2023年度 大学入学共通テスト 本試験 国語 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

この文章は、「ガラスの窓」という視覚装置が日本の建築や住空間にどのような意味をもたらしてきたかを論じた内容である。まず、大正期以降に板ガラスの国内生産がはじまるまで、日本には平滑なガラスがほとんど存在せず、欧米との技術や文化の差が大きかった点が示される。そして、寝たきりの子どもがガラス越しに庭の植物を眺める体験を通して、「外の世界を室内から視覚的に楽しむ」という新しい感覚が生まれたことが述べられている。

さらに建築家ル・コルビュジエの議論が引き合いに出され、彼はガラスの“窓”を単なる開口部ではなく、外界を切り取る「フレーム」や「スクリーン」として捉えていたことが紹介される。このような窓は、室内と外界を隔てるだけでなく、映像を投影するかのように景色を映し出し、鑑賞者の視点を積極的にコントロールする装置として機能するというわけである。実際に、子どもの書斎や病室にガラス障子を設けることで視線を誘導するような工夫がされている事例が言及され、ガラスの設置が単に光を取り入れる役割にとどまらず、空間デザインの重要な要素になっていることが指摘される。

また、ル・コルビュジエの建築史のなかで示唆される「アスペクト比」や「視界の変換」という考え方は、窓の大きさや形状、配置といった要素がいかに住まい手の視覚や心理的な体験を変えるのかという問題につながっている。四方を壁で囲まれた家や敷地の条件のもとで、どのように開口部を設定し、どのように外部の景色を取り込み、あるいは制限するかという点が、近代建築において大きなテーマとなったのである。

要するにこの文章は、ガラスの窓が日本にもたらした新しい視覚経験と、それを意識的に活用した近代建築の思想と手法について、歴史的・文化的背景をまじえながら論じたものである。

第2問

この文章は、第二次世界大戦期の東京を舞台に、“私”という主人公が、将来の都市計画や緑地帯構想などの「明るい都市の未来像」を思い描きながらも、現実の戦時下の困窮や飢えに直面して葛藤する様子を描いている。

主人公は会議の席で、柿の苗木を植えて緑地帯をつくる案や、街の照明・食糧の増産などを組み合わせた都市の将来ビジョンを提案しようと考える。しかし周囲は戦時下の逼迫した状況下で現実的な利潤や資源不足を気に掛け、主人公の「大東京将来」の構想には戸惑いや批判も見られる。一方で、編集長や上司からは「必要な材料や予算をどう確保するのか」「実務が最優先だ」という問いかけがなされる。

そんななか主人公は街で、十分に食糧を得られず痩せ細った老人の姿や、貧しい暮らしに置かれた人々と出会い、戦時下の厳しい現実と対峙する。自分の空想的ともいえる“大きな夢”とは裏腹に、日々の仕事や食糧難に苦しむ生活者の姿が生々しく浮かび上がることで、理想との落差を痛感する。

物語は、主人公が「給料や配給を受け取りながら、将来的には都市の大規模な再生を目指す」という希望と、「戦時下の窮迫した現実の中で、自分が何を優先すべきか」という現実的な選択とのあいだで揺れ動く様子を映し出し、理想と現実のせめぎ合いを描いている。

第3問

この文章は、平安朝の貴族社会を背景とした一場面で、藤原頼通の邸内における船遊びの様子を描いています。もともとは皇女(「宸居子」と呼ばれる姫君)のために普賢経を読経(修法)していたところ、あわせて池に船を浮かべて遊ぼうと計画されたものの、実際には人々の間で「船に乗りたい」「いや遠慮しておこう」というちょっとした迷いや気後れが生じ、結果として乗船がうまく進まない様子がコミカルに描かれています。

人々は「付けむとする(誘おうとする)」だの「島があれば……」と気にかけながらも乗りそびれてしまい、挙句には船の数も合わずに混乱しがち。いっぽう邸内では、普賢経の法要が行われる荘厳な場面が同時進行しており、遊興(船遊び)と信仰行事(修法)の対照がうかがえます。また、貴族たちが船で楽しむために詠み交わす歌や連歌の話題なども織りこまれ、当時の宮廷文化・社交のありようが軽妙な筆致で描かれている点が特徴的です。

第4問

この文章は、皇帝(君主)と賢者(有能な人材)が互いを求めながらも、しばしば出会わずに終わってしまうことを嘆くところから始まります。そこでは、「君主が賢者を求めても思うように得られず、賢者も君主に仕えようと思ってもなかなか機会がない」という状況が古来から繰り返されてきたと指摘されます。

さらにその原因として、「賢者とそうでない者が入り混じっており、能力や善悪などが外見からは容易に見分けられない」ことや、「君主が賢者を正しく見極め、適切に用いる方法を知らない」ことが挙げられています。そして、自然界(例えば矢が弓から放たれたら的に当たるなど)の道理をたとえにとり、人間社会も本来は正しい理に従えば適材適所が実現するはずなのに、実際にはそれがうまくいっていない、と嘆息する内容になっています。

要するに文章は、「どうすれば有能な人物を正しく登用し、君主と賢者がうまく巡りあって国家に尽くせるのか」という問題を取り上げながら、識別の難しさや制度・人間関係の不備を指摘し、人間社会の理想と現実との乖離を論じているのです。

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