2017年度 大学入試センター試験 本試験「世界史A」の解答と解説です。全設問の正解と考え方を一問ずつ解説し、公式の解答PDFもあわせて掲載しています。大学受験の森が独自に作成した、無料で読める解説です。
解答
解説
2017年度 大学入試センター試験 本試験「世界史A」の解答・解説です。第1問(27点)〜第4問(21点)がすべて必答で、100点満点。解答番号は 1 〜 33 の通し番号です。
設問ごとにアコーディオンを開くと、<問題要旨><考え方>と、正解の根拠および他の選択肢が誤りである理由が読めます。
第1問 A イギリス帝国と植民地(世界史上の帝国・インド・自治領の成立)
イギリス帝国の叙勲制度を導入文に、世界史上の帝国、インド史、自治領の成立年代を問います。いずれも用語と年代の基本知識です。
問1:正解 ③(配点3)
<問題要旨>
世界史上の帝国について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
建国者・制度・国教といった基本事項を一つずつ確認します。
① ヌルハチが建国したのは後金(のちの清)。後漢を建てたのは劉秀(光武帝)。誤り。 ② イェニチェリはオスマン帝国の常備歩兵軍団で、ビザンツ帝国のものではない。誤り。 ③ 普仏戦争の勝利を受け、1871年にプロイセン国王ヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位し、プロイセンを中心とするドイツ帝国が成立した。正しい。 ← ④ ゾロアスター教が国教とされたのはササン朝ペルシア。ローマ帝国が国教としたのはキリスト教(392年)。誤り。
問2:正解 ③(配点3)
<問題要旨>
インドの歴史について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
王朝と宗教、王朝と地域の対応を確かめます。
① マウリヤ朝のアショーカ王が保護したのは仏教。イスラーム教の成立は7世紀で、時代が合わない。誤り。 ② グプタ朝は北インド(ガンジス川流域)を中心に成立した。誤り。 ③ 1877年、イギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねてインド帝国が成立した。正しい。 ← ④ ホセ=リサールはフィリピンの民族運動の指導者。インドではない。誤り。
問3:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
年表に示した a〜d の時期のうち、オーストラリア連邦が成立した時期として正しいものを選ぶ(1867年 カナダ連邦の成立、1910年 南アフリカ連邦の成立、1931年 ウェストミンスター憲章の成立)。
<考え方>
自治領の成立順を「カナダ → オーストラリア → ニュージーランド → 南アフリカ」と覚えておきます。
オーストラリア連邦の成立は1901年。年表では 1867年 カナダ連邦 < 1901年 < 1910年 南アフリカ連邦 なので、b の時期にあたる。 自治領となった順は カナダ(1867)→ オーストラリア(1901)→ ニュージーランド(1907)→ 南アフリカ(1910) で、1931年のウェストミンスター憲章によってこれらは本国と対等の地位を認められた。
第1問 B オランダの東南アジア支配(強制栽培制度とモノカルチャー)
ジャワ島の強制栽培制度を軸に、東南アジア史と、植民地数の推移を示したグラフの読み取りを問います。
問4:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
19世紀前半、ジャワ島の住民を使役してコーヒーや砂糖などを生産させ、安い価格で独占的に買い上げる[ア]が導入された。その結果、ジャワ島では[イ]が一層進展し、商品作物の生産と輸出に依存する経済構造が強まった。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。
<考え方>
制度の名称と、その結果として生じた経済構造の名称です。
[ア]1830年、オランダ領東インド総督ファン=デン=ボスが導入したのが強制栽培制度(政府栽培制度)。農民に耕地の一部でコーヒー・サトウキビ・藍などの商品作物を作らせ、安値で買い上げた。農奴制は中世ヨーロッパの制度で、時代も地域も合わない。 [イ]特定の商品作物や鉱産資源の生産・輸出に依存する経済構造をモノカルチャー経済という。開発独裁は、経済開発を優先して強権的な政治体制を正当化する20世紀後半の体制で、意味が異なる。
問5:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
東南アジアの歴史について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
人物・宗教・王朝がそれぞれどの地域のものかを確かめます。
① コラソン=アキノはフィリピンの大統領(1986〜92年)。マレーシアの首相ではない。誤り。 ② マラッカ王国は15世紀にイスラーム教を受容し、東南アジア島嶼部へのイスラーム普及の拠点となった。キリスト教ではない。誤り。 ③ アユタヤ朝はタイ(シャム)の王朝。ビルマではない。誤り。 ④ 1802年、阮福暎が西山朝を倒してベトナムを統一し、阮朝を建てた。正しい。 ←
問6:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
1450年から1960年にかけての植民地数の増減を示したグラフから読み取れる内容について、次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a 16世紀に、植民地数が初めて100を超えた。
b 七年戦争の勃発から100年の間に、植民地数が最大となった。
<考え方>
グラフの目盛りを正確に読むだけで両方判定できます。「七年戦争の勃発=1756年」を思い出せるかがもう一つの鍵。
a グラフで植民地数が 100 を超えるのは 1640 年ごろ、すなわち17世紀。16世紀(1501〜1600年)の時点では 50 程度にとどまっている。誤り。 b 七年戦争の勃発は1756年。そこから100年間、つまり1856年までの範囲では、植民地数は 125〜150 程度で推移している。グラフの最大値である 170 程度に達するのは1920年代で、この範囲の外。誤り。 よって a・b とも誤り。
第1問 C イエズス会と南北アメリカ(対抗宗教改革・先住民・独立)
イエズス会の南米での布教を軸に、対抗宗教改革、アメリカ大陸の先住民、そしてラテンアメリカの独立を問います。
問7:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
16世紀にヨーロッパのキリスト教世界で起こった大きな変化の中で、カトリック教会による[ア]の一翼を担ったイエズス会は、活動の範囲を世界に広げていった。アジアでは、日本で布教した[イ]などの活動が知られる。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。
<考え方>
イエズス会が何のために作られたか、そして日本に来た宣教師は誰かの2点です。
[ア]宗教改革に対抗してカトリック教会の立て直しをはかった動きを対抗宗教改革(反宗教改革)という。イエズス会はその中心を担った。レコンキスタはイベリア半島の国土回復運動で、1492年に完了しており、16世紀の「キリスト教世界の大きな変化」には当たらない。 [イ]1549年に鹿児島に上陸し、日本で布教したのはフランシスコ=ザビエル。イグナティウス=ロヨラはイエズス会の創設者だが、日本には来ていない。
問8:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
アメリカ大陸の先住民について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a ラス=カサスは、先住民(インディオ)の保護を訴えた。
b ムラートは、白人と先住民の混血である。
<考え方>
ラテンアメリカの混血の呼び名を正確に区別できるかが問われています。
a ラス=カサスはドミニコ会の修道士で、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を著してスペイン人による先住民の酷使を告発し、その保護を訴えた。正しい。 b ムラートは白人と黒人の混血。白人と先住民(インディオ)の混血はメスティーソである。誤り。 (ほかに、先住民と黒人の混血をサンボという。)
問9:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
南北アメリカに存在した植民地の歴史について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
どの国の植民地だったか、誰がどこで独立運動を指導したかを整理します。
① ブラジルはポルトガルの植民地で、1822年にポルトガルから独立した。誤り。 ② ルイジアナはフランスがミシシッピ川流域に領有した植民地。1803年にナポレオンがアメリカ合衆国に売却した。正しい。 ← ③ トゥサン=ルヴェルチュールが指導したのはハイチ(フランス領サン=ドマング)の黒人奴隷の反乱。ベネズエラで独立運動を指導したのはシモン=ボリバル。誤り。 ④ サン=マルティンはアルゼンチン・チリ・ペルーの、スペインからの独立運動を指導した。イタリアではない。誤り。
第2問 A 『海東諸国紀』と東アジア(朝鮮半島・明・日朝関係)
15世紀に朝鮮王朝で編纂された『海東諸国紀』を導入に、朝鮮半島史、明の領域、日朝関係を問います。
問1:正解 ③(配点3)
<問題要旨>
朝鮮半島の歴史について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
統一した王朝、ハングルの制定者、近代の政変と人物を確認します。
① 朝鮮半島を統一したのは新羅(676年)。百済は660年に唐・新羅に滅ぼされた。誤り。 ② 訓民正音(ハングル)が作られたのは朝鮮王朝の第4代世宗の時代(1446年公布)。高麗ではない。誤り。 ③ 1884年、開化派の金玉均らが日本の援助を得てクーデタを起こした(甲申政変)。清軍の介入で3日で失敗した。正しい。 ← ④ 李承晩は大韓民国(韓国)の初代大統領。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を率いたのは金日成。誤り。
問2:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
15世紀後半に北京に都を置いていた王朝の名と、その最大領域を示す地図 a または b との組合せとして正しいものを選ぶ。
<考え方>
まず王朝を決め、その王朝の領域が「西域まで細長く伸びるか」「東北・モンゴル方面に広がるか」で地図を選びます。
【王朝】 15世紀後半に北京を都としていたのは明。永楽帝が1421年に南京から北京へ遷都した。漢の都は長安・洛陽で、時代も都も合わない。 【地図】 地図a は西へ細長く伸びて中央アジア(西域)に達しており、河西回廊から西域都護府を置いた漢の領域にあたる。 地図b は東北地方(満洲)からモンゴル高原南部までを含み、西域には及んでいない。これが永楽帝期の明の最大領域。 よって「明 ― b」。
問3:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
日本と朝鮮半島との関係について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a 江華島事件を契機にして、日朝修好条規が結ばれた。
b 日本は、韓国を併合し、朝鮮総督府を置いた。
<考え方>
近代の日朝関係の流れを年代順にたどります。
a 1875年、日本の軍艦が朝鮮の江華島付近で挑発し交戦した(江華島事件)。これを口実に翌1876年、日本に有利な不平等条約である日朝修好条規(江華条約)が結ばれた。正しい。 b 1910年の韓国併合条約により日本は韓国を植民地とし、統治機関として京城(ソウル)に朝鮮総督府を置いた。正しい。
第2問 B 江戸時代の日本とヨーロッパ(蘭学・地動説・情報の伝達)
オランダ経由でヨーロッパの知識が伝わった江戸時代を軸に、科学者の名前、通信技術の年代、18世紀の政治、そして浮世絵の影響を受けた画家を問います。
問4:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
司馬江漢が言及した、ポーランドのトルン出身の[ア]が唱えた地動説について、[ア]に入れる語として正しいものを選ぶ。
<考え方>
「ポーランドのトルン出身」「地動説」の2語で決まります。
地動説(太陽中心説)を唱えたのは、ポーランドのトルンに生まれたコペルニクス。『天球回転論』(1543年)で、それまでの天動説に代わる体系を示した。 ② グロティウスはオランダの法学者で「国際法の父」。 ③ エラスムスはネーデルラント出身の人文主義者で『愚神礼賛』の著者。 ④ ソクラテスは古代ギリシアの哲学者。
問5:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
年表に示した a〜d の時期のうち、海を越えて即座に情報を伝えることを可能にした海底電信ケーブルが、世界で初めて敷設された時期として最も適当なものを選ぶ(1871年 日本で郵便制度が成立、1906年 アメリカ合衆国で世界初のラジオ放送、1935年 ドイツでテレビ放送開始)。
<考え方>
通信技術の登場順は「電信 → 電話 → 無線(ラジオ)→ テレビ」。電信が最も早いことから絞ります。
世界初の海底電信ケーブルは、1851年にイギリスとフランスの間のドーヴァー海峡に敷設された。1866年には大西洋横断ケーブルも成功している。 年表の最初の項目が1871年なので、1851年はそれより前、すなわち a の時期にあたる。 (電信そのものはモールスが1837年に実用化しており、19世紀半ばにはすでに広く使われはじめていた、という感覚を持っておくとよい。)
問6:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
18世紀当時のヨーロッパの政治状況について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
人物と地位、思想家と学説の対応を確かめます。
① ヨーゼフ2世はオーストリアの君主で、神聖ローマ皇帝。ロシア皇帝ではない。誤り。 ② ポーランド分割は1772年・1793年・1795年の3回にわたってロシア・プロイセン・オーストリアによって行われ、ポーランドは消滅した。18世紀の出来事として正しい。 ← ③ ルソーが唱えたのは社会契約説(『社会契約論』)。王権神授説を唱えたのはボシュエやフィルマーで、立場が正反対。誤り。 ④ 責任内閣制が始まったのはイギリス(ウォルポール内閣、18世紀前半)。スペインではない。誤り。
問7:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
印象派(後期印象派)の一人とされる19世紀後半の画家で、浮世絵の影響を受けた絵(「タンギー爺さん」および歌川広重の絵の模写「雨の大橋」)の作者の名として正しいものを選ぶ。
<考え方>
作品が19世紀後半のものである点で、ルネサンスや新古典主義の画家は外れます。
浮世絵の影響を強く受け、広重の作品を油彩で模写したことでも知られるのはオランダ出身のゴッホ。19世紀後半に活動した後期印象派の画家である。 ① ラファエロと ② レオナルド=ダ=ヴィンチはいずれも15〜16世紀のイタリア=ルネサンスの画家。 ③ ダヴィドは18〜19世紀初頭のフランスの新古典主義の画家で、ナポレオンの宮廷画家を務めた。 いずれも19世紀後半の印象派ではない。
第2問 C 熱河と日本の調査(モンゴル帝国・仏教・満洲事変)
清の皇帝の避暑地であった熱河を導入に、モンゴル帝国、仏教の伝播、そして日本の中国東北地方への侵略を問います。
問8:正解 ①(配点4)
<問題要旨>
モンゴル帝国の歴史について述べた文として誤っているものを選ぶ。
<考え方>
モンゴルが滅ぼした王朝を正確に思い出します。
① モンゴル帝国が滅ぼしたのは西夏(1227)・金(1234)・南宋(1276〜79)など。唐が滅んだのは907年で、朱全忠によるもの。モンゴル帝国の成立(1206年)より300年も前であり、誤り。 ← ② チンギス=ハンの子チャガタイの家系が中央アジアにチャガタイ=ハン国を建てた。正しい。 ③ チンギス=ハンの孫フビライが第5代ハンとなり、国号を元と定めた。正しい。 ④ モンゴル帝国は駅伝制(ジャムチ)を整備し、広大な領域を結ぶ交通・通信網を築いた。正しい。
問9:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
仏教寺院に関連して、仏教について述べた文として最も適当なものを選ぶ。
<考え方>
人物・王朝と仏教との関係、遺跡の所在地を確かめます。
① ビルマのパガン朝は上座部仏教を保護した。禁じてはいない。誤り。 ② 唐の高僧鑑真は、たび重なる渡航の失敗と失明を経て753年に来日し、日本に戒律を伝えて唐招提寺を開いた。正しい。 ← ③ アジャンター石窟寺院はインドのデカン高原西部にある。パミール高原ではない。誤り。 ④ クシャーナ朝のカニシカ王は仏教を厚く保護し、その時代にガンダーラ美術が栄えた。弾圧してはいない。誤り。
問10:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
日本の関東軍が[ア]で鉄道爆破事件を起こし、中国東北地方を占領した。それに対して蔣介石は不抵抗政策を採り続けたが、張学良は[イ]で蔣介石を監禁し、抗日民族統一戦線の結成を迫った。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。
<考え方>
満洲事変の発端の地名と、西安事件の地名です。
[ア]1931年9月、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破し、これを口実に軍事行動を起こした(柳条湖事件、満洲事変の発端)。旅順は遼東半島先端の軍港で、日露戦争の激戦地。 [イ]1936年12月、張学良が西安を訪れた蔣介石を監禁し、内戦の停止と抗日を要求した(西安事件)。これを機に第2次国共合作へと向かった。上海は1932年の上海事変や、1937年の第2次上海事変の舞台。
第3問 A 中世ヨーロッパの世界像(三身分論・教会と政治・労働者と身分)
「祈る者・戦う者・働く者」という三身分論を導入に、教会と世俗権力の関係、国家と労働者、そして世界史上の身分制度を問います。
問1:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
キリスト教と政治との関係について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
叙任権闘争、宗教改革、イギリス国教会の成立という3つの定番テーマです。
① 聖職叙任権をめぐって教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が対立し、1077年のカノッサの屈辱に至った。正しい。 ← ② ルターは神聖ローマ皇帝カール5世からヴォルムス帝国議会で追放処分を受けた。ルターを保護したのはザクセン選帝侯フリードリヒ。誤り。 ③ イギリス国教会を創設したのはヘンリ8世(首長法、1534年)。チャールズ1世はピューリタン革命で処刑された王。誤り。 ④ 雍正帝は1724年にキリスト教の布教を全面的に禁止した。奨励ではない。誤り。
問2:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
国家と労働者との関係について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
各国の社会政策・労働立法が、誰によっていつ行われたかを確認します。
① ドイツで保険制度(疾病保険・災害保険・養老保険)を整備したのはビスマルク。カヴールはイタリア統一を進めたサルデーニャ王国の首相。誤り。 ② 1848年の二月革命後、臨時政府はルイ=ブランらの主張を入れて失業者救済のための国立作業場を設立した。正しい。 ← ③ ワグナー法(1935年)は労働者の団結権・団体交渉権を保障した法律で、ニューディールの一環。労働運動を抑えるものではない。誤り。 ④ 権利の章典(1689年)は議会の権限や国民の権利を定めたもので、労働条件とは関係しない。誤り。
問3:正解 ③(配点3)
<問題要旨>
世界史上の身分や社会階層について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a インドには、ヴァイシャと呼ばれる隷属民が存在した。
b プロイセンには、ユンカーと呼ばれる土地貴族(地主貴族)が存在した。
<考え方>
ヴァルナの4身分を上から順に言えるかどうかで a が決まります。
a ヴァルナの4身分は上から バラモン(司祭)→ クシャトリヤ(武士・王侯)→ ヴァイシャ(庶民=農民・牧畜民・商人)→ シュードラ(隷属民) ヴァイシャは庶民であって隷属民ではない。誤り。 b ユンカーはエルベ川以東の大農場を経営したプロイセンの土地貴族。軍や官僚の中核を占め、ビスマルクもその出身。正しい。
第3問 B ヨーロッパとイスラーム(民族・信仰と政策/オスマン帝国)
デューラーの絵とバッハのオペラを対比させ、ヨーロッパのイスラーム観の変化を軸に、宗教政策・世紀の判定・トルコ史・オスマン帝国の後退を問います。
問4:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
民族や信仰の違いに基づいて実施された政策について述べた文として最も適当なものを選ぶ。
<考え方>
どの政策が「強制」か「容認」か「廃止」かを取り違えないようにします。
① 清は満洲人の風習である辮髪を漢人にも強制した(辮髪令)。禁止ではない。誤り。 ② ナントの王令(1598年)は、アンリ4世がユグノー(カルヴァン派)に信仰の自由を認めたもの。カトリックの強制ではない。誤り。 ③ ムガル帝国のアクバルは、非ムスリムに課す人頭税(ジズヤ)を廃止して融和をはかった。復活させたのはアウラングゼーブ。誤り。 ④ ウマイヤ朝ではアラブ人が特権的地位を占め、非アラブ人の改宗者(マワーリー)にもジズヤやハラージュが課された。このため「アラブ帝国」と呼ばれる。正しい。 ←
問5:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
デューラー(1471〜1528年)が生まれた世紀に起こった出来事について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
1471年は15世紀。各選択肢の年代を15世紀と照合します。
デューラーが生まれた1471年は15世紀。 ① 第1回十字軍の開始は1096年で11世紀。誤り。 ② ビザンツ帝国の滅亡は1453年、オスマン帝国のメフメト2世によるコンスタンティノープル陥落。15世紀の出来事で正しい。 ← ③ 三十年戦争は1618〜48年で17世紀。誤り。 ④ バトゥの率いるモンゴル軍がヨーロッパに侵入し、ワールシュタットの戦いで勝利したのは1241年で13世紀。誤り。
問6:正解 ②(配点3)
<問題要旨>
トルコの歴史について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a トルコ共和国は、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。
b オスマン帝国は、ローマ字を採用した。
<考え方>
ローマ字採用がいつ、誰によるものかが b の決め手です。
a トルコ共和国は1952年、ギリシアとともに NATO に加盟した。ソ連の南下に対する西側の防衛線の一角を担った。正しい。 b ローマ字(新トルコ文字)の採用は1928年、トルコ共和国の初代大統領ムスタファ=ケマル(アタテュルク)による文字改革。オスマン帝国は1922年に滅亡しており、それまではアラビア文字が使われていた。誤り。
問7:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
ヨーロッパとの関係においてオスマン帝国の勢力が後退したことを示す17世紀末の出来事について述べた文として最も適当なものを選ぶ。
<考え方>
「17世紀末」という限定で、年代の合うものは一つに絞られます。
① 第2次ウィーン包囲(1683年)の失敗のあと、オスマン帝国はオーストリアなどとの戦いに敗れ、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーなどをオーストリアに割譲した。オスマン帝国の後退を示す17世紀末の出来事として正しい。 ← ② ナポレオンのエジプト遠征は1798年で18世紀末。誤り。 ③ 神聖同盟の結成は1815年、ウィーン会議の際にロシア皇帝アレクサンドル1世が提唱したもので19世紀。誤り。 ④ ヨーロッパ諸国の東インド会社設立は17世紀初頭(イギリス1600年、オランダ1602年)で、しかもアジア貿易のための機関であり、オスマン帝国の後退を示すものではない。誤り。
第4問 A ヨーロッパ統合(戦間期・チャーチル・EUへの流れ)
チャーチルの「ヨーロッパ合衆国」演説を導入に、戦間期の国際関係、チャーチルの事績、そしてヨーロッパ統合の順序を問います。
問1:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
戦間期(両大戦間期)に国際社会で起こった出来事について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
戦間期は1918年〜1939年。各選択肢の年代をこの範囲と照合します。
① ウィーン体制の成立は1815年。誤り。 ② 国際赤十字の設立は1863年(デュナンの提唱)。誤り。 ③ 国際連合憲章の採択は1945年(サンフランシスコ会議)で、第二次世界大戦の末期。戦間期ではない。誤り。 ④ ロカルノ条約の調印は1925年。ドイツの西部国境の現状維持とラインラントの非武装を確認し、翌1926年のドイツの国際連盟加盟につながった。戦間期の出来事として正しい。 ←
問2:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
第二次世界大戦中にイギリス首相を務めたチャーチルの事績について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
会談の名称と参加者、政策と提唱者の組合せを確かめます。
① 1945年2月のヤルタ会談には、アメリカのF.ローズヴェルト、ソ連のスターリンとともにイギリスのチャーチルが参加した。正しい。 ← ② マルタ会談(1989年)はアメリカのブッシュ(父)とソ連のゴルバチョフによるもので、冷戦の終結が宣言された。誤り。 ③ ナチス=ドイツに対する宥和政策を進めたのはチャーチルの前任の首相ネヴィル=チェンバレン。チャーチルはこれを一貫して批判した。誤り。 ④ ラテンアメリカ諸国に対する善隣外交はアメリカ大統領F.ローズヴェルトの政策。誤り。
問3:正解 ⑥(配点3)
<問題要旨>
今日のヨーロッパ連合につながる統合の流れについて述べた次の文a〜cが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを選ぶ。
a ヨーロッパ共同体が発足した。
b ヨーロッパ経済共同体が発足した。
c ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が発足した。
<考え方>
「石炭鉄鋼 → 経済 → 共同体(統合)」と、範囲が広がる順に並びます。
c ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)… 1952年発足。シューマン=プランに基づき、フランス・西ドイツなど6か国が石炭と鉄鋼を共同管理した。 b ヨーロッパ経済共同体(EEC)… 1958年発足。ローマ条約により関税同盟と共通市場をめざした。同時に EURATOM も発足。 a ヨーロッパ共同体(EC)… 1967年発足。ECSC・EEC・EURATOM の3つが統合されて成立した。 よって c → b → a。 (さらに1993年のマーストリヒト条約発効でヨーロッパ連合(EU)となる。)
第4問 B 冷戦とその後(キューバ革命・戦後の紛争・ベトナム・国家間の対立)
冷戦下のキューバとベトナムを軸に、戦後の国際紛争、ベトナム現代史の順序、そして国家間の対立・統合を問います。
問4:正解 ①(配点3)
<問題要旨>
カリブ海では、親米的な政権に対し、[ア]が指導するキューバ革命が起こり、さらに[イ]がキューバへのミサイル配備を計画すると、アメリカ合衆国が反発して軍事的緊張が高まった。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。
<考え方>
キューバ革命で倒された側と倒した側を取り違えないこと、そしてキューバ危機の相手国です。
[ア]1959年、カストロがゲバラらとともにバティスタの親米独裁政権を倒した(キューバ革命)。したがって革命を指導したのはカストロ、倒されたのがバティスタ。 [イ]1962年、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたことにアメリカのケネディ政権が反発し、海上封鎖を行って核戦争の危機となった(キューバ危機)。フルシチョフがミサイルを撤去して回避された。
問5:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
第二次世界大戦後の紛争や国際関係について述べた文として正しいものを選ぶ。
<考え方>
どの陣営がどの手段をとったか、誰が何を発表したかを確認します。
① 第4次中東戦争(1973年)で石油戦略をとったのはアラブ産油国(OAPEC)。イスラエルではない。第1次石油危機の原因となった。誤り。 ② 「プラハの春」(1968年)を弾圧したのはソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍。国連軍ではない。誤り。 ③ 平和五原則(1954年)を発表したのは中国の周恩来とインドのネルー。エンクルマ(ンクルマ)はガーナ独立の指導者で、翌1955年のアジア=アフリカ会議に関わるが、平和五原則の当事者ではない。誤り。 ④ 1956年、エジプトのナセルがスエズ運河の国有化を宣言すると、イギリス・フランス・イスラエルが出兵してスエズ戦争(第2次中東戦争)となった。正しい。 ←
問6:正解 ④(配点3)
<問題要旨>
ベトナムの歴史について述べた次の文a〜cが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを選ぶ。
a ドイモイ(ドイ=モイ)政策が採用された。
b フランスとの間に、インドシナ戦争が勃発した。
c アメリカ合衆国が、北爆を開始した。
<考え方>
「対フランス → 対アメリカ → 戦後の経済改革」という大きな流れで並びます。
b インドシナ戦争の勃発… 1946年。1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスが敗れ、ジュネーヴ休戦協定が結ばれた。 c アメリカ合衆国の北爆開始… 1965年。トンキン湾事件(1964年)を口実にベトナム戦争が本格化した。 a ドイモイ政策の採用… 1986年。市場経済の導入と対外開放をはかる刷新政策。 よって b → c → a。
問7:正解 ③(配点3)
<問題要旨>
国家間の対立や国家の統合・再編について述べた文として誤っているものを選ぶ。
<考え方>
ペロポネソス戦争の対戦相手を正確に思い出せるかが決め手です。
① 東ティモールは1976年にインドネシアに併合されたが、住民投票を経て2002年に独立した。正しい。 ② 秦王の政は前221年に中国を統一し、始皇帝と称した。正しい。 ③ ペロポネソス戦争(前431〜前404年)はアテネを盟主とするデロス同盟と、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟との戦い。マケドニアではない。マケドニアがギリシア諸ポリスを破ったのは前338年のカイロネイアの戦い。誤り。 ← ④ ファショダ事件(1898年)は、アフリカ横断政策のフランスと縦断政策のイギリスがスーダンのファショダで対峙した事件。フランスの譲歩で解決した。正しい。
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