解答
解説
第1問
この問題文は、「食べる」という行為を多面的に考察した二つの文章(文章Ⅰ・文章Ⅱ)を取り上げ、それぞれを読んだ上で設問に答える形式になっています。
- 文章Ⅰ(宮沢賢治『よだかの星』を参照しながら「食べること」を考察)
- 宮沢賢治の作品『よだかの星』に登場する「よだか」という鳥が、自身の醜さや孤独、弱い存在であることを苦にしながらも生きねばならない様子を描き、「食べる・食べられる」関係の不条理や、他の生き物を殺して自分が生きることへの葛藤を浮き彫りにする。
- さらに、作中で「よだか」が星に変容するエピソードを取り上げながら、動物同士・人間と動物のあいだの捕食関係を、神話的・倫理的・宗教的観点も交えて論じている。
- 作者(宮沢賢治)自身の作品に見られる「仏教的な救済」や「自然の一部としての人間」という発想にも触れつつ、人間が他者を食べることで生きる宿命に対する疑問や、そうした行為に伴う後ろめたさを示唆している。
- 文章Ⅱ(「人間に食べられる豚肉」の視点から「食べること」を探究)
- 今度は「豚肉として人間に食べられる運命」に焦点を当て、人間の口に入る食物の行方や、食べられる側の視点を想定する。
- 食事をするという行為が、実際には胃や腸、下水管や海などを巡る循環と深く結びついていることを示し、「食べる」とは自分の体を通して他の生き物を取り込み、その結果として他者(動植物)を犠牲にしながらも生き続ける行為であると論じる。
- さらに、人間を含めたあらゆる生き物が「最終的には死を迎える」存在でありながら、なぜこのような食物連鎖を繰り返して生き続けるのかという問いを提示し、「食べること」の本質を問い直している。
これら二つの文章を通じて、「生きるためには他者を殺して食べねばならない」という宿命と、「それでもなお生きることを選択する理由」の両面が浮かび上がります。前者では、宮沢賢治の物語を手がかりに自他の存在の尊厳や苦悩を描き、後者では消化・循環のプロセスを具体的に示して、私たちが営む「食べる」行為の逃れがたい現実を明らかにしているのが大きな特徴です。これらは、生命の連鎖と倫理観・宗教観の問題を包含しながら、「食べる」という日常的行為が持つ深い問いを読者に投げかける内容となっています。
第2問
主人公(「私」)は会社勤めを終え、自宅で過ごす時間が増えたが、妻の不満を十分には受け止められていない。隣家には看板屋の男性がおり、空き家に看板を掛けるかどうかが話題となっているが、妻とのあいだにうまく話がかみ合わず、主人公は相手の気持ちや自分の立ち位置に戸惑いを覚える。
そんな折、散歩の途中で町会の掲示板を外す少年と出会い、主人公は少年に声をかける。彼のぎこちない態度や無表情に戸惑いつつも、どこか自分と通じるものを感じ、また少年を取り巻く事情(看板の撤去や家の様子など)を想像する。しかし言葉少なな少年の本心は見えず、交流はうまく進展しないまま、彼は立ち去ってしまう。
主人公は妻の不満への対応、隣家の看板屋との関わり、少年との摩擦といった出来事を通じて、互いの真意や背景を理解できず翻弄される自身に気づく。物事の表面的なやりとりの背後には、それぞれが抱える事情や感情が複雑にからんでいるのではないか――という疑念と暗示が、物語全体を通して漂っている。
第3問
この設問で提示されている「文章Ⅰ」と「文章Ⅱ」は、ともに鎌倉時代頃の宮廷や皇族の様子を描いた古典的な散文であり、いずれも“高貴な人物への奉仕”や“神仏への参詣”などをめぐる物語的・随想的な記述が特徴です。
- 文章Ⅰ(『増鏡』の一節)
- 鎌倉時代に書かれた歴史物語『増鏡』の中からの引用。
- 「御方(みかた)にかかりて…」といった語り口で、朝廷や院(上皇)周辺の動向、貴人たちの参詣・儀式などが語られる。
- 作者(編者)は不詳ながら、貴族社会の儀礼・心情が詳しく描かれ、華やかでありながらもどこか憂いや余情を帯びた宮廷世界をうかがわせる。
- 文章Ⅱ(後深草院に仕える女房の書きもの)
- 後深草院(鎌倉時代に在位した上皇)に近侍する女性の手記・日記的な内容。
- 院や宮中での行事、御参り(神社参詣)などに対する女房の気遣いや感慨、さらに四季折々の風物や装束の描写が綴られる。
- 特に「伊勢神宮」や「嵐山」などが登場し、作者がかつての遠出や思い出、また宮廷での日常を回想する場面が見られる。
両文章に共通するのは、貴人への奉仕や神仏への参拝といった当時の貴族社会の習俗を背景に、季節の移ろいや儀式の細やかな情景、そして書き手(語り手)の繊細な心情が叙景的に描かれている点です。表面的には華やかに見える宮廷生活の裏で、作者たちが抱く感慨や余情が印象的に伝わってくる構成となっています。
第4問
清代の学者・政治家である龔自珍(きょうじちん)が都に住んでいたとき、小さな庭をもとにさまざまな思いを綴った序文部分の文章である。
- 庭のありようと「別世界」感
都市の喧噪から離れたその庭は花々や竹などが植えられ、蝶も舞う。規模は小さいが、外の世界とは別天地のような静けさと趣をもつ場所として描かれる。 - 蝶と荘子の“蝶の夢”への言及
文章中には「蝶の夢」や「落扇(扇から落ちた蝶)」といった描写が登場し、荘子の有名な「胡蝶の夢(自分が蝶なのか人間なのか)」を連想させるモチーフが取り入れられている。
それによって、人の意識や現実・幻の境界が暗示され、庭に訪れる蝶を眺めるうちに見る者が抱く不思議な感覚を語っている。 - 詩や書扇への言及
序文には、作者や知人が詩や扇に書き記した言葉や意図にも触れられており、庭をめぐるやり取りや感慨が文学的に表現される。
総じてこの文章は、小さな庭に象徴される“静かな別世界”と、そこに飛来する蝶がもたらす夢幻的な感覚を中心に、花や詩など多彩な要素を織り交ぜて描いた序文となっている。荘子の「蝶の夢」に通じる象徴を用いつつ、人生や世界のはかなさ・妙味を味わう思索がうかがえる点が大きな特色である。