2018年度 大学入試センター試験 本試験 倫理 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

問1:正解7

<問題要旨>

この小問は、会話文における「他者への援助行為」が自己の満足や利益とどのように関わっているかを考察する問題です。表面的には「利他」と「自己利益」は相反するように見えても、人間同士のつながりの中では両立しうる可能性があることが本文で示唆されています。そこから、利他的行為の動機づけや社会的な意味を正しく捉えた選択肢を見極めることが求められます。

<選択肢>

①【誤】
「他者への援助は完全に自己犠牲的であり、行為者にとって一切の利益が生じない」という主張を含意する内容は、本文の会話が示す「援助者が満足を得ること自体は否定されない」という論点と合いません。援助行為によって得られる達成感などは否定できないため、誤りとなります。

②【誤】
「動物保護活動などのボランティアは、他者には意味がなく、自己利益のみを追求している」といった見方は本文の主張とかけ離れています。会話中ではむしろ、社会的な貢献と自己の満足や幸福感が両立する可能性が認められており、誤った捉え方です。

③【誤】
「人を助けたい欲求は結局自己の欲望にすぎず、利他的行為とは評価できない」という断定は、会話の内容と合致しません。本人の欲求(自己満足)が含まれるとしても、それがただちに利他的側面を否定するわけではないと議論されているため、誤りとなります。

④【正】
「他者への援助は同時に自己の満足や充足感にもつながり得るが、そこに社会的・道徳的な意味も認められる」というように、利他と自己利益の両立が肯定的に示唆されています。会話文では、援助者が恩恵を受けること自体を否定せず、それが社会的にも有意義な行為となりうる点が議論されており、この内容が最も適切といえます。

問2:正解1

<問題要旨>

青年期の自己形成に関する心理学・教育学上の理論(ハヴィガーストやオルポートなど)が題材です。青年が親の価値観をどのように内面化しつつ、新たな人間関係や職業独立などの発達課題に取り組むかがポイントとなっています。

<選択肢>

①【正】
ハヴィガーストによれば、青年期の発達課題の一つとして「親との情緒的なつながりを深めながら、親の価値観を自分なりに取り込むこと」が挙げられます。これは本文中にも見られる青年期の重要課題と合致します。

②【誤】
「ハヴィガーストは青年期における職業決定や経済的独立を重視しない」とするのは誤りです。むしろ彼は、青年期には将来の職業を考えたり経済的に自立したりする準備をすることが大切だと述べています。

③【誤】
「オルポートは、自分以外の人や物事への関心を狭め、自己客観視が難しくなることが成熟とみなされる」とするのは本文やオルポートの理論と相反します。オルポートは成熟した人格を「自分の枠を広げ、他者への関心も深くなる」状態だと捉えます。

④【誤】
「オルポートは、独自の人生観は獲得してもユーモアの感受性を失うことが成熟した人格の条件だ」とするのは誤りです。むしろオルポートは、人生観の統合やユーモアを受容できる姿勢も成熟の一つとして重視しました。

問3:正解7

<問題要旨>

苦しむ人々を救済しようと尽力した歴史上の人物に関する問題です。本文には、ア・イ・ウそれぞれに対応する説明があり、それが誰の業績や活動に当たるのかを正しく組み合わせられているかが問われています。労働者の生活改善や貧困層への社会福祉活動、非暴力運動や人種差別撤廃運動など、複数の人物像が示されます。

<選択肢>

①【誤】
「ア:エンゲルス、イ:ガンディー、ウ:ラッセル」の組み合わせは、労働者の劣悪な生活環境を改善する共同体作りを目指したといった説明をエンゲルスには当てはめにくく、さらにラッセルを公民権運動の指導者とする点も合いません。

②【誤】
「ア:エンゲルス、イ:マザー・テレサ、ウ:キング牧師」の組み合わせも同様で、アにエンゲルスが入る時点で労働者向けの実践的な協同体創設(オーウェンが取り組んだ)とはずれています。ほかの対応も整合性に欠きます。

③【誤】
「ア:オーウェン、イ:ガンディー、ウ:ラッセル」の組み合わせは、アやイの対応は比較的合っていても、ウのラッセルが「人種差別撤廃のために公民権運動を主導した指導者」とは言えません(それはキング牧師の業績)。よって誤りとなります。

④【正】
「ア:オーウェン、イ:マザー・テレサ、ウ:キング牧師」の組み合わせであれば、アのオーウェンは労働者の生活環境を向上させる実験的共同体を創った社会改革者、イのマザー・テレサはインドを中心に貧しい人々や病人のために活動し、ウのキング牧師はアメリカで公民権運動を指導した人物として一致し、本文の説明と整合します。

問4:正解1

<問題要旨>

マズローの欲求階層説を踏まえ、「ア」「イ」の文がそれぞれどの段階を示しているか、そしてそれらが正しい説明かどうかを判断する問題です。生理的・安全の欲求が満たされれば、次に所属と愛の欲求、承認の欲求へと進み、最終的に自己実現の欲求を追求するという段階的な理論がポイントです。

<選択肢>

①【正】
アもイも、マズローの欲求段階を正しく説明しています。アは「愛着や所属の欲求が満たされたあと、承認(自尊)の欲求が生じる」という流れ、イは「生理的欲求や安全の欲求が満たされた後に、さらに高次の欲求が生じる」という説明であり、双方とも理論通りです。

②【誤】
「アは正しいがイは誤り」とするのは、イが示す「生理的・安全の欲求が満たされた後に自己実現が追求される」という考え方を否定することになり、マズローの説とは食い違います。

③【誤】
「アは誤りでイは正しい」とするのも、アが述べる「愛や所属が得られた後の承認の欲求」という部分を誤りとみなしており、マズローの理論に反します。

④【誤】
「アもイも誤り」とするのは、マズローの欲求階層説を全面的に否定する内容になり、本文の意図とも反します。

問5:正解3

<問題要旨>

日本の介護問題に関する時事的なテーマです。核家族化や少子化、高齢化の進行によって家庭内介護が難しくなる中、社会全体としてどのように制度や地域支援を整えるのかが争点となっています。問題文は公的介護保険制度の導入や地域コミュニティの支え合いの必要性などが述べられており、最も適切な説明を選ぶ問題です。

<選択肢>

①【誤】
「家族介護がほぼ消滅してしまい、公的保険制度だけに頼っている」とするのは極端です。実際には家族による介護は依然としてあり、公的制度と家族の補完関係が大切になります。

②【誤】
「女性の社会進出によって家族の介護負担が激減し、行政支援だけで十分対応できる」というのは誤りです。女性が働きに出ることが増えても、家族介護の必要性は残っていますし、行政支援のみでは負担が軽減しきれないケースも多いです。

③【正】
「高齢化と核家族化が進む中で、公的制度を拡充する必要性と地域社会の支援が注目されている」という内容は、現代日本の介護問題の現状をよく捉えています。従来の家族だけの介護では限界があるため、社会全体の仕組みづくりが重要といえます。

④【誤】
「少子化や出生率の低下が進んでも介護問題はさほど影響を与えない」とするのは、実際の高齢化社会の深刻さや家族構成の変化を軽視しており、誤りです。

問6:正解1

<問題要旨>

環境問題や思想の変化を問う設問です。人間中心主義から自然中心主義(生態系全体への配慮)への移行や、温暖化・オゾン層破壊などの要因、さらには予防原則といった概念が議論されます。どの記述が最も現在の環境思想を踏まえたものかを見極める問題です。

<選択肢>

①【正】
「人間中心主義を見直し、自然にも独自の価値があるという考え方から、自然そのものの生存権が主張されるようになった」というのは、現代の環境倫理の潮流を的確に表しています。

②【誤】
「20世紀前半に起きた急激な地球温暖化の主原因はフロンガスによるオゾン層破壊である」とするのは誤りです。温暖化とオゾン層破壊は関連はあるものの、CO₂など温室効果ガスが主要因とされ、時期的にも説明が合いません。

③【誤】
「有限な環境下でも自由な排出を認めるべきであり、予防原則は不要」というのは、実際の環境保護や持続可能性を重視する立場と真逆です。予防原則は大気汚染や温暖化などのリスクに対処する現代の基本的考え方です。

④【誤】
「原子力利用による放射性物質が酸性雨や砂漠化の主因となっている」というのは事実と異なります。酸性雨は主に硫黄酸化物や窒素酸化物が要因であり、砂漠化もさまざまな要因が重なって進むため、放射性物質が直接の主因とはいえません。

問7:正解2

<問題要旨>

65歳以上を高齢者と定義した場合の人口割合を比較し、2015年と2050年の推計を基に各国の高齢化動向を読み取る問題です。中国・インド・ブラジル・日本・ドイツ・イタリア・韓国などで、高齢者率が今後どのように変わるかを踏まえ、「どの記述が最も現状を的確に捉えているか」を問っています。

<選択肢>

①【誤】
「2015年時点で高齢者割合が高い上位3か国は、2050年も同じ順序で上位になる」と断じるのは不正確です。今後の経済成長や出生率の推移によって順位が入れ替わる可能性があります。

②【正】
「2015年と2050年の高齢者割合の差が大きい国は韓国、中国、ブラジルの順であり、地域や現在の総人口に関係なく高齢化が進む」という趣旨は、資料の推計に照らして妥当です。急激に高齢者率が増える国として、特に韓国などが挙げられます。

③【誤】
「2050年の高齢者割合が中国、インド、ブラジルでは2015年の2倍以下になる国はない」という内容は、資料の具体的数値と合わない部分があります。2倍以上に伸びるかどうかは国ごとに異なり、一概にはいえません。

④【誤】
「2015年に高齢者割合が20%未満の国は、2050年になっても20%に達しない」とするのは誤りです。将来的には多くの国で20%を超えると予測されるため、この見方は不適切です。

問8:正解3

<問題要旨>

国境なき医師団(MSF)の活動を例に、人道主義が政治や国家の失敗・対立とは別個に「苦しむ人を救う」ための独立した役割を担うこと、さらにそれを国際人道法がどう支えるかが論じられています。政治利用されない形での人道支援の必要性が問われる問題です。

<選択肢>

①【誤】
「政治が人道主義の失敗の責任を背負わせるように調整し、活動の存在を保障しない」と解釈するのは本文の趣旨と食い違います。本文では、政治は人道支援の独立性を守る責務があると示唆されています。

②【誤】
「人道主義の活動は国際人道法といった政治的・法的枠組みに従属しなければ成立しない」というのは極端です。人道支援は法律上の位置づけを受けつつも、政治とは無関係に活動を行おうとする独立性が重視されます。

③【正】
「政治は自らの都合で人道主義を利用すべきではなく、法的枠組みによって人道支援の独立性を確保すべき」とする考え方は、本文の『政治に左右されずに苦しむ人を救う』という趣旨と合致します。

④【誤】
「国際人道法によって、紛争被害者への支援がむしろ制限されるため、人道支援のアクセスは容易に禁止される」という主張は誤りです。国際人道法はむしろ被害者保護のために定められたものであり、支援活動を阻害するものではありません。

問9:正解4

<問題要旨>

アマルティア・センの「潜在能力(ケイパビリティ)アプローチ」に関する設問です。人々が自ら価値を置く生き方・活動を「自由に実現できる力」を充実させることが福祉の根幹だとする考え方であり、単純な所得や財の多寡だけでなく、「どれだけの選択肢をもって生きられるか」が重視されます。

<選択肢>

①【誤】
「潜在能力を最大化するためには財や所得さえ十分ならそれでよい」とするのは、センの強調する自由や選択の幅を軽視しています。物質的豊かさだけでは十分でないというのがセンの主張です。

②【誤】
「各人が自由に活動を実現できるようにすれば、財は福祉の目標ではないので配分を考えなくてよい」というのも誤りです。センは財(資源)の配分が潜在能力の拡充に不可欠である点も否定していません。

③【誤】
「潜在能力を高めることは重要だが、財は考慮しなくてもよい」とするのも誤りです。自由や選択を実現するには一定の資源や社会的配慮が必要だとセンは論じています。

④【正】
「各人が自分の達成できる状態・活動をより自由に実現できるよう、『潜在能力』を高めることが福祉の目標であり、そのために財を適切に配分しなければならない」という趣旨はセンのアプローチと合致します。選択の自由と資源配分を不可分のものとして考える点が要です。

問10:正解3

<問題要旨>

本文では、表面的に「利他的」に見える行為であっても、欲求の充足などの「自己利益」が関わりうる点が議論されています。そうした行為をどのように評価すべきか、また「純粋な善意が必要かどうか」を検討する問題です。

<選択肢>

①【誤】
「利他的に見える行為も欲求の満足を求めている以上、純粋に社会における助け合いにはならない」という主張ですが、本文の議論では「利他的行為が動機に自己利益を含んでいても社会にとって意義がある」可能性が示唆されています。そのため、ここで断定的に「生じ得ない」とするのは行き過ぎです。

②【誤】
「他人のためになる行為であっても、見返りを求めてなされるべきではない。けれども純粋に利他的であるならば、その結果が人のためにならないならば行為に意味はない」という趣旨ですが、本文の会話では「多少の自己満足を含む援助行為」も肯定的に扱われています。見返りをまったく排除しない立場も示されており、この選択肢は極端な否定に寄りすぎています。

③【正】
「利他的に見える行為でも、欲求の満足(自己満足)を求めている点で動機は利己的である。しかし社会における助け合いは、利己的動機が含まれていても生じ得るので、純粋な善意が必須とは限らない」という内容は本文の議論と合致します。利他と自己利益の両立が肯定される考え方を示しています。

④【誤】
「たとえ他人のための行為でも、欲求の満足を見返りとしているなら、それは利他的動機とは言えない」という主張ですが、本文では「ある程度の自己利益を伴うとしても、利他的行為と呼びうる」とする視点が示されています。そのため、④のように否定的に断じるのは適当ではありません。

第2問

問11:正解2

<問題要旨>

人々に生き方の指針を示す「書物」が複数紹介され、その内容がどの宗教・伝統に関わる教えを示すかを判断する問題です。仏教・イスラーム・キリスト教・ユダヤ教などが挙げられ、それぞれが何を説いているかを見分ける必要があります。

<選択肢>

①【誤】
「仏教の教典として『スッタニパータ』があり、人々が生まれつきの身分にとらわれず活動できる指針を示す」といった主張は、仏教の平等思想を表している点では近い内容がありますが、選択肢全体としてはここでは仏教以外の記述とも混在しており、正確に教典を指示しているわけではない可能性が高いです。

②【正】
「イスラームにおいては六信の対象の一つである啓典(聖典)のうち最も重要とされるクルアーン(コーラン)が、ムスリムの生活を様々な面で規定している」という説明は正統的な理解です。六信の中で「啓典」に含まれるクルアーンが最高の権威を持つというのはイスラームの基本です。

③【誤】
「メトレスコの『リリアス』や『デュシェッタ』」といった具体例は一般的にキリスト教文献や公認教典では聞かれない名称です。神秘的世界観の批判や人間の発展を描く書として紹介するのは、本文の流れと大きくズレています。

④【誤】
「ユダヤ教やキリスト教の聖書には、預言者イザヤが当時の王国のあり方を賞賛し、民衆に神の言葉を伝える姿が描かれている」という点は、預言者イザヤの活動に言及しているだけなら不自然ではありませんが、ここでいう“あるべき信仰の模範”との関連が適切に説明されていません。全体として本文の流れからは外れています。

問12:正解3

<問題要旨>

イスラーム教に関する基本的な事柄を聞いています。クルアーンの言語や礼拝方法、信仰上の重要要素などに関する正誤を見極める問題です。

<選択肢>

①【誤】
「クルアーンがユダヤ教の聖典に使われているヘブライ語で書かれた」というのは誤りです。クルアーンはアラビア語で書かれています。

②【誤】
「すべてのモスクでは聖地エルサレムに向かって礼拝が行われる」というのは正しくありません。イスラームでは基本的にカーバ神殿のあるメッカの方向に向かって礼拝を行います。

③【正】
「イスラーム教徒(ムスリム)は、五行の一つに『喜捨(ザカート)』の義務を含む」という内容は、イスラームの五行における基本事項です。信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼が五行となり、ザカートはそのうちの一つにあたります。

④【誤】
「キリスト教徒とは別に、イスラーム教徒は『啓典の民』と呼称される」というのは誤った捉え方です。イスラームではユダヤ教やキリスト教を「啓典の民」と呼ぶことがありますが、イスラーム教そのものを指して「啓典の民」と称するわけではありません。

問13:正解4

<問題要旨>

「聖人」や「小人」のあり方をめぐる文章から、人間の性質や礼楽の有無がどのように人間を変えていくかが論じられています。人間性は固定的か、それとも後天的な教化・習慣によって変化しうるのかがポイントです。

<選択肢>

①【誤】
「優れた君子もつまらない小人も、すでに礼楽や作法が性に変わっており、もともとの性質を善へ変えることはできる」とするのは、本文の主張からややズレています。もとの性質がどう変わるかが議論されているため、断定が強すぎる印象です。

②【誤】
「私たちが暴君や盗賊を尊重するのは、彼らの性が小人とは異なるからであり、彼らは小人の性を礼楽によって善に変えた」とあるのは論旨が混乱しています。暴君や盗賊は善へ変わった例とみなされておらず、本文の意図とも逆です。

③【誤】
「優れた君子もつまらない小人も、生まれつきの性質は変わり得ないので、性の悪を抑えるために礼楽が成り立った」というのは、人間の性を固定的と見なしている点が本文の文脈と合わない可能性があります。本文では礼楽や作法によって性が変わるかもしれないと示唆しています。

④【正】
「優れた君子もつまらない小人も、生まれつきの性質を後天的に変えて礼楽をつくり上げることができ、そうした行為が結果として礼義を成立させる」という主張は、本文中の『礼楽』や『人間の性は変わりうる』という議論と合致します。悪行を改めて善へ向かう余地があるという見解を示しています。

問14:正解2

<問題要旨>

アリストテレスの「形相(エイドス)と質料(ヒュレー)」の考え方を踏まえ、自然物が「目的(テロス)に向かって生じ、完成していく」点を捉える問題です。形相が質料に与えられることで物が何であるかを実現し、さらにその本質が発展していくという古代ギリシア哲学の考え方を問うています。

<選択肢>

①【誤】
「自然の事物は、質料に形相が与えられることで成り立っており、質料がそのままの実現という目的に向かって生存・発展する」という言い回しが曖昧です。質料と形相の一致が目的実現に向かう点は近いのですが、質料のみが独自に発展すると受け取れる表現はアリストテレスの説明とややズレがあります。

②【正】
「自然の事物は、質料と形相が結び付いて成り立っており、事物は形相の実現という目的に向かって生長・発展していく」という趣旨は、アリストテレスの目的論的自然観をよく表しています。形相が質料に働きかけることで完成形に近づく、という思想です。

③【誤】
「質料に形相が与えられることで成り立っており、形相が潜在性によって偶然的に自由な仕方で生長・発展していく」とするのは、アリストテレスの目的論を弱める表現です。彼は偶然よりも「内在的目的」に重きを置いています。

④【誤】
「質料と形相が結び付いて成り立っているが、質料が主に潜在性によって自由な方向へ生長・発展する」という論は、アリストテレスよりも自然の偶然性を強調する見方であり、本文にはそぐいません。

問15:正解4

<問題要旨>

孔子や大乗仏教などの「理想とされた生のあり方」をめぐる設問です。孔子の「仁による政治」や大乗仏教における菩薩行など、それぞれの思想家や宗教が何を理想としたかを整理する必要があります。

<選択肢>

①【誤】
「孔子は武力による支配を説いたのではなく、仁に基づいて導く政治を理想とした」という点は正しいですが、「聖人の生き方を理想とした」とだけのまとめでは本文が意図するところと合っていない恐れがあります。加えて、武力ではなく仁による政治を説くのは事実としては正しいのですが、文章全体との整合性に欠ける部分があります。

②【誤】
「孔子は、仁を徹底する生き方は次善のもので、仁が不要になるような自然に調和した生き方を理想とした」というのは、孔子の主張とは逆です。孔子は「仁」を人間の基本徳目と位置づけていました。

③【誤】
「大乗仏教では、修行者として悟りを得て、煩悩のない境地に到達した阿羅漢のあり方が理想とされた」は小乗仏教(上座部仏教)のイメージに近く、大乗仏教では菩薩として衆生救済に尽くすことに価値があるとされます。阿羅漢はむしろ小乗仏教の悟りの境地です。

④【正】
「大乗仏教では、自己の悟りを目指すだけでなく、利他的に動き衆生を救済する姿が理想とされた」という説明は、大乗仏教の菩薩思想を端的に示すものです。自己の涅槃に留まらず他者の救いにも尽力する点が大乗の特徴です。

問16:正解1

<問題要旨>

仏教の修行法である「八正道」についての説明を求める問題です。八正道は「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」で構成され、苦や極端を離れた中道を実践するための道徳的・瞑想的修行法として位置づけられます。

<選択肢>

①【正】
「快楽と苦行を避け、中道を生きるための修行法が八正道であり、その一つである正業とは、愚かな行為を避け、正しく行動することを指す」というのは八正道の基本を正確に説明しています。倫理的に正しい言動・行為を身につける側面を含みます。

②【誤】
「八正道の一つである正業は、人の行為と輪廻の関係を正しく認識する」とするのは、正しくは「正見」に近い要素です。正業は行為の正しさを指す項目です。

③【誤】
「六波羅蜜の教えに由来する修行法が八正道であり、その一つである正業は、試しに行為を捨て避け、正しい行為を導く」とするのは錯綜しています。八正道と六波羅蜜は大乗仏教と原始仏教などで重なる部分はありますが、由来の説明が異なります。

④【誤】
「六波羅蜜の教えに由来する修行法が八正道であり、その一つである正業は、人の行為と輪廻の関係を正しく認識する」とするのも、同じく八正道と六波羅蜜の混同です。正しい記述ではありません。

問17:正解1

<問題要旨>

パウロの思想について、キリスト教の救済観や信仰と律法の関係がどのように説かれているかを把握する問題です。人間の罪深さや神との関係がポイントになります。

<選択肢>

①【正】
「人間は善を望んでいるはずなのに、望まない悪を行ってしまう。そこからの救済は、キリストへの信仰によるほかなく、人類全体の罪を担ったキリストによって可能になる」というのはパウロの中心的な主張に近いものです。律法によって罪を完全に克服できないという考えを含意しています。

②【誤】
「神と契約し、律法を正しく遵守すれば救済される」とするのは、パウロ以前のユダヤ教の立場寄りです。パウロは信仰によって救われることを強調し、律法の実践だけでは限界があると説きました。

③【誤】
「人間は肉体の情欲に引きずられ、望まない悪を行ってしまう。救済されるためには自らの運命を支払いキリストのように苦行すべき」とするのは、パウロの信仰義認説から大きくずれています。苦行を強調するのはむしろ別系統の思想の色が強いです。

④【誤】
「人間は肉体の情欲に引きずられ、望まない悪を行ってしまう。救済されるためには苦しむ人々を癒したキリストに従い、善行を積むことで神から義とされるよう努力すべき」とするのは、信仰以前に善行や努力を強調しすぎており、パウロの教えとは異なります。パウロは「まずは信仰があってこそ義とされる」と説きます。

問18:正解4

<問題要旨>

人間の欲望をめぐる諸哲学者や宗教家の見解を並べ、どれが正しく対応しているかを問う問題です。ア:ブッダ、イ:プラトン、ウ:朱子(朱熹)の説として示された内容が、それぞれ当該思想家と一致しているかを見極めます。

<選択肢>

①【誤】
「ア:正、イ:正、ウ:誤」の組み合わせでは、ウの朱子に関する記述が「先天的に定まっている欲求が気の作用によって妨げられる」といった文言が本文と整合しない可能性があります。

②【誤】
「ア:正、イ:誤、ウ:正」というのはプラトンの説を誤りとしている組み合わせですが、プラトンが「魂のうちの欲望部分が理性や気概部分を支配してしまう」ことを説いたのは事実なので、イを誤りとするのは不適切です。

③【誤】
「ア:正、イ:誤、ウ:誤」というのはさらにイだけでなくウも誤りとしており、プラトンも朱子も本文の解説と食い違う可能性が高いです。

④【正】
「ア:誤、イ:正、ウ:正」の組み合わせならば、ブッダについての説明がやや食い違い、プラトン・朱子についての説明は正しい、という可能性があります。たとえばブッダについて「自己という不変の存在を正しく把握していないから所有欲が生まれる」とする内容がもし本文とズレているなら、アが誤りとなり、プラトン・朱子の説明が正とされる構成が成り立ちます。そのため本文での説明に最も合致するのは④となります。

問19:正解2

<問題要旨>

「他者を模範にする生き方」について、善き人物の行いを手本にして自分も生き方を改める、あるいはそうした模範が本当に必要か、という議論です。人間はもともと欲望に縛られる存在なのか、それとも模範を通じて人間としての理想を確認できるのかを問いかけています。

<選択肢>

①【誤】
「他者を模範にする生き方は理想的な人生を体現した人物に倣うものであり、そうした欲望を根絶することはできないと長年考えられてきた」というのは、欲望の扱いについて誤解があるかもしれません。本文では欲望を必ずしも根絶するのではなく、制御や変容を志向する可能性が示唆されています。

②【正】
「他者を模範にする生き方は、理想的な生を体現した人物を具体的な模範例とすることで、善き生を学ぶことができるという考え方だ。そうした人物を模範とすることを重視した背景には、人間が弱く、欲望から離れにくい存在であるとの注目がある」という内容は本文全体の議論と合致します。具体的に模範を示すことで、人の弱さを克服できるとされるという流れです。

③【誤】
「他者を模範にする生き方は、善き生を送った人物を具体的な模範例とすることで、まったく欲望に囚われることのない人間だと証明するためであり、その考え方によって人間本来の姿を確認できる」というのは過度に理想化しています。本文ではむしろ、人間の弱さや欲望とどのように付き合うかが焦点となっています。

④【誤】
「他者を模範にする生き方は、欲深い欲望に囚われている人間にとって、もはや不要であるとの主張が多かった」とするのは、本文で述べられる論調とは反対です。本文ではむしろ、欲望を制御するためにこそ模範が必要と説かれています。

第3問

問20:正解1

<問題要旨>

ここでは、日本の神話や伝承で示される神々の在り方を問う問題です。人間と神の関係、あるいは神々の持つ多面的・曖昧な特徴などが論点となっています。神が必ずしも特定の形や唯一絶対の存在として捉えられているわけではなく、人の畏怖(おそれ)や畏敬を抱かせる存在として捉えられる場合があることなどが示唆されています。

<選択肢>

①【正】
「神は特定の形をもつものではなく、人間に畏怖の念を抱かせるものや、人知を超えた不可思議な現象が神のあらわれとされた」という説明は、日本の神話的世界観の特徴に合致します。神が多様な姿をとり、目に見えない超自然の力として崇められるという考え方です。

②【誤】
「神社参拝を行うだけでなく獣害を働くこともあったが、神の狼籍は建御雷によってアマテラスに裁かれると考えられた」というのは、神々の系譜や具体的エピソードの解釈として不明確です。通常、獣害に神の裁きという発想は典型的とは言えず、アマテラスやタケミカヅチ(建御雷)の役割をこう捉えるのは明確な史料とも合いません。

③【誤】
「洪水や飢饉、疫病の流行といった災厄は神の怒りであり、崇める神に対してはいかなる祭祀を行っても効果がない」とするのは、伝承における信仰とは逆です。日本の多くの神観念では、災厄を鎮めるために神へ祈りや祭礼を捧げることで平穏を願うとされます。

④【誤】
「神は人間の住む世界からは隔離した他界に存在し、自然の秩序や人々の生活に関与することはない」と断定するのは日本の神観念と異なります。むしろ神は自然のあらゆる事象や人間の営みに深く関わるものとされてきました。

問21:正解4

<問題要旨>

仏教の布教や修行に取り組んだ歴史上の人物について、密教を広めた者や禅宗を興した者、あるいは浄土系の教えを説いた者などが並べられています。それぞれの活動内容を正しく結びつけることが求められます。

<選択肢>

①【誤】
「ア:鑑真は、密教の教えに厳密な戒律を取り入れた真言律宗の立場から各地を巡廻した。イ:空海は唐で禅を学び、帰国後に真言宗を開くとともに、施薬禅院を設けた。ウ:一遍は、念仏を唱えれば信不信にかかわらず往生できると説き、遊行上人と呼ばれた」という組み合わせは誤りが多いです。鑑真は律宗伝来の中心人物であり、真言律宗とは区別されます。また空海は禅ではなく密教を学び、施薬院などの具体名とも合致しません。

②【誤】
「ア:鑑真は、密教の教義を基盤に修行の大本山を築いた。イ:空海は、戒律を学んだが真言密教には関与しなかった。ウ:一遍は、遊行上人ではなく念仏を方便とする教えを説いただけだった」というような要素も史実にそぐわず、全体の対応がズレています。

③【誤】
「ア:空海が唐で密教を学んで帰国後に真言宗を開いた。イ:鑑真が厳格な戒律の広まりを促進した。ウ:一遍は禅宗の開祖として施薬院を整備した」という並び替えも誤りです。一遍が開祖とされるのは時宗であり、禅宗や施薬院との関わりは別です。

④【正】
「ア:鑑真は、密教ではなく律宗の戒律伝来に貢献し、日本各地で戒律を広めた。イ:空海は、唐で密教を学び帰国後に真言宗を開くとともに、多角的な文化事業に尽力した。ウ:一遍は、念仏を唱えれば誰しも往生し得ると説き、各地を巡って布教を行い“遊行上人”と呼ばれた」という説明が、史実上整合的です。

問22:正解2

<問題要旨>

ここでは日蓮に関する説明で、「適当でないもの」を選ぶ問題です。日蓮が説いた法華経の絶対性や国家安泰を願う立場、末法思想への言及などが論点となります。いずれの選択肢が日蓮の思想・行動と食い違うかを見極める必要があります。

<選択肢>

①【誤か正かの判定】
「個人の救済だけでなく、正しい法に基づく政治の実現が重要だと考え、為政者への布教をも行うことで、現実社会を仏国土とすることを目指した」は、日蓮が法華経の信仰をもとに国家安穏を願った姿勢とおおむね整合します。

②【適当でない=誤】
「国難の到来を防ぎ、国土安穏を実現するためには、宗派間での融和を図ることが必要だと考え、他宗に協力を呼びかけた」というのは、日蓮の姿勢と相反します。日蓮は、法華経以外の教えを強く批判し、他宗との融和ではなく法華経への帰依を訴えました。したがって、これが「適当でない」記述です。

③【正】
「『法華経』には、釈迦の悟りを超えて永遠に存在し続けると説かれていることに着目し、末法の世であっても救済は法華経を信仰すれば得られると主張した」は、日蓮の根本的な教えを示唆し、概ね妥当です。

④【正】
「『法華経』には、人々の救済に関する菩薩的な精神が描かれていることに着目し、その姿に自己をなぞらえることで教えを説こうとした」という趣旨は、日蓮の自らを『上行菩薩』に比定する考え方などとも関連しており、説明として通じます。

問23:正解4

<問題要旨>

近世における学問の発展と出版業の成長、それに伴う学問所や私塾の成立、また独自の学統を打ち出す人物などの動向を整理する問題です。本文では「あ(a)」「い(b)」「う(c)」に該当する歴史上の学者や思想家の名が挙げられ、講義や会読などの場がどのように行われたかが論じられています。

<選択肢>

①【誤】
「aに貝原益軒、bに安藤昌益、cに新井白石を当てる」などの組み合わせは、貝原益軒が出版や本草学に関わったのは事実ですが、安藤昌益と新井白石の位置づけが本文の流れと正しく対応していない可能性があります。

②【誤】
「aに貝原益軒、bに安藤昌益、cに荻生徂徠」とする組み合わせも、昌益と徂徠がどういう立場で講釈を重視したかなど、本文中での扱いにズレがある場合が多いです。

③【誤】
「aに貝原益軒、bに富永仲基、cに新井白石」というのも、新井白石の思想や富永仲基の位置関係が本文の説明と十分合致しているか疑わしいです。

④【正】
「aに本居宣長、bに富永仲基、cに荻生徂徠」という組み合わせならば、本居宣長の『古事記伝』や『玉勝間』などによる出版業への寄与、富永仲基の歴史的な文献批判を用いた独自の学説、荻生徂徠が講義よりも会読を重視し、思惟の立場の違いを示したことが本文に整合すると考えられます。

問24:正解3

<問題要旨>

石田梅岩について、その商人道や庶民に向けた講義の特色が問われます。石田梅岩は「心を磨く」「商業や職分を肯定する」などの姿勢を説きましたが、同時に私利の追求だけでなく、他者に貢献することを重視する面もありました。

<選択肢>

①【誤】
「心を磨くための教えとして、儒教や神道などを排し、仏教だけを取り入れた」とするのは誤りです。石田梅岩の思想(石門心学)は儒仏神の要素を広く取り込み、庶民に分かりやすい形で説きました。

②【誤】
「商家で奉公していた経験を活かし、京都の自宅で日常生活に即した平易な講話を行ったが、女性の聴講を認めることはなかった」というのは誤りです。石田梅岩は男女を分け隔てなく教えを説いたとされる部分もあり、断定的に「認めなかった」とは言えません。

③【正】
「身分を上下関係としてではなく社会的分業を示すものと捉え、職業に励むことでそれぞれの役割を果たすことを人々に勧めたが、身分制そのものを否定したわけではなかった」という内容は、石田梅岩が“職分”という考え方を重視した姿勢と合致します。商人は正当な仕事として世の中の役に立つのだという思想を説きました。

④【誤】
「当時、賤民とされがちであった商行為を肯定し、品物を流通させることで為政を助ける点に積極的役割を認めたが、利益を獲得することを肯定したわけではなかった」というのは誤りです。むしろ石田梅岩は、正当な方法による商売の利益獲得を肯定する立場をとりました。

問25:正解4

<問題要旨>

西洋からの知識を取り入れた近代思想家について、キリスト教教育を行った者、社会契約論を翻訳し民権論を主張した者、封建制を批判した者などが登場します。誰がどのように西洋思想を紹介し、日本の社会に影響を与えたかが問われます。

<選択肢>

①【誤】
「西周は、アメリカから帰国した後に同志社大学を創立してキリスト教の精神に基づく教育を行った」というのは新島襄の功績と混同されています。西周ではありません。

②【誤】
「植木枝盛は、ルソーの『社会契約論』を翻訳し『民約訳解』を出版し、日本の実情に即した民権のあり方を説いたが、封建的な秩序には積極的賛成の立場をとった」というのは誤りです。植木枝盛はむしろ封建的な秩序に批判的な民権思想家でした。

③【誤】
「西周は『門閥制度は親の敵』と述べ、欧米への視察旅行で得た知見をもとに封建的な秩序や宗族制を批判した」というのは、むしろ森有礼や福沢諭吉などが類似の主張をしている可能性があります。西周自身がそう述べたかは定かではありません。

④【正】
「植木枝盛は、西洋の民権思想をもとに主権在民の必要を説き、人民には政府の専制に対して抵抗する権利があると主張した」というのは、植木枝盛の『民権自由論』『民約訳解』などの主張に合致します。日本における自由民権運動の理論的支柱の一人として、抵抗権を肯定しました。

問26:正解3

<問題要旨>

「伝統的な道徳や文化の重要性を主張した人物」である三宅雪嶺についての説明です。三宅雪嶺は近代日本においてナショナリズムや国粋保存を説き、西洋化・欧化政策とのバランスを考えながら日本の伝統文化の価値を強調しました。どれが最もその主張に合致するかがポイントです。

<選択肢>

①【誤】
「天皇制国家主義の立場から教育勅語の道徳を重視し、忠と孝を国民道徳の中心に据えるべきと主張した」とするのは、三宅雪嶺の思想を画一的に軍国主義と結びつけて捉えすぎています。彼は欧化政策を批判しながらも、天皇制礼賛一本槍というわけではありません。

②【誤】
「自己の内面を見つめることの必要を説く人格主義の立場から、東西の古典を積極的に摂取する必要を呼びかけた」というのは、むしろ内面的修養を重視する他の思想家の方に近い要素です。三宅雪嶺は文化・国粋の保存を前面に出したのが特徴です。

③【正】
「政府の欧化主義を批判し、日本固有の風土や文化に即して西洋文明を取捨選択すべきとする国粋主義(国粋保存主義)を唱えた」というのは三宅雪嶺の主張と合致します。西洋を全否定するのではなく、日本の伝統を守りつつ必要な要素を取り入れる姿勢を示したという点が特徴です。

④【誤】
「天皇の名のもとでこそ国民の平等が達成されるとし、超国家主義の立場から国家の改造を提唱した」とするのは、より急進的な主張を連想させる表現で、三宅雪嶺をそのように断定するのは不適切です。

問27:正解4

<問題要旨>

内村鑑三がキリスト教の伝道活動に専念し始めた初期の文章に基づいて、「伝道者がどのように罪からの救済を説き、弱さを抱える人々と向き合っていくのか」が論点になっています。伝道者自身も人間的弱さを抱えつつ、それが神の絶対性を示す証となる、という考え方が示されています。

<選択肢>

①【誤】
「キリスト教の伝道は、罪に沈む人々を伝道者の力で直接に救済するのではなく、伝道者は弱き自己が救済された体験を伝えることに徹するものであり、神の完全性を示すことを目指すべきではない」とするのはやや一面的です。伝道者が神の完全性を証しする意義を否定しすぎています。

②【誤】
「キリスト教の伝道は、伝道者が弱さを自ら克服した体験を語ることによって、人々に弱さ克服の意志をもたせるものである。したがって、伝道者の弱さは伝道を行ううえで邪魔となり得る」というのは、本文とは逆です。むしろ弱さこそが神の力を証す契機になるという主張が述べられています。

③【誤】
「キリスト教の伝道は、人々を神に出会わせるという重要な役目を担うため、伝道者自身の弱さを省みず、厳しい自己鍛錬によって神の強さに少しでも近づくことができるよう努めなければならない」というのは、自己鍛錬に偏重しすぎており、本文の「弱さの自覚」がむしろ必要だとする趣旨とずれます。

④【正】
「キリスト教の伝道は、人々を神に出会わせ、罪から救われる喜びを伝えるものである。その際、伝道者の弱さがあってもむしろ神の強さを示すことになる」という主張は、引用文の内容と合致します。伝道者自身が完全無欠ではないゆえに、神の絶対性が浮き彫りになるという考え方です。

問28:正解2

<問題要旨>

「教えを説くという営み」を日本の先人たちがどのように捉え、社会や自分自身の在り方をどのように再考したかをまとめる問題です。主に、教える側が自らを厳しく問い直しつつ社会の改良を目指す姿が語られており、それを踏まえて最も本文の趣旨に合った内容を選びます。

<選択肢>

①【誤】
「日本の先人たちは、教えを説くという営みを大きく権威的に捉え、従事するためには徳を身に付けることが不可欠だと考えた。教えを説く自らの立場を確固たるものにすることで、人々に承認されると信じていた」というのは、本文で語られる“自らを問い直す態度”とは異なるイメージです。

②【正】
「日本の先人たちは、教えを説くにあたり自己を見つめ直したり、自らの役割を模索したりするなかで、その教えを多様に導く考え方が生まれた。そして彼らの営みの背後には、よりよい社会や生の実現を目指す姿勢があった」という趣旨は、本文で紹介される宗教者や学者たちの動きと合致します。社会的実践と自己省察の両面を重視している点が本文で強調されています。

③【誤】
「日本の先人たちは、よりよい社会や生の実現を目指し、教えを説く自らの立場や役割を省みることなく、布教や教育活動だけに専念した。そうした営みの結果、自己を犠牲にしてでも人々を守る姿勢があった」というのは、自らの立場を厳しく問い直す視点が欠落しており、本文とニュアンスが異なります。

④【誤】
「日本の先人たちは、教えを説く自身の立場を厳しく問い直すことなく、神仏や師に全面的に依拠しようとする姿勢を支えられていた」というのは、むしろ本文で強調される“自己の在り方を省察する姿勢”を十分に反映していません。

第4問

問29:正解2

<問題要旨>

この小問は、ヘーゲルが説く「人倫」(Sittlichkeit) の概念に関する問題です。ヘーゲルは、人間の自由と道徳がどのように社会の制度や家庭・国家などと関わって完成されるのかを論じます。家族、市民社会、国家という段階を通じて、主観的な道徳心が客観的な制度へと組み込まれ、人倫が完成すると考えた点がポイントです。

<選択肢>

①【誤】
「欲望の体系である市民社会のもとでは、個人が内面的な道徳を持たれないまま経済活動を行う」というように解釈できる表現ですが、ヘーゲルは市民社会を欲望追求だけの場と否定的に捉えつつも、そこに一定の法や秩序が存在していることも認めています。加えて、個人の内面的道徳は全く考慮されないわけではないため、単純化しすぎです。

②【正】
「人間にとって客観的でかつ内面的な規範である道徳が、家族的な情愛と市民社会の利害調整、さらに法と制度において最終的に統合され、人倫として完成される」というのはヘーゲルの考え方と整合的です。彼は家庭・市民社会・国家の三段階を通じて、人間の主観的道徳と客観的制度が合致し、人倫が完成すると論じました。

③【誤】
「国家によって定められる法は、人間の内面的道徳と分離しており、国家の命令に従うときに人倫の喪失状態が生じる」とするのは、ヘーゲルの主張とは逆です。ヘーゲルはむしろ、国家段階における法と制度への参与こそが人倫の完成だとしました。

④【誤】
「夫婦や親子など家族のもとで失われた個人の自由と道徳が、国家や法の秩序によって回復される」とするのは言い過ぎです。ヘーゲルの理論では家族には情愛や共同体的な性質が備わっており、そこですでに主観的自由や徳が育まれる面があり、「家族=自由や道徳の喪失」という捉え方にはなりません。

問30:正解4

<問題要旨>

ロックの社会思想に関する設問です。ロックは自然権思想を基盤に社会契約による政府の成立を説き、さらに立法権・執行権などの分立を唱えました。国家権力の正当な行使と市民の権利保障の関係がポイントです。

<選択肢>

①【誤】
「各人は、公共の利益を目指す一般意志に服従し、国が代表する意志を実現することで権利は制限される」とあるのは、むしろルソー的な“一般意志”の概念に近く、ロックは個々人の権利をより強調します。全員が一般意志に無条件で従うとは説明しません。

②【誤】
「知識や理論は、人間が環境によりよく適応するための道具であり、制御的な知性を用いることで社会を改良できる」とするのは、プラグマティズムなど別の思想に近い要素があり、ロックの政体論とはずれています。

③【誤】
「各人が利益に従って自分の利益を自由に追求すれば、やがて社会全体の利益が増大するので、『神の見えざる手』による市場の調整に期待される」といった趣旨はアダム・スミスの理論に近く、ロックの権力分立論や抵抗権とは直接関係が薄いです。

④【正】
「国家による権力の濫用を防ぎ、権力が公正に行使されるために、立法権や行政権(執行権)などの分立が必要になる」というのはロックの政治思想の骨子です。相互抑制による自由の保護が重要とされ、立法と執行の分立が強調されます。

問31:正解5

<問題要旨>

カントの認識論に関する設問です。カントはイギリス経験論と大陸合理論の統合を図り、「感性」と「悟性(概念)」の協働によって人間の認識が成り立つと説きました。ここで、(a)には合理論、(b)には感覚(経験)、(c)には概念を当てはめる構成が求められています。

<選択肢>

(組み合わせ問題のため簡潔に)
① a=唯物論 b=感覚 c=概念 …(誤り)
② a=唯物論 b=感覚 c=直観 …(誤り)
③ a=唯物論 b=情念 c=概念 …(誤り)
④ a=唯物論 b=情念 c=直観 …(誤り)
⑤【正】 a=合理論 b=感覚 c=概念 …カントの「経験論と合理論の統合」を端的に示します。
⑥ a=合理論 b=感覚 c=直観 …(誤り)
⑦ a=合理論 b=情念 c=概念 …(誤り)
⑧ a=合理論 b=情念 c=直観 …(誤り)

以上より、選択肢⑤が正解となります。

問32:正解4

<問題要旨>

ここでは、ア(コペルニクス)、イ(ニュートン)、ウ(カーソン)という3人の思想家・学者の自然観に関する記述が示され、それぞれが正しいか誤っているかを判断します。コペルニクスは天動説から地動説への変革を、ニュートンは力学の法則による天体・地上の統一、カーソンは化学物質による環境破壊を指摘したことで知られます。

<選択肢>

①【誤】 ア:正、イ:正、ウ:誤
②【誤】 ア:正、イ:誤、ウ:正
③【誤】 ア:正、イ:誤、ウ:誤
④【正】 ア:誤、イ:正、ウ:正
⑤【誤】 ア:誤、イ:正、ウ:誤
⑥【誤】 ア:誤、イ:誤、ウ:正

ここで「アが誤り」とされるのは、コペルニクスが「『知は力なり』という信念から観察や実験の一般的方法論を…」というのはむしろフランシス・ベーコン寄りの表現で、コペルニクス自身は学問や科学の方法を確立したというより、従来の天動説を批判的に検討し地動説を提示したことが革新的でした。ベーコン的な「知は力」は正確にはコペルニクスの意図とは異なり得ます。一方、イとウはそれぞれニュートンの万有引力・力学体系の確立、カーソンの環境汚染警告が妥当だと考えられます。

問33:正解4

<問題要旨>

この設問は「遊びの社会的性格」に注目した文章を読み、その主張を踏まえて最も適切なものを選ぶ問題です。文章内では「遊びが単なる個人的娯楽ではなく、技を競う・観客がいる・相手がいるという社会的要素をもつこと」が強調され、競争や協力といった関わりが必要である、という点が論じられています。

<選択肢>

①【誤】
「遊びには、技の遊びと競争の遊びがある。お手玉は個人的娯楽であるから、遊び道具さえあれば一人でも飽きずに楽しめる」という表現が、本文の主張とずれます。本文では、一人遊びでも観客・対戦相手など社会的要素が関わりうると指摘されています。

②【誤】
「ヨーヨーやけん玉といった道具を使う遊びは、一人でも遊べるが、競争相手や観衆を伴わなければ違法になる」という極端なまとめ方は本文と整合しません。違法になるわけではなく、観衆や対戦相手がいないと飽きる・成り立ちにくい、というニュアンスです。

③【誤】
「遊びには、技の遊びと競争の遊びがある。お手玉や独自の道具遊びが、よりいっそう優れた結果や記録を生み出す点で高尚である」というのは、競争や観衆が必要となる面を十分に説明していないため、本文の主張とは異なります。

④【正】
「ヨーヨーやけん玉といった道具を使って一人で遊ぶときでも、その場にはいない相手や観衆が想定され、競争や行為が行われている。したがって、遊びは単なる個人的娯楽ではない」という趣旨は、本文の指摘と合致します。一人遊びであっても観衆を想定したり、技を磨くモチベーションが社会的要素と結びつくと説かれています。

問34:正解1

<問題要旨>

ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」についての説明を問う問題です。言語が具体的な状況・ルールのもとでやりとりされ、それ自体が多様なゲームのような営みだと考えるのがウィトゲンシュタイン後期の主張です。特に、日常言語の文脈や文法を「ゲームのルール」として捉える点が特徴的です。

<選択肢>

①【正】
「言語は、日常生活の具体的な場面や状況に応じて使用される。私たちは他者との会話に参加しながら、適切な使用のルールを外面化せずに守っている。この様子をゲームになぞらえられる」というのは、まさにウィトゲンシュタイン後期の言語ゲーム論の要点です。

②【誤】
「言語は、語彙や文法といったルールのみに立脚しており、日常的発話(パロール)を排除するかたちでゲームとなる」というのは、むしろ言語を一面的にとらえ、ウィトゲンシュタインの強調する「具体的言語使用」の重要性を損なっています。

③【誤】
「言語は、人間の無意識の形に深く関わっており、欲望の過程で他者の欲望を自分の欲望としてつくりあげるさまがゲームと言える」というのはラカン的な欲望論など別の理論に近く、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論と直接結びつきません。

④【誤】
「言語は常にルールをつくりかえる営みであり、日常の会話では語や概念の連関を解体する脱構築が常に行われる」というのは、デリダなどの脱構築のイメージに近い表現です。ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論とは趣旨が異なります。

問35:正解3

<問題要旨>

「ホモ・ファーベル (Homo Faber)」というベルクソンの人間観をめぐる説明です。「ホモ・ファーベル」とは、道具や技術を使い、目的に応じて環境を改変していく存在としての人間を示す概念です。人間が創造力や合理的思考をもって自然に働きかける点が注目されます。

<選択肢>

①【誤】
「人間は、言語や記号、芸術などを使って抽象的な事柄を理解する存在だ」というのは「ホモ・シンボリクム」や「ホモ・ロクエンス」に近い話で、ホモ・ファーベルの強調点とはズレています。

②【誤】
「人間は他の動物よりも発達した知性をもち、それを活かして高度な思考や推理を行う」と強調しているのは、デカルト的な理性観に近い要素です。ホモ・ファーベルの本質は「目的に応じて道具を用い、環境を作り変える」という能動的・実践的側面が主です。

③【正】
「人間は、目的をもって道具を作成し、それを用いて自然に働きかけ、自分たちで環境をつくりかえながら進化してきた存在である」というのは、ホモ・ファーベルに関する一般的な説明と合致します。ベルクソンは創造的進化の文脈で、人間の工作活動を重視しました。

④【誤】
「人間は、自分たちを超越した力をもつ世界にまなざしを向け、神を信じて祈りを捧げつつ、宗教という文化を育んできた存在だ」というのは、むしろホモ・レリギオースス(宗教人)の捉え方に近いです。ホモ・ファーベルでは技術・工作が中心に据えられます。

問36:正解3

<問題要旨>

本文の趣旨では、「遊び」はかつて成熟した社会や文化にとって「無用」と見なされがちだったが、実は労働や実用だけでなく、人間の創造性や社会的活動の本質を理解するうえでも重要な意味を持つという流れが語られています。20世紀以降、多くの思想家が人間にとっての遊びの価値を見直し、実用を越えた意義を認めたことがポイントです。

<選択肢>

①【誤】
「遊びはしばしば成熟した文化や社会にとって不要なものとみなされてきたが、労働を促進するための息抜きや気分転換として、子どもより大人にとっても重要だ」というのは、ただの労働効率向上論に偏りすぎています。本文では遊びそのものが持つ創造的意義に焦点があります。

②【誤】
「生産活動としての労働を重んじる価値観のもと、遊びは軽視されてきた。宗教や道徳によって社会の規律が強められた結果、遊びが重要性を増すようになった」という記述は矛盾を含みます。道徳や規律が強化されるほど、むしろ遊びは抑制されそうな印象もあり、本文の趣旨とは異なります。

③【正】
「遊びはしばしば成熟した文化や社会にとって不要なものとみなされてきた。だが、人間精神の自由や自己創造性の源泉であるだけでなく、人間の社会的活動を理解するうえでも重要であるため、見直されるようになった」という内容は、本文の流れに即しています。20世紀になって人間の実用的目的を超えた活動としての遊びが評価されるようになった、という主張です。

④【誤】
「生産活動としての労働を重んじる価値観のもと、遊びは軽視されてきたが、20世紀に入ると、人間の社会的活動が実用的目的から離れた結果、遊びが見直されるようになった」というのは、やや齟齬があります。本文では、「社会的活動が実用的目的から離れた」というよりも、思想家が遊びの内在的価値を再認識したという論旨に近いです。

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