2025年度 大学入学共通テスト 本試験 世界史B 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

問1:正解⑤

<問題要旨>

アケメネス朝ペルシアの王と、その治世における出来事の組み合わせを問う問題です。ペルセポリスの建設に着手した王と、その時代の主要な政策についての知識が求められます。

<選択肢>

①【誤】

キュロス2世はアケメネス朝の建国者ですが、ペルセポリスの建設に着手したのはダレイオス1世です。また、新バビロニアを征服したのはキュロス2世の事績として正しいですが、人物の組み合わせが誤りです。

②【誤】

人物がキュロス2世であるため誤りです。「王の道」を整備したのはダレイオス1世です。

③【誤】

人物がキュロス2世であるため誤りです。また、楔形文字を世界で最初に使い始めたのは、メソポタミアのシュメール人です。

④【誤】

ペルセポリスの建設に着手したのはダレイオス1世であり、人物の組み合わせは正しいです。しかし、新バビロニア王国を征服したのはキュロス2世の事績であるため、事柄の組み合わせが誤りです。

⑤【正】

ペルセポリスの建設に着手したのはダレイオス1世です。彼は広大な帝国を効率的に統治するため、首都スサと地方の拠点サルデスを結ぶ幹線道路「王の道」を整備し、駅伝制を確立しました。人物と事柄の組み合わせが正しく、これが正解です。

⑥【誤】

人物はダレイオス1世で正しいですが、楔形文字を最初に使ったのはシュメール人であるため、事柄の組み合わせが誤りです。

問2:正解④

<問題要旨>

アケメネス朝ペルシアの最大版図に関する地理的知識を問う問題です。地図上の三つの地点が、帝国の支配領域に含まれていたかどうかを判断します。

<選択肢>

①【誤】

地点a(トラキア・マケドニア地方)はダレイオス1世の時代に、地点b(エジプト)はカンビュセス2世の時代に征服されており、いずれも最大領域に含まれます。aのみとするこの選択肢は誤りです。

②【誤】

地点aも含まれるため、bのみとするこの選択肢は誤りです。

③【誤】

地点c(ガンジス川流域)はアケメネス朝の支配領域外です。ダレイオス1世が征服したのはインダス川流域までです。したがって、cのみを含むこの選択肢は誤りです。

④【正】

アケメネス朝の最大領域は、西はエジプトとエーゲ海北岸(トラキア地方)、東はインダス川流域に及びました。したがって、地図上の地点a(トラキア地方)と地点b(エジプト)は領域内に含まれますが、地点c(ガンジス川流域)は含まれません。「aとbのみ含まれる」というこの選択肢が正しい記述です。

⑤【誤】

地点cは領域に含まれないため、この選択肢は誤りです。

⑥【誤】

地点cは領域に含まれないため、この選択肢は誤りです。

問3:正解③

<問題要旨>

問題文の会話内容を正確に読み取り、それに基づいて作成された二人の学生のメモの正誤を判断する問題です。読解力と、会話内容を歴史的事実と結びつける能力が試されます。

<選択肢>

①【誤】

荒川さんのメモも正しいため、この選択肢は誤りです。

②【誤】

尾形さんのメモも正しいため、この選択肢は誤りです。

③【正】

尾形さんのメモは、ペルシア戦争の勝利という政治的対立の一方で、文化的にはアケメネス朝の影響を受けていたという、問題文の趣旨を正しくまとめています。荒川さんのメモは、アテネが直接民主政を発展させる一方で、デロス同盟の盟主として他のポリスを支配し「アテネ帝国」と称される側面を持っていたことを、問題文の記述に沿って正確にまとめています。したがって、二人とも正しい内容を記述しています。

④【誤】

二人とも正しい内容を記述しているため、この選択肢は誤りです。

問4:正解③

<問題要旨>

空欄アに入る秦王朝が制定した文字(篆書・小篆)が用いられている図と、資料文から読み取れる内容の正しい組み合わせを選ぶ問題です。資料の読解力と、秦代の文字や貨幣に関する知識が求められます。

<選択肢>

①【誤】

図Iは秦の半両銭であり、刻まれている文字は篆書(小篆)です。しかし、事柄あは後漢の蔡倫による製紙法の改良について述べており、班固ではありません。したがって組み合わせが誤りです。

②【誤】

図Iは秦の貨幣で正しいですが、事柄いは後漢の趙壱が草書の流行を批判的に見ていたことを示唆する内容です。資料2で趙壱は「今の草書を学ぶ者は、草書の本来の意味を忘れ…」と述べており、流行を好意的にとらえてはいません。したがって組み合わせが誤りです。

③【正】

図Iは秦の始皇帝が統一した半両銭で、そこに使われているのは統一書体である篆書(小篆)です。空欄アの王朝(秦)によって制定された文字が用いられています。事柄うは、資料1・2にある「裁判事務が繁雑となり」「多くの行政文書が乱れ飛ぶように」なった結果、簡略な書体(隷書、草書)が生まれたという記述と合致します。図と事柄の組み合わせとしてこれが正解です。

④【誤】

図IIは木簡か竹簡に書かれた隷書または草書と思われ、秦が制定した公式の統一文字である篆書(小篆)ではありません。したがって図の選択が誤りです。

⑤【誤】

図IIの選択が誤りです。また、事柄いも趙壱の考えとは異なるため誤りです。

⑥【誤】

図IIの選択が誤りです。

問5:正解①

<問題要旨>

資料3・4を読み解き、それに基づいて作成された二つのメモの正誤を判断する問題です。東晋の書家・王羲之の書が、唐代の中国や奈良・平安時代の日本に与えた影響について問われています。

<選択肢>

①【正】

メモ1は、王羲之(「蘭亭序」の作者)の書が、遣唐使を通じて日本にもたらされ、天平文化(資料3の光明皇后の模写)から国風文化(資料4の小野道風)の時代まで影響を与え続けたことを述べています。資料3・4の内容と歴史的事実の両方に合致しており、正しい記述です。メモ2は、「中国の影響を受けない日本独自の書道文化が誕生した」と断定していますが、資料4で小野道風が「王羲之の再来」と評されていることから、中国文化の影響が完全に払拭されたわけではないことがわかります。したがってメモ2は誤りです。「メモ1のみ正しい」とするこの選択肢が正解です。

②【誤】

メモ1が正しく、メモ2が誤っているため、この選択肢は誤りです。

③【誤】

メモ2が誤っているため、この選択肢は誤りです。

④【誤】

メモ1が正しいため、この選択肢は誤りです。

問6:正解②

<問題要旨>

16世紀以前のアフリカ史に関する知識を問う問題です。ベニン王国が栄えた西アフリカの歴史を中心に、各王国の活動時期や場所、特徴を正確に理解しているかが試されます。

<選択肢>

①【誤】

アクスム王国は紅海交易で栄えた東アフリカの国家です。大西洋に面してはいません。

②【正】

ソンガイ王国は15世紀後半から16世紀にかけて西アフリカを支配した国家で、そのもとで都のトンブクトゥはイスラーム学術の中心地として繁栄しました。これは正しい記述です。

③【誤】

エチオピアがアドワの戦いでイタリアを破ったのは1896年のことであり、19世紀末の出来事です。「16世紀以前」という条件に合いません。

④【誤】

メッカ巡礼で大量の金を放出したことで知られるマンサ=ムーサは、14世紀前半のマリ王国の王です。ガーナ王国の王ではありません。

問7:正解③

<問題要旨>

問題文の会話と図を参考に、二人の学生がまとめたメモの正誤を判断する問題です。ベニン王国の工芸品から読み取れる世界観と、それが略奪された19世紀末のイギリスの帝国主義的な思想を理解することが求められます。

<選択肢>

①【誤】

武田さんのメモも正しいため、この選択肢は誤りです。

②【誤】

高橋さんのメモも正しいため、この選択肢は誤りです。

③【正】

高橋さんのメモは、図の工芸品において、神聖な王であるオバが大きく中央に描かれ、ヨーロッパ人が小さく背後に描かれていることから、ベニンの人々が自らを世界の中心とみなし、ヨーロッパ人を交易相手として相対的に低い位置づけていたと解釈しています。これは図の構図と問題文の記述から妥当な推論です。武田さんのメモは、19世紀末のイギリスがアフリカ縦断政策を進めていた帝国主義の時代であり、工芸品を略奪した背景には、ヨーロッパの文化が他の地域の文化より優越しているという考え方があったと指摘しています。これも問題文の教授の解説と合致する正しい記述です。したがって、二人とも正しい内容を記述しています。

④【誤】

二人とも正しい内容を記述しているため、この選択肢は誤りです。

第2問

問1:正解②

<問題要旨>

文章の空欄アに入るゲルマン系部族名と、下線部⑧(1066年のノルマン・コンクェスト)より前に起こった出来事の正しい組み合わせを選ぶ問題です。イングランド初期の歴史に関する知識が求められます。

<選択肢>

①【誤】

出来事X「オクスフォード大学が、創設された」のは12世紀後半であり、1066年より後です。

②【正】

空欄アには、イングランドを形成した「サクソン」が入ります。出来事Y「アルフレッド大王がデーン人を撃退した」のは9世紀後半で、1066年より前です。この組み合わせが正解となります。

③【誤】

空欄アには「サクソン」が入ります。「西ゴート」は主にイベリア半島に王国を建てた部族です。

④【誤】

空欄アが「西ゴート」であるため誤りです。

問2:正解①

<問題要旨>

空欄イに入るイングランドの王朝(プランタジネット朝)の治世に起こった出来事を選ぶ問題です。中世イングランド史の知識が問われます。

<選択肢>

①【正】

空欄イはプランタジネット朝です。シモン=ド=モンフォールは、同王朝のヘンリ3世に対して1264年に反乱を起こしました。これはイギリス議会制度の起源とされており、時代も合致するため正解です。

②【誤】

審査法が制定されたのは17世紀後半のステュアート朝時代です。

③【誤】

星室庁裁判所を設置したのは15世紀末のテューダー朝時代です。

④【誤】

英仏協商が締結されたのは20世紀初頭です。

問3:正解①

<問題要旨>

問題文と資料の記述を基に、中世イギリス社会に関する二つの文の正誤を判断する問題です。文章の読解力と、それを歴史的文脈で理解する力が求められます。

<選択肢>

①【正】

文う:百年戦争が始まった14世紀に、イギリスのフランス系貴族が英語を母語とし始めたという記述は、問題文の内容と合致します。文え:「豚がノルマン人に変わる」という表現が、ノルマン・コンクェスト後の支配層と被支配層の言語の違いを示しているという解釈は、資料の内容から正しく読み取れます。したがって、二つとも正しいです。

②【誤】

文えも正しい記述です。

③【誤】

文うも正しい記述です。

④【誤】

二つとも正しい記述です。

問4:正解②

<問題要旨>

下線部⑩(1844年の工場法改正)と、世界史における女性に関する出来事「あ」「い」を、年代の古い順に正しく並べる問題です。

<選択肢>

①【誤】

年代の順序が異なります。ナポレオン法典(あ)は1804年で、下線部⑩(1844年)より前です。

②【正】

各出来事の年代は、あ:ナポレオン法典(1804年)、下線部⑩:工場法改正(1844年)、い:トルコ女性参政権(1934年)の順です。この選択肢の配列が正しいです。

③【誤】

年代の順序が異なります。「い」は最も後の出来事です。

④【誤】

年代の順序が異なります。

⑤【誤】

年代の順序が異なります。

⑥【誤】

年代の順序が異なります。

問5:正解①

<問題要旨>

下線部⑪に関連して、19世紀の自由主義・ナショナリズムの時代における労働者の運動として、最も適当なものを選ぶ問題です。

<選択肢>

①【正】

1848年のフランス二月革命後、国立作業場の閉鎖に反発した労働者が六月蜂起を起こしました。これは労働者の政治的な動きとして正しい記述です。

②【誤】

ブルシェンシャフトは、ドイツの自由と統一を求めた「学生」の運動です。

③【誤】

ラダイト運動は機械打ちこわし運動です。労働者の「参政権獲得」を目的としたのはチャーティスト運動です。

④【誤】

アメリカ労働総同盟(AFL)が結成されたのは1886年であり、冷戦下(1945年以降)ではありません。

問6:正解④

<問題要旨>

ゼミの議論を基に、19世紀イギリスの工場法に関するメモの空欄ウ・エを埋める問題です。法律制定の背景にある、当時のジェンダー観を読み解くことが求められます。

<選択肢>

①【誤】

空欄ウ:1833年工場法は「児童や年少者の労働時間を制限した」ものであり、「不当な逮捕・投獄を禁じた」ものではありません。

②【誤】

空欄ウが誤りです。

③【誤】

空欄エ:「男女の賃金格差を否定した」という記述は、問題文の「男女の賃金格差も当時は当然視されていました」という内容に反します。

④【正】

空欄ウには「児童や年少者の労働時間を制限した」が入り、空欄エには、当時の女性を自立した存在とみなさない価値観を示す「成人女性の自立性を認めない」が入るのが、議論の流れとして最も適当です。

第3問

問1:正解⑥

<問題要旨>

中国史における王朝滅亡の要因に関する問題です。空欄に入る語と、その語に当てはまる人物(前漢を滅ぼした王莽)の事績の正しい組み合わせを選びます。

<選択肢>

①【誤】

空欄アには、皇帝の后や母方の一族である「外戚」が入ります。「皇后」ではありません。

②【誤】

空欄アが誤りです。また、事績Yは武則天に関するもので、王莽ではありません。

③【誤】

空欄アが誤りです。

④【誤】

事績X「王侯将相いずくんぞ種あらんや」は、秦末の陳勝の言葉です。

⑤【誤】

事績Y「国号を周と称した」のは唐の武則天です。王莽が建てた国は「新」です。

⑥【正】

空欄アには「外戚」が入り、前漢を滅ぼした外戚の王莽は、周の制度を理想とする急進的な改革(事績Z)を行って失敗しました。これが正しい組み合わせです。

問2:正解④

<問題要旨>

後漢の官僚登用に関連して、中国の官吏登用制度について述べた文として最も適当なものを選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】

九品中正が始まったのは三国時代の魏であり、前漢ではありません。

②【誤】

九品中正は魏晋南北朝時代の制度ですが、問題文の下線部②「(後漢で)官僚も現れ」とは直接関係が薄く、より適切な選択肢があります。

③【誤】

殿試が創始されたのは隋ではなく、北宋の時代です。

④【正】

北宋では、皇帝独裁を支える文治主義が採られ、科挙制度の最終試験として皇帝自らが試験官となる殿試が創始されました。官僚登用制度に関する記述としてこれが最も正確です。

問3:正解②

<問題要旨>

問題文を参考に、宦官と皇帝権力の関係をまとめたメモの空欄を埋める問題です。唐代と明代の皇帝独裁強化策と宦官の役割を理解する必要があります。

<選択肢>

①【誤】

空欄ウ:党錮の禁は後漢の出来事であり、明代ではありません。

②【正】

空欄イ:唐代、安史の乱後に自立化した藩鎮勢力に対抗するため、皇帝直属の近衛軍が強化され、その指揮権が宦官に委ねられました。

空欄ウ:明の洪武帝は中書省を廃止して皇帝に権力を集中させました。その結果、皇帝の補佐役として宦官が台頭する余地が生まれました。この組み合わせが文脈に合致します。

③【誤】

空欄ウ:諸王に軍隊を与えたことは、後の靖難の変の原因であり、宦官の専横の直接的な原因ではありません。

④【誤】

空欄イ:高句麗遠征は隋や唐初の出来事であり、安史の乱後の近衛軍拡充とは時期が異なります。

⑤【誤】

空欄イが誤りです。

⑥【誤】

空欄イが誤りです。

問4:正解④

<問題要旨>

19世紀イギリスの経済構造について、グラフと会話文を基に空欄を補充する問題です。「世界の工場」としての側面と、貿易収支の実態を理解しているかが問われます。

<選択肢>

①【誤】

イギリスの工業製品は「安価」でした。また、貿易収支は赤字(輸入超過)です。

②【誤】

イギリスの工業製品は「安価」でした。

③【誤】

グラフから貿易収支は赤字(輸入超過)であり、「輸出額よりも輸入額の方が多い」状態です。

④【正】

空欄エ:イギリスは「安価な工業製品を大量に輸出する」ことで「世界の工場」と呼ばれました。

空欄オ:しかし、グラフの貿易収支は一貫してマイナスであり、原材料や食料の輸入が製品輸出を上回る「輸出額よりも輸入額の方が多い」状態でした。これが正しい組み合わせです。

問5:正解①

<問題要旨>

下線部⑥「自由貿易政策が本格的に展開されるように」なった19世紀イギリスの具体的な政策を問う問題です。

<選択肢>

①【正】

1846年の穀物法廃止は、地主層を保護する保護主義から、産業資本家の求める自由貿易主義への転換を象徴する出来事です。

②【誤】

航海法は17世紀半ばに「制定された」重商主義的な法律です。

③【誤】

印紙法は18世紀後半に北米植民地に対して課された税法です。

④【誤】

ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)は、20世紀の1960年に結成された組織です。

問6:正解③

<問題要旨>

問題文とグラフを基に、19世紀イギリス経済についてまとめた学生のメモの正誤を判断する問題です。

<選択肢>

①【誤】

中井さんのメモも正しい内容です。

②【誤】

藤野さんのメモも正しい内容です。

③【正】

藤野さんのメモ(貿易収支と貿易外収支の差の拡大、「世界の銀行」への変貌)も、中井さんのメモ(技術革新と帝国内外への投資拡大)も、問題文とグラフの内容を正しく反映しています。したがって、二人とも正しいです。

④【誤】

二人とも正しい内容を記述しています。

問7:正解③または④

<問題要旨>

ロシア・ソ連の領土と人口に関する統計表から、読み取れる事柄として正しいものを選択する問題です。数値を丁寧に比較・計算する正確さが求められます。

<選択肢>

①【誤】

ミハイル=ロマノフ即位(1613年)後の100年間で、ヨーロッパ部の領土は5.0百万km²には達していません。

②【誤】

1719年から1795年にかけて、ヨーロッパ部の領土は拡大しており、「変化しなかった」という記述は誤りです。

③【正】

1867年から1916年にかけて、アジア部の人口は9百万人から28百万人へと3倍以上に増加しています。

④【正】

革命(1917年)後に一度減少したヨーロッパ部の領土は、独ソ戦(1941年開戦)前の1940年には革命前と同じ広さに回復しています。

⑤【誤】

第二次世界大戦期、アジア部の人口は増加しており、「アジア部の人口も減少した」という記述は誤りです。

⑥【誤】

表の全ての年次において、ヨーロッパ部の人口はアジア部の人口を上回っています。

問8:正解⑥または②

<問題要旨>

問7で選んだ正しい事柄の歴史的背景として、最も適当な説明を選ぶ問題です。統計データと歴史上の出来事を結びつける思考力が試されます。

<選択肢>

①【誤】

北方戦争は18世紀初頭の出来事です。

②【正】

(問7で④を選んだ場合の背景)第一次大戦後に独立したバルト三国を、第二次大戦直前にソ連が併合したことで領土が回復しました。

③【誤】

独ソ戦は領土回復の背景ではなく、その後の人口減少の要因です。

④【誤】

オホーツク海への進出は17世紀の出来事です。

⑤【誤】

アラスカ売却は1867年のことで、問7の文脈とは直接関連しません。

⑥【正】

(問7で③を選んだ場合の背景)19世紀末から建設されたシベリア鉄道が、シベリアへの入植を促進し、アジア部の人口急増の要因となりました。

問9:正解②

<問題要旨>

文章中の空欄カ、キに入るロシア皇帝の事績の正しい組み合わせを選ぶ問題です。ロシアの絶対王政確立期の重要人物に関する知識が問われます。

<選択肢>

①【誤】

キの事績:ステンカ=ラージンの乱を鎮圧したのはアレクセイ帝です。

②【正】

カの事績:初めて公式に「ツァーリ」を称したのはイヴァン4世です(あ)。

キの事績:ネルチンスク条約を締結し、ペテルブルクを建設したのはピョートル1世です(Y)。

この組み合わせが正しいです。

③【誤】

カの事績:ビザンツ帝国皇帝の姪と結婚したのはイヴァン3世です(い)。

④【誤】

カの事績が誤りです。

第4問

問1:正解⑤

<問題要旨>

1830年にフランスがアフリカ侵攻を開始した際の国王と、侵攻した地域を特定する問題です。

<選択肢>

①【誤】

国王はシャルル10世、地域はアルジェリア(b)です。

②【誤】

国王はシャルル10世です。

③【誤】

国王はシャルル10世、地域はアルジェリア(b)です。

④【誤】

侵攻地域はアルジェリア(b)です。

⑤【正】

アルジェリア出兵(1830年)を開始したのは、復古ブルボン朝のシャルル10世(い)であり、侵攻先は地図上のb(アルジェリア)です。これが正しい組み合わせです。

⑥【誤】

侵攻地域はアルジェリア(b)です。

問2:正解③

<問題要旨>

空欄アのベトナム(阮朝)に対する、フランス第三共和政期の事柄を選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】

フランス東インド会社が活動したのは主に18世紀までであり、第三共和政期ではありません。

②【誤】

ドンズー(東遊)運動を指導したのはファン=ボイ=チャウです。

③【正】

フランスは清仏戦争(1884-85年)を経て、1887年にベトナム・カンボジアを合わせてフランス領インドシナ連邦を成立させました。これは第三共和政期の出来事です。

④【誤】

広州湾は中国の領土であり、ア(ベトナム)に対する事柄ではありません。

問3:正解②

<問題要旨>

問題文の絵と会話を参考に、フランスの植民地政策に関する学生のメモの正誤を判断する問題です。

<選択肢>

①【誤】

渡瀬さんのメモは誤りです。

②【正】

大山さんのメモは、絵の盾に書かれた「進歩・文明・交易」という言葉から、植民地政策を正当化する「文明化の使命」という理念を正しく読み取っています。一方、渡瀬さんのメモは「奴隷制を用いて」とありますが、フランスで奴隷制が廃止された後の時代であるため誤りです。したがって、大山さんのみが正しいです。

③【誤】

渡瀬さんのメモが誤りです。

④【誤】

大山さんのメモが正しいです。

問4:正解④

<問題要旨>

インドの民族運動における出来事を年代順に並べる問題です。「塩の行進」と他の二つの出来事の前後関係を問います。

<選択肢>

①【誤】

年代順が異なります。

②【誤】

年代順が異なります。

③【誤】

年代順が異なります。

④【正】

各出来事の年代は、い:ベンガル分割令(1905年)、下線部④:塩の行進(1930年)、あ:新インド統治法(1935年)の順です。この選択肢の配列が正しいです。

⑤【誤】

年代順が異なります。

⑥【誤】

年代順が異なります。

問5:正解①

<問題要旨>

「塩の行進」がインド民族運動に与えた影響と、それに類似する特徴を持つ歴史上の出来事を組み合わせる問題です。

<選択肢>

①【正】

「塩の行進」は、問題文にある通り「大勢の民衆が加わり」大規模な運動となったことから、影響う「幅広い社会層が、抵抗運動に加わった」が当てはまります。これに類似する出来事として、学生だけでなく労働者や商人も参加した中国の五・四運動(X)が挙げられます。

②【誤】

デカブリストの乱(Y)は青年貴族将校による運動であり、幅広い社会層が参加したとは言えません。

③【誤】

影響うが正しく、えは誤りです。

④【誤】

影響うが正しく、えは誤りです。また、出来事の組み合わせも適切ではありません。

第5問

問1:正解③

<問題要旨>

アメリカ史に関する空欄補充と、特定の戦争が与えた影響の組み合わせを選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】

空欄アはフランス国歌「ラ=マルセイエーズ」(い)です。

②【誤】

空欄アが誤りです。また、大陸横断鉄道の開通は1869年であり、イの米英戦争(1812年戦争)より後です。

③【正】

空欄アは「ラ=マルセイエーズ」(い)、イの戦争は米英戦争です。この戦争でイギリスからの輸入が途絶えた結果、アメリカ国内の工業化が進んだ(X)ため、この組み合わせが正しいです。

④【誤】

影響Yは時期が異なります。

問2:正解④

<問題要旨>

アメリカとイギリスが共に関わった出来事について述べた文として、最も適当なものを選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】

アメリカがフロリダを購入したのはスペインからです。

②【誤】

アロー戦争でイギリスと共同出兵したのはフランスです。

③【誤】

戦略兵器制限交渉(SALT)は、アメリカとソ連の間で行われました。

④【正】

2003年のイラク戦争は、アメリカ(ブッシュ政権)とイギリス(ブレア政権)が主導して開始しました。

問3:正解①

<問題要旨>

第一次世界大戦後のアメリカ社会の保守化についてまとめた学生のメモの正誤を判断する問題です。

<選択肢>

①【正】

畠山さんのメモにある1924年移民法の内容(南・東欧からの移民制限、アジア系移民の禁止)は、戦後の保守化・排外主義の現れとして正しく記述されています。一方、小西さんのメモは、KKKが「もともとアジア系移民を排斥する目的」だったとしていますが、元々は南北戦争後の黒人迫害を目的としており、誤りです。よって畠山さんのみが正しいです。

②【誤】

小西さんのメモは誤りです。

③【誤】

小西さんのメモが誤りです。

④【誤】

畠山さんのメモが正しいです。

問4:正解①

<問題要旨>

キューバ危機における新聞記事の「ミュンヘン」という批判が何を意味するかを、空欄補充で問う問題です。ミュンヘン会談の内容を理解しているかが鍵となります。

<選択肢>

①【正】

1938年のミュンヘン会談で、英仏がヒトラーのズデーテン地方割譲要求を認めた「宥和政策」は、後に弱腰外交の代名詞となりました。スティーヴンソンの提案をこれになぞらえて批判しているため、この選択肢が文脈に合致します。

②【誤】

英仏の態度は「強硬な姿勢」ではなく、「宥和的な姿勢」でした。

③【誤】

要求されたのは「ザール地方」ではなく「ズデーテン地方」です。

④【誤】

要求された地方と姿勢の両方が誤りです。

問5:正解③

<問題要旨>

キューバ危機(1962年)から冷戦終結(1989/91年)までの間に起こった出来事として、最も適当なものを選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】

米中関係改善のための訪中を行ったのは、ニクソン大統領です。

②【誤】

東方外交を実施したのは、西ドイツのブラント首相です。

③【正】

フランスはド=ゴール大統領のもと、1966年にNATOの軍事機構から脱退しました。これは米ソ二極構造が揺らぐ「多極化」の動きの一つであり、時期も適切です。

④【誤】

アジア=アフリカ会議(バンドン会議)が開催されたのは1955年であり、キューバ危機より前です。

問6:正解②

<問題要旨>

問題文の議論を参考に、キューバ危機に関する学生のメモの正誤を判断する問題です。

<選択肢>

①【誤】

久保田さんのメモは、スティーヴンソンの提案への評価が「現在まで定着している」としていますが、問題文では新たな評価が現れたと述べられており、誤りです。

②【正】

永野さんのメモは、ケネディがフルシチョフの要求を受け入れた事実が「ゴルバチョフが改革を進めていた時期に明らかになった」としています。これは問題文の「グラスノスチによって明らかになる」という記述と合致しており、正しいです。

③【誤】

久保田さんのメモが誤りです。

④【誤】

永野さんのメモが正しいです。

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