解答
解説
第1問
問1:正解④
<問題要旨>
中世の北ヨーロッパで活動した商人組織と、その活動が拡大した13世紀から14世紀という時期に起こった出来事の組み合わせを問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
「神聖同盟」は19世紀前半、ナポレオン戦争後にロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱で結ばれた、キリスト教の正義・博愛の精神に基づく君主間の盟約であり、中世の商人組織ではありません。
②【誤】
「神聖同盟」が誤りです。
③【誤】
「ハンザ同盟」はリューベックを盟主とする北ドイツ諸都市の同盟で、ロンドンやノヴゴロドに商館を置いたことから正しい(い)ですが、出来事X「ローマ=カトリック教会と、ギリシア正教会との分裂が決定的となった」のは1054年のことです。これは11世紀の出来事であり、ハンザ同盟の拡大期である13世紀から14世紀とは時期が異なります。
④【正】
空欄アには、リード文の「リューベックを盟主」「ロンドンやロシアのノヴゴロドなどにも拠点となる商館を設置」という記述から、「ハンザ同盟」が入ります(い)。出来事Yの「キプチャク=ハン国」は、13世紀半ばにモンゴル帝国のバトゥによって南ロシアに建国されました。これはハンザ同盟の拡大期(13~14世紀)と重なります。したがって、この組み合わせは正しいです。
問2:正解①
<問題要旨>
ウェストファリア条約でスペインからの独立が承認された国、すなわちオランダの歴史について、正しい記述を選ぶ問題です。
<選択肢>
①【正】
グロティウスは17世紀前半にオランダで活躍した法学者です。『戦争と平和の法』などを著し、自然法に基づく国際法の理念を提唱したことから「国際法の父」と呼ばれています。これはオランダの歴史に関する正しい記述です。
②【誤】
16世紀後半のオランダ独立戦争において、南ネーデルラントの中心都市であったアントウェルペン(アントワープ)がスペイン軍に占領・破壊されたため、多くの商人が北部の中心都市アムステルダムに移住しました。その結果、経済の中心はアントウェルペンからアムステルダムへ「移行した」のであり、記述は逆になっています。
③【誤】
アンボイナ事件(1623年)は、香辛料貿易をめぐり、モルッカ諸島のアンボイナ島でオランダがイギリスの商館員を殺害し、イギリス勢力をこの地域から排除した事件です。排除されたのはイギリスであり、オランダではありません。
④【誤】
プラッシーの戦い(1757年)は、イギリス東インド会社がフランス・ベンガル太守連合軍を破り、インド支配の基礎を築いた戦いです。この戦いにオランダは関わっていません。
問3:正解③
<問題要旨>
問題文の内容を踏まえ、中世から近代にかけてのグローバルな歴史の展開に関する二人の学生のメモの正誤を判断する問題です。
<選択肢>
①【誤】
松浦さんのメモも正しい内容です。
②【誤】
グエンさんのメモも正しい内容です。
③【正】
グエンさんのメモ:前半の「中世の北ヨーロッパでは、北極圏やイスラーム世界の商品を取引することもあった」という記述は、問題文中のハンザ同盟に関する教授の説明と一致します。後半の「イタリアの商人も遠隔地交易に従事し、その中には元朝まで到達する者もいた」という記述は、マルコ=ポーロの『世界の記述(東方見聞録)』などで知られる歴史的事実と合致します。よって、グエンさんのメモは正しいです。
松浦さんのメモ:前半の「近代のイギリスは、…植民地支配を強化したり、アジアの三角貿易に見られた不平等な交易関係を築いたりした」という記述は、大英帝国の拡大と、中国との間で行われたアヘンを軸とする三角貿易の史実と合致します。後半の「インドや中国では、イギリスに対する不満が高まった」という記述も、インド大反乱やアヘン戦争、義和団事件といった抵抗運動につながった史実として正しいです。よって、松浦さんのメモも正しいです。
したがって、二人とも正しいと判断できます。
④【誤】
二人とも正しい内容のメモを作成しています。
問4:正解⑤
<問題要旨>
オーストラリアのゴールドラッシュに関連する出来事と、20世紀のオーストラリア史、イギリス連邦史に関する出来事を、年代の古い順に並べる問題です。
<選択肢>
下線部(a)の出来事「オーストラリアでも金鉱が発見され」たのは、カリフォルニアのゴールドラッシュ(1848年~)の3年後とあるので、1851年です。
文あ「オーストラリア連邦が形成された」のは、1901年です。
文い「オタワ会議(イギリス連邦経済会議)が開催された」のは、世界恐慌後の1932年です。
これらの出来事を年代の古いものから順に並べると、
下線部(a)(1851年)→ あ(1901年)→ い(1932年)
となります。この順序に合致する選択肢は⑤です。
①~④、⑥【誤】
年代の順序が異なります。
⑤【正】
上記の通り、年代の古い順として正しい配列です。
問5:正解①
<問題要旨>
1914年に始まった第一次世界大戦が、中国に与えた影響について問う問題です。
<選択肢>
①【正】
第一次世界大戦後の1919年に開かれたパリ講和会議で、中国(山東半島)における旧ドイツ権益が日本に譲渡されることが決定しました。これに反発した北京の学生たちが抗議運動(五・四運動)を起こしました。これは第一次世界大戦と直接関連する出来事であり、文脈に合致します。
②【誤】
甲午農民戦争(東学党の乱)は1894年に朝鮮で起こった事件で、日清戦争のきっかけとなりました。第一次世界大戦(1914年~)よりも前の出来事です。
③【誤】
中国が「義勇軍」を派遣して北朝鮮を支援したのは、1950年に始まった朝鮮戦争においてです。
④【誤】
北京議定書は、1901年に義和団事件の講和条約として調印されたものです。外国軍隊の北京駐留などが定められました。第一次世界大戦よりも前の出来事です。
問6:正解③
<問題要旨>
満州事変のきっかけとなった事件と、1920年代に南京に国民政府を樹立した人物の事績を正しく組み合わせる問題です。
<選択肢>
空欄エ:文脈は「エ をきっかけに、中国東北部が日本に占領されました」とあり、これは満州(中国東北部)の占領につながった出来事を指します。「う 盧溝橋での軍事衝突」は日中戦争(1937年~)の発端であり、「え 柳条湖での鉄道爆破」が満州事変(1931年)の発端です。したがって「え」が正しくなります。
空欄オ:文脈は「オが1920年代に南京に樹立した国民政府」とあり、これは1927年に北伐の途上で南京に国民政府を樹立した蔣介石を指します。
事績X「北伐を行った」は、1926年から蔣介石が率いた軍事行動であり、彼の事績として正しいです。
事績Y「孫文に替わり、臨時大総統に就いた」のは、辛亥革命後の1912年に就任した袁世凱の事績です。
したがって、正しい組み合わせは「え」と「X」になります。
①【誤】
「う」が誤りです。
②【誤】
「う」と「Y」が誤りです。
③【正】
「え」の柳条湖事件を満州事変のきっかけとし、「オ」の人物を蔣介石と特定し、その事績が「X」の北伐であることから、この組み合わせは正しいです。
④【誤】
「Y」は袁世凱の事績であり、1920年代に南京で政府を樹立した蔣介石の事績ではないため、誤りです。
問7:正解②
<問題要旨>
ブラジルとオランダ領東インド(ジャワ島)におけるコーヒー生産の歴史に関する二つの文の正誤を判断する問題です。
<選択肢>
①【誤】
文いは誤りです。
②【正】
文あ「19世紀のオランダは、ジャワでコーヒーの強制栽培制度を導入した」は正しい記述です。オランダは1830年から、植民地であったジャワ島で現地住民にコーヒーや藍などを強制的に栽培させ、政府が安く買い上げる強制栽培制度を実施しました。
文い「ブラジルのコーヒー生産は、当初から日本人を含む海外からの移民労働者によって支えられていた」は誤りです。問題文に「19世紀前半に始まったブラジルのコーヒー生産は、黒人奴隷と大土地所有を基盤に発展した」とあり、日本人移民が導入されたのは奴隷制廃止(1888年)後の1908年以降でした。
③【誤】
文あは正しい記述です。
④【誤】
文あは正しいですが、文いは誤りです。
問8:正解③
<問題要旨>
1990年代のアメリカ大陸における経済連携の動きと、20世紀のブラジルの歴史に関する知識を組み合わせる問題です。
<選択肢>
空欄カ:問題文には、アメリカが米州自由貿易地域(FTAA)構想に先立って結成した経済協力の枠組みとあります。これは1994年に発効した、アメリカ、カナダ、メキシコによる「え 北米自由貿易協定(NAFTA)」を指します。「う 北大西洋条約機構(NATO)」は軍事同盟であり、文脈に合いません。
20世紀以降のブラジルの歴史:
文X「ブラジルは、世界恐慌を機に経済を再編し、コーヒー生産以外の農業も活性化し、工業化も進めていった」は正しい記述です。問題文に「1929年に始まる国際的な経済不況の影響でコーヒー産業が不振になると、ブラジル政府は…農業の多様化とともに、工業化が進められ」たとあります。
文Y「ブラジルは、自国の主権と自立を強調しつつも、FTAA構想においてアメリカ合衆国に追随した」は誤りです。問題文に、ブラジルは「アメリカ合衆国を牽制し…正面から対立」し、その反発がFTAA構想が「暗礁に乗り上げた」一因とあります。
したがって、正しい組み合わせは「え」と「X」です。
①【誤】「う」が誤りです。
②【誤】「う」と「Y」が誤りです。
③【正】「カ」にNAFTA(え)が入り、文Xも問題文の記述と合致するため、この組み合わせは正しいです。
④【誤】「Y」が誤りです。
第2問
問1:正解③
<問題要旨>
16世紀以降、スペイン人による征服後のアメリカ大陸において、先住民の人口が激減した原因について問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
文「あ」は、先住民が奴隷としてアフリカなど大陸外へ大規模に連れ去られたことを意味しますが、そのような歴史的事実は一般的ではありません。先住民はエンコミエンダ制の下で酷使されましたが、それは域内での搾取であり、人口減少の主因としては文「い」の疫病が挙げられます。
②【誤】
文「あ」が誤りです。
③【正】
文「あ」は誤りです。一方、文「い」の「ヨーロッパ人によって、天然痘などの疫病が持ち込まれた」は、人口激減の最大の原因とされています。ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘やインフルエンザなどに対し、アメリカの先住民は免疫を持っていなかったため、壊滅的な被害を受けました。したがって、「あ」が誤り、「い」が正しいこの選択肢が正解です。
④【誤】
文「い」は正しい記述です。
問2:正解③
<問題要旨>
16世紀にスペイン人によって滅ぼされたインカ帝国の地理的位置と、その代表的な遺跡の組み合わせを問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
aはアステカ王国などが栄えたメソアメリカを指します。インカ帝国の位置ではないため、誤りです。
②【誤】
aはインカ帝国の位置ではありません。また、えはテオティワカンであるため、インカ帝国の遺跡ではありません。
③【正】
地図中の「b」はペルーを中心とするアンデス地帯を指しており、インカ帝国の位置として正しいです。また、写真「う」の「マチュ=ピチュ」は、ペルーに現存するインカ帝国の代表的な都市遺跡です。したがって、「b」と「う」の組み合わせであるこの選択肢が正解となります。
④【誤】
えはテオティワカンであるため、インカ帝国の遺跡ではありません。したがって、この組み合わせは誤りです。
問3:正解①
<問題要旨>
問題文の記述を基に、インカ帝国軍の特徴を正しく説明している選択肢を選ぶ問題です。
<選択肢>
①【正】
問題文に、インカ軍は「垂直的で専制的な指揮権の下にある大人数の兵士たち」であったと明記されています 。この選択肢は本文の内容と一致します。
②【誤】
馬はヨーロッパ人がアメリカ大陸に持ち込んだものであり、インカ軍は馬を使用していません。
③【誤】
銃火器もスペイン人が持ち込んだもので、問題文でも「スペイン人が携行していた銃火器の威力」 と述べられています。
④【誤】
「戦場において自由に任務を遂行することができる」 のは、インカ軍ではなくスペイン人兵士たちの特徴として記述されています。
問4:正解③
<問題要旨>
19世紀初頭にイギリスで作成されたアフリカの地図の特徴と、当時のアフリカをめぐる歴史的状況について、正しい記述を選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
問題文に、この地図は「もっぱらヨーロッパの探検家や宣教師らが直接もたらした情報のみを正当とみなしたため」 とあり、アフリカ人からの伝聞を基にしていないことがわかります。
②【誤】
セシル=ローズはイギリスのケープ植民地首相で、彼にちなんだ植民地「ローデシア」が作られたのはアフリカ南部です。北西部ではありません。
③【正】
問題文に「アフリカ大陸中央部が「未知の土地」と記され、空白の地域が目立」ち 、その理由がヨーロッパの探検家の調査が内陸部に及んでいなかったためであることが示唆されています 。したがって、この記述は正しいです。
④【誤】
アメリゴ=ヴェスプッチは、アメリカ大陸を探検し、「アメリカ」の名の由来となった人物です。アフリカ大陸内陸部の探検家ではありません。
問5:正解④
<問題要旨>
独立国ガーナの歴史と、その国名の由来について、正しい知識を組み合わせる問題です。
<選択肢>
①【誤】
文「あ」と文「X」の両方が誤りです。
②【誤】
文「あ」が誤りです。ガーナの独立は1957年であり、「アフリカの年」(1960年)ではありません。
③【誤】
文「X」が誤りです。問題文に、国名の由来となったガーナ王国は「現在のガーナ共和国とは異なる地域にあった」 と明記されています。
④【正】
文「い」の「独立前は、イギリスの植民地であった」は、この地域が「ゴールドコースト植民地」 と呼ばれていたことから正しいです。文「Y」の「かつて繁栄したガーナ王国が、アフリカの人々によって築かれたこと」を誇りとして国名に採用した、という背景も問題文の記述 と一致します。したがって、この組み合わせは正しいです。
問6:正解②
<問題要旨>
19世紀半ば、ロシアがアロー戦争に乗じて清から獲得した領土と、ハバロフスクに建てられたムラヴィヨフ総督の像が向いている方向を問う問題です。
<選択肢>
①【誤】
像の方向「a」は北東方向を指しており、「中国ににらみを利かせている」という問題文の記述と一致しません。
②【正】
下線部(d)の記述がアイグン条約による領土獲得を指す、という解釈に基づきます。アイグン条約でロシアが獲得した領土はアムール川左岸であり、これは地図中の「あ」に該当します。像の向きについては、問題文に「その視線の先には中国があります」とあり、ハバロフスクから見て中国があるのは南西方向の「b」です。したがって、「あ」と「b」の組み合わせであるこの選択肢が正解となります。
③【誤】
像の方向「a」が誤りです。
④【誤】
下線部(d)が指す領域は「あ」であるため、この選択肢は誤りとなります。
問7:正解②
<問題要旨>
1960年代後半の中ソ対立が武力衝突に至った背景について、正しい記述を選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
中ソ対立は、ソ連のフルシチョフがスターリン批判を行ったことに中国の毛沢東が反発したことに始まります。中国がソ連の粛清を批判したという構図ではありません。
②【正】
1956年のスターリン批判後、ソ連のフルシチョフがアメリカとの「平和共存」路線を打ち出すと、中国の毛沢東はこれを「修正主義」であるとして激しく非難しました。これが中ソ対立の決定的な原因の一つとなりました。
③【誤】
ニクソン大統領の訪中が実現したのは1972年で、中ソ対立が深刻化した後の出来事です。中ソ対立の原因ではなく、むしろその結果として米中が接近したと理解されます。
④【誤】
胡錦濤が中国の指導者であったのは2000年代であり、ソ連は1991年に崩壊しているため、時代設定が全く異なります。
問8:正解④
<問題要旨>
クリミア戦争、アイグン条約交渉、レザノフ来航に関連する三つの出来事を、年代の古い順に正しく並べる問題です。
<選択肢>
下線部(e)のクリミア戦争は1853年~1856年の出来事です 。
資料1は、アイグン条約(1858年)の5か月後に書かれた手紙なので、1858年です 。
資料2は、ラクスマンの来航(1792年)を「約20年前のこと」 としており、ロシアの使節レザノフが長崎に来航した1804年頃の出来事を示唆しています。
これらの出来事を年代の古い順に並べると、
資料2(1804年頃)→ 下線部(e)(1853年~)→ 資料1(1858年)
となります。この順序に合致する選択肢は④です。
①【誤】順序が異なります。
②【誤】順序が異なります。
③【誤】順序が異なります。
④【正】上記の通り、正しい年代順です。
⑤【誤】順序が異なります。
⑥【誤】順序が異なります。
第3問
問1:正解①
<問題要旨>
資料に書かれたフランスの革命(二月革命)に関連する出来事と人物を正しく組み合わせる問題です。
<選択肢>
資料で述べられているのは、国王ルイ=フィリップが亡命した 1848年の二月革命です。
出来事「あ」の「臨時政府が、国立作業場を設立した」は、二月革命後に失業者救済のために設立されたものであり、正しい記述です。出来事「い」の「人権宣言」採択は1789年のフランス革命時のものです。
空欄アに入る人物は、革命後の臨時政府に参加した社会主義者であり、「X ルイ=ブラン」が該当します。「Y ロベスピエール」はフランス革命期の人物です。
したがって、正しい組み合わせは「あ」と「X」です。
①【正】上記の通り、正しい組み合わせです。
②【誤】人物「Y」が誤りです。
③【誤】出来事「い」が誤りです。
④【誤】出来事「い」と人物「Y」が誤りです。
問2:正解①
<問題要旨>
フランス二月革命後に大統領となり、のちに皇帝となったルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)の対外政策として、誤っているものを選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
エジプト遠征(1798年~)は、彼の叔父であるナポレオン=ボナパルト(ナポレオン1世)が行ったものです。したがって、これが誤った記述であり、解答として正解になります。
②【正】
イタリア統一戦争(1859年)に介入し、サルデーニャを支援してオーストリアと戦いました。
③【正】
メキシコに出兵(1861年~)し、現地の共和派と戦いましたが、失敗に終わりました。
④【正】
アロー戦争に乗じて中国に出兵したほか、ベトナムにも出兵し、インドシナ進出の足掛かりを築きました。
問3:正解②
<問題要旨>
フランスで男性普通選挙が実現した出来事(1848年)と、イギリス、日本の男性普通選挙に関する出来事を、年代の古い順に並べる問題です。
<選択肢>
う「イギリスでは、男性普通選挙を求めるチャーティスト運動が開始された」のは1838年です 。
下線部③「(フランスで)新しい憲法が制定された年に、大統領選挙が行われました」 、すなわち男性普通選挙が実現したのは1848年です。
え「日本では、社会運動の高まりにより、男性普通選挙が認められた」のは1925年の普通選挙法制定によります 。
これらの出来事を年代の古いものから順に並べると、
う(1838年)→ 下線部③(1848年)→ え(1925年)
となります。この順序に合致する選択肢は②です。
①【誤】順序が異なります。
②【正】上記の通り、正しい年代順です。
③【誤】順序が異なります。
④【誤】順序が異なります。
⑤【誤】順序が異なります。
⑥【誤】順序が異なります。
問4:正解④
<問題要旨>
20世紀初頭にイギリスが伝統的な「光栄ある孤立」政策を転換した背景として、当てはまらないものを一つ選ぶ問題です。
<選択肢>
①【正】
南アフリカ戦争(1899~1902年)でオランダ系移民(ブール人)に苦戦し、その強引な戦争遂行が国際的な非難を浴びたことは、政策転換の一因です 。
②【正】
皇帝ヴィルヘルム2世の下でドイツが「世界政策」を掲げ、海軍力を増強したことは、イギリスの海軍的優位を脅かし、政策転換の大きな要因となりました 。
③【正】
ロシアが中国から遼東半島南部を租借し、極東での南下政策を推し進めたことは、イギリスの利権と衝突する脅威であり、対抗上、日本との同盟(日英同盟)に向かわせる背景となりました。
④【誤】
アメリカによる広島・長崎への原爆投下は、第二次世界大戦末期の1945年の出来事です。「光栄ある孤立」の転換期である20世紀初頭とは全く時代が異なります。したがって、これが背景として当てはまらない選択肢です。
問5:正解③
<問題要旨>
日英同盟に替わる新たな国際協調体制と、その中で締結されたワシントン会議での条約に関する問題です。
<選択肢>
空欄イ:イギリスの覚書は、日本の野心を抑えるために「日英同盟更新の替わりに、 イも参加する三国間の合意」 を模索しています。その後のワシントン会議(下線部(e))を提唱したのがアメリカであることからも 、空欄イには「い アメリカ合衆国」が入ります。
下線部(e)のワシントン会議の結果締結された条約:文X「中国の主権を尊重することがうたわれた」は、会議で締結された九カ国条約の内容と一致します。文Y「ドイツが植民地を全て失うことになった」は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約の内容です。
したがって、正しい組み合わせは「い」と「X」になります。
①【誤】「あ」が誤りです。
②【誤】「あ」と「Y」が誤りです。
③【正】上記の通り、正しい組み合わせです。
④【誤】「Y」が誤りです。
問6:正解③
<問題要旨>
日英同盟の成立から消滅に至るまでの経緯について、二人の学生のメモの正誤を判断する問題です。
<選択肢>
①【誤】
田口さんのメモも正しい内容です。
②【誤】
奥山さんのメモも正しい内容です。
③【正】
奥山さんのメモ:
前半は、義和団事件後に満州への駐兵を続けたロシアに対抗するため、日本とイギリスの利害が一致し同盟を結んだという、日英同盟成立の背景を正しく述べています。後半は、1905年の同盟改定で適用範囲がインド防衛まで拡大された という事実から、イギリスの狙いを正しく推測しています。
田口さんのメモ:
前半は、第一次世界大戦中に日本が中国で台頭したことでイギリスが警戒感を強めたという、問題文の資料 と合致する内容です。後半は、日英同盟がワシントン会議で締結された四カ国条約によって廃棄されたという、同盟消滅の経緯を正しく述べています。
したがって、二人とも正しいメモを作成しています。
④【誤】
二人とも正しい内容のメモを作成しています。
第4問
問1:正解②
<問題要旨>
3世紀頃からの寒冷化という気候変動が、ユーラシア大陸の東(中国)と西(ヨーロッパ)の歴史に与えた影響について、正しい組み合わせを選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
イの「イスラーム世界の拡大」は7世紀以降の出来事であり、3世紀頃からの動きではありません。
②【正】
ア(中国):寒冷化により、3世紀以降、北方の遊牧民(五胡)の南下が活発化し、4世紀には鮮卑などが華北に国を建てる五胡十六国時代が始まりました。
イ(ヨーロッパ):同じく寒冷化を遠因とするフン人の西進に押される形で、375年からゲルマン人の大移動が始まりました。両方とも正しい組み合わせです。
③【誤】
アの「契丹、タングート、女真」が中国北部に国を建てたのは10~12世紀頃であり、3世紀頃ではありません。イも誤りです。
④【誤】
アが誤りです。
問2:正解②
<問題要旨>
「14世紀の危機」と呼ばれる時代のヨーロッパの状況について、正しい記述の組み合わせを選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
文「い」は誤りです。
②【正】
文「あ」:14世紀には、ペストの流行や内紛によりモンゴル帝国が衰退し、帝国が維持していた駅伝制(ジャムチ)などの交通網が機能不全に陥りました。これは正しい記述です。
文「い」:ノルマン人(ヴァイキング)の活動が活発だったのは8~11世紀頃であり、14世紀ではありません。したがって、この記述は誤りです。
よって、「あ」が正、「い」が誤であるこの選択肢が正解です。
③【誤】
文「あ」は正しい記述です。
④【誤】
文「あ」は正しいですが、文「い」は誤りです。
問3:正解④
<問題要旨>
グラフと問題文を参考に、17世紀から19世紀にかけての中国の人口変動とその影響について、正しい記述を選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
人口増加を支えたサツマイモやトウモロコシは、アメリカ大陸原産の作物です。アフリカ大陸ではありません。
②【誤】
グラフを見ると、人口が4億人(400,000千人)を超えたのは1851年頃です。清の最盛期である18世紀後半(1776年の時点)では、まだ4億人には達していません。
③【誤】
李自成の反乱による明滅亡(1644年)の人口は約1.5億人、洪秀全の挙兵(1851年)の人口は約4.3億人です。その間の増加数は約2.8億人であり、2億人を大幅に上回っています。
④【正】
問題文に、人口増加の結果として「東南アジアなど海外への人口流出が起こりました」 とあります。これが華僑の増加につながったとするこの記述は、問題文の内容と合致しており、正しいです。
問4:正解①
<問題要旨>
スリランカ(セイロン)の近現代史について、正しい記述を選ぶ問題です。
<選択肢>
①【正】
スリランカは独立後、多数派で仏教徒のシンハラ人と、少数派でヒンドゥー教徒のタミル人との対立が激化し、2009年まで続く長期の内戦状態にありました 。これは正しい記述です。
②【誤】
ウィーン会議(1815年)の結果、それまでオランダ領であったセイロン島は、イギリス領となりました。
③【誤】
スリランカは古くから上座部仏教が栄えた中心地であり、ここからタイなどの東南アジアへ仏教が伝わりました。伝播の方向が逆です。
④【誤】
19世紀後半、スリランカのプランテーションでは、病害で壊滅したコーヒーに代わって紅茶の栽培が拡大しました。
問5:正解②
<問題要旨>
資料2に登場する、インドとパキスタンの間の係争地の位置を地図中から選ぶ問題です。
<選択肢>
①【誤】
aはグジャラート地方を指します。
②【正】
資料2は、インド独立直後のインド・パキスタン間の戦争に言及しており 、両国が領有権を争う係争地とはカシミール地方を指します。地図中ではbがカシミール地方に該当します。
③【誤】
cはネパール付近の内陸部を指します。
④【誤】
dはガンジス川河口のベンガル地方を指します。
問6:正解④
<問題要旨>
資料1~3に記された南アジアの三つの出来事を、年代の古いものから順に正しく並べる問題です。
<選択肢>
資料1:スリランカ内戦の終結(2009年)。
資料2:第一次インド=パキスタン戦争(カシミール戦争)の停戦(1949年頃)。
資料3:バングラデシュの独立宣言(1971年)。
これらの出来事を年代の古いものから順に並べると、
資料2(1949年頃)→ 資料3(1971年)→ 資料1(2009年)
となります。この順序に合致する選択肢は④です。
①【誤】順序が異なります。
②【誤】順序が異なります。
③【誤】順序が異なります。
④【正】上記の通り、正しい年代順です。
⑤【誤】順序が異なります。
⑥【誤】順序が異なります。
問7:正解①
<問題要旨>
グラフを基に、特定の時期・地域における難民増加の要因について、正しい組み合わせを選ぶ問題です。
<選択肢>
①【正】
空欄エ:グラフでは1970年代末から「アジア・オセアニア」の難民が急増しています 。この時期に起こった「ソ連によるアフガニスタン侵攻」(1979年)は、大量のアフガン難民を生み出したため、原因として適切です。
空欄オ:2010年代に難民が急増しているのは「中東・北アフリカ」です 。これはシリア内戦の激化などが背景にあります。
したがって、この組み合わせは正しいです。
②【誤】
オに入れる地域が誤りです。
③【誤】
エの「ターリバーン政権の崩壊」は2001年の出来事であり、1970年代末の難民急増の原因としては時期が合いません。
④【誤】
エとオの両方が誤りです。
問8:正解②
<問題要旨>
グラフと歴史的知識を基に、難民の発生原因に関する二人の学生のメモの正誤を判断する問題です。
<選択肢>
①【誤】
若林さんのメモは正しい内容です。
②【正】
赤石さんのメモ:
1970年代後半にアフリカの難民が増加した原因を「ルワンダ内戦」としていますが、ルワンダ内戦が激化したのは1994年であり、時期が異なります。したがって、このメモは誤りです。
若林さんのメモ:
1990年代前半にヨーロッパの難民が増加した原因を「ユーゴスラヴィアの分裂と解体に伴って発生した紛争」 としています。グラフの動向と、ボスニア紛争などで多数の難民が発生した史実は一致しており、このメモは正しいです。
したがって、若林さんのみが正しいと判断できます。
③【誤】
赤石さんのメモが誤りです。
④【誤】
若林さんのメモは正しい内容です。