解答
解説
第1問
この文章では、講義やノート取り・記憶などの学習行為から、身の回りの物・環境を人間が意図的に作り変える「デザイン」の働きまでを一貫して論じ、以下のような主張を展開しているのが特徴である。
- 講義・ノート取りと学習
受講者が講義内容をメモしたりノートをとったりする行為は、単に覚えるための補助にとどまらず、自分にとって意味ある知識や情報を再構成するプロセスでもある。こうした行為を通じて、学習者は世界を理解すると同時に、自らの記憶や思考を“設計”している。 - アフォーダンスの概念
“アフォーダンス”とは、ある物や環境が人間の行動をどのように可能にするかという概念である。文章中の例として「カップに取っ手をつけると持ち方が変わる」ように、物の形状や設計が人間の使い方や行為の幅を拡張し、結果として世界の見え方や価値観にも影響を及ぼす。 - デザインの本質と人工物化
人間は世界をそのまま受け入れるだけでなく、道具や建造物など多様な「人工物」をつくり出して環境を変えてきた。こうしたデザイン行為は、物理的な形状だけでなく、文化・歴史・社会的背景とも結びつき、人の行動や思考を再編成する力がある。 - 人間と世界の相互作用
デザインされ人工物化された環境で暮らすことにより、人間の認識や行動パターンは変化し続ける。逆に、人間がさらに新たな価値や用途を見いだして環境を更新していくことで、新たな知や行動が生まれる。このように、人間と世界は絶えず相互に影響し合いながら変容を続ける。
要するに本文は、ノートや講義などの学習過程からアフォーダンス・デザイン論に至るまで、人間が環境とどのように関わり、作り変え、そこからどのように新たな行為・思考・価値が生まれるかを論じている。そしてデザインとは「人工物や環境の改変を通して人間の行動や認識を組み替え、新たな可能性を開く営み」である、という見方を提示している。
第2問
本文は、井上荒野の小説「キュウリいろの馬」からの一節で、郁子(いくこ)という女性が夫・俊介を亡くした後の心情や周囲の出来事が描かれています。郁子は息子の写真やかつて夫と撮った写真を整理しながら、過ぎ去った日々を回想している。作中で語られるのは、以下のようなポイントです。
- 亡き夫への思いと後悔
郁子は夫を失った悲しみの中、彼とのやりとりや思い出をたびたび振り返る。とりわけ夫の死の瞬間や彼を看取ったときの感情が強く想起され、もっと何かできたのではという後悔もにじむ。 - 写真をめぐる回想
郁子は自宅や実家で見つかった写真を通じて、自分の若い頃や夫・息子との暮らし、友人との交流を思い出す。写真を整理しつつも、簡単には処分できない感情が働き、思い出を手放しきれない様子が描かれている。 - 旧友や同級生との再会・つながり
かつての同級生や知人に写真を借りたり返したりする必要が生じる場面があり、郁子は過去の人間関係を回想する。夫の死後、改めて人とのつながりや自分の過去の姿を考え直すきっかけになっている。 - “キュウリの馬”の象徴性
タイトルにもある「キュウリの馬」(死者の霊を乗せるための精霊馬)は、夫や亡くなった者たちが帰ってくるお盆の風習を示唆している。郁子にとっては、死者との「一時の再会」と別れを象徴する存在となっており、作中でも郁子の心理や季節感と結びついて描かれている。
全体として、郁子が夫の死を受け止めながら、写真や人とのやりとりをきっかけに自分の人生を振り返る過程が描かれている。そこには、亡き夫や息子への愛情、後悔、そして“再会”と“別れ”をめぐる複雑な思いが交錯しており、郁子の心の変化が大きな主題となっている。
第3問
本文では、古代から伝わる和歌の世界を題材に、人間の「欲望」や「情(じょう)」といった深くも浅い心のありよう、およびそれを詩(うた)として表現する意義が論じられています。主なポイントは次のとおりです。
- 万葉集の構成と「恋」
『万葉集』には「雑歌」「相聞」「挽歌」の三つの巻があり、そのうち「相聞」は恋の歌を中心に収められている。多くの和歌では、恋や欲望という人間の深い感情が正面から扱われてきた。 - 人の心の「浅さ」と「深さ」
恋などの欲望は、人の心を強く揺さぶる根源的な力である一方で、移ろいやすく脆(もろ)い面ももつ。古代の詩人たちも、その矛盾した人間の心のありよう(深さと浅さ)を歌にしてきた。 - 「欲」の隠し難さと和歌の役割
欲望や情は、しばしば恥ずかしいものとして隠されがちだが、詩(和歌)はそれを素直に詠み、共有する手段となる。歌として表現することで、内に秘めた思いを吐き出し、人間同士で分かち合ってきた。 - 「歌は出で来るもの」
欲や情を深く思い知り、自らの心に染み込ませると、それは自然と歌として現れる——これが古代の人びとの実感であった。そのため恋や欲望を正面から詠むことは、人としての本質的な営みだとされている。
要するに本文は、和歌の主要テーマの一つである「恋(欲望)」が、矛盾を抱えつつも人の心を深く動かし、その深みや恥ずかしさを含めて「歌」という形で表現されてきた過程と意味合いを考察している。
第4問
本問の古文(漢文)資料では、北宋時代の政治家が「相(宰相)」の地位に就くことの是非について論じています。登場人物のやりとりからは、おおむね次のような主題が示されます。
- 宰相になることの功罪
- まだ宰相でなければ、周囲の期待や名声は大きくふくらむが、実際に宰相になるとその期待を裏切る恐れも出てくる。
- しかし、宰相であればこそ可能になる政治上の大きな功績があるため、「ならないほうがよい」と簡単にはいえない。
- 君主と臣下の関係は「魚と水」
- 理想的には、君主と有能な臣下が互いに信頼し合い、魚が水を得るようにともに利益をもたらし合うのが望ましい。
- そうした親密で良好な関係があればこそ、国を治めるうえで大きな成果が期待できる。
- 宰相に求められる器量
- 外部(世間)の声や臣下同士の評判も考慮しながら、宰相は君主を補佐し民を利する大きな役割を担う。
- 一方で、身に備わった才能を発揮できなければ批判を招き、自他ともに損をすることになる。
全体として、権力を握ることの難しさ・危うさと、それでも国家や民を思ううえで宰相の地位がいかに重要かを説き、理想的な統治には君臣の相互信頼(「魚と水」の譬え)が不可欠である、と論じているのが本文の趣旨です。