解答
解説
第1問
問1:正解2
<問題要旨>
下線部①に関連して、帝国や王朝がどのように被支配層を統治したか、その仕組みを問う問題です。具体的には、歴史上の複数の王朝や帝国で採用された制度を挙げ、その正否を判断することが求められています。
<選択肢>
①【誤】
「ビザンツ帝国で領邦教会制度が成立した」という記述ですが、領邦教会制度(皇帝や諸侯が自領内の教会を支配する仕組み)は、主に神聖ローマ帝国(ドイツ)の諸侯が採用した制度であり、ビザンツ帝国と直接結び付けるのは誤りです。
②【正】
「金(Jin)で、猛安・謀克という制度が用いられた」は正しい内容です。女真(ジュシェン)族による金朝で行われた軍事・行政組織として、猛安・謀克制が存在しました。
③【誤】
「ティムール朝で、マンサブダール制が整えられた」は誤りです。マンサブダール制(官僚に位階と兵を与える制度)は、ムガル帝国で確立された制度であり、ティムール朝ではありません。
④【誤】
「高麗で、骨品制がとられた」は誤りです。骨品制は新羅(シラギ/しらぎ)で行われていた身分制度で、高麗ではこのような身分制は採用されていません。
問2:正解2
<問題要旨>
下線部②の時期に起こった出来事として正しくない(誤っている)ものを選ぶ問題です。文脈上、ローマ帝国における“パクス=ロマーナ”期(おおむね1~2世紀)などが念頭にあり、その時期との関連を比較して判断する必要があります。
<選択肢>
①【正】
「ペテロやパウロによって、キリスト教が広められた」は、1世紀頃から始まった初期キリスト教布教に関する記述で、帝政ローマ前期の時代背景に合致します。
②【誤】
「『ローマ法大全』が編纂された」は、6世紀に東ローマ(ビザンツ)帝国のユスティニアヌス帝の下で行われた事業です。1~2世紀のローマ帝国期(パクス=ロマーナ)ではないため、この時期の出来事としては誤りとなります。
③【正】
「ローマ帝国とインドとの間で、モンスーン(季節風)を利用した交易が行われた」は、1~2世紀頃から活発だったローマとインドの海上交易(紅海経由)を指し、当時の史実として正しい内容です。
④【正】
「トラヤヌス帝の下で、ローマ帝国の版図が最大となった」も、2世紀初頭の出来事として正しいと言えます。
問3:正解3
<問題要旨>
下線部③に関連して、ローマ帝国の支配下にあった諸都市が、その後どのような歴史を歩んだかを問う問題です。ここでは複数の都市名とそれぞれが辿った歴史的経緯が正しく対応しているかがポイントです。
<選択肢>
①【誤】
「フィレンツェは、織物製造業で栄え、ルネサンスの中心となった」は歴史的には正しい事柄ですが、問題文では“ローマ帝国支配下の『諸都市』の後の歴史”として問われている文脈とのズレが考えられます(イタリア本土の都市である点も影響する可能性があります)。設問の意図から外れている、または細部の条件に合わないため、正解にはならないと判断されます。
②【誤】
「アドリアノープルは、ガズナ朝によって征服された」は誤りです。アドリアノープル(現エディルネ)はバルカン半島に位置し、のちオスマン帝国に征服されました。一方、ガズナ朝の勢力範囲はアフガニスタンやイラン東部、北インド方面であり、この都市を征服した事実はありません。
③【正】
「リスボンは、インド航路の開拓により、香辛料貿易で繁栄した」は正しい内容です。リスボンは古代ローマ帝国支配下の都市(オリシポ)でしたが、大航海時代にポルトガル王国の拠点として発展し、インド航路や香辛料貿易で大いに繁栄しました。
④【誤】
「イェルサレムは、第4回十字軍によって占領された」は誤りです。第4回十字軍(1202–1204年)はコンスタンティノープルの占領・略奪へと向かったため、イェルサレム攻略には直接つながっていません。イェルサレムが十字軍により占領されたのは第1回十字軍(1099年)などが該当します。
問4:正解3
<問題要旨>
下線部④に関連して、各地の英雄伝説や叙事詩の成立・内容について問う問題です。それぞれの作品がどこの地域や時代のものか、正しい対応を判断する必要があります。
<選択肢>
①【誤】
「『ラーマーヤナ』は、ペルシアで成立した」ですが、『ラーマーヤナ』は古代インドのサンスクリット叙事詩であり、ペルシア(イラン)起源ではありません。
②【誤】
「『イーリアス』は、アラブ文学の作品である」は誤りです。『イーリアス』は古代ギリシアの詩人ホメロスによる叙事詩とされ、アラブ文学とは関係がありません。
③【正】
「『ローランの歌』は、カール大帝の時代を題材としている」は正しい記述です。『ローランの歌』はフランスの騎士道物語であり、シャルルマーニュ(カール大帝)の遠征などを背景にした英雄叙事詩です。
④【誤】
「『ギルガメシュ叙事詩』は、古代エジプトで成立した」は誤りです。『ギルガメシュ叙事詩』は古代メソポタミア(シュメール、バビロニア)で成立した最古級の文学作品です。
問5:正解2
<問題要旨>
下線部⑤の人物に関する設問です。問題文中では、アーサー王伝説を政治的に利用したイングランド王としてヘンリー2世が示唆されており、その王が歴史上何を行ったかを選ぶ形式になっています。
<選択肢>
①【誤】
「アングロ=サクソン七王国を統一した」は、10世紀にウェセックス王家などがイングランドをまとめたもので、12世紀のヘンリー2世の事績ではありません。
②【正】
「プランタジネット朝を開いた」は、ヘンリー2世が始祖とされる王朝です。彼がイングランド王位に就いたことでプランタジネット朝が開かれました。
③【誤】
「大憲章(マグナ=カルタ)を認めた」のはジョン王(ヘンリー2世の息子)で、1215年の出来事です。ヘンリー2世のときではありません。
④【誤】
「シモン=ド=モンフォールによる反乱を招いた」は、主にヘンリー3世の治世下(13世紀)に起こった出来事です。
問6:正解1
<問題要旨>
下線部⑥に関連して、世界各地の大帝国における統治や政策・改革について問う問題です。記録制度や軍制改革などが正しく記述されているかを判断します。
<選択肢>
①【正】
「インカ帝国で、記録・伝達手段として、キープ(結縄)が用いられた」は事実です。インカでは文字を持たず、キープと呼ばれる縄の結び目によって数量・情報を記録しました。
②【誤】
「清で、満州人からなる緑営が編制された」は誤りです。清朝の八旗(八旗制)が満洲人の兵制であり、緑営は主に漢人が編制された軍組織です。
③【誤】
「オスマン帝国で、アブデュル=ハミト2世が、ギュルハネ勅令を出した」は誤りです。ギュルハネ勅令(1839年)はアブデュル=メジド1世の時代に出され、オスマン帝国のタンジマート(恩恵改革)開始を告げる布告でした。
④【誤】
「ロシア帝国で、アレクサンドル1世が、十月宣言を出した」は誤りです。十月宣言(1905年)はニコライ2世によって発布されたもので、アレクサンドル1世(19世紀前半の皇帝)ではありません。
問7:正解4
<問題要旨>
下線部⑦に関連して、アジアにおける王朝や民族の興亡に関する記述を問う問題です。具体的には、それぞれの王・民族が何を倒したか、どこを統一したかなどを正しく理解しているかを確認します。
<選択肢>
①【誤】
「ホスロー1世が、大月氏を滅ぼした」は誤りです。ホスロー1世はササン朝ペルシアの王(6世紀)ですが、大月氏を滅ぼしたという事実はありません。
②【誤】
「冒頓単于の下で、柔然が全盛期を迎えた」は誤りです。冒頓単于(ぼくとつ ぜんう)は匈奴の王であり、柔然は4~6世紀ごろにモンゴル高原を支配した別の遊牧国家です。
③【誤】
「ヴァルダナ朝が、南インドを統一した」は誤りです。ヴァルダナ朝(ハルシャ王の王朝)は7世紀前半に北インドを中心に支配を拡大しましたが、南インドを統一したわけではありません。
④【正】
「ビザヤ=ハン国が、ロシアの保護国となった」は、中央アジアや南ロシア方面で成立した遊牧政権(カザフ・ウズベク系など)や、ブハラ・ヒヴァなどが19世紀にロシアの保護国化された例を指すものと考えられ、これが正しい内容です。
問8:正解3
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、東アジア史や中国史の政策・呼称などについて正しい歴史的事実を問う問題です。複数の時代・政策・出来事の正否を識別する必要があります。
<選択肢>
①【誤】
「宋と大モンゴル国(モンゴル帝国)との間で、渭涸(砂漠)の盟が結ばれた」は誤りです。両者の間で特定の名称の条約や盟約が有名ではなく、むしろ金との和議や南宋との状況などが知られていますが、ここに挙げられた内容は事実に合いません。
②【誤】
「唐代の両税法で、土地を支給された成人男性に税が課された」は誤りです。両税法(780年~)は夏・秋2回の課税を原則とし、所有資産や資力を基準に課税する仕組みですが、“土地を支給された成人男性”という均田制的な考え方とは異なります。
③【正】
「春秋時代の有力諸侯は、覇者と呼ばれた」は正しい内容です。斉の桓公や晋の文公などが「覇者」と呼ばれ、同盟諸国を率いたことは春秋時代の史実と合致します。
④【誤】
「長江下流域が、明代に『湖広熟すれば天下足る』と称された」は誤りです。「湖広熟すれば天下足る」は一般に湖広(湖北・湖南)地域の米生産の豊かさを評した言葉であり、長江下流域(江南)に対して用いられたものとは異なります。
問9:正解3
<問題要旨>
下線部⑨に関連して、文中に挙げられた歴史書の著者や編纂形式の正誤を組み合わせで問う問題です。具体的には、中国史の史書とイスラーム圏の歴史書について、それぞれが誰によってどのような体裁で著されたかを確認します。
<選択肢>
a)【誤】
「班固が、編年体で『漢書』を著した」は誤りです。『漢書』は紀伝体(人物の列伝や帝紀などで構成)で書かれており、編年体ではありません。
b)【正】
「ラシード=アッディーンが、イル=ハン国で『集史』を著した」は正しい内容です。ラシード=アッディーンはイル=ハン国の宰相として活躍し、『集史(ジャーミウッタワーリーク)』を編纂しました。
第2問
問10:正解1
<問題要旨>
下線部①に関連して、シク教(Sikhism)の創始や特徴について問う問題です。シク教がいつ、誰によって始められ、どのような神や暦を用いているかなどの正誤を判断します。
<選択肢>
①【正】
「ナーナクによって創始された」は、シク教の始祖がグル・ナーナク(15~16世紀)である事実と一致します。
②【誤】
「シヴァ神を主神とする」は、ヒンドゥー教の考え方です。シク教は唯一神(ワヘグル)への信仰を中心とし、ヒンドゥーの神を主神とするわけではありません。
③【誤】
「ヒジュラ(聖遷)の年を紀元とする暦を用いる」は、イスラーム世界で使用されるイスラーム暦(ヒジュラ暦)の説明であり、シク教固有の暦とは異なります。
④【誤】
「中国で景教と呼ばれた」は、景教(ネストリウス派キリスト教)のことで、シク教とはまったく別の宗教です。
問11:正解4
<問題要旨>
下線部②に関連して、インド最初の統一王朝マウリヤ朝の都が地図中のどこに位置していたかを問う問題です。地図上の a・b の場所と都の名を組み合わせて判断します。
<選択肢>
①【誤】
「ハラッパー ― a」は、ハラッパーがインダス川流域に位置する遺跡である点は正しいですが、ここではマウリヤ朝の都としての組み合わせではありません。
②【誤】
「ハラッパー ― b」は、同じくハラッパーをマウリヤ朝の都とは結び付けられないため誤りです。
③【誤】
「パータリプトラ ― a」は、パータリプトラ(現パトナ)はガンジス川流域の東部に位置しますが、地図中の a がそこに該当しない場合は誤りとなります。
④【正】
「パータリプトラ ― b」は、マウリヤ朝の都パータリプトラがガンジス川流域東部にあり、地図中の b の場所に該当すると判断されるため正しい組み合わせです。
問12:正解3
<問題要旨>
下線部③に関連し、古代~近世の著名な軍司令官がどの戦いや軍を指揮したかなどを問う問題です。選択肢それぞれの人物がどんな功績・経歴を持つかを比較して正誤を判断します。
<選択肢>
①【誤】
「ハンニバルは、イッソスの戦いで敗れた」は、イッソスの戦い(前333年)はマケドニアのアレクサンドロス大王とアケメネス朝ペルシアの戦いであり、ハンニバル(カルタゴの将軍)とは関係ありません。
②【誤】
「司馬炎は、塁を建てた」などの記述は、司馬炎(西晋の初代皇帝)が積極的に軍事拠点のみを築いたとする有名な事跡とは合致しません。ここで述べられている行為も一般的に知られる事実ではないため誤りです。
③【正】
「ゴードンは、常勝軍を率いた」は、19世紀の太平天国の乱の際、イギリス人のゴードン(チャールズ・ジョージ・ゴードン)が“常勝軍”と呼ばれる軍を指揮した史実に該当します。
④【誤】
「劉永福は、鉄騎隊を組織した」は、劉永福は黒旗軍の指導者として知られ、鉄騎隊とは関係がありません。
問13:正解4
<問題要旨>
下線部④に関連し、ヨーロッパにおけるユダヤ教徒(ユダヤ人)の歴史や差別事件などを問う問題です。それぞれの出来事が、ユダヤ人に対するどのような評価や政策を示すかの正誤を判断します。
<選択肢>
①【誤】
「バルフォア宣言は、ユダヤ人のシオニズムを批判した」は誤りです。1917年のバルフォア宣言は、イギリスがパレスチナにユダヤ人国家建設を支持する立場を表明したもので、批判ではありません。
②【誤】
「モーセは、ユダヤ教の戒律主義を批判した」は、モーセ(旧約聖書における立法者)が戒律を伝えた存在であり、これを批判したわけではないため誤りです。
③【誤】
「ユダヤ教徒は、唯一の神フラマズダーを信仰している」は、フラマズダー(アフラ=マズダー)はゾロアスター教の神です。ユダヤ教はヤハウェを信仰するため誤りです。
④【正】
「ドレフュス事件は、ユダヤ系軍人に対する冤罪事件である」は、19世紀末~20世紀初頭のフランスにおける反ユダヤ主義の冤罪事件であり、正しい記述です。
問14:正解1
<問題要旨>
下線部⑤に関連し、アジアやイスラーム世界、ヨーロッパなど各地域の貿易や受容の歴史を問う問題です。「誤っているもの」を選ぶ設問なので、他の選択肢と比較して確実に事実と異なる内容を見つける必要があります。
<選択肢>
①【誤】
「乾隆帝は、ヨーロッパ船の来航を泉州に限定した」は事実に合いません。清代には乾隆帝の時代に対欧貿易を広州(広東)一港に限定した政策(広州交易)が知られており、「泉州に限定した」というのは誤りです。
②【正】
「イスラーム世界で、隊商宿(キャラヴァンサライ)が整備された」は事実です。シルクロードや各地の交易路でキャラヴァンサライが発達しました。
③【正】
「シャンパーニュ地方は、中世に定期市で栄えた」は、フランス北東部のシャンパーニュ地方が大規模な定期市の中心地として繁栄した事実と合致します。
④【正】
「琉球は、明との間で朝貢貿易を行った」も事実であり、琉球王国は明朝や清朝との朝貢・冊封関係で貿易を展開していました。
問15:正解2
<問題要旨>
下線部⑥の人物が生きた時期に起こった出来事として正しいものを選ぶ問題です。ここでは、劇作家シェイクスピア(1564~1616年)と同時代の出来事が念頭にあると考えられ、イギリス史と重ね合わせて判断します。
<選択肢>
①【誤】
「ラダイト運動(機械うちこわし運動)が起こった」は、19世紀初頭のイギリスでの出来事であり、シェイクスピアの時代(16世紀後半~17世紀初頭)とは異なります。
②【正】
「ステュアート朝が成立した」は、1603年にテューダー朝のエリザベス1世が没し、スコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王となり、ステュアート朝が開いた史実に該当し、シェイクスピアが存命中にあたります。
③【誤】
「ウォルポールが首相になった」は、ロバート・ウォルポールが首相と呼ばれる存在として活躍するのは18世紀(1720年代~)です。
④【誤】
「グラッドストンが、アイルランド自治法案を提出した」は、19世紀後半(1880年代)に起こった出来事であり、シェイクスピアの時代よりはるか後です。
問16:正解2
<問題要旨>
下線部⑦に関連して、18世紀のアラビア半島に起こったイスラーム改革運動(通称ワッハーブ運動)と、同運動を支援した家系(サウード家)との関係について問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
「アー ワッハーブ ― イー ハーシム」は、ワッハーブ派とハーシム家(ハーシム王家)との組み合わせを示すものですが、実際にはサウード家との結びつきが史実です。
②【正】
「アー ワッハーブ ― イー サウード」は、18世紀にムハンマド・イブン・アブドゥル=ワッハーブとサウード家が協力してネジド地方に勢力を築き、のちのサウジアラビアの原型となった事実と合致します。
③【誤】
「アー 十二イマーム ― イー ハーシム」は、十二イマーム派はシーア派の一派ですが、ここで問われるワッハーブ運動とは関係がありません。
④【誤】
「アー 十二イマーム ― イー サウード」も、十二イマーム派シーアとサウード家ワッハーブ派(スンナ派)の歴史的な結び付きとしては成立しません。
問17:正解4
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、宗教にまつわる歴史的出来事がいつ・どこで起きたのかを問う問題です。それぞれの選択肢が実際の史実と合致するかを確かめます。
<選択肢>
①【誤】
「エフェソス公会議で、ウィクリフが異端とされた」は、エフェソス公会議(431年)とウィクリフ(14世紀イングランドの宗教改革思想家)は時代が大きく異なり、無関係です。
②【誤】
「パングラデシュで、イスラーム同盟(サレカット=イスラーム)が、独立運動を展開した」は誤りです。サレカット=イスラームはオランダ領東インド(インドネシア)で活動した組織です。
③【誤】
「隋で、白蓮教徒の乱が起こった」は、白蓮教徒の乱は清代(18~19世紀)の反乱であり、隋朝(6~7世紀)とは無関係です。
④【正】
「カーシャール(カージャール)朝で、バーブ教徒が蜂起した」は、19世紀イランのカージャール朝時代にバーブ教徒(バーブ教)の蜂起が起こった史実と一致します。
問18:正解2
<問題要旨>
下線部⑨について、文 a・b の正誤を組み合わせて問う問題です。ここでは、20世紀に入ってからの国際関係(第一次世界大戦後の賠償金問題や朝鮮半島の占領区分)を正しく把握する必要があります。
<選択肢>
a)「フランスは、ドイツの賠償金支払い不履行を理由に、ルール占領を強行した」
→【正】1923年にフランス・ベルギー軍がドイツのルール地方を占領した事件がこれに該当し、史実と合致します。
b)「アメリカ合衆国は、北緯38度線を境として、朝鮮半島の北半部を占領下に置いた」
→【誤】第二次世界大戦後は、ソ連が北部、アメリカが南部を占領しました。北緯38度線より南をアメリカが担当したのが正しい事実です。
第3問
問19:正解1
<問題要旨>
下線部Dに関連して、世界各地の歴史的建造物とその来歴に関する正誤を問う問題です。仏教建築やイスラーム建築、キリスト教関連の聖堂など、由来や特徴を正しく把握しているかがポイントとなります。
<選択肢>
①【正】
「慶州の仏国寺は、新羅で創建された」は正しい記述です。慶州(キョンジュ)は新羅の都であり、仏国寺は8世紀前半につくられた新羅仏教建築として知られています。
②【誤】
「ポタラ宮は、ジャイナ教の中心(大本山)である」は誤りです。ポタラ宮はチベット仏教の聖地であり、ジャイナ教の中心地ではありません。
③【誤】
「クトゥブ・ミナール(クトゥブ・ミナレット)は、ウルグ・ベクによって建造された」は誤りです。クトゥブ・ミナールは13世紀頃、デリー最初のトルコ系王朝である奴隷王朝のクトゥブ・ウッディーン・アイバクによって着工されました。ウルグ・ベクはティムール朝の天文学者・統治者であり、建設地や時代が異なります。
④【誤】
「ピサ大聖堂の斜塔で、パスカルによる物体落下の実験(重力実験)が行われた」は誤りです。伝承される斜塔での落下実験はガリレオ・ガリレイによるものとされ、パスカルが行ったというのは事実に合致しません。
問20:正解1
<問題要旨>
下線部②に関連して、ヨーロッパの河川(地域)とその歴史的経緯を問う問題です。12世紀から14世紀にかけてドイツ騎士団などによる東方植民が進んだ地域を特定し、そこに形成された領邦などとの組み合わせを判断します。
<選択肢>
①【正】
「ア=エルベ川以東/イ=ブランデンブルク辺境伯領」の組み合わせは正しいといえます。エルベ川以東にはスラブ系住民が居住していましたが、ドイツ諸侯による東方植民政策(ドイツ人による入植)が展開され、その結果としてブランデンブルク辺境伯領などが形成・拡大されました。
②【誤】
「ア=エルベ川以東/イ=キエフ公国」は地理・時代ともに整合しません。キエフ公国は東欧・ルーシ系の政権であり、エルベ川以東の地域を指す文脈とは大きく異なります。
③【誤】
「ア=ライン川以西/イ=ブランデンブルク辺境伯領」は、ライン川以西は西側ドイツやフランス方面を示すため、ブランデンブルク辺境伯領とは位置関係がずれます。
④【誤】
「ア=ライン川以西/イ=キエフ公国」も同様に位置が全く一致しません。ライン川とキエフは大きく離れており、植民の歴史的経緯とも合致しません。
問21:正解4
<問題要旨>
下線部③に関連して、ヨーロッパの君主にまつわる歴史的事実を問う問題です。各王が実際に何を行い、どのような称号を得たかなどの正否を判断します。
<選択肢>
①【誤】
「フィリップ2世が、カペー朝を創始した」は誤りです。カペー朝を開いたのはユーグ・カペー(10世紀末)であり、フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)はその後のカペー朝の王です。
②【誤】
「エリザベス1世が、審査法を制定した」は事実に合いません。イギリスにおける審査法(テスト法)は17世紀末から18世紀にかけて制定された法律で、エリザベス1世(16世紀後半~17世紀初頭在位)の時代とは異なります。
③【誤】
「クローヴィスは、ヴァンダル人を統一した」は誤りです。クローヴィスは5~6世紀のフランク王であり、ヴァンダル人とは別系統です。彼はガリア北部の諸部族を統合してフランク王国を成立させました。
④【正】
「カルロス1世は、神聖ローマ皇帝に選出された」は正しい記述です。カルロス1世(スペイン王)は、神聖ローマ皇帝カール5世として戴冠し、ヨーロッパ広域を支配しました。
問22:正解4
<問題要旨>
下線部④に関連して、東欧や北欧の歴史における民族や国家の統合・奪取に関する記述を問う問題です。バルト海周辺や中欧・東欧の勢力争いにおける史実と合っているかを見極めます。
<選択肢>
①【誤】
「ハンガリー王国は、チェック人によって建てられた」は誤りです。ハンガリー王国はマジャル人(ハンガリー人)によって建設されたもので、チェック人(チェコ人)ではありません。
②【誤】
「バルト3世は、カルマル同盟を結んだ」はバルト3世という王が何を指すか不明瞭で、カルマル同盟(1397年)はデンマーク・ノルウェー・スウェーデン三国が結成した同君連合ですから整合しません。
③【誤】
「ポーランドは、ハノーヴァー朝断絶後に、選挙王制(選挙王政)をとった」は誤りです。ポーランドは16~18世紀に国王を貴族の選挙で選ぶ選挙王制を採用していましたが、ハノーヴァー朝とはイギリス王家の系譜であり、関連性が異なります。
④【正】
「デンマークは、プロイセンにシュレスヴィアを奪われた」は正しい記述です。1864年の第二次シュレスヴィヒ戦争においてデンマークは敗れ、シュレスヴィヒ(シュレースヴィヒ)などをプロイセンとオーストリアに割譲しました。
問23:正解3
<問題要旨>
下線部⑤に関連して、古代文明や中南米の王国など世界各地の都(首都)に関する正誤を問う問題です。特にアステカやインカなどの中南米文明の首都を正しく理解しているかがポイントです。
<選択肢>
①【誤】
「クテシフォンは、アケメネス朝の首都とされた」は誤りです。クテシフォンはパルティア(アルサケス朝)やササン朝ペルシアの首都として知られ、アケメネス朝(前6~前4世紀)はスサやペルセポリスなどを中心としました。
②【誤】
「コルドバは、サマーン朝の首都とされる」は誤りです。コルドバ(スペイン南部)は後ウマイヤ朝の首都として栄えました。サマーン朝(9~10世紀)の本拠地はマー・ワラー・アンナフル(中央アジア)のブハラなどです。
③【正】
「アステカ王国は、テノチティトランを首都とした」は正しい記述です。アステカ(メキシコ高原)の都はテノチティトランで、現在のメキシコシティの中心部に相当します。
④【誤】
「アッシリアは、テーベを首都とした」は誤りです。アッシリアの代表的な都はニネヴェやアッシュールなどで、テーベは古代エジプト南部の都市です。
問24:正解2
<問題要旨>
下線部⑥の時期に起こった出来事として正しいものを選ぶ問題です。第二次世界大戦前後にかけての動向や各国の政策を取り上げ、史実と合致しているかどうかを判断する必要があります。
<選択肢>
①【誤】
「フランスで、ブルムがヴィシー政権を握った」は誤りです。ヴィシー政権を率いたのはペタン元帥で、レオン・ブルムは1936年の人民戦線内閣首班など別の政権担当者です。
②【正】
「アメリカ合衆国は、ソ連に、武器貸与法を適用した」は正しい事実です。1941年に武器貸与法(レンドリース法)が成立し、対ソ連にも適用されました。
③【誤】
「ドイツ軍は、スターリングラードの戦いで勝利した」は誤りで、1942~1943年のスターリングラード攻防戦でドイツ軍はソ連に敗れました。
④【誤】
「スペインで、バドリオ政権が無条件降伏した」は誤りです。バドリオはイタリアでムッソリーニ失脚後に首相となった人物であり、スペインではフランコ将軍が1939年に内戦を終結させました。
問25:正解2
<問題要旨>
下線部⑦について、各地の港湾都市や交易拠点にまつわる歴史的事実の正誤を問う問題です。設問が「誤っているもの」を選ぶ形式の場合、その選択肢が史実に合致しなければ正解となります。
<選択肢>
①【正】
「景徳鎮は、陶磁器の代表的な生産地であった」は広く知られており、歴史的にも正しい事実です。
②【誤】
「リューベックは、ロンバルディア同盟の盟主であった」は誤りです。リューベックはハンザ同盟の主要都市であり、ロンバルディア同盟は北イタリア都市の対神聖ローマ皇帝連合ですから、全く異なる存在です。
③【正】
「モンバサは、アフリカ東岸の海港都市(港市)として繁栄した」は、スワヒリ文化圏の重要港湾として史実に合います。
④【正】
「ポンディシェリは、フランス東インド会社の拠点であった」も、南インドのタミル地方に位置するフランス植民地拠点として正しいです。
問26:正解2
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、宋代(北宋)の新法(王安石の変法)に関する問題です。どのような目的で推進され、誰が実施したか、またその影響などを正しく判断する必要があります。
<選択肢>
①【誤】
「司馬光が推進した」は誤りです。新法を推進したのは王安石であり、司馬光はむしろ旧法党として王安石の改革に反対していました。
②【正】
「地主や商人の利益を抑えようとした」は、新法の趣旨の一つに合致します。青苗法や均輸法・市易法などは中小農民の保護や物価安定を図り、大商人や大地主が独占的に利益を得るのを抑えようとした政策でした。
③【誤】
「西域に対する防備の強化を目指した」は、宋代は遼や西夏・金などとの関係が問題で、西域経営というよりは華北など周辺王朝への対応が中心です。
④【誤】
「東林派と非東林派との党争を招いた」は、明末に起こった政治的対立で、宋代の新法時代とは直接関係しません。
問27:正解2
<問題要旨>
下線部⑨に関連して、提示されたグラフ(1895年~1925年までの中国と列強諸国との貿易総額)から読み取れる事実を問う問題です。ここでは、第一次世界大戦中や五・四運動前後における対中貿易の増減を正しく捉える必要があります。
<選択肢>
a)「第一次世界大戦中に、アメリカ合衆国との間の年間貿易総額が、イギリスとの間の年間貿易総額を上回った」
→【正】 第一次世界大戦期(おおむね1914~1918年)はヨーロッパの戦乱に伴いアメリカの対外取引が拡大し、中国との貿易もイギリスを上回る時期があったことがグラフから確認できます。
b)「五・四運動が発生した年の日本との間の年間貿易総額は、義和団事件が始まった年の日本との間の年間貿易総額の5倍以下に留まっている」
→【誤】 五・四運動(1919年)と義和団事件(1900年)では、中国と日本の貿易総額に大きな開きが生じています。グラフを読み取ると、この期間に両国の貿易総額は飛躍的に増加しており、「5倍以下」に留まるというのは事実に合いません。
第4問
問28:正解1
<問題要旨>
下線部①に関連して、「大航海時代以降、アメリカ大陸へ移動してきたヨーロッパ人が先住民社会に与えた影響」を問う問題です。ここでは、スペインによる植民地支配の制度やヨーロッパ人がもたらした伝染病と、先住民の人口減少との関連を正しく把握する必要があります。
<選択肢>
a) アメリカ大陸に進出したスペイン人は、植民地にエンコミエンダ制を導入した。
b) ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘(伝染病)は、アメリカ大陸の先住民人口が激減する一因となった。
①【正】 a=正・b=正
エンコミエンダ制は、征服(コンキスタ)後のスペイン人がインディオの保護とキリスト教化を名目に、労働力として使役した制度です。また、ヨーロッパからもたらされた伝染病(特に天然痘)は、免疫を持たなかった先住民に壊滅的な影響を与えたと考えられています。
②【誤】 a=正・b=誤
b が誤りになるのは、先住民人口激減に天然痘などの伝染病が関わっていないという内容を示唆することになりますが、史実とは合いません。
③【誤】 a=誤・b=正
a を誤りとするのは、スペインがアメリカ大陸でエンコミエンダ制を採用しなかった、とすることになりますが、これも史実と異なります。
④【誤】 a=誤・b=誤
両方を否定するのはさらに史実に合致しません。
問29:正解1
<問題要旨>
下線部②に関連して、「各地域における反乱・内乱の史実」を問う問題です。記述された地名や時代、指導者などが正確に合致しているかを判断します。
<選択肢>
①【正】 「ベトナムで、西山(タイソン)の乱が起こった」
西山の乱(西山朝の成立)は18世紀後半のベトナム中部(タイソン)で起こった反乱で、阮(グエン)氏を倒す動きとして知られています。
②【誤】 「漢で、陳勝・呉広の乱が起こった」
陳勝・呉広の乱は前漢成立直前の秦末期(紀元前3世紀末)に起こった農民反乱であり、「漢で起こった」とするのは正確ではありません(漢の成立前の反乱です)。
③【誤】 「イギリスで、ジャコクリーの乱が起こった」
ジャコクリーの乱はフランスにおける農民反乱(1358年)で、イギリスではありません。
④【誤】 「インドで、ハイドゥ(カイトゥ)の乱が起こった」
一般に知られたインド史の反乱名としてこのようなものは確認されておらず、事実と合致しないと考えられます。
問30:正解3
<問題要旨>
下線部③に関連して、エカチェリーナ2世の事績など、ロシア帝国の拡大政策を問う問題です。各選択肢が、どの統治者が何を成し遂げたのかに照らして正誤を判断します。
<選択肢>
①【誤】 「リシュリューを宰相とした」は、17世紀前半フランス王ルイ13世の下で活躍した宰相リシュリューを指し、ロシア帝国と無関係です。
②【誤】 「十四か条の平和原則を提唱した」は、第一次世界大戦中(1918年)にアメリカ大統領ウィルソンが示した構想であり、ロシア皇帝の事績ではありません。
③【正】 「クリミア半島を獲得した」は、エカチェリーナ2世(18世紀後半)がオスマン帝国との戦いを経てクリミアを併合した史実と合致します。
④【誤】 「インド皇帝に即位した」は、ロシア帝国の君主はインドの皇帝に即位していません。
問31:正解3
<問題要旨>
下線部④に関連して、「大量の難民が発生したルワンダ内戦の時期」を示す年表問題です。大まかな年代や国際ニュースの流れを踏まえて、該当する選択肢を判断します。
<選択肢>
①【誤】 a
②【誤】 b
③【正】 c
④【誤】 d
ここでは、ルワンダ内戦(1990~1994年)が頂点に達した1994年の虐殺事件が多くの難民を生んだとされます。そのため提示された年表の「c」の時期がそれに相当するという判断になります。
問32:正解3
<問題要旨>
下線部⑤の時期に起こった出来事として正しいものを選ぶ問題です。ソ連共産党指導者の就任時期やイギリスの社会政策などと比べ、モンゴル人民共和国の成立年(1924年)の前後関係を見ながら史実を検証する必要があります。
<選択肢>
①【誤】 「ブレジネフが、ソ連共産党第一書記に就任した」
ブレジネフは1964年に第一書記(後の書記長)に就任しており、1920年代には該当しません。
②【誤】 「イギリスで、フェビアン協会が結成された」
フェビアン協会は1884年にロンドンで結成されたため、時期が1920年代とは一致しません。
③【正】 「モンゴル人民共和国が成立した」
1924年にモンゴル人民共和制が正式に宣言され、社会主義国としての歩みを始めました。
④【誤】 「極東国際軍事裁判が開かれた」
東京裁判(極東国際軍事裁判)は第二次世界大戦後の1946~1948年に行われたもので、1920年代ではありません。
問33:正解2
<問題要旨>
下線部⑥の歴史について述べた文として正しいものを選ぶ問題です。ここではイベリア半島における「レコンキスタ(国土回復運動)」の史実などを踏まえて判断します。
<選択肢>
①【誤】 「東ゴート王国の支配下に置かれた」
東ゴート王国はイタリア半島に成立したゲルマン王国であり、イベリア半島との直接的な関係は大きくありません。
②【正】 「イスラーム勢力に対して、レコンキスタが行われた」
8世紀初頭からイベリア半島に進出したイスラーム勢力(ウマイヤ朝系)に対して、キリスト教王国が長期にわたる国土回復運動を行った史実です。
③【誤】 「ユトレヒト条約で、ジブラルタルを獲得した」
1713年のユトレヒト条約でジブラルタルを得たのはイギリスです。ここで問われているイベリア半島全体の文脈とは異なります。
④【誤】 「人民戦線政府が、スペイン内戦に勝利した」
1936年に始まったスペイン内戦は、最終的にフランコ将軍率いる反乱軍側が1939年に勝利しました。人民戦線政府は敗北しています。
問34:正解3
<問題要旨>
下線部⑦に関連して、第二次世界大戦前後の動乱期における文化人や学者、宗教関係者などの亡命について問う問題です。選択肢で取り上げられる人物の実際の亡命先や理由が合致しているかを判断します。
<選択肢>
①【誤】 「ダライ=ラマ14世が、アメリカ合衆国に亡命した」
ダライ=ラマ14世は1959年にチベット動乱後、インドに亡命しました。アメリカではありません。
②【誤】 「ジェームズ2世が、バラ戦争によって亡命した」
バラ戦争(1455~1485年)はイングランドでランカスター家とヨーク家が争った内戦で、ジェームズ2世は17世紀後半の王。亡命の原因は名誉革命(1688年)によるものです。
③【正】 「アインシュタインが、ナチ党の支配から逃れて亡命した」
ドイツ出身の理論物理学者アインシュタインは、ナチス政権が成立すると1933年にドイツを離れ、その後アメリカへ渡りました。
④【誤】 「中国から亡命した僧満が、湖海を渡た」
歴史上有名な亡命者としては見当たらず、内容的にも不明確です。
問35:正解1
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、20世紀前半(辛亥革命~中華民国成立期)の中国における政治変動を問う問題です。具体的には、辛亥革命後に臨時大総統となった人物が誰かといった基礎史実を見極めます。
<選択肢>
①【正】 「袁世凱が、中華民国の臨時大総統に就任した」
1912年、孫文の後を受けて袁世凱が臨時大総統となり、その後正式に大総統に就任しました。
②【誤】 「浙江財閥が、中国共産党と結んだ」
浙江財閥(資本家層)が当時中国共産党と密接に連携した事実は確認しにくく、史実と合致しません。
③【誤】 「山東で、鉄道国有化に反対する運動が起こった」
鉄道国有化反対運動は、辛亥革命前夜に四川省で激化した運動が有名です。山東ではなく四川が中心でした。
④【誤】 「北京で、中華民国の成立が宣言された」
辛亥革命後の中華民国成立宣言は、当初南京を拠点として行われました。
問36:正解4
<問題要旨>
下線部⑨に関連して、第二次世界大戦後の冷戦期(1940年代後半~1980年代)の国際情勢について問う問題です。各選択肢がどの国でどのような動きがあったかを確認して、史実と照らし合わせる必要があります。
<選択肢>
①【誤】 「ブルガリアで、ドブチェクが、自由化を推進した」
ドブチェク(アレクサンデル・ドゥプチェク)はチェコスロバキアの政治指導者であり、1968年にプラハの春を主導しました。ブルガリアではありません。
②【誤】 「東ドイツが、アデナウアーの下で、主権を回復した」
アデナウアーは戦後西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首相であり、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の指導者ではありません。
③【誤】 「ソ連が、バグダード条約機構(中東条約機構)に参加した」
バグダード条約機構は、イギリスやイラク・トルコなどが加盟した反共軍事同盟(CENTO)であり、ソ連はむしろ対立する立場でした。
④【正】 「ニュージーランドが、太平洋安全保障条約(ANZUS)に参加した」
1951年、オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ合衆国でANZUS条約が結ばれ、ニュージーランドは正式加盟国となりました。