解答
解説
第1問
問1:正解3
<問題要旨>
下線部①に関連して扱われているのは、「歴史的建造物や遺跡」の建造者や建造時期などに関する知識を問う問題です。ヨーロッパやアジアの代表的な遺跡・建築物について、それぞれが誰によって・どの王朝のもとで建てられたかを正しく理解しているかがポイントになります。
<選択肢>
①【誤】
「ヴェルサイユ宮殿がフランソワ1世によって建てられた」とありますが、実際には、ヴェルサイユ宮殿は17世紀、ブルボン朝のルイ14世が本格的に建設を進めたものです。フランソワ1世は16世紀前半のフランス王で、ヴェルサイユ宮殿とは直接の関係がありません。
②【誤】
「スレイマン=モスクはタブリーズに建てられた」とありますが、通称スレイマニエ・モスクは16世紀にオスマン帝国のスレイマン1世(スレイマン大帝)によってイスタンブルに建造されたモスクです。タブリーズはかつてサファヴィー朝の都となったことがありますが、そこで建てられた代表的モスクはこの名称とは異なります。
③【正】
「アンコール=ワットはクメール人によって建てられた」は、一般に正しいとされる歴史的事実です。アンコール=ワットは12世紀前半、クメール王朝のスールヤヴァルマン2世の時代に建立が進められたヒンドゥー寺院として知られます。
④【誤】
「アルハンブラ宮殿がセルジューク朝によって建てられた」とありますが、アルハンブラ宮殿はイベリア半島のグラナダに所在し、13〜14世紀にナスル朝によって建設が進められたイスラーム建築です。セルジューク朝は主にイランやアナトリア地方などで勢力を伸ばした王朝であり、アルハンブラ宮殿の建築に直接関わったわけではありません。
問2:正解4
<問題要旨>
下線部②に関連して扱われているのは、「歴史上の反乱・独立運動・戦争」の事例を問う問題です。メキシコ独立やハイチ独立、ロシア国内の反乱、中国で起こった反乱など、地域・時代が混同しやすい事例を正しく区別できるかが求められます。
<選択肢>
①【誤】
「メキシコで、トゥサン=ルヴェルチュールが指導する独立運動が起こった」とありますが、トゥサン=ルヴェルチュールは18〜19世紀にかけてハイチ(サン=ドマング)で革命・独立運動を指導した人物です。メキシコ独立運動を率いたのはイダルゴやモレロスなどであり、トゥサンとは無関係です。
②【誤】
「ポーランドで、ステンカ=ラージンの反乱が起こった」と読める内容ですが、ステンカ=ラージンは17世紀後半のロシア(当時のロマノフ朝)におけるコサックの反乱指導者です。ポーランドではなく、ロシア国内での反乱の人物なので誤りです。
③【誤】
「フランス軍は、マルスの戦いで進撃を阻止された」とありますが、「マルスの戦い」という表現は一般的ではなく、フランス軍が進撃を阻止された代表的な戦いとしては、ナポレオン戦争期のワーテルローの戦い(対イギリス・プロイセン)や、第一次世界大戦のマルヌの戦いなどが知られます。ここで提示されている「マルスの戦い」は史実として確証が乏しく、この選択肢は誤りと判断されます。
④【正】
「黄巾の乱が、後漢で起こった」は事実です。黄巾の乱は184年に太平道の張角らが中心となり後漢末期に起こした農民反乱であり、『三国志』が扱う時代の発端となった出来事として知られています。
問3:正解2
<問題要旨>
下線部③に関連する「イギリスで起こった出来事」を、時代ごとに正しく整理できているかを問う問題です。特に16〜17世紀のイギリス史における王政や議会、革命の流れが論点となります。
<選択肢>
①【誤】
「エドワード1世が模範議会を招集した」は1285年頃から1295年にかけての出来事で、13世紀末の出来事です。17世紀のイギリス史とは時期が大きくずれます。
②【正】
「チャールズ1世が処刑された」は1649年、清教徒革命(イギリス革命)における王の処刑として有名な出来事です。これは17世紀半ばのイギリス史にあたります。
③【誤】
「ジェニー紡績機(多軸紡績機)が発明された」は18世紀後半(1764年頃)にジェームズ=ハーグリーヴズによって発明されたものです。17世紀ではなく、産業革命期にあたります。
④【誤】
「労働組合法によって、組合の法的地位が認められた」のは1870年代以降の出来事で、19世紀後半です。17世紀のイギリス革命期とは相当離れています。
問4:正解1
<問題要旨>
下線部④に関連して「朝鮮半島の歴史」を問う問題です。三国時代、高麗、李氏朝鮮、大韓帝国、近代以降など、朝鮮半島の国家の成立や条約関係を時代ごとに正確に理解しているかがポイントになります。
<選択肢>
①【正】
「高句麗・新羅・百済が並び立った時代は、三国時代と呼ばれる」は歴史的事実です。朝鮮半島では4〜7世紀頃に、高句麗・百済・新羅の三国が鼎立し、これを三国時代と呼びます。
②【誤】
「高麗は、大祚栄によって建国された」とありますが、大祚栄(だいそえい)は渤海の建国者です。高麗は918年に王建が建てた王朝です。
③【誤】
「大院君は、欧米諸国の開国要求を受け入れた」とありますが、興宣大院君(こうせんたいいんくん)は19世紀後半に鎖国政策を堅持し、欧米の開国要求に抵抗した人物として知られます。
④【誤】
「李承晩政権は、日韓基本条約を結んだ」とありますが、日韓基本条約は1965年に朴正煕(パクチョンヒ)政権下で締結されたもので、李承晩(イ・スンマン)政権ではありません。
問5:正解6
<問題要旨>
下線部⑤に関連して「冷戦期における出来事の年代の前後関係」を問う問題です。キューバ危機、チェルノブイリ原発事故、日中平和友好条約など、冷戦期後半までに起きた国際的な出来事の年代を正しく並べ替えられるかが問われます。
<選択肢で示される出来事(a~c)>
a. チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した。
b. 日中平和友好条約が締結された。
c. キューバ危機が発生した。
まず、それぞれの年代は以下とされます。
- c. キューバ危機(1962年)
- b. 日中平和友好条約(1978年)
- a. チェルノブイリ原発事故(1986年)
よって、時系列としては「c → b → a」が正しい順番になります。
<選択肢>
① a → b → c【誤】
② a → c → b【誤】
③ b → a → c【誤】
④ b → c → a【誤】
⑤ c → a → b【誤】
⑥ c → b → a【正】
「キューバ危機→日中平和友好条約→チェルノブイリ事故」の順が事実に即しており、これが正しい並びです。
問6:正解3
<問題要旨>
下線部⑥に関連して「遺跡や遺物の発見」に関する知識を問う問題です。スペインのラスコー(Lascaux)は実際にはフランスのラスコー洞窟と混同しやすい地名であり、中国で出土した兵馬俑などが、どの国・地域における発見なのかを正しく理解しているかがポイントです。
問題文中では、
a. 「スペインのラスコーで、洞穴絵画が発見された」
b. 「秦の始皇帝陵の近くで、兵馬俑が出土した」
の真偽を問うています。
<事実確認>
- 「ラスコー洞窟」はフランス南西部に位置し、先史時代の洞穴壁画で有名です。よって「スペインのラスコー」という記述は誤りといえます。
- 「秦の始皇帝陵の付近で兵馬俑が出土」は考古学的事実です。1970年代に陝西省西安近郊で大量の兵馬俑が発見され、秦の始皇帝陵に付属する副葬坑とされています。
<選択肢>
① a=正、b=正【誤】
② a=正、b=誤【誤】
③ a=誤、b=正【正】
④ a=誤、b=誤【誤】
したがって、(a)は誤り、(b)は正しいのが正解です。
問7:正解4
<問題要旨>
下線部⑦に関連するのは、「ポーランド支配下であった16世紀末ごろの歴史」とは直接の言及かどうかはともかく、そこでは“東方典礼を維持しつつ教皇の権威を認めるギリシア・カトリック教会”の成立の話が出ています。この問いでは、そこからさらに波及して「ポーランドや東欧、ロシアなどにかかわる歴史上の出来事」を正しく理解しているかが問われます。
<選択肢>
①【誤】
「コペルニクスが天動説を唱えた」は逆で、コペルニクスは16世紀に地動説(太陽中心説)を主張した人物です。天動説はそれ以前に主流だった古代ギリシア以来の宇宙観であり、コペルニクスが唱えたのは天動説の否定です。
②【誤】
「コンシュシコ(コシチューシコ)が、パリ=コミューンに参加した」は史実と異なります。タデウシュ=コシチューシコは18世紀末にポーランドで独立運動を指導した軍人で、アメリカ独立戦争にも参加しましたが、1871年のパリ=コミューンとは時代が合いません。
③【誤】
「冷戦期に、ピウスツキが政権を握った」は時代がずれます。ユゼフ=ピウスツキは第一次世界大戦・第二次世界大戦間期にかけてのポーランドで指導的立場にあった人物ですが、「冷戦期」は第二次大戦後であり、ピウスツキはすでに没後です。
④【正】
「スターリン批判をきっかけに、ポズナニで暴動が起こった」は1956年のポーランドで起こった事実と一致します。ソ連共産党第20回大会(1956年)でフルシチョフがスターリン批判を行ったことを契機として、ポーランドではポズナニ暴動(ポズナニ労働者蜂起)が発生し、東欧の政治体制にも影響を与えました。
問8:正解2
<問題要旨>
下線部⑧に関連する「歴史的建造物」のうち、特に第二次世界大戦期の強制収容所(アウシュヴィッツ)や、戦後の戦犯裁判の開催地についての知識が問われています。ナチス・ドイツによるホロコーストや戦犯への裁きの場として知られる地名を正確に押さえることが重要です。
問題文では空欄が二つあり、
- アウシュヴィッツ強制収容所は「ア( )と呼ばれるユダヤ人虐殺の舞台」
- 戦後にナチス=ドイツの指導者たちが裁かれた国際軍事裁判の開催地「イ( )」
に当てはまる語句の組合せを選ぶ問題です。
<歴史的事実>
- ナチス=ドイツによる組織的ユダヤ人虐殺を「ホロコースト」と呼ぶ。
- 戦後、ナチス戦犯を裁く国際軍事裁判が行われたのはドイツのニュルンベルク(ニュルンベルク裁判)。
- ハンブルクでは国際軍事裁判は実施されていません。
<選択肢>
① ア=ホロコースト、イ=ハンブルク【誤】
② ア=ホロコースト、イ=ニュルンベルク【正】
③ ア=レジスタンス、イ=ハンブルク【誤】
④ ア=レジスタンス、イ=ニュルンベルク【誤】
よって、アは「ホロコースト」、イは「ニュルンベルク」が正しい組合せとなります。
問9:正解2
<問題要旨>
下線部⑨に関連して、「ロシアやソ連の君主・指導者」についての史実を問う問題です。ロシア帝国時代のツァーリ(皇帝)称号、ソ連時代の共産主義指導者など、時代ごとに正しく押さえているかがポイントです。
<選択肢>
①【正】
「イヴァン3世は、ツァーリ(皇帝)の称号を用いた」こと自体は確立途上にありながらも、モスクワ大公国の大公としてビザンツ帝国継承意識を示し“ツァーリ”の称号を意識したといわれます。実際に公式に自称し始めたのはイヴァン4世(雷帝)ですが、イヴァン3世も「ツァーリ」の称号を使った例があるとされます。
②【誤】
「レーニンは、一国社会主義を唱えた」は史実と異なります。“一国社会主義”を掲げたのはスターリンが中心で、レーニンは世界革命論を重視する立場でした。スターリンがレーニンの死後に「一国社会主義」の路線を打ち出していきます。
③【正】
「ゴルバチョフが、グラスノスチを進めた」は事実です。ゴルバチョフ書記長(ソ連共産党)は1980年代後半にペレストロイカとグラスノスチ(情報公開)を推進しました。
④【正】
「ケレンスキーが、臨時政府を率いた」は1917年のロシア革命期における事実です。二月革命後に成立した臨時政府の中心的人物として知られます。
以上より、②の記述が誤りとなります。
第2問
問10:正解2
<問題要旨>
下線部①に関連して、北海・バルト海周辺の歴史について述べられた文の正否を判別する問題です。デンマーク、イングランド、フランドル、スウェーデン、オランダなど、北西ヨーロッパ各地の政治・経済の歴史的経緯を正しく理解しているかが問われます。
<選択肢>
①【誤】
「イングランド出身のクヌート(カヌート)が、デンマーク王となった」とありますが、実際にはデンマーク王クヌートがイングランドを征服してイングランド王ともなった史実が知られます。表現が逆であり、イングランド出身というのは正しくありません。
②【正】
「フランドル地方の都市は、イングランドから羊毛を輸入した」は中世以来の事実で、フランドル地方(現在のベルギー西部周辺)は毛織物産業が盛んで、羊毛を主にイングランドから輸入していました。この選択肢は歴史事実と合致します。
③【誤】
「スウェーデン王グスタフ=アドルフが、ファルツ継承戦争(プファルツ継承戦争)に参戦した」とありますが、グスタフ=アドルフは三十年戦争に介入して活躍したことで知られます。ファルツ継承戦争は17世紀末(1688〜97年)に起こった別の戦争であり、グスタフ=アドルフの時代(17世紀前半)とは時期がずれます。
④【誤】
「ジェームズ1世が航海法を制定し、オランダの中継貿易に打撃を与えた」は、実際にはクロムウェル政権(イギリス共和国期)の1651年に最初の航海法が制定されています。ジェームズ1世(在位1603〜25年)ではなく、時代が合いません。
問11:正解2
<問題要旨>
下線部②に関連して、「海外領土獲得や植民地支配」に関する諸国の動きを正しく把握しているかを問う問題です。ヨーロッパ諸国が世界各地に獲得した植民地をめぐる事実関係が主なテーマになります。
<選択肢>
①【誤】
「ブラジルが、フォークランド(マルビナス)諸島の領有をめぐってイギリスと戦った」とありますが、フォークランド諸島(マルビナス諸島)をめぐってイギリスと紛争を起こしたのはアルゼンチンです(フォークランド紛争、1982年)。ブラジルではありません。
②【正】
「ドイツが、カメルーンを獲得した」は19世紀末のアフリカ分割における事実です。ドイツは1884年にカメルーンを保護領とし、その後ドイツ領東アフリカや南西アフリカなども支配しました。
③【誤】
「フランスが、ホルムズを占領した」とありますが、ホルムズ海峡一帯は16世紀以降、主にポルトガルの影響下にありました。フランスが直接ホルムズを支配した史実は確認しづらいので誤りと考えられます。
④【誤】
「オランダが、ニューファンドランドを獲得した」とありますが、ニューファンドランド(カナダ東端)はイギリスが確保した地として知られます。オランダは北米のハドソン川流域(ニューアムステルダムなど)を中心に活動していましたが、ニューファンドランド取得とは結びつきません。
問12:正解3
<問題要旨>
下線部③に関連して、「戦争や戦いの記録が残る史料や作品」を正確に把握しているかを問う問題です。アショーカ王の石柱碑、カエサルの著作、バイユーの刺繍画、ダヴィッドの絵画など、歴史上の代表的な史料・芸術作品の内容がポイントになります。問題文では「誤っているもの」を選ぶ形式です。
<選択肢>
①【正】
「アショーカ王の石柱碑が、ガンジス川流域の各地に建てられた」は史実です。アショーカ王(マウリヤ朝、前3世紀頃)が仏教を保護し、その方針を刻んだ石柱碑を各地に残したことが知られています。
②【正】
「カエサルが、『ガリア戦記』を著した」も事実で、ローマの軍人・政治家カエサル(前1世紀)がガリア遠征を記録した有名な著作として『ガリア戦記』が挙げられます。
③【誤】
「バイユーの刺繍画(タペストリー)には、マジャール人によるイングランド征服の様子が描かれている」とありますが、バイユーの刺繍画は11世紀に起こったノルマン=コンクエスト(ノルマン人によるイングランド征服)を描いたものです。マジャール人(ハンガリー人)ではありません。よってこの記述は誤りです。
④【正】
「ダヴィッドが、『ナポレオンの戴冠式』を描いた」は、フランス革命期やナポレオン時代に活躍した画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの代表的作品の一つであり、事実として認められます。
問13:正解3
<問題要旨>
下線部④に関連して、12世紀に建国された国やそこで作られた文字に関する問題です。女真文字・満州文字・契丹文字など、北方諸民族が独自に編み出した文字体系と、その建国者に関する知識が求められます。
<選択肢>
①【誤】
「ア=耶律大石、イ=女真文字」となっていますが、耶律大石は契丹(遼)の皇族で西遼(カラ=キタイ)を建てた人物です。女真文字とは直接関係がありません。
②【誤】
「ア=耶律大石、イ=満州文字」も同様に、耶律大石が建国したのは西遼であり、満州文字を創製したのは後金(清)のヌルハチ・ホンタイジらの時代です。これも不適切です。
③【正】
「ア=完顔阿骨打、イ=女真文字」は、12世紀に女真族が建てた金(1115年建国)の事績と合致します。完顔阿骨打は金の建国者であり、女真文字も金朝期に作られました。
④【誤】
「ア=完顔阿骨打、イ=満州文字」では、満州文字は17世紀にヌルハチらが女真文字を改良して生まれたもので、12世紀の金建国当時にはまだ存在しません。
問14:正解1
<問題要旨>
下線部⑤に関連して、チンギス=ハン(もしくはその周辺の人物)の事績を問う問題です。モンゴル帝国の拡大過程で、どのような王朝や地域を攻略したかなどが問われています。
<選択肢>
①【正】
「ホラズム=シャー朝(ホラズム朝)を倒した」はチンギス=ハン自身が行った西方遠征(13世紀前半)における主要な戦果の一つです。モンゴル軍は中央アジアに勢力を拡大し、ホラズム朝を滅ぼしました。
②【誤】
「ワールシュタットの戦いで、ドイツ・ポーランドの諸侯の連合軍を破った」は、1241年に起こったレグニツァの戦い(ワールシュタット)でモンゴル軍が勝利した史実ですが、遠征を指揮したのはバトゥやスブタイらの軍で、チンギス=ハン没後の出来事です。
③【誤】
「大都を都に定めた」は、1270年代にクビライ(世祖)が元を建国して大都(現在の北京)を首都に定めたことを指します。チンギス=ハンの時代とは異なります。
④【誤】
「チャハル(チャハル部)を従えた」は後代のモンゴルで登場する部族名として知られますが、チンギス=ハンの主要な征服対象として特筆されるわけではありません。
問15:正解3
<問題要旨>
下線部⑥に関連して、ティムール(14〜15世紀)の遠征におけるオスマン帝国軍との戦い(アンカラの戦い)と、その戦場の地理的位置を正しく認識しているかを問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
「プレヴェザ a」となっていますが、プレヴェザはバルカン半島の西岸寄り(ギリシアの西側)で、1538年にオスマン海軍がスペイン等に勝利した海戦で有名な場所です。
②【誤】
「プレヴェザ b」も同様に、bの位置がアナトリア中央付近を示すとは考えにくく、プレヴェザの場所と対応しません。
③【正】
「アンカラ a」は、ティムールが1402年にアンカラ(アナトリア中央部)でオスマン帝国のバヤジット1世を破った「アンカラの戦い」と史実が合致します。地図上でも中央アナトリアを指す地点がaであれば妥当です。
④【誤】
「アンカラ b」は位置的にアナトリア中央部ではなく、地図が示すb地点はバルカン半島方面と推定されるため、誤りです。
問16:正解3
<問題要旨>
下線部⑦に関連して、インドの王朝・政治勢力の動向を正しく理解しているかを問う問題です。ムガル帝国の領土の最大期、南インドのチョーラ朝、イギリス東インド会社の拠点、ヴィジャヤナガル王国の交易内容などが取り上げられています。
<選択肢>
①【誤】
「ムガル帝国は、アクバルの時代に領土が最大となった」とありますが、ムガル帝国が最大領域を達成したのは17世紀末〜18世紀初頭のアウラングゼーブの時代とされます。アクバル期ではまだ完全には最大領域に至りません。
②【誤】
「チョーラ朝は、清に使節を派遣した」とありますが、チョーラ朝(9〜13世紀)は中国の宋(特に北宋)との交流は記録されていますが、「清」(17〜20世紀)とは時代が明らかに合いません。
③【正】
「イギリス東インド会社は、マドラスに拠点を築いた」は17世紀前半にイギリス東インド会社がインド南東岸(コロマンデル海岸)にマドラス(現チェンナイ)を拠点として建設した史実に合致します。
④【誤】
「ヴィジャヤナガル王国は、インド洋交易で大量の馬を輸出した」は事実と異なり、ヴィジャヤナガル王国は騎兵力を強化するためにアラブやペルシア方面から馬を輸入していました。輸出ではなく輸入に依存していた点が知られています。
問17:正解1
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、歴史書や歴史学に関する記述の正否を問う問題です。古代・中世・近代の歴史家が何を著したか、あるいはどのような学問的手法を確立したかといった知識がポイントになります。問題は「誤っているもの」を選ぶ形式です。
<選択肢>
①【誤】
「ヘロドトスは、ササン朝との戦争を扱った歴史書を著した」とありますが、ヘロドトス(前5世紀頃)は『歴史』を著し、主にアケメネス朝ペルシア(前6世紀〜前4世紀)とギリシアの戦争(いわゆるペルシア戦争)を扱っています。ササン朝(3〜7世紀)は時代が後であり、ヘロドトスの扱う対象ではありません。よってこれは誤りです。
②【正】
「司馬遷は、『史記』を著した」は中国前漢時代の史官である司馬遷が、黄帝から武帝までの通史『史記』を著した事実と合致します。
③【正】
「イブン=ハルドゥーンは、『世界史序説』(『歴史序説』)を著した」は事実で、イスラーム世界を代表する歴史家・哲学者であるイブン=ハルドゥーン(14世紀)が『ムカッディマ(序説)』を書き、そこから『世界史』本編につなげました。
④【正】
「ランケは、史料批判に基づく近代歴史学の基礎を築いた」はドイツの歴史家ランケ(19世紀)による実証主義的な歴史学の確立を指し、正しい評価とされています。
問18:正解1
<問題要旨>
下線部⑨に関連して、「貴族」の呼称や身分制度の歴史的事例を正しく把握しているかを問う問題です。プロイセン、古代ローマ、宋代、フランス革命前のアンシャン=レジーム(旧制度)などの貴族呼称・身分構造がポイントとなります。
<選択肢>
①【正】
「プロイセンの地主貴族(領主)は、ユンカーと呼ばれた」は事実で、プロイセン領内では地主層をユンカー(Junker)と呼び、後にプロイセンの軍国主義的伝統を支える層にもなりました。
②【誤】
「古代ローマの貴族は、プレブスと呼ばれた」は誤りです。古代ローマで貴族を指すのはパトリキ(パトリキウス)であり、プレブスは平民(平民階級)を意味します。
③【誤】
「宋代に、土夫にかわって貴族が台頭した」は具体的な史実とは合致しません。宋代には科挙官僚層(士大夫)が台頭したとされますが、「土夫」という表現は一般的ではなく、誤りとみなされます。
④【誤】
「アンシャン=レジームでは、貴族は第一身分とされた」は間違いです。フランス革命前の身分制度では、第一身分は聖職者、第二身分が貴族、第三身分が平民でした。よって貴族は第二身分にあたります。
第3問
問19:正解3
<問題要旨>
下線部①が述べるのは、北米大陸における経済政策や開発事業などに関する歴史的事実です。アメリカ合衆国で行われた公共事業や産業構造の変化などを踏まえて、どの選択肢が最も適当かを判別する問題となっています。
<選択肢>
①【誤】
「第一次世界大戦の影響で、債権国から債務国に転じた」とありますが、実際はアメリカ合衆国は第一次世界大戦後に国際金融の中心となり、債権国として世界経済に影響力を拡大していきました。
②【誤】
「革新主義の影響で、企業の独占が推進された」は、革新主義(プログレッシブ運動)下で独占資本への規制や改革も行われたため、一般的に“独占が推進された”という表現は不適切です。むしろ、独占への警戒感が強まり、反トラスト法などの施策も進められました。
③【正】
「テネシー川流域開発公社(TVA)の設立で、雇用の拡大が図られた」は1930年代のニューディール政策の一環としての事実です。TVAは公共事業による失業対策や地域開発を目的とし、雇用創出にも貢献しました。
④【誤】
「アメリカ=イギリス戦争(米英戦争)の影響で、工業化が抑制された」とありますが、米英戦争(1812〜14年)期にはむしろ輸入品が途絶する中で国内工業化が促進された側面もあり、工業化が抑制されたとはいえません。
問20:正解3
<問題要旨>
下線部②が述べるのは、独立運動に関する事例です。ヨーロッパ列強の支配からの独立、または周辺大国との抗争に勝利して独立を達成した歴史的事実を正しく区別できているかを問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
「モザンビークが、イタリアから独立した」は誤りです。モザンビークはポルトガルの植民地であり、1975年にポルトガルから独立しました。イタリアの植民地ではありません。
②【誤】
「ギリシアが、オーストリアから独立した」は事実と異なります。ギリシアは19世紀前半にオスマン帝国から独立を果たしました(ギリシア独立戦争)。オーストリアとは無関係です。
③【正】
「黎朝が、明軍を破って独立した」は、15世紀にベトナムで成立した黎朝が明軍を駆逐して自立したという歴史に合致します。胡朝滅亡後の混乱を経て、黎利が明を追い出して黎朝を開いたことが知られています。
④【誤】
「シンガポールは、インドネシアから独立した」は誤りで、シンガポールはイギリスの植民地を経て1965年にマレーシア連邦から分離独立した国です。インドネシアから独立したわけではありません。
問21:正解1
<問題要旨>
下線部③が述べるのは、1920〜30年代のイギリスの経済政策と、それに関連した輸入統計の動き(グラフ)についてです。特にイギリスが世界恐慌を受けて保護貿易や経済ブロックを形成していく過程(イギリス連邦経済会議、オタワ会議)をどう捉えているかがポイントになります。
<選択肢>
①【正】
「イギリス連邦経済会議(オタワ連邦会議)― a」は、1932年に開かれたオタワ会議によってイギリス帝国特恵関税制度が採用され、イギリス連邦内での保護主義を強化する動きが加速しました。グラフ中のaの折れ線がカナダからの輸入額を示すので、イギリス連邦との取引拡大を示していると考えられます。
②【誤】
「イギリス連邦経済会議(オタワ連邦会議)― b」では、bがカナダを示す線だとした場合の説明と齟齬が生まれるため、不適切です。
③【誤】
「ダンバートン=オークス会議― a」は、第二次世界大戦中の連合国による国際連合構想に関する会議(1944年)で、1920〜30年代のイギリス経済対策とは時代も趣旨も合いません。
④【誤】
「ダンバートン=オークス会議― b」も同様に、時代背景が合わず不適切です。
問22:正解2
<問題要旨>
下線部④が述べるのは、ヨーロッパやアメリカにおける国際関係や領土問題などに関する史実を問う内容です。近世〜近現代にわたる領土併合や国家連合、また国際的合意に基づく組織の成立などが論点になります。
<選択肢>
①【誤】
「メアリ1世治世下で、イングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン王国が成立した」は誤りです。イングランドとスコットランドの合同は1707年の合同法によるもので、アン女王時代のことです。
②【正】
「アメリカ合衆国によるテキサス併合を契機に、アメリカ=メキシコ戦争が起こった」は事実です。1845年のテキサス併合の翌年に米墨戦争が勃発しました(1846〜48年)。
③【誤】
「フランスとイタリアは、トリエステ・南チロルの領有をめぐって対立した」は、トリエステや南チロルをめぐって対立したのは、主にイタリアとオーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)です。フランスではありません。
④【誤】
「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)を基に、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)が結成された」は史実と異なります。ECSC(1951年)からEEC(1958年)〜ECへと発展しましたが、EFTA(1960年)はイギリスなどが別に結成したもので、ECSCを直接基盤としたものではありません。
問23:正解1
<問題要旨>
下線部⑤に関連して、ヨーロッパで大きな領土を支配した王家の支配地域を地図(a・b)で比較し、その王家の名と時期を正しく組み合わせる問題です。ここでは16世紀半ばの大領土と、18世紀半ばの領土とを照らし合わせる必要があります。
<選択肢>
①【正】
「ハプスブルク家 a=16世紀半ば、b=18世紀半ば」は、カール5世の時代(16世紀半ば)にスペインや神聖ローマ帝国、南イタリア、ネーデルラントなど広大な領土を支配していた領域(地図a)と、18世紀半ばのオーストリア・ハプスブルク家の領土(地図b)とが一致すると考えられます。
②【誤】
「ハプスブルク家 a=18世紀半ば、b=16世紀半ば」は順序が逆です。
③【誤】
「ブルボン家 a=16世紀半ば、b=18世紀半ば」では、16世紀半ばにブルボン家がヨーロッパ各地にまたがるほどの広大な領土を統合していたわけではなく、フランス王家となるのはアンリ4世以降(16世紀末)です。
④【誤】
「ブルボン家 a=18世紀半ば、b=16世紀半ば」も順序の問題に加え、ブルボン家の支配領域と16世紀半ば・18世紀半ばの地図の領域が合致しません。
問24:正解4
<問題要旨>
下線部⑥に関連して、オスマン帝国の歴史的条約・通商特権・軍事制度・世界大戦での参戦などに関する正誤を問う問題です。どの記述が事実に合致するかが論点となります。
<選択肢>
①【誤】
「カルロヴィッツ条約で、エジプトを失った」は誤りです。1699年のカルロヴィッツ条約はオスマン帝国がハンガリーの大半などを失った条約で、エジプトに直接関係するものではありません。
②【誤】
「カピチュレーションと呼ばれる通商特権を、ムスリム商人に与えた」は史実と異なります。カピチュレーションは主にヨーロッパ諸国や外国人商人に関税面や裁判面での特権を与えるものでした。
③【誤】
「軍管区制(テーマ制)で、軍人に土地からの徴税権が与えられた」はビザンツ帝国で施行された制度の呼称で、オスマン帝国のティマール制と混同しています。テーマ制は東ローマ(ビザンツ)の仕組みです。
④【正】
「第一次世界大戦に、同盟国側で参戦した」は史実通りです。オスマン帝国は1914年に中央同盟国(独・墺)側として参戦しました。
問25:正解2
<問題要旨>
下線部⑦に関連する「巡礼」にまつわる歴史的事例を問う問題です。サンティアゴ=デ=コンポステラ巡礼、イスラーム世界での巡礼者、アメリカに渡ったピルグリム=ファーザーズ、アフリカ西部のイスラーム君主の巡礼などがポイントになります。
<選択肢>
①【誤】
「古代ローマで、サンティアゴ=デ=コンポステラへの巡礼熱が高まった」は時代が不適切です。サンティアゴ=デ=コンポステラ巡礼が盛んになったのは中世のキリスト教世界においてで、古代ローマ期とは大きく異なります。
②【正】
「巡礼の旅をしたイブン=バットゥータは、『大旅行記』(『三大陸周遊記』)を残した」は事実で、14世紀のモロッコ出身の旅行家イブン=バットゥータが約30年にわたる旅行をまとめた旅行記を著しました。
③【誤】
「ピルグリム=ファーザーズ(巡礼の父祖)と呼ばれるカトリック教徒の一団が、アメリカに渡った」は、ピルグリム=ファーザーズはイギリス国教会からの分離派(ピューリタンの一種)であって、カトリック教徒ではありません。
④【誤】
「ソンガイ王国のマンサ=ムーサは、巡礼の途中で大量の金を使用した」とありますが、大量の黄金を携えてメッカ巡礼を行ったのはマリ王国の王マンサ=ムーサ(14世紀)として有名です。ソンガイ王国ではなく、マリ王国の出来事なので誤りです。
問26:正解1
<問題要旨>
下線部⑧の対外関係として、どの地域で誰を撃退・制圧したかなどを問う問題です。特に中東・地中海世界における勢力拡大や衝突の記述が焦点となります。ここではマムルーク朝によるモンゴル軍撃退が代表例として挙げられることが多いです。
<選択肢>
①【正】
「シリアで、モンゴル軍を撃退した」は、1260年のアイン=ジャールートの戦いでマムルーク朝軍がモンゴル軍を破った歴史的事実を指すと考えられます。
②【誤】
「十字軍を破り、イェルサレムを奪回した」はサラディン(アイユーブ朝)による事跡として有名ですが、下線部⑧が直接示す文脈とは異なり、また表現が限定的すぎる面もあります。
③【誤】
「北インドへの侵略を繰り返した」は、トルコ系王朝やティムール勢力などが北インドへ侵攻した事例はありますが、ここでの論点は中東世界との関わりであり、誤りとみなされます。
④【誤】
「アナトリアへ進出して、ビザンツ帝国を圧迫した」はセルジューク朝やオスマン帝国が行った動きで、マムルーク朝などの文脈としては当てはまりません。
問27:正解4
<問題要旨>
下線部⑨に関連して、「政治的・宗教的な権威や権力」に関する史実を問う問題です。古代エジプト・キリスト教会・中国思想・イスラーム王朝など、各時代・地域での権威の在り方がテーマとなります。
<選択肢>
①【誤】
「新王国時代に、ファラオの権力を象徴するピラミッドが建造された」は、古王国時代(前27〜前22世紀)を中心にピラミッドが多数建造され、新王国時代(前16〜前11世紀)には王家の谷など別の埋葬様式が主流でした。
②【誤】
「ニケーア公会議で、教皇の至上権が再確認された」は、325年のニカイア公会議で議題となったのは主にアリウス派の異端問題であり、当時まだローマ教皇の至上権が公会議で確認されるような段階にはありません。
③【誤】
「墨家は、強大な権力を持つ君主が、法により統治を行うべきだと主張した」は、法家の思想に近い表現です。墨家は兼愛・非攻などを説き、強力な法治主義を説いたわけではありません。
④【正】
「ファーティマ朝は、アッバース朝の権威を否定して、カリフの称号を用いた」は史実です。10〜12世紀頃、北アフリカ・エジプトを本拠としたファーティマ朝はシーア派王朝として独自にカリフを称し、アッバース朝(スンナ派)のカリフの正統性を認めませんでした。
第4問
問28:正解1
<問題要旨>
下線部①に関連する設問では、古代ギリシアのポリス間戦争やペルシア戦争、デロス同盟などの歴史を正しく理解しているかが問われています。アテネやスパルタの覇権争い、さらにはマケドニア台頭以前の諸戦いについて、史実との整合性を見極めることがポイントです。
<選択肢>
①【正】
「ペロポネソス戦争で、スパルタはペルシアの支援を受けた」は史実と合致します。ペロポネソス戦争(前431〜404)後半、アテネを倒すためにスパルタはペルシアからの資金援助を得て海軍を整えました。
②【誤】
「カイロネイアの戦いで、アテネ・テーベ連合軍はマケドニアに勝利した」は逆です。前338年のカイロネイアの戦いでは、フィリッポス2世率いるマケドニア軍がアテネ・テーベ連合軍を破りました。
③【誤】
「テミストクレスが、アクティウムの海戦でペルシア軍に勝利した」は誤りです。テミストクレスは前5世紀のサラミスの海戦などで活躍したアテネの将軍です。一方、アクティウムの海戦(前31年)はローマ内戦の場であり、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)がアントニウスとクレオパトラを破った戦いです。
④【誤】
「スパルタを盟主として、デロス同盟が結成された」は誤りです。デロス同盟はペルシアに対抗するためにアテネを中心として結成された同盟(前5世紀前半)であり、スパルタは関与していません。
問29:正解3
<問題要旨>
下線部②に関連する設問では、ゲルマン諸王国の建国・滅亡や、フランク王国の出来事(「ピピンの寄進」)などを含む年表の区切りを正しく把握しているかが問われます。ここでは「ピピンの寄進」が行われたおよそ8世紀中頃が、与えられた選択肢(a〜d)のどこに該当するかを論じています。
<選択肢>
① a【誤】
「a=568年ランゴバルド王国建国」のあたりは6世紀であり、ピピンの寄進(8世紀中頃)とは大きく時代が異なります。
② b【誤】
「b=711年西ゴート王国滅亡」のあたりは8世紀初頭で、ピピンの寄進は756年前後とされるため、直接は該当しません。
③ c【正】
「c=804年アルクィン没」までの時期(b〜cの間が8世紀半ばに相当)として、756年頃のピピンの寄進がこの区間に収まります。
④ d【誤】
問題文に具体的な年が示されていませんが、8世紀半ばではなく、さらに後の時期を指す可能性が高く、ピピンの寄進との直接的なつながりは薄いと考えられます。
問30:正解3
<問題要旨>
下線部③に関連して、「社会や政治への風刺・批判」を行った歴史的な例を問う問題です。文芸作品や有名な言葉によって権力者や政治体制を批判・揶揄した事例を正しく判別します。
<選択肢>
①【誤】
「ラブレーは、『愚神礼讃』で教会を風刺した」は誤りです。『愚神礼讃(愚神礼賛)』はエラスムスの著作であり、ラブレーの代表作は『ガルガンチュアとパンタグリュエル』などです。
②【誤】
「イギリス領北アメリカ植民地の人々は、『代表なくして課税なし』を主張して全権委任法を撤回させた」は表現が不自然です。イギリスが撤回したのは印紙法やタウンゼンド諸法であり、「全権委任法」という呼称はナチス政権下ドイツの例などを想起させ、史実と合いません。
③【正】
「ウィーン会議は、『会議は踊る、されど進まず』と風刺された」は有名な言い回しで、1814〜15年に開かれたウィーン会議が各国の利害調整に時間を要し、舞踏会が多かったことから生まれた風刺です。
④【誤】
「ヘシオドスが、政治を風刺する喜劇を作った」は誤りです。ヘシオドス(前8世紀頃)は叙事詩『神統記』や『仕事と日々』を書いた詩人であり、アリストファネスのような喜劇作家ではありません。
問31:正解1
<問題要旨>
下線部④の時期に起こった出来事として、いくつかの中国史の大乱や政治改革を挙げ、どれが該当時期にあたるかを問う問題です。漢代・晋代・唐代・五代十国などの時期の乱や制度を取り違えないかがポイントとなります。
<選択肢>
①【正】
「呉楚七国の乱が起こった」は、前154年に漢の景帝時代に起こった地方諸侯(呉・楚など七国)の反乱を指しており、漢代の初期に属する出来事です。
②【誤】
「三省・六部が設けられた」は隋・唐代に定着した官制であり、漢代の時期には存在していません。
③【誤】
「土木の変が起こった」は明代の15世紀中頃(1449年)に起こった事件であり、漢代ではありません。
④【誤】
「八王の乱が起こった」は西晋時代(3世紀末〜4世紀初頭)の内乱です。漢代には該当しません。
問32:正解4
<問題要旨>
下線部⑤に関連して、「中国の学問や文化史」について扱った選択肢が提示されています。明清時代の学問や、儒教経典の扱いなどを正確に区別できるかが主眼です。
<選択肢>
①【誤】
「顧炎武が、陽明学の基礎を築いた」は誤りです。顧炎武(17世紀・清初)は考証学(実証的な経学研究)で知られ、陽明学の創始や基礎とは無関係です。
②【誤】
「韓愈が、四書五経体の復興を唱えた」も適切ではありません。唐代の韓愈は古文復興運動を推進しましたが、ここでいう「四書五経体の復興」とは表現が不自然です。
③【誤】
「『四庫全書』が、明朝で編纂された」は誤りです。『四庫全書』は清の乾隆帝の時代(18世紀)に編纂されました。
④【正】
「四書が、朱子学で重んじられた」は正しい知識です。南宋の朱熹(朱子)は『四書章句集注』を著して四書(大学・中庸・論語・孟子)を特に重視しました。
問33:正解3
<問題要旨>
下線部⑥に関連して、「宗教や信仰の歴史」における重要な出来事や布教状況を問う問題です。特に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の聖像崇拝禁止令や、東アジア・中央アジアの王朝がどの宗教を国教としたかなどに注意する必要があります。
<選択肢>
①【誤】
「雲崗に、道教の石窟寺院が築かれた」は誤りです。雲崗石窟は主に北魏時代に造営された仏教の石窟遺跡として有名です。
②【誤】
「神聖ローマ帝国で、ミトラ教が流行した」は時代も場所も合いません。ミトラ教は古代ローマ帝国期(1〜4世紀頃)に軍人層などに信仰されましたが、中世以降の神聖ローマ帝国ではありません。
③【正】
「レオン3世が、聖像禁止令(聖像崇拝禁止令)を発布した」は史実です。ビザンツ帝国の皇帝レオン3世は726年頃、聖像崇拝禁止令を出してイコノクラスム(聖像破壊運動)を引き起こしました。
④【誤】
「ガザン=ハンが、ユダヤ教を国教とした」は誤りです。ガザン=ハン(イル=ハン国)は1295年にイスラームへ改宗し、以降はイスラームを国教化しました。ユダヤ教ではありません。
問34:正解3
<問題要旨>
下線部⑦に関連して、「古代インドの太陽神」や「インカ帝国の皇帝に関する太陽信仰」が正しく理解されているかを問う問題です。ここではa・bそれぞれの文が正しいか誤りか、その組合せを選びます。
<文 a・b>
a.「古代インドで、太陽神ラーが信仰された。」
b.「インカ帝国で、皇帝は太陽の化身(太陽の子)とされた。」
<選択肢>
① a=正、b=正【誤】
ラーはエジプト神話の太陽神です。インドの太陽神はスーリヤなどが挙げられます。aは誤り。
② a=正、b=誤【誤】
aが誤りと判明しているため、この組合せは不適切です。
③ a=誤、b=正【正】
aは誤り、bはインカ皇帝が太陽の子とされた史実に合致します。
④ a=誤、b=誤【誤】
bは正しいので、これも不適切です。
問35:正解2
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、「ヨーロッパ勢力によるアメリカ大陸への進出」をめぐる出来事を問う問題です。コンキスタドールによる中南米征服や、先住民への対応、条約などを正確に捉えているかが求められます。
<選択肢>
①【誤】
「ピサロが、アステカ王国を征服した」は誤りです。アステカ王国(現在のメキシコ)を滅ぼしたのはコルテス(1521年)。ピサロは1530年代にインカ帝国(現在のペルー)を征服しました。
②【正】
「ラス=カサスが、先住民の救済に努めた」はスペイン人宣教師ラス=カサス(1484?〜1566年)の活動として史実に合致します。先住民の酷使や虐待に反対し、スペイン国王にも救済を訴えました。
③【誤】
「ポトシで、ダイヤモンド鉱山が開発された」は誤りです。ポトシ(現在のボリビア)は銀山で世界的に有名でした。ダイヤモンドではありません。
④【誤】
「オランダとの間で、トルデシリャス条約が結ばれた」は事実に反します。トルデシリャス条約(1494年)はスペインとポルトガルの間で勢力範囲を定めた条約です。
問36:正解3
<問題要旨>
下線部⑨の終結以前に起こった出来事として、主に20世紀の国際情勢に関わる重要なイベントをどの順番で捉えるかを問う問題です。ここではドイツ軍によるスペイン・ゲルニカ爆撃(1937年)などが注目されています。
<選択肢>
①【誤】
「第1回先進国首脳会議(サミット)が開催された」は1975年の出来事です。
②【誤】
「アフリカ統一機構(OAU)が結成された」は1963年です。
③【正】
「ドイツ軍が、スペインのゲルニカを爆撃した」は1937年のスペイン内戦期の出来事であり、他の選択肢より早い時期に該当するため「終結以前に起こった」事例として適合します。
④【誤】
「トルーマン=ドクトリンが発表された」は1947年の出来事です。