解答
解説
第1問
この文章は、「観光する/観光される」という関係性を通じて、人々が他者や異文化を“見る”あり方を多角的に論じたものです。まず、万国博覧会やテーマパーク的な演出(「ショー化」や「客寄せ」)が、観光地における“異国情緒”や“非日常”を意図的に生み出してきた歴史があると指摘されます。それらは単に「視覚的な見せ物」としての観光を強化するだけでなく、ホスト(迎える側)とゲスト(訪れる側)の役割を固定・増幅させ、現地住民を「鑑賞対象」として捉える構造を生み出してきました。
一方で、こうした観光のまなざし――ジョン・アーリーやディーン・マッキャンネルらが提示した「観光者の視線」「ステージド・オーセンティシティ(演出された本物らしさ)」など――は、近年では批判的に見直されつつあります。観光客がただ「見る」主体で、現地が一方的に「見られる」客体であるという図式は、世界各地での観光過多(オーバーツーリズム)や、死や悲劇を観光対象にするダークツーリズムの広がりなどによって問題が顕在化しているのです。さらに、観光研究の潮流は視覚中心主義を乗り越え、身体全体の感覚(嗅覚や味覚など)やパフォーマンス理論を導入する方向へと進み、観光をより多面的に捉えようとしています。
文章の終盤では、京都の観光客がレンタル着物を身にまとって街を歩く姿や、渋谷の商業施設が“舞台”と化すような都市観光の事例を挙げながら、観光者自身が「演者」にもなり得る現代の観光状況が示唆されます。そして新型コロナウイルスの流行という社会的変化も加わり、観光のあり方が大きく揺れ動き始めていることが述べられます。総じて、本文は観光がもつ視覚的・社会的・文化的側面の複雑さと変容を論じ、観光研究の新たな方向性や課題を示しているといえます。
第2問
この文章は、小屋に暮らす「わたし」が語り手となり、社会の“厄介者”扱いを受けるおじさんや多忙な母親、亡くなった祖母など、周囲の大人との関わりを通じて自身の不安や好奇心を模索する物語である。冒頭では、壁に掛かったギターやアルハンブラの曲名などが登場し、おじさんは“弾いてみる”“作ってみる”といった行為に挑もうとするが、いつも途中で投げ出してしまう。そのため大人たちの眼には、まともに働かず、定職にも就かない“フリーター”のように見られている。
一方、「わたし」はおじさんの不完全ながらも自由な姿に惹かれながら、同時に母親や周囲の大人が示す“常識”の眼差しにも影響を受けている。作中では、母の死や祖母の死といった“喪失”のイメージや、家族の不安定な生活の気配がちらつき、子どもながらに「死ぬとはどういうことか」「大人になるとはどういうことか」を考えずにはいられない。そのような不安を抱えつつ、「わたし」はおじさんの手を借りてオカリナを作ろうとするが、これもうまくいかない。しかし音楽や創作への憧れ自体は消えず、むしろ大人たちには見いだしにくい“何か”を追い求めようとする。
物語の終盤では、おじさんも「わたし」も一種の挫折を味わいながら、それでもいつか“音”を鳴らす手段や、形にならないものを作り出せる可能性を探る姿が描かれる。ギターやオカリナといったモチーフは、大人の論理や規範の外側にある自由さと、子どもの想像力が結びつく象徴となっている。全体として、大人の世界に踏み込む前の子どもの揺れ動く心情や、“居場所”のないおじさんとの奇妙な連帯が、詩的な空気感を帯びつつ綴られている物語である。
第3問
本文では、外来語をそのまま使うか、あるいは日本語に言い換えるかという問題を取り上げ、特に「インフォームドコンセント」をめぐる事例を中心に議論が展開されている。
まず、資料Ⅰ(2003年の調査結果)では、「インフォームドコンセント」「シミュレーション」「リハビリテーション」などの外来語に対し、人々が「外来語のまま使うか」「言い換えるか」どちらを好むかが年代別に示されている。若い世代ほど外来語を抵抗なく理解する傾向がある一方、中高年世代では言い換えを望む割合が高い場合もあるとわかる。
次に、資料Ⅱ(2006年の言い換え提案)では、「インフォームドコンセント」を「納得診療」「説明と同意」といった日本語表現に置き換えることが提案されている。これは医療現場において患者が内容を理解しやすくなるだけでなく、患者視点に立った「納得診療」という概念を社会に広める効果も期待されるという。
こうした提案の背景には、当時の日本で外来語が広まり、医療などの分野で重要視される概念が普及した一方、その正確な意味が一般には十分理解されていないという状況がある。本文では、社会全体として今後も外来語が増えていく可能性に触れつつ、場面や相手に応じて外来語を日本語に言い換える必要性や意義があることが示唆されている。総じて、「外来語を使うか言い換えるか」という問題には、わかりやすさ・正確さ・普及度合いといった多角的な観点からの検討が求められることが論じられている。
第4問
ここでは、いずれも平安時代の物語作品から抜粋された二つの文章(「本文Ⅰ」「本文Ⅱ」)が並置されている。いずれの場面でも、貴族の娘が重い病にかかり、周囲の人々が僧や陰陽師を呼んで「もののけ」(正体不明の霊的存在)を祓おうとする一連の描写が中心となっている。
- 本文Ⅰ(『在明の別』)
右大臣の娘である「大君」は、夫である左大臣の子を身ごもっているが、このところ病で命が危うく、右大臣は僧を呼び寄せて熱心に祈祷をさせている。娘はときどき正気を失って嘆き泣き、変わり果てた様子を見せるため、父の右大臣は娘を案じ、どうにか「もののけ」を退散させようとする。家中の人々は夜を徹して祈祷に付き添い、娘の無事を願っている。 - 本文Ⅱ(『源氏物語 若紫』の巻)
こちらも病を得た女性(院)が生死の境をさまよっており、周囲が祈祷・加持(かじ)によって救おうとしている場面である。院の病にはかつて光源氏との関係が暗示され、過去の想いや後悔が「もののけ」として現れている可能性が示唆される。人々は何とかそれを鎮めようとするが、女性の容態ははかばかしくなく、作者は“ものの苦しさ”や“人ならぬ存在の気配”を描き出している。
両方の文章に共通するのは、女性の病と「もののけ」の絡み合い、そして祈祷や加持によってそれを除こうとする当時の風習である。また、いずれも女性の死の危機が切迫しており、周囲の貴族たちが必死に祈りを捧げる一方、その背景には恋愛や出産といった人生の転機があり、人物たちの複雑な心情が浮かび上がっている点が特徴となっている。
第5問
本文は二つの漢籍の断章を取り上げ、それぞれに対して江戸時代の漢学者・田中履堂が注釈や論を加える形で構成されている。
- 本文Ⅰ(『論語』の一節)
弟子が「孔子は多くを暗記している人」と評したのに対し、孔子は「私はそんなふうに何でもかんでも覚えているわけではない。物事には一本筋となる“要道”があるのだ」と答える。孔子は博学であるという表面的な見方を否定し、知識はやみくもに蓄積するものではなく、中心となる原理が肝要だと説いている。 - 本文Ⅱ(『田中履堂学資談』より)
「漢園師(ある学者)が日々多くの書を読んでいるが、実は内容を十分に理解していない」というエピソードをもとに、田中履堂が論じている。雑多な書物を大量に読み流すだけでは、真の“博学”にはならない。むしろ、書物を精読し、その要旨を把握することこそが重要であり、孔子のいう“要道”を見極める姿勢が必要だ、という考えを示している。
まとめると、孔子の一節は“知識量よりも統一的な原理の把握が大事”と説き、田中履堂の注釈は、浅い読書に陥ることの危うさを指摘し、繰り返しの精読と要点をつかむ力を重視するものである。双方を通じて、単なる博識ではなく「筋を通して理解する学び」の重要性が強調されているといえる。