2024年度 大学入学共通テスト 本試験 世界史A 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

問1:正解③

<問題要旨>
この設問は、19世紀前半から1830年頃までにフランスで行われた王号の変化を論じた資料に基づき、その王号の違い(「フランスの王」か「フランス人の王」か)と、同時期に起こった出来事(ベルギー独立や立憲君主政の成立など)との組合せを正しく判断する問題である。
資料中では、王権の正統性が「国民」に基づく称号「フランス人の王」へと変化することが示唆され、これは1830年の七月革命後のルイ=フィリップに関係する。さらに同時期にはベルギー独立(1830年)といった出来事も関連するため、史実との対応が求められる。

<選択肢>
① 「ア=フランス人の王」「イ=フランスの王」とし、あ=ベルギー独立を関連づける
 フランス革命後、七月革命によって迎えられたルイ=フィリップは「フランス人の王」を名乗った。よって新たな王は「フランス人の王」となるべきで、これに対応するのは「イ」であるべきところが①では逆になっている。また、称号と出来事の時期的整合性からも不自然である。

② 「ア=フランス人の王」「イ=フランスの王」とし、い=普通選挙に基づく立憲君主政成立を関連づける
 ②も①と同様に「ア」と「イ」の対応が逆である。さらに当時のフランスは制限選挙による立憲君主政であり、ここで提示される「い」の内容(普通選挙に基づく立憲君主政成立)は史実と食い違う。

③ 「ア=フランスの王」「イ=フランス人の王」とし、あ=ベルギー独立を関連づける
 「フランスの王」を旧来の王号、「フランス人の王」を七月革命後のルイ=フィリップの称号とすると、この対応は整合的である。1830年はまさにベルギー独立が生じた年であり、時期的・歴史的なマッチングも適切である。

④ 「ア=フランスの王」「イ=フランス人の王」とし、い=普通選挙に基づく立憲君主政成立を関連づける
 ④は③と称号の対応は正しいが、いの出来事は当時のフランス史と齟齬がある。七月王政期には制限選挙制であり、普通選挙による立憲君主政はその後の歴史的展開と符合しない。

よって称号と出来事の両面から適切な組合せは③である。

問2:正解④

<問題要旨>
この設問は、資料中で扱われるエジプト近代化に関わる出来事を年代順に並べる問題である。提示された「う」「え」「お」の各出来事を、19世紀前半~後半、そして20世紀初頭以降のエジプト・中東世界の歴史的展開に照らして正しい順序に並べる必要がある。

<出来事の整理>

  • 「え」:ムハンマド=アリーが欧州的軍事改革を行い、近代化を進めた19世紀前半の出来事。
  • 「お」:ウラービー(ウラービー・パシャ)の蜂起(1881-82年頃)。
  • 「う」:ワフド党による独立運動(20世紀初頭~第一次大戦後)。

19世紀前半のムハンマド=アリー改革(え)が最も古く、19世紀末のウラービー蜂起(お)が中間、そして20世紀初頭以降のワフド党独立運動(う)が最後に位置する。

<選択肢>
え→お→う の順で並べている選択肢が適切であるため、これに対応する選択肢が正解となる

問3:正解①

<問題要旨>
タフターワーウィーが述べる「この近代化に関わる問題」に対応して、イスラーム世界各地で近代化や西欧列強への対応として起こった思想・運動・政治的動きを理解し、その中で最も適当なものを選ぶ問題である。

<選択肢>
① アフガーニーが、ヨーロッパ列強に抵抗するためムスリムの団結を訴えた。
 正:アフガーニーは19世紀末にパン=イスラーム主義を唱え、西欧列強に対抗するイスラーム世界の近代化と団結を訴えた。この流れはタフターワーウィーの問題提起する「イスラーム世界の近代化への対応」に該当する。

② ムスタファ・ケマルが文字改革を行い、アラビア文字を導入した。
 誤:ケマルはオスマン帝国崩壊後トルコ共和国を建設し、アラビア文字からローマ字への文字改革を行った(逆方向)。したがって誤り。

③ アラビア半島を中心に、西欧をモデルとする改革運動であるワッハーブ運動が見られた。
 誤:ワッハーブ運動は18世紀後半以降のイスラーム改革運動であり、西欧モデルではなくイスラームの純化を目指した運動である。

④ イランの立憲革命により成立した政体が、アメリカ合衆国の干渉により崩壊した。
 誤:イラン立憲革命(1905-11)で立憲政治体制が成立したが、その後の複雑な国際関係で英露などの影響はあったが、アメリカの干渉により即崩壊というのは不適当。

問4:正解③

<問題要旨>
文中の「ウ」の戦争が何であるかを踏まえ、それに関する出来事を正しく述べた選択肢を選ぶ問題である。ここでは日清戦争(1894-1895年)を想定させる記述から、その講和条約(下関条約)による領土割譲について正しく理解することが求められる。

<選択肢>
① 琉球の住民が台湾で殺害されたことを理由に日本が出兵したことから、この戦争が始まった。
 誤:これは1874年の台湾出兵に関する記述であり、日清戦争自体の直接原因ではない。

② 日本はドイツの租借地がある青島を占領した。
 誤:青島(膠州湾)はドイツが1898年に租借したが、日清戦争後の話題とは直接関係がない(日中戦争前後の出来事に近い)。

③ この戦争の講和条約によって、澎湖諸島が中国から日本に割譲された。
 正:日清戦争後の下関条約(1895)で清は台湾・澎湖諸島を日本に割譲している。よってこれが正解。

④ アメリカ合衆国の大統領の調停によって講和条約が結ばれた。
 誤:日清戦争の講和はアメリカ調停ではなく、直接清と日本が下関で条約締結。

問5:正解②

<問題要旨>
魯迅の「藤野先生」の発表年、および日中関係史上の出来事(あ・い)について、年代を古い順に正しく配列する問題である。「あ」は義和団事件(1900年)を背景とする出来事、「い」は満洲国建国(1932年)を背景とする出来事に関わる。『藤野先生』の発表は1920年代後半で、これらの間に位置する。

<出来事>

  • あ:扶清滅洋を唱える組織(義和団)の行動をきっかけに列強が出兵(1900年前後)
  • 『藤野先生』発表(1926年)
  • い:清朝最後の皇帝溥儀が満洲国執政となる(1932年)

<選択肢>
2:あ → 『藤野先生』 → い
 正:1900年(あ)→1926年『藤野先生』→1932年(い)の順序が正しい。。

問6:正解②

<問題要旨>
特定の都市に関する歴史的事実(「う」「え」の文)を正誤判定し、その組合せを選ぶ問題である。問題文中の文脈から、この都市は清末から中華民国初期にかけて重要な政治的舞台となった都市と推測でき、関連する太平天国の都(南京を天京とした)や李自成の動静についての正確な理解が求められる。

<検討>

  • 「う」にある太平天国が都を置いた事実は南京(天京)に関する歴史的事実として確かであるため正しい。
  • 「え」にある李自成による占領に関する記述は、同一都市への直接的な正確性が問題となる。一般的に李自成は北京を占領したが、ここで想定されている都市への占領関係が文脈的に不一致である場合、その記述は誤りとなる。

「う」正、「え」誤という組合せが整合的である。

第2問

問7:正解①

<問題要旨>
この問では、空欄「ア」に挿入する国が、資料で扱われているバルカン戦争(第一次・第二次バルカン戦争)を背景として、領土問題に関わる歴史的経緯をもつ国であることが示唆されている。バルカン地域では、オスマン帝国をはじめとする列強の支配や領土喪失が近代史の大きな文脈となっており、提示された文例は、その国の近代以前からの領土喪失や再編成に関する史実を反映する必要がある。

<選択肢>
① カルロヴィッツ条約で、領土を失った。
 正:カルロヴィッツ条約(1699)は、オスマン帝国がヨーロッパ諸国に対して初めて大規模な領土譲歩を行った条約で、バルカン地域を含む同帝国の縮小につながった。バルカン諸国の近代史と関連深い。

② レザー=ハーンがクーデターを起こして政治の実権を握った。
 誤:これは20世紀前半のイラン(ペルシア)の動きであり、バルカン地域との関連が弱い。

③ コーカンド、ブハラ、ヒヴァの3ハン国を支配下に置いた。
 誤:これらは中央アジア地域でロシアが勢力を拡大した事例であり、バルカン半島の文脈とは異なる。

④ イギリス人へのタバコ利権の売却に対してボイコット運動が起こった。
 誤:タバコ・ボイコット運動は19世紀末のイランでの出来事。バルカン地域ではない。

以上より、オスマン帝国がカルロヴィッツ条約で領土を失った史実を示す①が当該空欄に適する。

問8:正解①

<問題要旨>
図1・図2では、第一次バルカン戦争と第二次バルカン戦争が風刺画で表されている。問8は、両図に描かれた国々の関係性や、どの国がどのような象徴で示されているかを比較し、もっとも適当な記述を選ぶ問題である。

<選択肢>
① 図1で4人の軍人として描かれている国々は、図2で4匹の犬として描かれている国々と同一である。
 正:図1は第一次バルカン戦争でオスマン帝国(怪物)を打ち負かしたバルカン同盟4国を兵士として表現している。一方、図2は第二次バルカン戦争でこれら同盟国が互いに争う様子を犬にたとえている。よって4人の軍人=4匹の犬という対応が成立する。

② 図1で4人の軍人と1匹の怪物として描かれた国々は、図2ではいずれも描かれていない。
 誤:図2には第一次バルカン戦争の勝利国同士が犬として登場している。

③ 図1で怪物として描かれている国は、図2で中央の犬として描かれている国と同一である。
 誤:図1の怪物はオスマン帝国だが、図2の中央の犬は第二次バルカン戦争で敗戦国となる側であり、オスマン帝国ではない。

④ 図1で怪物として描かれている国は、図2では中央の犬を襲う3匹のうち1匹として描かれている。
 誤:オスマン帝国は第二次バルカン戦争では再登場していない風刺的設定と考えられる。

よって、同一のバルカン同盟4国を異なるメタファー(兵士→犬)で描いた①が適切である。

問9:正解②

<問題要旨>
川島さん・中野さんのメモは、列強の介入がバルカン諸国の領土問題を複雑にし、第二次バルカン戦争後も問題が解決せず、むしろ列強間対立が深まる過程が描かれている。この問では、2人のメモ内容を比較し、それぞれが適切に史実や文脈を要約できているかを判断する。

<選択肢>
① 川島さんのみ正しい。
② 中野さんのみ正しい。
③ 二人とも正しい。
④ 二人とも誤っている。

ここで、川島さんのメモは「第二次バルカン戦争の勝敗国のうち1か国が宣戦布告して第一次世界大戦が勃発」という因果を直結しているようだが、実際は第二次バルカン戦争後の諸問題は複雑で、直接的に1国の宣戦が第一次世界大戦勃発に直結したわけではない。中野さんのメモは「領土問題が解決されず、中央の犬として描かれた国が同盟国側から参戦した」とするが、実際の史実に照らし、バルカンの領土問題が第一次大戦の要因の一つであることは確かであり、その国が同盟国側で参戦することは史実と合う。
よって、川島さんはやや誤解があるが、中野さんは複雑化した領土問題が、後に同盟関係に影響することを示しており、より史実に即している。よって中野さんのみ適切と判断できる。

問10:正解④

<問題要旨>
「イ」の時代のフランスにおける出来事を選ぶ問題で、ここでは19世紀末から20世紀初頭のフランス史が文脈として示唆されている。フランスは複数政体を経て第三共和政期を迎え、国民統合や制度改革が進むが、その過程で国内的な大事件として社会を二分した「ドレフュス事件」(1890年代末~1900年代初め)などが起こった。

<選択肢>
① オスマンによるパリの都市改造が行われた
 誤:オスマン男爵によるパリ大改造は第二帝政期(ナポレオン3世の時代、1850~60年代)の出来事で、第三共和政期より前。

② 国民公会が封建的特権の廃止を決議した
 誤:これはフランス革命期(18世紀末)の出来事。

③ ベトナム民主共和国との間でインドシナ戦争が起こった
 誤:これは第二次大戦後(20世紀中頃)の出来事。

④ ドレフュスのスパイ容疑をめぐる事件が起こった
 正:ドレフュス事件は第三共和政期後半に起こり、フランス社会を揺るがした事件。

よって、該当時代に合致する④が正しい。

問11:正解②

<問題要旨>
「ウ」の末期にドイツ皇帝の即位式が行われた宮殿と、フランスが割譲した地域を正しく組合せる問題である。ドイツ帝国成立は1871年、ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝が即位した。また、この戦争(普仏戦争)後、ドイツはアルザス・ロレーヌ地方をフランスから割譲した。

<選択肢>
あ:ヴェルサイユ宮殿
い:サンスーシ宮殿
a,b,c:地図中で割譲された地域のいずれかを指すが、アルザス・ロレーヌは普仏戦争後ドイツに割譲された有名な地域であり、地図上で明確に北東部(b)に相当すると判断できる。
ここで、正しい組合せとして、ヴェルサイユ宮殿(あ)とアルザス・ロレーヌ(b)の組合せが該当する。

問12:正解③

<問題要旨>
「イ」の時代のフランスでは、革命や政変を経て第三共和政が成立し、国民統合を進めるための制度改革が行われた。その一環として、義務教育制度や徴兵制などが国民国家形成の手段として整備されるが、ここでは「絶対王政を強化するため」ではなく、「国民統合」を目的とした普及教育が行われた点が重要である。よって、教育整備を「絶対王政の強化」とする見解は誤りで、「国民一人ひとりが教育を受ける環境整備」を「国民統合」文脈で捉える記述が正しい。

<選択肢>
① 岡村さんのみ正しい。(徴兵制創始と国民統合、時代錯誤の可能性大)
② 渡瀬さんのみ正しい。(絶対王政強化目的は不適当)
③ 小田さんのみ正しい。(国民統合のための教育普及は第三共和政期の方針と整合的)
④ 岡村さんと渡瀬さんの二人のみ正しい。
⑤ 岡村さんと小田さんの二人のみ正しい。
⑥ 渡瀬さんと小田さんの二人のみ正しい。

ここで小田さんのメモは「国民統合を進めるため、国民一人一人が教育を受けられる環境を整えた」という要点を正しく押さえているため、小田さんのみ正しい③が適切となる。

第3問

問13:正解⑤

<問題要旨>
この問題では、文章中の空欄「ア」「イ」に挿入する文や人物名を、あ・いの記述、およびX~Zとして示された人物候補の中から正しく組み合わせることが求められている。
「ア」には、ヨーロッパにおいてガラス産業が発達した都市の歴史的背景(商業革命で経済の中心になった、または東方貿易で繁栄した)に関する記述が入り、「イ」には、ガラスに関する技術や工芸と関連する時代・地域の多様な要素に関わった人物が対応すると考えられる。
ここでは、ヴェネツィアを含むイタリア諸都市が中世末期から近世にかけて東方貿易で繁栄したこと、ルネサンス期にイタリアで活躍した人物の中にガリレイやレオナルド・ダ・ヴィンチなどがいることなどが手がかりとなる。

<選択肢>(「ア」に入れる文 あ・い と「イ」に入れる人物 X,Y,Z)

  • 「あ」:商業革命によってヨーロッパ経済の中心となった
  • 「い」:東方貿易によって繁栄した
  • X:レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • Y:ガリレイ
  • Z:ニュートン

イタリア諸都市とガラス産業の発展には、十字軍以降の東方貿易(レヴァント貿易)が重要だったため、「ア」には「い」(東方貿易によって繁栄した)が適切と考えられる。また、ガラス製品製造技術の洗練や発展には、ルネサンス期のイタリアにおける自然科学者・技術者たちへの言及が自然であり、ヴェネツィアの発展、ルネサンス期の人物としてはガリレイ(Y)が相応しい。レオナルド・ダ・ヴィンチ(X)も考えられるが、ここで「透明度の高いガラス」や「レンズ」などの分野と直接関連を深めるなら、光学にも関心が深かったガリレイがより適当と言える。

これらを踏まえ、「い」―「Y」の組合せが妥当なため、該当する番号は⑤である。

問14:正解①

<問題要旨>
下線部(②)に関して、最も適当な文を選ぶ問題である。文脈上、(②)では地中海世界やユーラシア内陸部で発展した制度や組織について言及している可能性があるが、与えられた選択肢から、地域史や時代を踏まえて判断する必要がある。

<選択肢>
① 植民市であるカルタゴがローマと戦った。
② 六十進法を考案した。
③ ヴァルナと呼ばれる身分制度を形成した。
④ トウモロコシを栽培する農耕文化を発展させた。

地中海世界やユーラシア西部における歴史的事実として、カルタゴはフェニキア人が建設した植民市で、ローマとの間にポエニ戦争が起こった事実がある。この事象は前近代の地中海世界を理解するうえで基本的な史実であり、ガラスの歴史が古代オリエントやローマを経て発展した流れとも整合しやすい。
②はメソポタミア文明に関わるが、(②)下線部の文脈に必ずしも合致しない。③はインドの身分制度であり不適合。④は中南米の先住民文化に関わるため地理的・時代的に不適当。

よって、①が最も自然な対応である。

問15:正解③

<問題要旨>
ガラスの歴史に関する事象を述べた文を選ぶ問題である。文章中では、ガラス製造は古代オリエントに端を発し、ローマ帝国で西アジアの技術を導入することで盛んになり、さらにイスラーム世界や地中海貿易を通じて広がったことが記されている。また、モスクのランプとしてエナメル彩装飾のガラス器が使われるようになる経緯も説明されている。

<選択肢>
① ローマ帝国の技術導入で西アジアにおいてガラス器製造が始まった、とあるが、実際には西アジアからローマが技術を取り入れ、地中海岸地域に広まった経緯があるため表現にずれがある。
② 預言者ムハンマドの時代にエナメル彩装飾のガラス器が広く用いられたとするのは早期すぎる。エナメル彩装飾が広がるのは、13世紀頃からシリアやエジプトで、モスク用ランプなどに使われるようになった時期である。
③ ムスリム商人によって東南アジアやアフリカ東部海岸地域にイスラーム文化が伝播する中でガラスももたらされ、技術や製品が広範囲に流通するのは史実と合致する。
④ ヴェネツィアで開催された万国博覧会の水晶宮は、実際にはロンドン万国博覧会(1851年)の水晶宮が有名である。よってヴェネツィア開催は事実と異なる。

よって③が最も適当である。

問16:正解③

<問題要旨>
下線部(b)に関連して、アメリカ合衆国の奴隷制について述べた文あ・いの正誤を組合せる問題である。
奴隷制下の黒人は南部プランテーションで綿花生産などの農業労働に従事した。奴隷解放後、多くが農業労働にとどまったこと、綿花生産にも労働力として利用されたことは歴史的事実である。

<あ> 奴隷身分から解放された黒人の多くは畑作農となった。
解放後も南部でシェアクロッパー(分益小作農)として農業に従事する者が多く、「畑作農」と表現しても大きな誤りではない。
<い> 綿花の生産のために、黒人奴隷の労働が利用された。
これは奴隷制時代の南部経済の基本的事実である。

両方とも正しいため、あ=正、い=正である。

<選択肢>
1 あ=正 い=正
2 あ=正 い=誤
3 あ=誤 い=正
4 あ=誤 い=誤

あ・い共に正しい組合せは①である。ただし与えられた解答は③になっているため、ここは問題文の確認が必要。

【再検討】
「b 奴隷制が存在していた時代から基本的に変わっていない」との文脈があったが、解放された黒人は法的には自由民となり、奴隷制以前とは異なる身分で農業に従事した。しかし「多くが畑作農となった」表現は、解放前との実質的な生活改善が乏しいことを示唆しており、誤りというほどではない。
むしろポイントは「あ」が「奴隷身分から解放された黒人の多くは作農となった」としているが、実際には差別や貧困から抜け出せず、半ば従属的な小作農化が進んだ一方で、すべてが「畑作農」に収まる表現にはやや疑問も残る。しかし設問はあくまで史実との整合性で判断するべきで、自由民となったが多くは農業労働を続けたことは確かであるため「あ=正」ととれる。
「い」は奴隷労働を綿花生産に利用したのは歴史的事実なので「い=正」。よってあ・い共に正しい。

ここで問題は、ユーザーから提供された正解番号が「16:3」となっていること。
選択肢の3は「あ=誤 い=正」となるが、これは歴史的事実に反する。「あ」は「奴隷身分から解放された黒人の多くは畑作農となった」とあるが、解放後、多くが南部で農業労働者として細々と生きていく現実は、概ね「正」と評価できるはずであり、「誤」とする明白な理由はない。

【考え直し】
「あ」の文が「奴隷身分から解放された黒人の多くは自作農となった」と読み替えられるなら、当時、彼らは低賃金労働やシェアクロッパーとして白人地主に依存しており、「自立的な畑作農」ではなかったことから微妙な表現かもしれない。「多くが畑作農となった」と言い切ると、自立的農民になったかのように誤解を与える。そのため「誤り」と見なす可能性がある。
「い」は「綿花生産のために、黒人奴隷の労働が利用された」は歴史的事実で正しい。

よってここでは、あ=誤、い=正が正解の理由となる。つまり③が該当する。

問17:正解②

<問題要旨>
アメリカ合衆国の人口動態の変化に関して、空欄「ウ」に入る語(う=第一次世界大戦、え=第二次世界大戦)と空欄「エ」に入る文(X、Y)を組合せる問題である。
文脈では、1910年代にヨーロッパで起こった大規模な戦争は第一次世界大戦であり、それに伴う移民政策や経済状況の変化が移民数増減に影響した。さらに1920年代に制定された移民制限法は、世界恐慌など経済不況時は移民数を減少させる方向に働く(Y)、または好景気時は増加させる(X)などと考えられる。

オプションX,Yは
X:世界恐慌の下で制定され、移民数を増加させた
Y:経済的繁栄の下で制定され、移民数を減少させた
など正確な文脈を要確認。実際には、1920年代の移民制限法(排日移民法や1924年移民法など)はアメリカが好景気を謳歌していた1920年代に制定され、移民流入を抑制したため、経済的繁栄下で移民数を減少させた法(Y)が妥当である。

また、指定期間は第一次世界大戦(う)後に移民規制が強化されたことから「ウ」には「う(第一次世界大戦)」が入るのが自然。

よって「う―Y」の組合せが正しく、②が適切である。

問18:正解④

<問題要旨>
下線部(c)の時期におけるアメリカ合衆国の政治・経済の動きを述べた文を選ぶ問題である。(c)の時期とは、20世紀後半から公民権運動が展開された時期や冷戦期でのソ連への対抗措置などがヒントとなる。

<選択肢>
① レーガン大統領がギリシアとトルコへの援助を表明した
 ギリシア・トルコ援助はトルーマン・ドクトリン(1947年)であり、レーガン時代(1980年代)ではない。
② 北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟した
 NAFTAは1994年発効で冷戦終結後の動き。
③ 東アジアへの経済援助計画として、マーシャル=プランから発表された
 マーシャルプランは欧州復興援助計画(1947年)で、東アジアへの援助計画としては当てはまらない。
④ 人種差別の撤廃を目指す公民権運動が展開された
 1950~60年代のアメリカでは公民権運動が盛んになり、黒人が公民権を求める運動が全米で拡大した。これは冷戦期(cの時期)を含む20世紀中頃以降の動きと合致する。

よって④が最もふさわしい。

第4問

問19:正解②

<問題要旨>
下線部(@)では、16世紀のヨーロッパにおける宗教をめぐる事柄に触れられている。ここでは、ハプスブルク家の君主(カール5世など)が、宗教改革で台頭したプロテスタント勢力に対処した歴史的経緯を念頭に置く必要がある。16世紀のヨーロッパ宗教史において、ルター派が容認される重要な転機があったとすれば、1555年のアウクスブルクの和議である。この和議によって、ルター派が帝国内で公認された。

<選択肢>
① イグナティウス=ロヨラが予定説を唱えた。
 ロヨラはイエズス会を創設したが、予定説はカルヴァン派の教義であり、誤り。

② アウクスブルクの和議により、ルター派が容認された。
 1555年アウクスブルクの和議で、諸侯はルター派かカトリックかを選ぶ信仰選択権を得た。ルター派は公認され、これが正しい歴史的事実。

③ エラスムスが95カ条の論題を提示した。
 95カ条の論題を提示したのはルターであり、エラスムスではない。

④ チャールズ1世がイギリス国王を首長とする国教会を成立させた。
 イギリス国王を首長とする国教会(首長法)を成立させたのはヘンリ8世であり、チャールズ1世ではない。

よって②が最も適切。

問20:正解③

<問題要旨>
空欄「ア」には、絵画2で暗示される海戦で敗れた国の歴史について触れた文が挿入される。ここでは16~17世紀に起きた重要な海戦、たとえば1571年のレパントの海戦が念頭に置かれる。レパントの海戦では、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇連合艦隊がオスマン帝国艦隊を打ち破った。オスマン帝国はイスラーム世界を代表する大帝国であったが、この海戦後も勢力衰亡につながったわけではなく、陸上での領域支配やマムルーク朝を滅ぼすなどの実績がある。選択肢から、敗れた国(オスマン帝国)にふさわしい記述を選ぶ必要がある。

<選択肢>
① 北方戦争でスウェーデンを破った。
 これはロシアなど北欧・東欧諸国に関する歴史で、オスマン帝国とは無関係。

② 首都イスファハーンは「世界の半分」と言われた。
 「世界の半分」と讃えられたのはサファヴィー朝ペルシアの首都イスファハーンであり、オスマン帝国ではない。

③ マムルーク朝を滅ぼした。
 オスマン帝国は16世紀前半にマムルーク朝を征服し、エジプトを領有した。これはオスマン帝国の事績として正しい。

④ ジズヤを廃止してヒンドゥー教徒との融和をはかった。
 ジズヤ廃止はムガル帝国のアクバル帝が行った政策で、オスマンではない。

よって③が適切。

問21:正解①

<問題要旨>
空欄「イ」にはあ・いの語句のいずれか、空欄「ウ」にはX・Yの語句のいずれかを入れる問題である。ここで、フェリペ2世の治世における出来事から、ネーデルラントの「独立戦争」や「ナントの王令(勅令)」の発布(フランスの宗教戦争の一場面)などが関連する。
また、フェリペ2世は対異端者への断固たる姿勢(カトリック強化)を示したため、異端・異教徒への寛容よりも対決的な態度(X)を連想させる。

<選択肢>
あ:独立戦争
い:ナントの王令(勅令)
ナントの勅令はフランスにおけるユグノー戦争の終結(1598年)で、宗教的寛容を示したもの。フェリペ2世にはこれよりネーデルラント独立戦争との関連が強い。
よってフェリペ2世治世下で特に念頭に置くべきは「独立戦争」(あ)=ネーデルラント独立戦争である。

X:異端者や異教徒に対して決然と戦う意志
Y:異端者や異教徒に対して寛容な態度
フェリペ2世はカトリックの守護者として、プロテスタントに寛容でなく、むしろ強硬であった。よってXが妥当。

組合せは「あ—X」で①が正しい。

問22:正解③

<問題要旨>
西夏文字は漢字の構造を参考にしつつも独自に作り上げられた文字であり、ユーザーが登場人物の発言から得られる示唆として、西夏は中国王朝に対する対抗意識や独自性を示すために文字を創出した、といった点が指摘できる。ここで、漢字を意識しながらも独立した文字体系を作り上げたことは「漢字を意識した独自の文字」であり、成立の背景には民族の自覚、つまり自立心の高さか、中国への従属意識の弱さが関係する。

<選択肢>(特徴×成立背景)
① 漢字と関係のない独自文字 × 民族的自覚の高まり
 西夏文字は漢字の影響を受けているため、「関係のない」は不適。

② 漢字と関係のない独自文字 × 中国への従属意識の高まり
 同上で誤り。

③ 漢字を意識した独自の文字 × 民族的自覚(自立心)の高まり
 漢字をモデルにしつつ独自体系を構築したことは、他民族との対抗心・自立の表れと考えられる。これが適切。

④ 漢字を意識した独自の文字 × 中国への従属意識の高まり
 独自文字創出はむしろ対抗心の現れであり、従属意識とは反対。

よって③が正しい。

問23:正解④

<問題要旨>
下線部(⑥)はモンゴル帝国による広大な領域支配と関連して記述されている。モンゴル帝国は強力な騎馬軍団で領域を拡大し、駅伝制(ジャムチ)によって交通路も整備。さらに、ユーラシアの広大な版図を統合し、支配下に複数のハン国(ジョチ家のキプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国、イル・ハン国など)が成立した。しかし、中国全土を直接「支配下」に置いたわけではなく、南宋を滅ぼして元を建国し、中国を自らの王朝支配下に組み込んだ。その過程で北宋・南宋などを滅ぼすが、「北宋を滅ぼして中国全土を支配下に置いた」というのは正確には宋の統一王朝の構造から考えると不適切で、実際には南宋を滅ぼして元が中国を統一したのであって、北宋はすでに金に滅ぼされているため、この表現は時系列的・事実的に問題がある。

<選択肢>
① 騎馬軍団の強力な武力により領域を拡大した。
 モンゴル帝国の基本事実として正しい。

② 駅伝制により、帝国内の陸上交通路を整備した。
 ジャムチと呼ばれる駅伝制は有名で正しい。

③ アッバース朝を滅ぼし、イル=ハン国を建国した。
 フラグが1258年にアッバース朝を滅ぼし、イル=ハン国を建てた。正しい。

④ 北宋を滅ぼし、中国全土を支配下に置いた。
 北宋を滅ぼしたのは金で、モンゴル(元)が中国全土を支配する前に既に北宋は消滅していた。よってこの記述は誤り。

よって④が誤り。

問24:正解②

問題要旨>
文中の空欄「エ」「オ」には清王朝との関係を示す語句が入り、アムール川流域をめぐる条約や清への服属・朝貢関係などが絡む。アイグン条約やネルチンスク条約などは、清とロシア帝国との国境画定のための条約である。琉球は清に対して朝貢していた。

「エ」はアムール川(黒龍江)を挟んで清と結んだ条約と関連するため「黒龍江(アムール川)」が妥当。
「オ」は琉球王国が清朝に対して行った関係性を示すので、「清に朝貢していた」が正しい。

<選択肢>

  1. エ=黒竜江(アムール川) オ=清に征服された
     琉球は清に征服されたわけではない。
  2. エ=黒竜江(アムール川) オ=清に朝貢していた
     琉球は中国(明・清)に朝貢した歴史が有名。

よって②が適切。

第5問

問25:正解⑥

<問題要旨>
問題文中の空欄「ア」に入れる人物名は、第二次世界大戦中~後にかけて、「大西洋憲章」や戦後処理に関与したアメリカ合衆国大統領フランクリン・ローズヴェルト、またはイギリス首相ウィンストン・チャーチルなどが想定される。資料によれば、アメリカ大統領ローズヴェルトは大西洋憲章の普遍的適用を望んだが、イギリス首相「ア」は、ドイツに占領されたヨーロッパ諸国の住民への適用は理解しつつも、アフリカなどイギリス植民地への適用には消極的であったとされる。これはまさにイギリス首相チャーチルの態度として知られる。

<あ・い・う の人物に関する文>

  • あ:ラテンアメリカに対する善隣外交を展開したのは、アメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトである。
  • い:ナチス=ドイツの東欧政策に対して「鉄のカーテン」演説を行ったのは、退任後のチャーチル(1946年の演説)である。
  • う:ヤルタ会談に参加したのは、ローズヴェルト・チャーチル・スターリンであり、チャーチルも参加した。ローズヴェルトももちろん参加している。

チャーチルは「鉄のカーテン」演説で知られ、ヤルタ会談にも参加しているが、ラテンアメリカに対する善隣外交はローズヴェルトの政策なのでチャーチルには当てはまらない。

<選択肢検討>
⑥は「ア=チャーチル 人物について述べた文=う」となっている。
「う」はヤルタ会談参加を表し、チャーチルは確かに参加したので適合する。
また、「ア」にチャーチルを入れることは、問題文におけるイギリス首相として大西洋憲章の適用についてローズヴェルトと意見が異なっていた人物がチャーチルであることと合致する。

よって⑥が妥当。

問26:正解③

<問題要旨>
下線部⑨の時期に起こった出来事を選ぶ問題。⑨は文脈上、第二次世界大戦中から戦後独立運動が高まる1950年代後半~1960年頃を指す。大西洋憲章の理念(民族自決)を植民地へ適用するかどうかが焦点となった時期で、第二次大戦後、米・英などは新たな国際秩序を模索していた。1950年代以降、冷戦が進展し、アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドは1951年にANZUS条約を結んでいる。これが1950年代前半の重要な対ソ連・対共産主義ブロックの安全保障協定である。

<選択肢>
① コミンテルンが結成された。(1919年)早すぎる。
② ロカルノ条約が結ばれた。(1925年)これも戦間期の出来事。
③ アメリカ合衆国・オーストラリア・ニュージーランドが太平洋安全保障条約(ANZUS)を締結。(1951年)戦後の冷戦期にふさわしい。
④ 中央条約機構(バグダード条約機構)再編は1959年にCENTOへ改称。時期的にはありえるが、文脈的には③の方が典型的戦後の出来事。

アフリカ諸国の独立が相次ぐ1950~60年代と関係が深い戦後対立構造とすると③がもっとも妥当。

問27:正解①

<問題要旨>
歴史上の民族自決に関する文「え」「お」の正誤組合せ問題。

「え」は「第一次世界大戦後、民族自決の原則はアフリカには適用されず、第二次大戦中にイギリス領アフリカ各地が不信感を抱くに至った」とする文。これは正しい。アフリカ植民地ではヴェルサイユ体制後も欧州列強の支配が継続し、民族自決が適用されなかったことは史実である。

「お」は「ナイジェリアは第二次世界大戦後もイギリス領のままであったが、アフリカの年(1960年)に独立した」とする文。これは正しい。ナイジェリアは1960年に独立したが、1950年代まではイギリス領だった。その年は「アフリカの年」と呼ばれ、多くのアフリカ諸国が独立した。

よって「え」も「お」も正しい。「え-正 お-正」は①。

問28:正解④

<問題要旨>
1950年代から1960年代にかけて、宇宙開発で先行したソ連が有人宇宙飛行や人工衛星打ち上げに成功し、アメリカ合衆国との間で技術・宇宙開発競争が激化した。月面着陸はアメリカが1969年に成功し、宇宙開発競争の一つの転機となった。また、ソ連はキューバ危機でミサイル配備を行い、緊張をもたらした。ここで米ソ関係を反映する選択肢を確認する。

<選択肢>
① アメリカ合衆国が大陸間弾道ミサイル発射実験で先行成功…初期にはソ連が人工衛星打ち上げなどで先行していた。
② 有人宇宙飛行に次いで…キューバに基地を設けミサイル配備はソ連が1962年キューバ危機で実行したことでアメリカを脅かした事実はあるが、この選択肢は「次いで」という流れが不自然。
③ 宇宙開発で先行していたソ連は、月面着陸競争でもアメリカに勝利…実際は月面着陸はアメリカが成功。
④ 人工衛星打ち上げでアメリカに衝撃を与えたソ連は、フルシチョフの下で西側諸国との平和共存外交を進めた…ソ連はスプートニク1号でアメリカに衝撃を与え、フルシチョフ政権は平和共存路線を掲げた。これが一番史実に合う。

問29:正解②

<問題要旨>
空欄「イ」に入れるべき文は、アポロ11号月面着陸成功から約10年後の出来事として、1980年代半ば頃まで米ソ間で緊張状態が続いたことに関連する出来事が挙げられる。
1980年代前半から中盤には、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年末)や米ソ間の中距離核ミサイル配備競争、そして1985年以降のゴルバチョフ登場まで緊張が続いていた。選択肢をみると、
① 9.11事件は2001年で、時期が違いすぎる。
② ソ連がアフガニスタンに侵攻したのは1979年末からで、1980年代半ばまで緊張が続いた一因となっている。これが「約10年後」、つまり1979~80年頃に相当し、文脈に合う。
③ アメリカで金融危機(リーマンショック)は2008年で時期が合わない。
④ ゴルバチョフが書記長就任は1985年で、緊張緩和へと動き出す時期なので、緊張継続にはならない。

②が最も時期的・文脈的に整合する。

問30:正解④

<問題要旨>
下線部⑥に関連して、核兵器保有国数・保有数の推移を示したグラフが提示されている。あ・い の文の正誤を判断する。
あ:NPT(核不拡散条約)は1968年調印、70年発効。世界の核弾頭保有数は1960年代前半~中頃にかけて急増し、NPT発効前にピークを迎えていた事実がある(1960年代半ば~70年代初頭に米ソともに大量保有)。よってあは正しい。
い:INF全廃条約(1987年調印)の前まで米国の核弾頭数が増え続けたかどうか。実際には1970年代以降、米ソ間で戦略兵器制限交渉が進み、アメリカの核弾頭数は1970年代後半から80年代にかけて減少や横ばい傾向に入った。INF条約調印前に増え続けた、というのは事実と異なるのでいは誤り。

<選択肢>
① あ=正、い=正 …誤
② あ=正、い=誤 …これが合う
③ あ=誤、い=正 …誤
④ あ=誤、い=誤 …誤

よって④ではなく②が正しくなるはずだが、提示された正解は④となっているため再検証が必要。

【再検証(史実確認)】
グラフをよく見ると、NPT(1970年発効)前、つまり1960年代にすでに米ソ核弾頭数は増大している。NPT発効時には既に米ソともにかなりの数を保有していたが、ピークは1980年代中頃以降とされることが多い。
ここは「世界の核弾頭保有数がNPT前にピーク」との文があるが、実際には核弾頭保有数は1970年代以降さらに増大し1980年代にピークを迎えた。よってあは誤。
い:INF(1987)まで米国が増え続けたかどうか。1980年代前半のレーガン軍拡で米核数は増えたが、1980年代半ばには米核弾頭数も減少傾向に入り始めているデータもある。INF調印前にすでに増加が止まり削減に向かった可能性もあるため、「増え続けた」と断定するのは誤りの可能性が高い。

よって、あ=誤、い=誤となり④が最も妥当となる。

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