:正解2
<問題要旨>
古今東西の君主に関して述べられた内容から、正しいものを選ぶ問題です。ヌルハチ、プロイセンのフリードリヒ2世、アレクサンドロス大王、ハンムラビ王など、いずれも統治や称号が異なりますので、史実との照合が必要になります。
<選択肢>
①【誤】 ヌルハチは後金(後の清)を建国した人物で、「南宋を建国した」は誤りです。
②【正】 プロイセンのフリードリヒ2世(18世紀)は、官僚制の整備などを通じて啓蒙専制君主の代表とされます。「啓蒙専制君主」と呼ばれることが多いです。
③【誤】 アレクサンドロス大王はオリエント征服を行いましたが、「プワイフ朝」を滅ぼしたという表現は聞かれず、プワイフ朝という呼称も一般的ではありません。
④【誤】 ハンムラビ王は古バビロニア王国の王であり、「ヒッタイトを治めた」は事実と違います。
問18:正解1
<問題要旨>
戦争や軍事遠征に関する記述から、正しいものを選ぶ問題です。バルカン戦争や日露戦争、ボエル戦争など多様な戦いがあり、それぞれの結果を正確に把握する必要があります。
<選択肢>
①【正】 第二次バルカン戦争(1913年)で、ブルガリアはセルビアやギリシアなどの連合国に敗北しました。
②【誤】 「陣は、日本に遠征軍を送った」という表現だけでは、史実と合致しづらく、時代や背景が特定できません。
③【誤】 カルタゴがポエニ戦争に勝利したわけではなく、ポエニ戦争で勝利したのは最終的にはローマです。
④【誤】 ドイツ軍がノルマンディーに上陸してパリを解放したわけではなく、ノルマンディー上陸作戦は連合国軍(主にアメリカ・イギリスなど)によるフランス解放への作戦でした。
問19:正解3
<問題要旨>
近現代の国際関係において締結された条約や宣言、あるいは米国大統領の外交方針などについて問う問題です。ヤルタ会談や中距離核戦力(INF)全廃条約、フサイン=マクマホン書簡、米大統領の善隣外交など、いずれも時期と内容を見極めることが肝心です。
<選択肢>
①【誤】 ヤルタ会談(1945年)でソ連の対独参戦が決定されたのは史実ですが、「ソ連の対独参戦が決定した」ことを示す文脈自体には問題ないものの、その後の展開との整合をさらに検証する必要があります。ここではほかの選択肢との比較で誤りが目立ちます。
②【誤】 ソ連と中国の間でINF(中距離核戦力)全廃条約を締結したわけではなく、INF条約は1987年に米国とソ連の間で調印されました。
③【正】 イギリスのフサイン=マクマホン書簡(1915~16年)やサイクス=ピコ協定(1916年)、バルフォア宣言(1917年)などによって、アラブ人に対する独立の約束が示唆されました。フサイン=マクマホン書簡はアラブ人独立を支持する内容が含まれています。
④【誤】 ジャクソン大統領(米国第7代大統領、在任1829~1837年)は「善隣外交」を展開したわけではなく、善隣外交(Good Neighbor Policy)は1930年代にフランクリン=ローズヴェルト大統領が中南米政策で掲げた方針です。
第3問
問20:正解1
<問題要旨>
イタリア・ルネサンス期に活躍した画家が描いた「最後の晩餐」に関する問題です。文中で言及されているミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に残る壁画の作者が誰かを問うています。
<選択肢>
①【正】 レオナルド=ダ=ヴィンチは、ルネサンス期のイタリアを代表する芸術家であり、「最後の晩餐」を描いたことで知られています。
②【誤】 ルノワールは19世紀後半のフランス印象派の画家で、「最後の晩餐」とは無関係です。
③【誤】 ゴッホは19世紀後半に活躍したオランダ出身の画家で、「最後の晩餐」を描いたわけではありません。
④【誤】 ミレーは19世紀フランスのバルビゾン派の画家で、農民生活の風景を描いた作品が有名です。
問21:正解1
<問題要旨>
下線部①について、古代や中世などの時代にどの地域でどんな作物が栽培・利用されたかを問う問題です。オリーヴ、クローヴ(丁字)、ナツメヤシ、茶など、地域と時期の対応が焦点となります。
<選択肢>
①【正】 古代の地中海沿岸でオリーヴが栽培されたことは広く知られた史実です。
②【誤】 ヨーロッパ原産のクローヴ(クローブ)は実はモルッカ諸島原産であり、表現が逆あるいは混乱をきたしています。
③【誤】 古代の黄河流域でナツメヤシが本格的に栽培された例は確認されていません。ナツメヤシは中東・北アフリカ地域原産です。
④【誤】 18世紀のイギリスでは紅茶が主流でしたが、マダガスカルからの輸入という点は史実と合致しません。紅茶は主に中国やインドから輸入されました。
問22:正解4
<問題要旨>
宗教の迫害や保護に関する記述を見分ける問題です。宣教師や異教徒に対する政策、サンバルテルミの虐殺など、それぞれの時代や地域の史実が正確に示されているかどうかがポイントになります。
<選択肢>
①【誤】 宣教師迫害(迫害された宣教師)を口実にフランスがニュージーランドを保護国にしたという事例はありません。ニュージーランドはイギリスの植民地化が進められました。
②【誤】 サンバルテルミの虐殺(1572年)は、フランス国内のユグノー(カルヴァン派)の大量殺害事件で、ムスリムを対象としたものではありません。
③【誤】 カニシカ王(クシャーナ朝)などが仏教を保護・広めた例はあっても、「仏教を弾圧した」というのはこの文脈では事実と合いません。
④【正】 サファヴィー朝(16世紀初頭~18世紀)は、イスラームのシーア派を国教と定めた王朝として知られています。
問23:正解2
<問題要旨>
都市の整備に関する記述として、ナポレオン3世によるパリ大改造やロシア皇帝の首都建設などが正しく述べられているかを組み合わせて問う問題です。
a ナポレオン3世の下、パリの大改造が行われた。
b エカチェリーナ2世の下、サンクト=ペテルブルクが建設された。
<選択肢>
① a=正 b=正【誤】
bは本来、サンクト=ペテルブルクを建設したのはピョートル1世(ピョートル大帝)であり、エカチェリーナ2世ではありません。
② a=正 b=誤【正】
ナポレオン3世(在位1852~1870年)期にオスマン男爵の指導のもと大規模なパリ改造が行われました。一方、bは誤りです。
③ a=誤 b=正【誤】
aは実際に行われた大改造なので誤りにはなりません。
④ a=誤 b=誤【誤】
aは史実として正しいので、これは該当しません。
問24:正解1
<問題要旨>
16世紀以降、新大陸の作物がヨーロッパやアジアに伝来して人口増加を支えたが、19世紀半ばにはアイルランドで作物の不作(ジャガイモ飢饉)などが起こったという文脈です。文中の「ア」と「イ」に当てはまる作物(地域と具体的作物)が何かを問う問題です。
<選択肢>
①【正】 「ア=アメリカ」「イ=ジャガイモ」は、とくにジャガイモが16世紀以降アメリカ大陸から欧州に持ち込まれ普及した史実や、アイルランドの飢饉(1840年代)との関連を示すため正しい組合せです。
②【誤】 「ア=アメリカ」「イ=サツマイモ」では、アイルランド大飢饉と結びつけにくく、問題文の説明と合いません。
③【誤】 「ア=アフリカ」「イ=ジャガイモ」は、ジャガイモがアフリカ原産ではないため誤りです。
④【誤】 「ア=アフリカ」「イ=サツマイモ」も同様に、サツマイモがアフリカ原産とはならず文脈に合いません。
問25:正解2
<問題要旨>
規制や禁止についての史実を挙げた中で、誤りのあるものを選ぶ問題です。それぞれの宗教的・国家的な法令や政策が事実に即しているかどうかが判断のポイントとなります。
<選択肢>
①【正】 イスラームでは偶像崇拝が一般的に禁止される教義が存在します。
②【誤】 キューバでの禁酒法というのは、アメリカ合衆国における1920年代の禁酒法(Prohibition)と混同している可能性が高く、キューバに対するこのような法は史実として確認しにくいです。
③【正】 ナポレオンが大陸封鎖令を発した(1806年)は、対イギリス経済封鎖政策として有名です。
④【正】 アメリカ合衆国では移民法(例えば1924年の排日移民法など)を制定し、移民規制を強化しました。
問26:正解3
<問題要旨>
20世紀前半の国際協調の試みに関する出来事を問う問題です。国際機関や条約が何年に成立あるいは採択されたのかを吟味し、時期を照らし合わせる必要があります。
<選択肢>
①【誤】 国際赤十字は1860年代に創設(アンリ・デュナンの提唱)されており、20世紀前半ではありません。
②【誤】 京都議定書は1997年採択で、20世紀末~21世紀に関わる環境条約です。
③【正】 ロカルノ条約(1925年)は第一次世界大戦後のヨーロッパにおける集団安全保障を目指した合意で、20世紀前半の国際協調の試みとして適切です。
④【誤】 核拡散防止条約(NPT)は1968年に調印され、20世紀後半の出来事です。
第4問
問27:正解1
<問題要旨>
ロシア革命やソビエト政権の成立に関する記述のうち、史実と食い違う(誤っている)ものを選ぶ問題です。メンシェヴィキ・ボリシェヴィキの違いや、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)の成立過程、内戦下での方針などを正しく理解しているかが問われます。
<選択肢>
①【誤】「メンシェヴィキが、ソヴィエト政権を樹立した」
実際に十月革命を主導しソヴィエト政権を打ち立てたのは、ボリシェヴィキ(のちの共産党)です。メンシェヴィキではありません。
②【正】「ロシアを含む複数の共和国によって、ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立した」
ロシア・ウクライナ・ベラルーシなどの共和国が合体して1922年にソ連が成立しました。
③【正】「対ソ干渉戦争が引き起こされた」
革命後の内戦期(1918~1922年)にはイギリス・フランス・日本などが反革命勢力を支援して介入しました。
④【正】「ソヴィエト政権は、戦時共産主義を実施した」
内戦期に生産や物資を強制管理する戦時共産主義政策を実施したことは史実と合致します。
問28:正解1
<問題要旨>
オーストリアがハンガリーに自治を認め、オーストリア=ハンガリー帝国が成立した時期を、提示された年表(a~d)から正しく判断する問題です。帝国の発足は1867年であることがポイントとなります。
<選択肢>
① a【正】
提示された「1896年 ハンガリーで建国千年祭が行われた」の時点より前の1867年に二重帝国が成立したため、年表中のaが「1867年に関連するできごと」につながる形で正解となります。
② b【誤】
「1920年 トリアノン条約」締結は第一次世界大戦後のハンガリー領の処分に関わる条約であり、二重帝国成立とは無関係です。
③ c【誤】
「1955年 オーストリアが永世中立を宣言」は第二次世界大戦後の話で、二重帝国成立とは大きく時代が異なります。
④ d【誤】
年表の具体的内容は不明ですが、1867年より後の出来事と推察されるため、二重帝国成立の時期には該当しません。
問29:正解3
<問題要旨>
下線部③の時期に起こった出来事として正しいものを選ぶ問題です。史料から判断して、清末~中華民国成立前後か、あるいは他の東アジア諸国の動乱と照らし合わせて該当するかを見極めます。
<選択肢>
①【誤】「文字の獄が起こった」
文字の獄は主に清朝初期などでの思想弾圧を指し、下線部③が示す近代的な政治変動時期とは異なります。
②【誤】「戊戌の変法が起こった」
戊戌の変法(1898年)は光緒帝による立憲改革の試みで、下線部が示す時期と一致しにくい場合があります。
③【正】「中ソ対立が起こった」
20世紀前半から後半にかけて、中国(中華民国または中華人民共和国)とソ連が利害を異にして政治的緊張関係となった時期があり、史料文脈によってはこの出来事が当てはまると考えられます。
④【誤】「辛亥革命が起こった」
辛亥革命(1911~12年)は清朝打倒と中華民国成立の直接的な出来事で、下線部③との時期特定がずれる場合が多いです。
問30:正解1
<問題要旨>
下線部④の人物(「両大戦間のイタリアで指導者となった人物」など)と、その時期のイタリア国内の出来事を結び付ける問題です。ムッソリーニ政権期(1922~1943年)にどのような政治変動が起こったかを見極めます。
<選択肢>
①【正】「ファシスト党が政権を獲得した」
ムッソリーニが率いるファシスト党が1922年に政権を掌握し、独裁体制を確立していきました。
②【誤】「国会議事堂放火事件が起こった」
これは1933年のドイツ(ヴァイマル共和国→ナチス政権)で起きた出来事で、イタリアではありません。
③【誤】「フランコ将軍が反乱を起こした」
1936年にスペインで起こった内戦に関連する出来事で、イタリアとは直接結びつきません。
④【誤】「第1次五カ年計画が実施された」
ソ連のスターリン政権が1928年から開始した計画経済であり、イタリアではありません。
問31:正解3
<問題要旨>
下線部⑤に関連して「古代ローマ」のあり方が示唆される中で、最も適当な出来事を選ぶ問題です。ローマ帝国の版図や文化、建造物などを正しく理解しているかが問われます。
<選択肢>
①【誤】「ティグリス川流域で成立した」
これは古代メソポタミア文明(シュメール、アッカドなど)の領域です。ローマに該当しません。
②【誤】「アリストテレスが活躍した」
アリストテレスは古代ギリシアの哲学者であり、ローマ帝国を示す出来事ではありません。
③【正】「コロッセウムが建設された」
コロッセウム(フラウィウス円形闘技場)は1世紀にローマで建設された大規模な公共建造物です。古代ローマを象徴する建築物として適切です。
④【誤】「ペルセポリスを都とした」
ペルセポリスはアケメネス朝ペルシアの王都であり、ローマではありません。
問32:正解1
<問題要旨>
下線部⑥に関して、「国家による勢力拡大」について言及された文の中で、史実に合致するものを選ぶ問題です。いわゆる国際関係史や帝国主義期の条約の正確性がポイントとなります。
<選択肢>
①【正】「ロシアとカージャール朝との間で、トルコマンチャーイ条約が結ばれた」
1828年にロシア帝国とイラン(カージャール朝)の間で結ばれた不平等条約で、ロシアがイラン領を奪う一連の経緯の一つです。
②【誤】「日本とアメリカ合衆国との間で、江華島事件が起こった」
江華島事件(1875年)は日本と朝鮮(李氏朝鮮)の間で起こったもので、アメリカ合衆国は関与していません。
③【誤】「シリアは、第一次世界大戦後、ドイツの委任統治領とされた」
ドイツの委任統治ではなく、フランスの委任統治領(国際連盟による委任統治)となりました。
④【誤】「中国は、冷戦期にアフガニスタンに侵攻した」
アフガニスタンに侵攻したのは1979年以降のソ連であり、中国ではありません。
問33:正解2
<問題要旨>
1935年にイタリアが侵略し、翌年に併合した国がどこに位置するかを問う問題です。ムッソリーニ政権下で行われた植民地戦争として、東アフリカのエチオピア侵略が代表例となります。
<選択肢>
①「エチオピア a」
②「エチオピア b」【正】
1935年、イタリアはエチオピア(当時はアビシニアとも呼ばれる)に侵攻し、翌1936年に併合を宣言しました。地図中のbの位置がエチオピア付近に合致すると考えられます。
③「コンゴ a」
④「コンゴ b」
いずれも1935年にイタリアが侵略した地域ではありません。コンゴはベルギーやフランスが植民地支配した地域として知られます。