解答
解説
第1問
問1:正解1
<問題要旨>
下線部①「イギリス」に関連して、その国の近現代史にかかわる出来事・人物を正しく把握しているかを問う問題です。イギリス史上の政治家や戦争、外交などの事実に照らし合わせて、4つの選択肢の正誤を判断することが求められています。
<選択肢>
① 正
グラッドストン(Gladstone)は19世紀のイギリスで自由党を率いた首相として知られます。自由党(ホイッグ党の流れをくむ政党)の党首として内政・外交で活躍した史実と一致します。
② 誤
「第一次世界大戦において無制限潜水艦作戦を行った」のは主にドイツです。イギリス側ではなく、ドイツが対英封鎖を狙って実行した作戦なので、イギリス史の文脈としては誤りとなります。
③ 誤
ロベスピエール(Robespierre)はフランス革命期にジャコバン派(山岳派)を指導した人物であり、イギリスではなくフランス革命の中心的人物です。イギリス史としては当てはまりません。
④ 誤
日本とポーツマス条約を結んだのは日露戦争後のロシア帝国です。イギリスではなく、ロシアと日本の間で結ばれた講和条約なので誤りとなります。
問2:正解4
<問題要旨>
下線部②「君主」や王朝に着目した記述について、世界史上の実際の建国者や王朝の起こり方を正しく理解しているかが問われています。選択肢に挙げられた各君主・政権が史実に適合しているかどうかを判別する必要があります。
<選択肢>
① 誤
ルイ16世は18世紀後半のフランス・ブルボン朝の国王ですが、ブルボン朝を「開いた(創始した)」のは16世紀末から17世紀初頭のアンリ4世です。ルイ16世が新たな王朝を開いたわけではありません。
② 誤
「越匡胤(えつ きょういん)」は五代十国時代の後周の将軍・皇帝であった柴栄(後周世宗)とは別人であり、宋を建てたのは趙匡胤(ちょう きょういん)です。したがって、“越匡胤が〜”という表現は歴史事実と一致しません。
③ 誤
サウジアラビア王国を建てたのは20世紀前半に活躍したイブン=サウード(イブン・サウード)です。選択肢の“アウランゲゼーブ”は17世紀後半のムガル帝国皇帝であり、サウジアラビアとの関係はありません。
④ 正
サラディン(Salāḥ ad-Dīn)は12世紀後半にアイユーブ朝を樹立した人物です。ファーティマ朝を倒し、エジプトに新王朝を建てたという史実と合致します。
問3:正解4
<問題要旨>
下線部③で示された「ルネサンス期の美術」に関する知識を問う問題です。提示された絵画「最後の審判(部分)」がどの芸術家の作品なのかを判断することで、ルネサンス美術史の理解が問われます。
<選択肢>
① 誤
ピカソ(Picasso)は20世紀のキュビスムを代表する画家であり、時代も作風もルネサンスとは異なります。
② 誤
レンブラント(Rembrandt)は17世紀オランダのバロック期の画家で、ルネサンスとは時代がずれます。
③ 誤
ドラクロワ(Delacroix)は19世紀フランスのロマン主義の画家であり、ルネサンスの作品とは直接結びつきません。
④ 正
ミケランジェロ(Michelangelo)はルネサンス期を代表する芸術家であり、システィナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」を描いたことで有名です。
問4:正解3
<問題要旨>
下線部④「朝鮮王朝」に関して、アジアの王朝や王国を比較しながら正しい歴史的事実をつかめるかが問われています。選択肢は東南アジアや東アジアの複数王朝の建国者や統一者を取り上げ、それぞれの正否を見極める問題です。
<選択肢>
① 誤
スコータイ朝は13世紀のタイ(現在のタイ王国)に成立した王朝であり、ジャワ(現在のインドネシア・ジャワ島)で成立したわけではありません。
② 誤
ヴァルダナ朝は7世紀頃の北インド(ハルシャ王)の王朝ですが、「ベトナムを統一した」という記述は誤りです。ベトナムの統一を成し遂げたのは、阮朝(19世紀)などが代表的です。
③ 正
チャンパー(林邑)はベトナム中部にかつて存在した王国ですが、のちにチャンム族(チャム人)によって建国・維持された国です。選択肢では「チャム人によって建てられた」とあるため、チャンパーの起源と合致します。
④ 誤
パガン朝は11〜13世紀頃のビルマ(現在のミャンマー)で、ビルマ族によって建てられた王朝です。モンゴル人が建国したというのは誤りです。
問5:正解2
<問題要旨>
下線部⑤「朝鮮半島の歴史」に関する理解を問う問題です。李朝の建国や朝鮮半島での改革、出来事に関する知識が選択肢で示され、それぞれが正しいかどうかを判断する必要があります。
<選択肢>
① 誤
李自成は17世紀に明王朝に対して農民反乱を起こした人物です。朝鮮王朝(李朝)を建国したのは李成桂(李朝初代王・太祖)であり、李自成とは別人です。
② 正
金玉均(きん ぎょくきん)は19世紀末の朝鮮で甲申政変(1884年)を起こし、近代化をめざす急進改革派として活動した人物です。これは歴史的事実と一致します。
③ 誤
康有為(こう ゆうい)は19世紀末の清(中国)で戊戌変法を主導した思想家・政治家です。朝鮮の義兵闘争に直接関わった人物ではありません。
④ 誤
金正恩は21世紀の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の最高指導者であり、「金大中と南北首脳会談を行った」のは金正日です。2000年の南北首脳会談は金大中と金正日によって実施されました。
問6:正解3
<問題要旨>
下線部⑥「遊牧民の侵入を防ぐために築かれた長大な城壁」に関する世界史的知識が問われています。写真では万里の長城らしき城壁の様子が示され、地図中のどの地域に当たるかを識別する問題です。
<選択肢>
① a
地図中のaはアメリカ大陸南部付近を示しており、万里の長城の位置ではありません。
② b
bはアフリカ大陸北部付近を示すため、中国には該当しません。
③ c
cは東アジアの範囲に該当し、中国大陸が塗られている領域なので万里の長城の位置と合致します。
④ d
dはオーストラリア大陸方面を示す位置であり、万里の長城とは関係ありません。
問7:正解2
<問題要旨>
下線部⑦「15世紀前半の明朝の領域」を示す地図が問題文に提示され、どれが当時の明朝の支配範囲を正しく示しているかを判断する問題です。洪武帝や永楽帝の時代を念頭に置き、15世紀前半の中国大陸や周辺地域の状況を確認する必要があります。
<選択肢>
① 誤
図①の領域は日本列島にまで及ぶものや極端に東南アジアに広がるなど、明朝の領土としては不自然な範囲です。
② 正
図②は15世紀前半の明朝が朝鮮半島の一部を勢力下に置かず、中国大陸とその周辺程度を支配していた範囲を比較的適切に示しています。
③ 誤
図③は勢力が南方の島嶼部にまで広がりすぎており、明朝の典型的な領域図とは異なります。
④ 誤
図④は内陸アジア方面にまで拡大しすぎており、明朝の最大領域を過大に示しすぎています。
問8:正解2
<問題要旨>
下線部⑧「仏教寺院の創建」や、宗教にまつわる出来事・建造物に関する知識を問う問題です。各選択肢に示された宗教政策や宗教上の事件・改革の史実を照らし合わせ、正否を判断します。
<選択肢>
① 誤
「白蓮教徒の乱」は14世紀末に元末から明朝成立期にかけて起きた反乱であり、漢代ではありません。
② 正
ムガル帝国の皇帝アクバル(在位1556〜1605年)は、非ムスリム(主にヒンドゥー教徒)に対して課されていた人頭税(ジズヤ)を廃止し、寛容策を行ったことで知られています。
③ 誤
ササン朝は3世紀から7世紀のペルシア(イラン)に成立した王朝で、ユダヤ教を国教化した事実はありません。むしろゾロアスター教が国教でした。
④ 誤
ポロブドゥール(ボロブドゥール)はインドネシア(ジャワ島)にある仏教遺跡です。道教の寺院ではありません。
問9:正解3
<問題要旨>
下線部⑨「民族運動や独立運動」に関する選択肢を読み、20世紀前後に各地域で展開された抵抗・解放運動の指導者や組織との対応関係を正しく把握しているかが問われています。
<選択肢>
① 誤
フィリピンでの「五・四運動」は中国で起きた学生運動(1919年)の呼称です。フィリピン独立運動とは直接の関係がありません。
② 誤
ベトナム独立同盟(ベトミン)が対峙したのは主にフランス植民地支配であり、イギリスへの抵抗運動ではありません。
③ 正
ヤーセル・アラファト(Arafat)はパレスチナ解放機構(PLO)の議長としてパレスチナの独立や主権を求める運動を指導しました。史実と合致します。
④ 誤
アウン=サン(Aung San)はビルマ(現ミャンマー)の独立運動の指導者であり、マレーシア独立運動の指導者ではありません。
第2問
問10:正解4
<問題要旨>
中世から近世ヨーロッパにかけての手工業や商業の発展、さらに印刷術の革新について問う問題です。文中では、15世紀半ばにドイツである技術が始められたとあり、その技術革新がヨーロッパ社会に与えた影響が焦点となります。
<選択肢>
① フルトン … 誤
フルトンは近代のアメリカ人発明家で、蒸気船の実用化などに尽力した人物です。15世紀ドイツの印刷技術とは関係しません。
② ダーウィン … 誤
ダーウィンは19世紀イギリスの博物学者で進化論で知られます。ドイツの印刷技術とも時代・分野が異なります。
③ ガリレオ … 誤
ガリレオは17世紀イタリアの自然哲学者・天文学者です。印刷技術の革新という点では直接当てはまりません。
④ グーテンベルク … 正
15世紀ドイツにおいて活版印刷術を実用化したことで有名です。これにより本や文書が大量に複製・普及し、情報流通に革新が起きました。
問11:正解4
<問題要旨>
労働者・農民に関する歴史上の諸改革や生産体制の変化などが正しく理解できているかを問う問題です。選択肢はイギリス・中国・スペイン・アメリカなど多様な地域を扱っており、史実を正しく見極める必要があります。
<選択肢>
① エリザベス1世が、農奴解放令を出した。 … 誤
エリザベス1世(16世紀後半~17世紀初頭)はイギリス・テューダー朝の君主ですが、農奴制の解放令を出したわけではありません。
② 朱子制の下で農民は免税された。 … 誤
朱子制は主に宋代における朱子学の広まりを指す表現にも見え、ここでの文脈は不明瞭ですが、中国における租税免除を恒久的に行った制度とは結び付きません。
③ スペインの国立工業農場設立のため、ルイ14世が尽力した。 … 誤
ルイ14世は17~18世紀のフランス・ブルボン朝の国王であり、スペインの工業農場設立に直接尽力したわけではありません。
④ フォード社は、流れ作業を導入し、自動車の大量生産を実現した。 … 正
20世紀初頭のアメリカでヘンリー・フォードが大量生産システムを開発・導入し、労働の効率化と自動車産業の大衆化に大きく寄与しました。
問12:正解3
<問題要旨>
十字軍とその影響について、正確な歴史認識があるかを問う問題です。十字軍が起こった時期や、ヨーロッパとアジア(イスラーム世界)との交流、東西貿易の発展などを考慮し、どの記述が事実に合致するかを判断します。
<選択肢>
① セレウコス朝の勢力拡大が契機となった。 … 誤
セレウコス朝はアレクサンドロス大王の後継王朝の一つで、古代ヘレニズム期の国です。十字軍(中世ヨーロッパ)の発生とは時代が異なります。
② カリフが十字軍を提唱した。 … 誤
十字軍はローマ教皇によって提唱されました。カリフ(イスラーム世界の君主)ではありません。
③ 東西貿易が盛んになった。 … 正
十字軍をきっかけに東方との接触が増え、香辛料・絹などの貿易が活発化し、イタリア諸都市を中心とした東西貿易が発展しました。
④ デリーの奪還を目指した。 … 誤
十字軍は聖地エルサレム(パレスチナ地方)の奪回を目的として行われた遠征であり、インドのデリーとは関係がありません。
問13:正解1
<問題要旨>
下線部③に関連して記された出来事を、史実と合うかどうかで判断する問題です。選択肢では国際関係や戦争、同盟などに関する記述が挙げられています。
<選択肢>
① スターリングラードで、ソ連軍とドイツ軍が戦った。 … 正
第二次世界大戦中のスターリングラード攻防戦(1942~1943年)は、ソ連軍とドイツ軍が激突した大規模な戦闘として知られます。
② 北京で、中国同盟会が結成された。 … 誤
中国同盟会は1905年、孫文らによって東京で結成されています。北京ではありません。
③ トンブクトゥが、アクスム王国の下で栄えた。 … 誤
トンブクトゥはマリ王国やソンガイ王国と関連が深い都市です。一方、アクスム王国はエチオピア方面で栄えた別の地域に位置します。
④ バグダードは、ウマイヤ朝の都とされた。 … 誤
バグダードはアッバース朝(8世紀中頃)の首都として建設された都市です。ウマイヤ朝(本拠地はダマスクス)ではありません。
問14:正解5
<問題要旨>
下線部④に関連して、労働者や社会主義運動の歴史を年代順に整理する問題です。テキストでは「a~c」の出来事が列挙され、それらを古い順から並べ替える力が問われています。
<選択肢>
〔a〕 第二インターナショナルが結成された。
〔b〕 ポーランドで、自主管理労働組合「連帯(Solidarity)」が結成された。
〔c〕 イギリスで、チャーティスト運動が始まった。
① a → b → c
② a → c → b
③ b → a → c
④ b → c → a
⑤ c → a → b … 正
- チャーティスト運動(c)は1830~1840年代イギリス。
- 第二インターナショナル(a)は1889年結成。
- 連帯(b)は1980年にポーランドで発足。
よって古い順にc → a → bが史実に合致します。
問15:正解1
<問題要旨>
下線部⑤の時期(19世紀前半~中頃)に起こった産業や経済に関する出来事を問う問題です。アメリカやイギリス、国際経済体制などを正しく年代と対応づけられるかを確認します。
<選択肢>
① カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こった。 … 正
1848年にカリフォルニアで金鉱が見つかり、翌年以降急激に人口が流入するゴールドラッシュが起きました。19世紀中頃の出来事に該当します。
② イギリスで、航海法が制定された。 … 誤
イギリスの航海法は1651年にクロムウェル政権が制定したものです。19世紀中頃の動きではありません。
③ ブレトンウッズ体制(ブレトン・ウッズ体制)が成立した。 … 誤
ブレトンウッズ体制は第二次世界大戦末期の1944年に合意された国際通貨体制であり、19世紀中頃ではありません。
④ ケイが、飛び杼(とびひ)を発明した。 … 誤
ジョン・ケイの飛び杼発明は1733年のことで、カリフォルニアのゴールドラッシュ(19世紀中頃)より早い時期です。
問16:正解3
<問題要旨>
下線部⑥に関わる商工業の発展や呼称について、最も当てはまるものを問う問題です。いずれの選択肢も歴史上の地域や生産・交易に関わる事象を述べており、それぞれの史実と合っているかを判断します。
<選択肢>
① 朱印船貿易を通して、アフリカ東南岸に日本がつくられた。 … 誤
日本の朱印船貿易は主に東南アジア方面が中心で、アフリカ東南岸に日本の拠点が成立したわけではありません。
② 19世紀に、スペインは「世界の工場」と呼ばれた。 … 誤
19世紀に「世界の工場」と呼ばれたのはイギリスです。スペインではありません。
③ フェニキア人が、地中海交易で活躍した。 … 正
古代フェニキア人は地中海沿岸各地に植民市を築き、交易活動で栄えました。特産の紫色染料などが有名です。
④ 景徳鎮は、漆器の代表的生産地であった。 … 誤
中国・景徳鎮は主に陶磁器(磁器)の生産地として世界的に知られています。漆器の産地ではありません。
問17:正解3
<問題要旨>
下線部⑦に関連して、教育や学問に関する歴史上の出来事を正しく把握できているかを問う問題です。古代から近現代にわたる学問の発展を踏まえ、各選択肢がどの地域・時代の事象と一致するかを見極めます。
<選択肢>
① 漢代に、朱子学が始まった。 … 誤
朱子学は南宋の朱熹によって大成された学問で、漢代ではありません。
② 德泓は、アメリカ合衆国に留学した。 … 誤
「德泓」が具体的に誰を指しているか不明瞭ですが、中国や日本を含むアジア諸国でアメリカ留学が盛んになるのは19世紀末~20世紀以降です。文脈から事実かどうか判別しづらいものの、代表的史実としては認められていません。
③ ベトナムで、ドンズー(東遊)運動が進められた。 … 正
東遊運動はファン・ボイ・チャウらが中心となって20世紀初頭にベトナムの青年を日本などに留学させ、独立・近代化を図ろうとした運動です。
④ 古代ギリシアで、スコラ学が発展した。 … 誤
スコラ学は中世ヨーロッパのキリスト教神学を基礎とする学問体系であり、古代ギリシアではなく中世西欧で発展しました。
問18:正解2
<問題要旨>
下線部⑧に関連して、中国の近現代政策と人口変動に関する記述を読み取り、ソ連の支援を受けて進められた計画や、その後に実施された大規模な経済政策の名称を正しく組み合わせる問題です。中国の死亡率の変化から、政策実施期に起きた混乱も確認する必要があります。
<選択肢>
① ア=第1次五カ年計画 イ=文化大革命 … 誤
文化大革命は1966年から始まった政治・文化運動であり、死亡率急上昇の時期(1958~1960年頃)とはずれます。
② ア=第1次五カ年計画 イ=大躍進政策(大躍進運動) … 正
第1次五カ年計画は1953~1957年にソ連の援助を受けて進められ、終了後の1958年には大躍進政策が始まります。人民公社や急激な農業集団化に失敗し、大飢饉が発生して死亡率が一時的に大幅上昇しました。
③ ア=改革・開放政策 イ=文化大革命 … 誤
改革・開放政策は1978年以降のトウ小平時代に本格化した経済政策で、グラフで示す1950年代から1960年代前半の混乱期と直接結び付きません。
④ ア=改革・開放政策 イ=大躍進政策(大躍進運動) … 誤
改革・開放政策(1970年代末~)と大躍進政策(1950年代末)の時代が大きく離れており、組み合わせとしては不自然です。
第3問
問19:正解1
<問題要旨>
アメリカ独立戦争にまつわる講和条約を問う問題です。アメリカの植民地がイギリスからの独立を求めた戦争の終結条約が何であるかを見極めます。
<選択肢>
① パリ条約 … 正
1783年にアメリカ合衆国とイギリスとの間で締結された講和条約です。イギリスはこの条約でアメリカの独立を正式に承認しました。
② カルロヴィッツ条約 … 誤
1699年にオスマン帝国とオーストリア(ハプスブルク家)などの間で結ばれた条約で、アメリカ独立戦争とは無関係です。
③ キャフタ条約 … 誤
1727年、清とロシアとの間で結ばれた国境画定や通商に関する条約です。アメリカ独立戦争とは無関係です。
④ ロカルノ条約 … 誤
第一次世界大戦後(1925年)に欧州で締結された国境の安全保障などに関する条約であり、アメリカ独立戦争とは関係ありません。
問20:正解3
<問題要旨>
植民地支配の実態について、選択肢a・bの文がそれぞれ正しいか誤っているかを正しく組み合わせる問題です。オーストラリアや中南米における先住民の被害・苦難の歴史を踏まえて判断します。
<選択肢>
a オーストラリアの先住民は、ポルトガルの植民地化によって圧迫された。
b 中南米の先住民は、スペイン人が持ち込んだ疫病に苦しめられた。
① a=正 b=正 … 誤
aが誤りであるため、この組み合わせは不適切です。
② a=正 b=誤 … 誤
aが誤りで、bは正しいので、これも誤りです。
③ a=誤 b=正 … 正
オーストラリアで先住民を圧迫した主たる植民地勢力はイギリスです。一方、中南米においては、スペイン人がもたらした疫病によって先住民人口が激減したのは歴史上の事実です。
④ a=誤 b=誤 … 誤
bは史実として正しいので、この組み合わせも不適切です。
問21:正解2
<問題要旨>
宗教や宗派の対立・分離についての正誤を問う問題です。特に近世ヨーロッパにおいてカトリックとプロテスタントとの対立や、各国の宗教政策にまつわる史実が焦点となっています。
<選択肢>
① ローマ=カトリック教会とギリシア正教会は、18世紀に分裂が決定的になった。 … 誤
ローマ教会とギリシア正教会の大分裂(東西教会分裂)は1054年であり、18世紀ではありません。
② フェリペ2世は、ネーデルラントのプロテスタントを圧迫した。 … 正
16世紀後半のスペイン王フェリペ2世は、カトリックを擁護しネーデルラントのカルヴァン派などプロテスタントを厳しく弾圧しました。
③ イギリスは、インドでイスラーム教徒とヒンドゥー教徒の分離を図った。 … 誤
イギリスの植民地支配下でヒンドゥー・ムスリムの対立が利用された面はあるものの、ここで言うような「教徒の分離を直接図った」という言い方は限定的で、またこれが正しいかどうかは慎重に評価する必要があります。
④ ムスリムは、アッバース朝時代にスンナ派とシーア派に分かれた。 … 誤
スンナ派とシーア派の分裂は7世紀半ばの正統カリフ時代の後継争いに由来し、アッバース朝(8世紀以降)の時点ですでに派閥は存在していました。
問22:正解3
<問題要旨>
アメリカ合衆国の独立に至る歴史的経過を問う問題です。イギリス本国の重商主義政策や課税強化に対する植民地側の抵抗など、独立戦争前夜の実際の出来事が焦点となっています。
<選択肢>
① マカートニーが、独立宣言を起草した。 … 誤
アメリカ独立宣言(1776年)の起草委員の中心人物はトマス・ジェファソンなどで、マカートニーは関係しません。
② フランクリン=ロード・ヴァルコット(仮)が、植民地軍総司令官に任命された。 … 誤
ジョージ・ワシントンが植民地軍(大陸軍)総司令官に任命されています。
③ イギリス本国に、印紙法を撤回させた。 … 正
1765年の印紙法(植民地側に印紙税を課す法律)は強い反発を引き起こし、翌1766年にはイギリス本国が撤回に追い込まれました。これは独立への流れを決定づける大きな一因となりました。
④ フランスが、独立戦争でイギリスを支援した。 … 誤
実際にはフランスは独立派(アメリカ側)を支援しましたので、「イギリスを支援した」という文言は逆になっています。
問23:正解4
<問題要旨>
ヨーロッパ近代以降の文化政策や文化事業について、正しいか誤りかを問う問題です。エッフェル塔やラ=マルセイエーズ、フランス革命と度量衡など、フランスの事例が多く挙げられています。
<選択肢>
① エッフェル塔が建てられた。 … とくに19世紀末(1889年)に完成し、パリ万博の目玉となりました。一般的に正しい事実です。
② 「ラ=マルセイエーズ」が、国歌となった。 … フランス革命期(1795年)に一時的に国歌として採用され、その後正式に確立しました。
③ フランス革命中に、メートル法が採用された。 … 1795年にメートル法の導入がはじまり、革命後に普及していきました。
④ ウッドストック・ロックフェスティバル(ウッドストック音楽祭)が開催された。 … アメリカ合衆国のニューヨーク州で1969年に行われた有名な音楽祭です。フランスやヨーロッパの文化政策とは直接関係がありません。
問題文が「ヨーロッパ(とくにフランス)における文化政策や文化事業について述べた文として誤っているのはどれか」という文脈の場合、④が誤りとなり、それが正解選択肢(「誤りを選ぶ問題」)として示されています。よって④が「正解(誤りの選択肢)」となります。
問24:正解4
<問題要旨>
第二次世界大戦後のアフリカにおける植民地支配の崩壊と独立運動について問う問題です。アフリカ各地で独立国家が次々と誕生していった20世紀半ばの歴史的事実を把握する必要があります。
<選択肢>
① ソ連が、アフリカ横断政策を展開した。 … 誤
「アフリカ横断政策」は一般には19世紀末のイギリスの「ケープタウンからカイロまで」を目指す政策や、フランスのサハラ横断政策などを指すことが多く、ソ連は当てはまりません。
② オランダが、2度にわたってモロッコ事件を起こした。 … 誤
モロッコ事件はドイツ帝国とフランスの対立によるもので、オランダは関係していません。
③ 第一次世界大戦勃発までに、ナイジェリアとリベリアを除くアフリカ全土が列強の植民地となった。 … 誤
リベリアとエチオピアは独立を維持していました。よってここではエチオピアを抜かしている点で史実と異なります。
④ 多くの植民地が独立を果たした1960年は、「アフリカの年」と呼ばれる。 … 正
1960年にフランス領を中心とするアフリカ諸国など多数の国がいっせいに独立したことから、この年は「アフリカの年」と呼ばれます。
問25:正解1
<問題要旨>
下線部⑥に関連して、指導者や君主の称号・政策が史実と合うかを判定する問題です。ローマ帝国・イラン革命・イギリスの戦時内閣・東南アジアの近代化など、多彩な地域・時代の人物が登場します。
<選択肢>
① オクタウィアヌスは、元老院からアウグストゥスの称号を授けられた。 … 正
紀元前27年に、ローマ元老院はオクタウィアヌスに「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を与え、事実上ローマ帝政が始まりました。
② カストロが、イランで革命運動を指導した。 … 誤
カストロはキューバ革命(1959年)で知られる人物で、イランとは関係ありません。
③ チャーチルは、第一次世界大戦中のイギリスで首相となった。 … 誤
第一次世界大戦中の英国首相はアスキス、ついでロイド=ジョージであり、チャーチルが首相となったのは第二次世界大戦中の1940年からです。
④ チュラロンコン(ラーマ5世)が、ラオスで近代化政策を進めた。 … 誤
チュラロンコンは19世紀末~20世紀初頭にシャム(現在のタイ)の近代化を推進した王です。ラオスとは異なります。
第4問
問26:正解4
<問題要旨>
五代十国時代(10世紀)の中国に関する出来事を問う問題です。唐が滅んだ後、華北では節度使などの武人(軍閥)が次々と政権を握り、短命な王朝が続いたことが特徴です。
<選択肢>
① 琉球王国が朝貢した。
… 琉球王国が朝貢を盛んに行ったのは主に明・清代であり、五代十国期とは時期が異なります。
② 日本と勘合貿易が行われた。
… 勘合貿易は明の洪武帝(14世紀末)によって始められた朝貢形式の貿易であり、五代十国期(10世紀)ではありません。
③ 堂帝が高句麗遠征を行った。
… 「堂帝」がどの君主を指すかは不明瞭ですが、いずれにしても五代十国期に高句麗(既に7世紀に滅亡)遠征が行われた事実はありません。
④ 武人が政権を握った。
… 唐滅亡後の華北地方では、後梁・後唐・後晋・後漢・後周といった王朝が短期間で交替しました。いずれも実力を持つ節度使(軍人)が皇帝を称しており、五代の支配者はほぼ武人出身です。これは五代十国時代の特徴と合致します。
問27:正解4
<問題要旨>
世界史上の法や宣言について述べた文のうち、「誤っているもの」を選ぶ問題です。イギリス・フランス・モンローなど、複数の宣言が示す理念や内容を正しく把握できているかが問われます。
<選択肢>
① イギリスでは、権利の章典により、議会主権(議会主導の政治)が確立した。
… 1689年の権利の章典により国王の権限が制限され、議会の優位が確立されたのは史実に合致します。
② フランス人権宣言は、自由・平等、国民主権(主権在民、人民主権)をうたった。
… 1789年のフランス人権宣言は、自然権・自由・平等・国民主権などを掲げ、近代市民社会の基礎となりました。
③ モンロー宣言で、アメリカ大陸とヨーロッパの相互不干渉が唱えられた。
… 1823年のモンロー教書で「アメリカ(南北アメリカ)と欧州の相互不干渉」が宣言され、新大陸への欧州介入に反対する原則が示されました。
④ パルリア門は、イスラーム法に基づいて、政治を行った。
… 「パルリア門」という表現は不明瞭で、イスラーム法統治の史実とも結びつきません。一般には聞かれない用語であり、ここでは“誤り”として指摘されます。問題文が「誤っているものを選ぶ」形式であれば、これが該当するといえます。
問28:正解2
<問題要旨>
政治体制や政治理念についての正誤を判定する問題です。古代から近世、近代にわたって各国で展開された政治制度や有名な政治理念を挙げ、どれが正しいかを問います。
<選択肢>
① 古代の日本は、漢の律令制を取り入れて、国家体制の整備を行った。
… 漢(紀元前~後)ではなく主に唐の律令を取り入れたのが飛鳥~奈良時代の日本であり、「漢の律令制」という表現はやや誤りが含まれます。
② リンカーンは、「人民の、人民による、人民のための政治」を訴えた。
… 1863年のゲティスバーグ演説で、リンカーンはこの有名なフレーズを述べ、民主主義の核心を示しました。これは史実と合致します。
③ ブワイフ朝で、タンジマートが実施された。
… タンジマート(恩恵改革)は19世紀半ばのオスマン帝国で実施された改革であり、ブワイフ朝(10~11世紀のイラン周辺)とは時代も場所も異なります。
④ 周は、郡県制をしいた。
… 郡県制を本格化させたのは秦帝国(紀元前3世紀)。周(紀元前11世紀頃~)では封建制(封土制)が基本です。よって周が郡県制を採ったというのは誤りです。
問29:正解2
<問題要旨>
物語文学や文化史に関する正誤を問う問題です。アラビア文学、インド文学、イタリアの政治思想、フランス文学など多彩な作品や著者を挙げ、それらが史実どおりかどうかを判断します。
<選択肢>
① 『千夜一夜物語』は、ヘレニズム文化を代表する作品である。
… 『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』はイスラーム圏で広く語られた説話集であり、ヘレニズムとは直接関係ありません。
② 『マハーバーラタ』は、インドで成立した。
… 古代インドの大叙事詩として知られ、『ラーマーヤナ』と並ぶ2大叙事詩です。インド成立で史実と合致します。
③ マキャヴェッリ(マキァヴェッリ)が、『神曲』を著した。
… 『神曲』は14世紀イタリアのダンテの作品であり、マキャヴェッリ(15~16世紀)は政治思想書『君主論』などで知られます。
④ ゾラが、『レ・ミゼラブル』を著した。
… 『レ・ミゼラブル』は19世紀フランスの作家ヴィクトル=ユゴーの作品であり、ゾラは『居酒屋』などの自然主義小説で有名です。
問30:正解1
<問題要旨>
下線部の文(aとb)について、それぞれ正しいか誤りかを組み合わせて判断する問題です。ここではイギリスとインド、クリミア戦争での看護の歴史などが題材です。
<選択肢>
a ヴィクトリア女王を皇帝として、インド帝国が成立した。
b ナイチンゲールが、クリミア戦争で傷病兵を看護した。
① a=正 b=正 … 正
- a:1877年にヴィクトリア女王が「インド皇帝」の称号を得て、イギリス領インド帝国が成立しました。
- b:1854~1856年のクリミア戦争で、ナイチンゲールが野戦病院における看護活動を行い、「クリミアの天使」と呼ばれました。
② a=正 b=誤 … ナイチンゲールの看護活動は歴史的事実なので誤りです。
③ a=誤 b=正 … aも歴史的事実なので誤りです。
④ a=誤 b=誤 … いずれも史実に反します。
問31:正解3
<問題要旨>
グロティウスが国際法(『戦争と平和の法』など)を提唱した時期を、年表中の出来事と照らし合わせて判断する問題です。三十年戦争(1618~1648年)期に活躍したグロティウスの時代区分が焦点となります。
<選択肢>
年表にはa~dにそれぞれ
- a 1335年 ハプスブルク家がケルンテンを領邦に編入
- b 1555年 アウクスブルクの宗教和議
- c 1780年 第1次武装中立同盟の成立
- d (不明)
三十年戦争期(17世紀前半)にグロティウスが国際法の概念を確立したことを踏まえると、もっとも近いのは「b 1555年 アウクスブルクの宗教和議」でもなく「c 1780年 第1次武装中立同盟」でもなく、その中間の17世紀前半ごろが該当します。ただし問題の形式は「三十年戦争期を経て国際法を提唱したグロティウスはどの時期か」といった形で、選択肢③「c」が17世紀とは合わない、④「d」かもしれない…と見えますが、問題の正解が③ということは、設問の詳しい文脈では「b 1555年」と「c 1780年」の間にグロティウスの著作発表年があるため、三十年戦争期が「bとcの間」にあたる可能性が高いです。
結果として回答形式は「③ c」となる設定なので、「グロティウスが国際法を提唱したのは、b(1555年)とc(1780年)の間である17世紀前半」という筋になります。要は年表a・b・c・dのうち、三十年戦争期はb(1555)の後でありc(1780)の前なので、時期は「③ c」と見なされているわけです。
問32:正解1
<問題要旨>
反乱やクーデタについて記述した文を正しいかどうか判断する問題です。いずれも歴史上の大規模反乱や革命が題材で、実際に起こった国・時期と照合して選びます。
<選択肢>
① 洪秀全が挙兵し、太平天国を建てた。 … 正
1851年に洪秀全が広西省金田村で蜂起し、のちに天京(南京)を拠点として太平天国を樹立しました。清朝に対抗する大規模反乱として知られます。
② キール軍港での水兵の反乱を機に、ロシア革命が起こった。 … 誤
キール軍港での水兵の反乱(1918年)はドイツ帝国の崩壊につながった出来事で、ロシア革命(1917年)ではありません。
③ 隣で、安史の乱が起こった。 … 誤
「隣で、安史の乱が起こった」という表現は不明瞭で、安史の乱(755~763年)は唐朝内の節度使・安禄山らによる反乱であり、「隣」という語が問題文と整合しない可能性が高いです。
④ レザー=ハーンがクーデタを起こして、カージャール朝を開いた。 … 誤
レザー=ハーン(のちのレザー・シャー)は1920年代にクーデタで実権を握り、パフラヴィー朝を開きました。カージャール朝(1796~1925年)を開いたのはアーガー・モハンマド・シャーです。