2024年度 大学入学共通テスト 追試験「倫理」の解答と解説です。全設問の正解と考え方を一問ずつ解説し、公式の解答PDFもあわせて掲載しています。大学受験の森が独自に作成した、無料で読める解説です。
解答
解説
2024年度 大学入学共通テスト 追試験の倫理は、大問4つ・設問33問、満点100点、試験時間60分です。配点は第1問24点・第2問24点・第3問24点・第4問28点。解答番号は1〜33で、大半が配点3、第4問の問2だけが配点2、第4問の問8・問9が配点4になっています。
第1問は、担任の「人生はエクレアのようだ」という比喩をきっかけに、高校生AとBが宗教や哲学で使われるたとえを図書館で調べていく会話。第2問は、天体観測と模型づくりという別々の趣味から「秩序が好き」という共通点を見つけた高校生CとDが、日本思想を手がかりに秩序を考える会話。第3問は、授業で行う「哲学対話」の前と後をはさんで、主体性とは何かを問い続ける高校生EとFの会話。第4問は「悪いことが起こるとしても、それが意図されていなければよいのか」という課題から、積極的差別是正措置と終末期医療を材料に、意図と結果の関係を考えます。4つの大問はいずれもⅠ・Ⅱの二つの区分に分かれています。
この回は、思想家の名前を覚えているだけでは切れない設問が多いのが特徴です。選択肢は「前半の人物は合っているが、後半の主張が別人のもの」という型で作られており、人物と主張が接合しているかを一つずつ確かめる必要があります。原典資料を使う設問も、引用の細部より、会話の流れ(並列・対比・帰結)と選択肢の記述が噛み合うかで決まります。また、組合せを選ぶ設問には選択肢が①〜⑨まで並ぶものもあるので、答える前に丸数字の最大値を必ず確認してください。なお、解答番号3・20・22・32の資料は問題冊子では省略されていますが、いずれも設問文・選択肢・思想家についての知識から正解が決まります。
第1問 比喩とたとえで語られる思想(配点24)
高校生AとBが、担任の「人生はエクレアのようだ」という比喩の意味を考えるところから、宗教や哲学のたとえを図書館で調べていく会話です。Ⅰ(問1〜問4)は比喩を用いた教え、ギリシアの思想家と言葉、イスラームの啓示、諸宗教における言葉の役割を問い、Ⅱ(問5〜問8)は聖書・『荘子』・『スッタニパータ』の資料を読ませて、たとえが何を伝えているのかを問います。
問1:正解 ④(解答番号1/配点3)
<問題要旨>
「比喩やたとえが好き」という下線部を受けて、比喩やたとえを用いた思想や教えの説明として最も適当なものを選ぶ設問です。イエス・孟子・プラトン・仏教という、有名なたとえが4つ並びます。
<考え方>
人物名ではなく、たとえの中身と、そこから導かれる結論が接合しているかで切ります。この設問では、たとえの情景は正しいのに結論が正反対になっていたり、似た概念にすり替えられていたりする型が並びます。それぞれのたとえが何を示すために語られたのかを思い出してから当てていきましょう。
<選択肢>
①【誤】
善きサマリア人のたとえは、敵対視されていたサマリア人こそが傷ついた人の隣人としてふるまったと語るもので、イエスは民族の枠を超えた隣人愛を示しました。「同胞愛を否定した」は、たとえの結論を逆転させています。
②【誤】
孟子の、幼児が井戸に落ちかけるのを見るというたとえは、誰もが思わずいたたまれなくなる心、すなわち惻隠の心を示すものです。孟子自身、誉れを求めたり非難を避けたりするためではないと断っています。「助けないのは恥ずかしいと思って」は、悪を恥じる羞悪の心へのすり替えです。
③【誤】
プラトンが太陽になぞらえたのは善のイデアで、あらゆるイデアを存在させ、また認識させる根拠とされます。「正義のイデア」は語のすり替えです。
④【正】
仏教は、修行の妨げとなる貪(欲望)・瞋(怒り)・癡(愚かさ)を、人を害する毒になぞらえて三毒と呼びます。たとえの中身と呼び名が正しく対応しています。
正解【④】
たとえの情景と結論が食い違わないのは、三毒を毒になぞらえた④だけです。
問2:正解 ②(解答番号2/配点3)
<問題要旨>
「言葉そのもののすばらしさ」という下線部に関連して、ギリシアの思想家たちによる、言葉に関わる活動の説明として最も適当なものを選ぶ設問です。ソフィストについて2つ、ソクラテスについて2つの記述が並びます。
<考え方>
ソフィストは真理そのものよりも弁論の技術を教えた職業教師であり、ソクラテスは無知の自覚から出発して対話によって真理を求めた人だ、という対比に戻します。4つとも前半の人物は合っているので、後半の主張がその人物の立場と接合しているかだけを見ます。
<選択肢>
①【誤】
ソフィストの弁論術は、真実を見いだすことではなく、場に応じて相手を説得することを目的としていました。「見掛けの背後にある真実を見いだす」はソクラテスやプラトンの方向で、主張が入れ替わっています。
②【正】
ソフィストは真理の探究よりも、都合に合わせて言葉を用いて多数を説得する技術を広めました。人間を万物の尺度とする相対主義の立場と後半が一致します。
③【誤】
ソクラテスが対話から得たのは、相手も善美の事柄を知らないのに知っていると思い込んでいるという気づきであり、そこから自らの無知の自覚に至りました。「彼らが自分よりもよく知っていると気づき」は結論が逆です。
④【誤】
神託を受けたソクラテスは自らの無知を自覚しましたが、そこから導いたのは探究をやめることではなく、知を愛し求め続けることでした。「真実を追求することの無益さ」は結論の逆転です。
正解【②】
真理より説得を旨とするソフィスト像と後半が接合しているのは②です。
問3:正解 ①(解答番号3/配点3)
<問題要旨>
クルアーンはアラビア語で下された啓示であり、他言語に翻訳したものは啓典と認められない、という説明に続けて、ムハンマドに啓示が下された状況を記すハディースを示し、イスラームについての説明と資料の内容の記述として最も適当なものを選ばせる設問です。資料は問題冊子では省略されています。
<考え方>
選択肢の前半はすべてイスラームの基本事項なので、まずそこで落とせるものを落とします。六信(神・天使・啓典・使徒・来世・天命)と五行(信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼)の振り分け、クルアーンとスンナの違い、初期のムハンマドがメッカの有力者から迫害を受けたという経緯の3点です。残るのは天使をめぐる2つで、ここは設問文が「アラビア語で下された啓示」、つまり声に出して誦まれた言葉であることを強調している点が決め手になります。
<選択肢>
①【正】
天使は六信の一つで、信じることが信者の義務とされます。啓示の始まりを伝えるこのハディースは、天使が「誦め」と命じ、読む者ではないと拒むムハンマドを強く抱き締めて繰り返し迫った経緯を語るものとして知られています。前半の知識も後半の記述も成り立ちます。
②【誤】
天使が最初に現れたのがヒラー山の洞窟であることは正しいのですが、後半が合いません。この伝承でムハンマドに与えられたのは書かれた巻物ではなく、声に出して誦めという命令であり、設問文が強調する「アラビア語で誦まれた啓示」という性格とも噛み合いません。
③【誤】
ムハンマドが受け取った神の言葉をまとめたものはクルアーンで、スンナはムハンマドの言行・慣行を指します。前半が語の取り違えになっており、後半の記述が妥当でも選べません。
④【誤】
ムハンマドが伝えた教えは、当時のメッカの有力者たちからはむしろ迫害を受けました。「支配者たちを通じて人々に広められた」は経緯が逆です。
正解【①】
前半の知識(天使は六信の一つ)と、声に出して誦むよう迫られたという啓示の始まりの筋が両方そろうのは①です。
問4:正解 ⑥(解答番号4/配点3)
<問題要旨>
様々な宗教や思想における言葉の役割についての説明ア〜エのうち、適当なものを全て選んだ組合せを①〜⑨から選ぶ設問です。老子の道、古代イスラエルの預言者、イスラームの六信・五行、ブッダの八正道が並びます。
<考え方>
「全て選ぶ」型なので、組合せを先に見ずに、ア〜エを一つずつ独立に確定してから当てます。老子の道は名づけえないもの、預言者は神の言葉を民に伝えて背きを責める者、六信は信じる対象で五行は行うべき務め、八正道は中道の具体的な内容、という対応を順に確認します。
<選択肢>
ア【正】
老子のいう道は感覚では捉えられず、名づけることも語ることもできないものとされ、その意味で「無」とも呼ばれます。
イ【正】
イザヤをはじめとする預言者は、神から授かった言葉を民に告げ、バビロン捕囚などの苦難を、民が神との契約に背いた結果として批判しました。
ウ【誤】
信仰告白(シャハーダ)は、行うべき務めである五行の一つです。六信は神・天使・啓典・使徒・来世・天命という信じる対象であり、六信と五行を取り違えています。
エ【正】
ブッダは苦行にも快楽にも偏らない中道を説き、その具体的な内容である八正道に、正しい言葉を語る正語が含まれます。
正解【⑥】
ウだけが六信と五行の取り違えで落ち、残るアとイとエの組合せが⑥です。
問5:正解 ⑥(解答番号5/配点3)
<問題要旨>
旧約聖書「詩編」の「主は私の羊飼い」で始まる一節(資料1)と、新約聖書「ヨハネによる福音書」でイエスが「神の小羊」と呼ばれる一節(資料2)を読み、会話中のa・bに入る語句の組合せを選ぶ設問です。会話では、当時のユダヤ教に過越祭で羊を生贄として捧げる風習があったことが手掛かりとして示されます。
<考え方>
aは「十戒にもあるように」というAの言葉が手掛かりで、十戒を与えた「主」が誰かを考えれば決まります。bは、生贄の羊が人の身代わりとして捧げられるものだという点から、イエスが「神の小羊」と呼ばれる意味をたどります。
<選択肢>
a=神【正】
十戒はシナイ山でモーセを通じて与えられた神(ヤハウェ)の戒めです。資料1の「主」はその神を指します。
a=預言者【誤】
預言者は神の言葉を預かって人々に伝える人間の側であり、十戒を与える立場ではありません。主体が入れ替わっています。
b=その死によって人間の原罪を代わりに償った【正】
過越祭の生贄の羊は、人の身代わりとして捧げられるものです。イエスを「神の小羊」と呼ぶことは、その死が人間の罪を贖ったという理解に結び付きます。
b=イスラエルの民を導いてカナンの地に向かった【誤】
民を率いて出エジプトを果たしたのはモーセです。人物が入れ替わっており、生贄の羊のイメージともつながりません。
b=人々の堕落を批判し律法を厳格に守ることを求めた【誤】
律法の厳格な遵守を求めたのはパリサイ派の姿勢で、イエスはむしろそれを形式主義として批判しました。生贄の羊のイメージとも結び付きません。
正解【⑥】
aが神、bが贖罪の説明となる組合せが⑥です。
問6:正解 ③(解答番号6/配点3)
<問題要旨>
『荘子』から2つの文章が示されます。資料1は、地面のうち実際に足で踏む面積だけを残して周りを掘ったら歩けなくなる、という恵子との問答。資料2は、こぶだらけで大工も見向きしない大木を、何も無い広々とした野に植えて木陰で寝転べばよいという問答です。それぞれの内容を表す語句をア〜エから選び、その組合せを答えます。
<考え方>
『荘子』の主要な語(逍遥遊・無用の用・万物斉同・心斎坐忘)の意味を先に確認してから当てます。2つの資料はどちらも結びの一文がそのまま語に対応しているので、結論の言葉を手掛かりにします。
<選択肢>
資料1=イ(無用の用)【正】
「無用が有用であることは明らかだろう」と結んでおり、役に立たないと見えるものが、役立つものを支えているという主張そのものです。
資料2=ア(逍遥遊)【正】
何も無い広々とした野で無為に過ごし、自由にのびやかに木陰で寝転べばよいという境地は、何ものにもとらわれず自由に遊ぶ逍遥遊にあたります。
ウ(万物斉同)【誤】
人間が立てた区別を離れれば万物に差別はないとする考えです。2つの資料はいずれも有用・無用という区別を前提に話を進めており、この語には当てはまりません。
エ(心斎坐忘)【誤】
心を空しくし、我を忘れて道と一体になる修養の方法を指す語です。どちらの資料も、そうした修行の手順を述べてはいません。
正解【③】
資料1が無用の用、資料2が逍遥遊という組合せで③です。
問7:正解 ①(解答番号7/配点3)
<問題要旨>
新約聖書の「からし種」のたとえ(資料1)と、『スッタニパータ』で涅槃を激流の中の洲になぞらえる一節(資料2)を読み、会話中のa(授業で習った内容)とb(二つのたとえの内容を踏まえて言えること)に入る語句の組合せを選ぶ設問です。
<考え方>
aはキリスト教・仏教の基本語の知識で正誤が決まり、bは二つのたとえに共通する性格を探して決めます。ごく小さな種を庭に蒔くことも、川や海の中の洲も、当時の人々が日々目にしていた事物だという点が共通項です。
<選択肢>
①【正】
aは、イエスが告げた神の国の到来が人間にとっての福音(よい知らせ)として理解されてきた、という説明で正しい。bも、小さな種が育つ情景と激流の中の洲という、当時の人々に身近な事物を通して神の国や涅槃が思い描かれているという、二つのたとえの共通点をとらえています。
②【誤】
aが誤りです。新約聖書で神の国は福音として告げられるものであり、「人間の『試練』の場」ではありません。bの「自然の脅威に抵抗する立場」も、洲を安らぎの場として示す資料2の向きと合いません。
③【誤】
aの「涅槃は輪廻における一切の苦から解放された境地」は正しい説明ですが、bが誤りです。からし種のたとえも洲のたとえも、困難を克服した先に到達するという筋道を語ってはいません。前半が正しくても後半が接合しないため選べません。
④【誤】
aが誤りです。解脱してブラフマン(梵)と合一するのはウパニシャッドの梵我一如の考えで、無所有・無執着を涅槃とする仏教の立場とは別のものです。
正解【①】
a・bの両方が成り立つのは①だけです。
問8:正解 ②(解答番号8/配点3)
<問題要旨>
AがBに宛てたメッセージの空欄a・bに入る記述の組合せを選ぶ設問です。aには倫理の授業で習った比喩の例が、bには図書館からの帰り道の会話を踏まえた、初めて出会う比喩やたとえについての受けとめが入ります。
<考え方>
aは思想史の知識で、bは会話の内容との一致で決まります。まずaを知識で絞り、そのうえでbを会話と照合しましょう。帰り道の会話でBは「比喩によって思想家の言いたいことが手軽に理解できるわけではない」と述べ、そのうえで意味をあれこれ考えてみられるのが面白いと言っていました。
<選択肢>
①【誤】
aが誤りです。エレアのゼノンの「アキレスと亀」は、運動を認めると矛盾が生じることを示して運動や変化を否定するための議論であり、「矛盾なく説明するために」は目的が逆です。bも、比喩が「正しい理解をすでに自分が持っていることを確認させてくれる」という向きで、会話と合いません。
②【正】
aは、『パイドロス』で魂を、翼のある二頭の馬と翼のある御者からなる馬車になぞらえたプラトンの説明で正しい。bも、分かりやすくするとは限らないがそれゆえ自分で考えるきっかけになる、という帰り道の会話の内容と一致します。
③【誤】
aが誤りです。自らの教えを「大乗」と呼び、出家者中心の既存の立場を「小乗」と呼んだのは大乗仏教の側で、上座部が自らを大乗と称したのではありません。主体が入れ替わっています。
④【誤】
aの初転法輪の説明は正しいのですが、bが誤りです。解釈をしかるべき権威に委ねるのが賢明だという方向は、自分で意味を考えることに価値を見いだす二人の会話と正反対です。
正解【②】
aが思想史の知識として正しく、bも帰り道の会話と接合するのは②です。
第2問 秩序をめぐる日本の思想(配点24)
天体観測が好きな高校生Cと、模型づくりやパソコンの組み立てが好きな高校生Dが、「秩序立ったものが好き」という共通点を見つけて調べ学習を進める会話です。Ⅰ(問1〜問5)は近世の儒学者、日本の他界観、日蓮、二宮尊徳の文章、雪舟の水墨画を扱い、Ⅱ(問6〜問8)は内村鑑三、近代日本の社会思想家、中井正一『美学入門』の読解を扱います。
問1:正解 ④(解答番号9/配点3)
<問題要旨>
儒教の「天」という語を受けて、近世日本の儒学者についての説明として最も適当なものを選ぶ設問です。藤原惺窩・熊沢蕃山・林羅山・新井白石の4人が並びます。
<考え方>
人物名は正しく、後半の業績や主張が別人のものに差し替えられている型です。惺窩は仏教を離れて儒学を独立させた人、蕃山は治山治水を重んじた人、羅山は上下定分の理を説いた人、白石は『西洋紀聞』を著した人、という代表的な立場を一つずつ当てていきます。
<選択肢>
①【誤】
藤原惺窩は禅僧の出身ですが、仏教を離れて儒学を独立した学問として立てた人物です。「仏教の出世間的な考え方を評価し、身分的な秩序を超えてこそ心の平安がある」は、その立場と逆になっています。
②【誤】
熊沢蕃山は、山林の乱伐と無理な新田開発が治水を損なうとして批判し、山林の保護を説きました。「山林を伐採し、新田開発を積極的に進めた」は主張の逆転です。
③【誤】
朱子学の理や敬を形式的・厳格だと批判し、日常生活での生き生きとした愛(仁)を説いたのは伊藤仁斎です。林羅山は上下定分の理を説いた朱子学者で、人物が入れ替わっています。
④【正】
新井白石は朱子学者として合理性を重んじ、シドッチの尋問をもとに『西洋紀聞』を著して西洋の地理・文化に関心を示す一方、キリスト教の世界創造の教えは受け入れませんでした。人物と業績が接合しています。
正解【④】
人物と業績が正しく対応しているのは新井白石の④です。
問2:正解 ②(解答番号10/配点3)
<問題要旨>
「自然には何か大きな力がある」という下線部に関連して、日本において自然や世界がどのように捉えられていたかについての記述ア・イの正誤の組合せを選ぶ設問です。アは里山や海辺と他界の関係、イは高天原の様子を述べます。
<考え方>
古代日本の他界観、つまり山の向こうや海の彼方に死者の世界を見る見方と、記紀が描く高天原の具体的な姿を思い出して一つずつ判定します。
<選択肢>
ア【正】
山や海の彼方は死者の霊魂が赴く他界に通じると考えられ、里山や海辺はその境界にあたる場として意味をもつとされました。
イ【誤】
記紀の高天原には天照大神の田があり、機織りの小屋もあって、地上と同じような暮らしの営みが描かれます。須佐之男命がその田の畔を壊す場面も有名です。「田畑や家屋などは見られず」が事実と食い違います。
正解【②】
アが正、イが誤の組合せで②です。
問3:正解 ⑤(解答番号11/配点3)
<問題要旨>
現世における理想世界の実現を目指した仏教者として日蓮を取り上げ、その説明ア〜ウから適当なものを全て選んだ組合せを答える設問です。
<考え方>
『立正安国論』の立場、すなわち正法である『法華経』を立てて国を安んじるという筋と、四箇格言が他宗への激しい排撃であったことを押さえれば、一つずつ判定できます。
<選択肢>
ア【正】
日蓮は諸経典に説かれた国難の記述を調べたうえで、現世に仏国土を築くには題目「南無妙法蓮華経」をひたすら唱えることが必要だと説きました。
イ【誤】
四箇格言(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)は、他の宗派を厳しく排撃するものです。「各宗派の融和こそが無間地獄に堕ちないための道である」は、主張の向きが正反対になっています。
ウ【正】
日蓮は大乗経典の『法華経』にこそブッダの最高の教えが説かれているとし、国家の安寧と人々の救済のためにその教えを広めました。
正解【⑤】
イだけが四箇格言の性格を取り違えており、アとウの組合せで⑤です。
問4:正解 ④(解答番号12/配点3)
<問題要旨>
『二宮翁夜話』から、天理(天道)と人道の違いを説く文章が示されます。放っておけば堤は崩れ堀は埋まり橋は朽ちるのが天理であり、堤を築き堀をさらい橋を掛け替えるのが人道だ、という内容です。会話中のa(この文章が述べていること)とb(二宮尊徳について学んだこと)に入る記述の組合せを選びます。
<考え方>
aは文章の対比をそのままたどります。天理は放っておけば荒れていく自然のはたらき、人道はそれに手を加えて暮らしを保つ努め、という対になっています。bは報徳思想の中身、とくに分度と推譲を確認します。
<選択肢>
①【誤】
aは文章の対比をとらえていますが、bが誤りです。報徳思想は、天地の恩とあわせて君・親・祖先の徳に報いることを説くもので、「父母や先祖に恩返しをするのではなく」と切り捨てるのは内容の改変です。
②【誤】
aが誤りです。文章は「天理と人道はまったく別のもの」と明言しており、「区別しがたいほど似ており」は正反対です。
③【誤】
aが誤りです。文章は天理を「永久に変化せず」とするので、人道によって天理を変革するという筋にはなりません。bの、武士も含めた全員が直接農業に携わる社会を理想としたのは安藤昌益で、人物も入れ替わっています。
④【正】
aは、堤を築き堀をさらい橋を掛け替えるという人道の説明をそのまま言い換えたものです。bも、分度(身の丈に合った勤勉で節度ある生活)と推譲(余剰を他者や将来に譲ること)を説いた二宮尊徳の報徳思想と一致します。
正解【④】
aが天理と人道の対比、bが分度と推譲にあたる④です。
問5:正解 ①(解答番号13/配点3)
<問題要旨>
室町時代に雪舟が描いた水墨画を示し、会話中のa(この時期の日本の美意識の特徴)とb(この絵の表現)に入る記述の組合せを選ぶ設問です。
<考え方>
室町時代の美意識を表す語と、水墨画という技法の特徴の両方から絞ります。掲げられた絵は輪郭線を用いず、墨の濃淡とにじみだけで遠くの山と近くの樹石を描き分け、広い余白を残しています。aとbの両方が成り立つものだけが残ります。
<選択肢>
①【正】
aの、質素で落ち着いた枯淡な表現に言葉を超えた奥深さを感じるという説明は、この時期の美意識に合います。bも、墨の濃淡だけで奥行きを出して深い精神性を感じさせるという、この絵の描き方そのものです。
②【誤】
幽玄は、はっきり言い表せない奥深い余情を指す語で、「物の細部に明確な形となって表れ出る」はその説明と逆です。bの「目で見たままに描き取る、写実的な表現」も、この絵の描き方と合いません。
③【誤】
さびは、古び枯れた姿に趣を見いだす近世の俳諧の理念であり、室町時代の美意識の説明としてずれます。bの「明瞭な輪郭線で囲い」も、輪郭線を用いないこの絵と食い違います。
④【誤】
わびは質素で簡素なもののうちに美を見いだす心であり、「満開の桜や紅葉のような華やかな自然美」とは結び付きません。aの段階で成り立ちません。
正解【①】
枯淡の美意識と、墨の濃淡だけで奥行きを出す表現とが結び付く①です。
問6:正解 ②(解答番号14/配点3)
<問題要旨>
「キリスト教の神が創造した秩序」という下線部に関連して、近代日本のキリスト教徒である内村鑑三についての説明として最も適当なものを選ぶ設問です。
<考え方>
内村鑑三の三つの柱、すなわち無教会主義、二つのJ、日露戦争への非戦論を確認すれば、誤りの3つはその場で落とせます。
<選択肢>
①【誤】
内村鑑三は、教会の組織や儀式によらず、聖書と信仰によって直接に神と向き合う無教会主義を唱えました。教会重視は立場の逆です。
②【正】
『代表的日本人』で中江藤樹や西郷隆盛らを取り上げ、日本では武士道精神を土壌としてキリスト教が根付くと考えました。
③【誤】
内村の「二つのJ」はイエス(Jesus)と日本(Japan)です。Justiceへのすり替えになっています。
④【誤】
内村は日露戦争に際して非戦論を唱え、開戦に反対しました。「積極的に支持した」は事実と逆です。
正解【②】
代表的日本人と、武士道を土壌とするキリスト教という組合せが内村鑑三の立場で、②です。
問7:正解 ④(解答番号15/配点3)
<問題要旨>
「法律とか制度とか、人間が秩序を形成し維持してきた」という下線部に関して、社会や政治の問題を考えた思想家の説明ア・イがそれぞれ誰を指すかの組合せを選ぶ設問です。徳富蘇峰・吉野作造・中江兆民・河上肇が候補に並びます。
<考え方>
代表作と主張を一つずつ当てます。経済学の観点から貧困を論じ、のちにマルクス主義へ進んだのは誰か。明治憲法の天皇主権を前提としつつ民意の反映を説き、普通選挙運動を後押ししたのは誰か。この二点で決まります。
<選択肢>
ア=河上肇【正】
『貧乏物語』で貧困を経済学的に分析し、富める者が奢侈をやめることによる解決を説きました。のちにマルクス主義経済学へ傾斜していった経歴も一致します。
イ=吉野作造【正】
天皇主権という明治憲法の枠を前提としながら、政治の目的を民衆の利福に置き、民意を政治に反映させるべきだとする民本主義を唱え、普通選挙運動の原動力となりました。
ア・イに徳富蘇峰は入らない【誤】
平民主義を唱えたのちに国家主義へ転じたジャーナリストで、貧困の経済学的分析でもマルクス主義への傾斜でもなく、普通選挙運動の原動力でもありません。
ア・イに中江兆民は入らない【誤】
ルソーの『社会契約論』を『民約訳解』として紹介した東洋のルソーです。自由民権運動の理論的支柱であり、明治憲法下の普通選挙運動の原動力という説明には当たりません。
正解【④】
アが河上肇、イが吉野作造の組合せで④です。
問8:正解 ①(解答番号16/配点3)
<問題要旨>
中井正一『美学入門』の一節を読み、資料中の下線部ア〜エを、会話中のa〜dに当てはめる設問です。会話では、宇宙の秩序と、人間の技術が創り出す秩序との対比が話題になります。
<考え方>
会話の一つ一つの発言が、下線部のどの性格を指しているかを対応させます。「逆に言えば宇宙の秩序は完璧だ」と言えるのは、人間の秩序を星の軌道と比べて狂いがあると述べた箇所。「すでに存在している秩序を取り入れている」のと「人間が独自に秩序を生み出している」のは別々の箇所で、前者と後者が対比されています。最後の手掛かりは、試行錯誤を語る箇所です。
<選択肢>
a=ウ【正】
人間の創る秩序は「自然の星の軌道のように、寸分の狂いも謬りもないものではない」と述べる箇所です。裏返せば、星の軌道つまり宇宙の秩序は完璧だという含みになります。
b=ア【正】
人間が宇宙の秩序を「一人一人自分の中にうつしとる」という箇所で、すでにある秩序を取り入れる側の記述です。
c=イ【正】
「宇宙のほかのどこにもありえない、創られつつある秩序」と述べる箇所で、人間が独自に生み出す側の記述です。bと対をなします。
d=エ【正】
「常に謬りつつ、その謬りをふみしめることが、真実へのただ一つの道しるべとなる」という箇所です。Dのいう、実験や実践による試行錯誤に対応します。
正解【①】
a―ウ、b―ア、c―イ、d―エの組合せで①です。
第3問 哲学対話と主体性(配点24)
授業で行う「哲学対話」をきっかけに、高校生EとFが「主体的であるとはどういうことか」を考えていく会話です。Ⅰ(問1〜問4)は対話を行う前の放課後の会話から、ベーコンのイドラ、キルケゴール、フランクフルト学派、パースの資料へ。Ⅱ(問5〜問8)は対話を終えた振り返りから、デカルト、フロム、ヘーゲルへと進み、最後にEが書く対話の会の趣旨説明の空欄を埋めます。
問1:正解 ①(解答番号17/配点3)
<問題要旨>
「偏見がないかどうか気になる」という下線部に関連して、ベーコンの論じた四つのイドラを取り上げ、イドラに惑わされた例の記述として最も適当なものを選ぶ設問です。
<考え方>
四つのイドラの定義に戻します。種族のイドラは人類に共通する本性から生じる偏見、洞窟のイドラは個人の資質や経験・教育から生じる偏見、市場のイドラは言葉の不適切な使用から生じる偏見、劇場のイドラは権威や伝統を無批判に受け入れることから生じる偏見です。この設問は、例・イドラの名前・名前に添えられた定義の三つがすべてそろっているかで切ります。
<選択肢>
①【正】
新しいものなら何でも素晴らしいと思い込むのは、その人個人の傾きから生じる偏見で、洞窟のイドラにあたります。「個人の資質から生じる」という定義の説明も正しく、三つがそろっています。
②【誤】
信頼する人の言うことだから間違いないと思い込むのは、権威を無批判に受け入れる型で、劇場のイドラに近いものです。種族のイドラは人類共通の感覚や本性から生じる偏見であり、例と名前が対応していません。
③【誤】
市場のイドラは、言葉の不適切な使用から生じる偏見です。「権威に無批判に従うことによる」という説明は劇場のイドラのもので、名前と定義が入れ替わっています。
④【誤】
劇場のイドラは、権威や伝統の鵜呑みから生じる偏見です。「言葉の不適切な使用による」という説明は市場のイドラのもので、やはり名前と定義が入れ替わっています。
正解【①】
例・名前・定義の三つがそろっているのは①だけです。
問2:正解 ④(解答番号18/配点3)
<問題要旨>
「今ここにいる私はそのままでも主体だ」という下線部に関連して、自己の実存について論じたキルケゴールの思想の説明として最も適当なものを選ぶ設問です。
<考え方>
キルケゴールの鍵は、主体的真理と実存の三段階です。4つとも「キルケゴール」と書かれているので、後半の主張が本人のものか、別の実存思想家のものかで切ります。
<選択肢>
①【誤】
実存の三段階は、美的実存から倫理的実存を経て宗教的実存へ至る順序です。単独者として神に自己を委ねる宗教的実存が最後にあたり、倫理的実存との前後が入れ替わっています。
②【誤】
物体としての身体ではなく「生きられた身体」を通して世界が開かれるとしたのはメルロ=ポンティです。人物が入れ替わっています。
③【誤】
限界状況での挫折を通して超越者に出会い、「愛しながらの戦い」としての実存的交わりを説いたのはヤスパースです。これも人物の入れ替えです。
④【正】
キルケゴールは、万人に妥当する一般的・客観的な真理ではなく「私にとって真理であるような真理」を求めました。主体的真理の説明として正しく、人物と主張が接合しています。
正解【④】
主体的真理を説いたという後半が本人と接合する④です。
問3:正解 ②(解答番号19/配点3)
<問題要旨>
フランクフルト学派という下線部に関して、ホルクハイマーとアドルノの思想の説明ア〜ウの正誤の組合せを選ぶ設問です。
<考え方>
二人の共著『啓蒙の弁証法』の主題、すなわち自然を支配するために用いられた理性が、かえって人間自身を支配し返すという逆説と、道具的理性という概念を確認します。そのうえで、別の思想家の主張が混ぜてあるかを見ます。
<選択肢>
ア【正】
自由な主体となるために理性を用いて自然を支配してきた結果、その合理的なシステムがかえって人間から主体性を奪う、という『啓蒙の弁証法』の逆説の指摘です。
イ【誤】
科学の進歩を、事実の積み重ねではなくパラダイムの転換による革命として説明したのはクーンです。人物が入れ替わっています。
ウ【正】
どんな目的にも奉仕する手段でしかない理性を道具的理性と呼び、合理化された社会における人間のあり方として批判しました。
正解【②】
アとウが正、イはクーンの主張なので誤で、②です。
問4:正解 ②(解答番号20/配点3)
<問題要旨>
先生Tが哲学対話の趣旨を説明する場面です。パース「プラグマティズムとは何か」の一節(資料1)と、『子どものための哲学教育ハンドブック』(資料2)が示され、Tの発言中のa(資料1でパースが説いていること)とb(哲学対話の目的)に入る記述の組合せを選びます。資料2は問題冊子では省略されています。
<考え方>
aは、資料1が述べる二点、すなわち人間の思考とは自分自身との対話にほかならないことと、人間集団は個人より高次の人格であることを、どちらも言い表しているかで決まります。bは、掲げられた四つの記述のうち、複数人で問い、考え、語り、聴くという哲学対話の趣旨と噛み合わないものを落としていけば、残るものが一つに決まります。
<選択肢>
a=ア【正】
個人として思考するときも自分自身との対話であり、集団としてはより高次の人格を備える、という資料1の二点を両方とも言い表しています。
a=イ【誤】
資料1は「人間の思考とは、自分自身との対話に他ならない」と述べています。「自分自身との対話ではなく集団での対話を通じて」と自己内対話を否定する点が、資料の内容と逆になっています。
b=ウ【誤】
「自分より他者の観点を優先して物事を考える」は、互いに問い考え合うことではなく一方への譲歩になり、共同で探究するという対話の目的からずれます。
b=エ【正】
異なる声に耳を傾けて受けとめ、相互に理解し合える力を身に付ける、という説明は、民主的な社会で共に生きるための哲学対話の目的として無理がありません。
b=オ【誤】
「自分の意見をより強固にしていく」は、他者の批判を自説の補強材料として使うことであり、ともに考えるという対話の趣旨と相容れません。
b=カ【誤】
「同じ意見を持つ参加者を中心とした対話の場」は、多様な考えに触れるという対話の前提を自ら壊してしまいます。
正解【②】
aがア、bがエの組合せで②です。
問5:正解 ④(解答番号21/配点3)
<問題要旨>
「自分で考えてみる」という下線部に関連して、「哲学の第一原理」を探究する中で「私は考える、ゆえに私はある」と説いたデカルトについての説明として最も適当なものを選ぶ設問です。
<考え方>
方法的懐疑・心身二元論・生得観念というデカルトの柱を確認したうえで、別の哲学者の主張とのすり替えや、デカルト自身の別の議論とのすり替えを見抜きます。
<選択肢>
①【誤】
「極端な意見を排し穏健な意見に従う」は、懐疑を進めている間の生活の指針として『方法序説』が挙げた暫定的な道徳の格率であって、方法的懐疑そのものの手続きではありません。別の議論とのすり替えです。
②【誤】
デカルトは精神と身体を別の実体としましたが、『情念論』では両者が結び付いて働くことを論じています。「精神と身体の連動を認めない」は事実と逆です。
③【誤】
生得観念を否定し、すべての観念は経験に由来するとしたのはロックの経験論です。デカルトは生得観念を認める立場で、人物が入れ替わっています。
④【正】
スコラ哲学の説に疑問を抱いて学校を離れ、「世間という大きな書物」に学んだうえで学問の確かな基礎を発見することが重要だと考えた、という『方法序説』の経緯の説明として正しいものです。
正解【④】
学問の基礎を求めるに至った経緯を正しく述べた④です。
問6:正解 ③(解答番号22/配点3)
<問題要旨>
「対話って、討論とか普段の会話とは違う」という下線部に関して、討論・会話・対話の違いについてフロムが述べた『所有か存在か』の文章を示し、フロムの思想と資料の内容の説明として最も適当なものを選ばせる設問です。資料は問題冊子では省略されています。
<考え方>
選択肢の前半はすべて「〜と考えたフロム」「〜を説いたフロム」の形なので、まず前半が本当にフロムの思想かで絞ります。集合的無意識はユング、自己保存の欲望とそれを追求する権利はホッブズなので、この二つは前半だけで落ちます。残る二つは、『所有か存在か』の主題、すなわち「持つこと」にとらわれた生き方と「在ること」に立つ生き方を対比するという論旨に、後半が沿っているかで決めます。
<選択肢>
①【誤】
個人を超えて一定の集団に共通する集合的無意識を唱えたのはユングです。前半で人物が入れ替わっており、後半を読むまでもなく落ちます。
②【誤】
自己保存という根本的な欲望と、それを自由に追求する権利(自然権)を説いたのはホッブズです。これも前半で落ちます。
③【正】
前半の、自由を重荷と感じて自由から逃れ権威に服従する大衆の心理的メカニズムの解明は、『自由からの逃走』のフロムそのものです。後半も、所有に縛られた討論や会話と、あるがままの自己で臨む対話とを対比するという『所有か存在か』の論旨に沿っています。
④【誤】
前半の、抑圧からの解放にとどまらない積極的な自由はたしかにフロムの論じたところですが、後半が誤りです。フロムが説いたのは、持つことにとらわれず自らが在ることに立ち返る生き方であって、討論を通じて他者のあり方を変容させなければならないという主張ではありません。
正解【③】
前半が『自由からの逃走』、後半が『所有か存在か』の論旨と接合する③です。
問7:正解 ①(解答番号23/配点3)
<問題要旨>
ヘーゲルの思想という下線部に関して、「絶対精神」の説明として最も適当なものを選ぶ設問です。
<考え方>
ヘーゲルにおける絶対精神と世界精神の関係、そして「理性の狡知」という語の意味を確認します。歴史は自由の意識が進展していく過程であり、絶対精神は個人の情熱をいわば手段として用いながら自由を実現していく、という筋を押さえます。
<選択肢>
①【正】
絶対精神は世界史のうちでは「世界精神」として働き、ある人物や民族の行為を通じて、すべての人の自由を実現しようとする、というヘーゲルの歴史観の説明として正しいものです。
②【誤】
ヘーゲルの歴史は自由の実現へ向かう過程であり、人間が個人の自由を制限して法則に従わなければならない、という結論にはなりません。主張の向きが逆です。
③【誤】
絶対精神は、個人の自覚や努力そのものではなく、個人を超えて歴史を貫く精神です。個人の主体性と同一視しており、主体の取り違えになっています。
④【誤】
「理性の狡知」は、情熱に駆られた個人の行為を手段として、理性が自らの目的を実現していくことを指す語です。絶対精神の支配が覆される可能性を指すものではなく、語の意味がすり替えられています。
正解【①】
世界精神として、人物や民族の行為を通じて自由を実現するという①です。
問8:正解 ②(解答番号24/配点3)
<問題要旨>
Eが自主的に哲学対話の会を開こうと考えて書いた趣旨説明の空欄aに入る記述を、対話の翌日までの会話を踏まえて選ぶ設問です。
<考え方>
会話でEが語った「二つの発見」に戻ります。一つは、対話の場に「私たち」という共同の主体が現れていると同時に、その中で「私」という個人の主体性も消えず、むしろ聴くのが好きな自分をいつも以上に実感できたということ。もう一つは、主体性が何かはまだ分からないが、より広い視野で考えられるようになったということです。この両方と矛盾しないものを残します。
<選択肢>
①【誤】
Eは主体性について「まだ分からない」と言い、問いが増えたことをむしろ収穫としています。「一人で抱えていた問いの答えも明確に分かるようになる」は会話と食い違います。
②【正】
共同的な主体性が生まれると同時に、個々の考える主体も活性化するという内容で、共同の主体が現れながら「私」らしさも失われなかったというEの発見の両面をとらえています。
③【誤】
Eは「『私』っていう個人の主体性は消えてしまうわけじゃなくて、むしろ私らしく存在してた」と述べています。「個人に備わるものではなく」と個人の側を否定する点が、会話と逆になっています。
④【誤】
Eは、ひたすら話を聴いて考えているうちに楽しくなり、聴くのが好きな自分を実感したと語っています。「ただ傾聴するのではなく」と聴くことを低く見る点が、会話と合いません。
正解【②】
共同の主体と個人の主体、その両方が立つと述べた②です。
第4問 意図と結果をめぐる倫理(配点28)
「悪いことが起こるとしても、それが意図されていなければよいのか」という授業の課題をめぐる、高校生GとHの会話です。Ⅰ(問1〜問7)は積極的差別是正措置と終末期医療という具体例から、防衛機制、環境思想、オリエンタリズム、終末期医療の制度、生命の思想、性格の理論、道徳判断の調査へと広がります。Ⅱ(問8・問9)は先生Tが示す「二重結果原則」の板書とアンスコムの論文をもとに、意図が行為の是非をどこまで決めるのかを問います。
問1:正解 ②(解答番号25/配点3)
<問題要旨>
「言い訳した」という下線部に関連して、心理的な適応についての説明として最も適当なものを選ぶ設問です。防衛機制や不適応行動の名称と、具体例との組合せが並びます。
<考え方>
名称と具体例を一つずつ照合します。投射は自分の中にある感情を相手のものとみなすこと、昇華は欲求を社会的に価値のあるものへ向け換えること、近道反応は欲求不満を衝動的・短絡的な行動で解消することです。例のほうは自然に読めてしまうので、名称のほうを先に確定するのがこつです。
<選択肢>
①【誤】
自分が相手を嫌っているのに、相手が自分を嫌っていると考えるのは投射です。名称が昇華にすり替えられています。
②【正】
八つ当たりのように、欲求不満を後先を考えずに衝動的な行動で解消してしまうのが近道反応です。例と名称が正しく対応しています。
③【誤】
欲求の対象を社会的に価値のあるものへ置き換えるのは昇華です。名称が投射にすり替えられています。
④【誤】
自分は間違っていないと言い訳をするのは合理化、子どものように激しく抵抗するのは退行にあたります。これらをまとめて失敗反応と呼ぶのは、名称の当て方として適当ではありません。
正解【②】
八つ当たりという例と、近道反応という名称が正しく対応する②です。
問2:正解 ⑦(解答番号26/配点2)
<問題要旨>
「資源を無駄にする」という下線部に関連して、地球環境のあり方について論じた人物の説明ア・イがそれぞれ誰を指すかの組合せを選ぶ設問です。エマソン・ボールディング・ヨナス・シンガー・カーソン・ソローが候補に並びます。
<考え方>
代表的な主張を一つずつ当てます。地球を資源の限られた閉じた系と見る比喩を用いたのは誰か、農薬と殺虫剤の生態系への影響を書物で告発した生物学者は誰か。この二点だけで決まります。
<選択肢>
ア=ボールディング【正】
地球を資源の限られた閉じた空間と捉え、「宇宙船地球号」という言葉で、環境の汚染と破壊が人類にとって致命的であると訴えました。
イ=カーソン【正】
生物学者として『沈黙の春』を著し、農薬・殺虫剤の大量使用が自然の生態系にもたらす破壊的な影響を問題視しました。
エマソンは入らない【誤】
自然のうちに精神的な意味を見いだしたアメリカ超越主義の思想家で、資源の有限性を論じた人物ではありません。
ヨナスは入らない【誤】
未来世代に対する責任という原理を説いた思想家で、生物学者として農薬を告発した人物ではありません。
シンガーは入らない【誤】
動物の解放を説き、種差別を批判した倫理学者で、アにもイにも当てはまりません。
ソローは入らない【誤】
『森の生活』で知られる、自然の中での簡素な生活の実践者です。農薬の問題を扱った生物学者ではありません。
正解【⑦】
アがボールディング、イがカーソンの組合せで⑦です。
問3:正解 ③(解答番号27/配点3)
<問題要旨>
「差別ではない」という下線部に関連して、サイードが論じたオリエンタリズムという考え方を取り上げ、その例として適当でないものを選ぶ設問です。四人の生徒の態度が例示されます。
<考え方>
オリエンタリズムとは、西洋を基準として東洋を遅れたもの・異質なものとして描き出し、その像を通して東洋をまなざす態度のことです。したがって、西洋を尺度にした序列づけがあるか、東洋を神秘的・異国的なものとして本質化する見方があるかを確認し、そのどちらも含まないものを選びます。「適当でないもの」を問う設問なので、残る3つがオリエンタリズムの例にあたることを確かめる形で進めます。
<選択肢>
①【誤】
西洋近代の音楽を引き合いに出して日本の伝統音楽を批判する態度は、西洋を尺度にした序列づけであり、オリエンタリズムの例にあたります。問われている「適当でないもの」ではありません。
②【誤】
日本を最も西洋的だとして他のアジアの国々を見下すのも、西洋を頂点とする序列を内面化した態度で、オリエンタリズムの例にあたります。
③【正】
イスラーム圏の文化を調べる一方で西洋の宗教への関心が薄いというのは、関心の向きに偏りがあるだけで、東洋を西洋の尺度で劣ったものとして描いたり神秘化したりしてはいません。オリエンタリズムの例として適当でないので、これが正解です。
④【誤】
東南アジアの諸国に「エキゾティックでミステリアス」な魅力を見いだすのは、東洋を異国的・神秘的なものとして本質化する典型的なオリエンタリズムです。
正解【③】
西洋を基準にした序列づけも、東洋の神秘化も含まないのは③だけです。
問4:正解 ②(解答番号28/配点3)
<問題要旨>
終末期医療という下線部に関して、終末期医療に関わる施設や制度についての記述ア〜ウの正誤の組合せを選ぶ設問です。ホスピス、リヴィング・ウィル、医師による致死薬投与の法的な扱いが並びます。
<考え方>
用語の定義と、世界の制度の現状を一つずつ確認します。とくにウのような「〜している国や地域はない」という言い切りは、反例を一つ挙げられるかどうかで決着します。
<選択肢>
ア【正】
ホスピスは、病気に伴う肉体的・精神的な苦痛を取り除く緩和ケアを、終末期の患者に提供する施設です。
イ【正】
リヴィング・ウィルは、終末期に生命維持治療や苦痛緩和の処置をどうしてほしいかを、判断できるうちにあらかじめ書き残しておく文書です。
ウ【誤】
患者の要請に基づいて医師が致死薬を投与する行為(積極的安楽死)は、オランダやベルギーなど法律で認めている国があります。「認めている国や地域はない」という言い切りに反例があります。
正解【②】
アとイが正、ウは反例があるため誤で、②です。
問5:正解 ③(解答番号29/配点3)
<問題要旨>
「生命の維持に必要な治療」という下線部に関連して、生命のあり方を論じた思想家についての説明として最も適当なものを選ぶ設問です。ベルクソンについて2つ、シュヴァイツァーについて2つの記述が並びます。
<考え方>
人物が2人ずつに分かれているので、後半の主張が本人のものかどうかで切ります。エラン・ヴィタール(生命の躍動)と創造的進化、そして生命への畏敬という二つの鍵概念に戻します。
<選択肢>
①【誤】
ベルクソンのエラン・ヴィタールは、あらかじめ定まった目的へ向かうのではなく、予見できない新しさを生み出していく生命の躍動です。「普遍的な目的へ一直線に進歩していこうとする」は、創造的進化の説明と逆になっています。
②【誤】
近代以降の社会構造を批判し、生命のあり方にまで及ぶ権力の構造を描き出したのはフーコーです。人物が入れ替わっています。
③【正】
シュヴァイツァーは「私は、生きようとする生命に囲まれた、生きようとする生命である」という自覚から生命への畏敬を説き、ある生命を救うために別の生命を奪うという葛藤を引き受けるべきだとしました。
④【誤】
未熟練工の生活に身を投じ、人間より機械に尊厳が認められている社会のあり方を批判的に考察したのはシモーヌ・ヴェイユです。これも人物の入れ替えです。
正解【③】
生命への畏敬の内容が本人の主張と接合する③です。
問6:正解 ③(解答番号30/配点3)
<問題要旨>
「性格や気質」という下線部に関して、ビッグファイブ(五因子モデル)の説明として最も適当なものを選ぶ設問です。五つの因子の中身と、特性論か類型論かという二点が組み合わされています。
<考え方>
二つの軸で切ります。第一に、五つの因子の中身が開放性・誠実性・外向性・協調性(調和性)・神経質傾向であること。第二に、ビッグファイブは性格をいくつかの型に分けるのではなく、複数の次元それぞれについて程度を測る特性論だということです。両方そろって初めて正解になります。
<選択肢>
①【誤】
理論型・経済型・審美型・社会型・権力型という五つは、シュプランガーが価値観の違いから分けた類型であり、ビッグファイブの因子ではありません。
②【誤】
因子の中身が①と同じくシュプランガーの価値類型であるうえ、ビッグファイブを類型論とする点でも誤っています。二重に外れています。
③【正】
開放性・誠実性・外向性・協調性(調和性)・神経質傾向という五つの次元それぞれの程度から性格をとらえる特性論的アプローチ、という説明が正しいものです。
④【誤】
五つの因子の中身は正しいのですが、ビッグファイブは各因子の程度を測るものであって、いくつかの型に分類する類型論ではありません。後半が誤りです。
正解【③】
五因子の中身と、特性論という位置づけの両方が正しいのは③です。
問7:正解 ③(解答番号31/配点3)
<問題要旨>
テロリスト・犯罪者・一般市民という三つのグループに、危害を加える意図の有無と、結果としての危害の有無を組み合わせた四つの場面を読ませ、その行為が道徳的に許されるかを1点(許されない)から7点(許される)で評価させた調査の資料と図が示されます。図の結果をまとめた考察の空欄a〜cに入る記述の組合せを選ぶ設問です。
<考え方>
まず、得点は高いほど「許される」という向きを確認します。意図と結果が一致する二つの場面は三群がほぼ同じなので、見るべきは食い違う二つの場面だけです。「意図なし・危害あり」の場面で、テロリストの棒と犯罪者・一般市民の棒のどちらが高いか。「意図あり・危害なし」の場面で、同じくテロリストの棒と他の二本のどちらが高いか。この二か所を見比べればaとbが決まり、cはその二つを合わせれば出ます。
<選択肢>
a=ア(道徳的に許されると評価していた)【正】
「意図なし・危害あり」の場面では、犯罪者と一般市民の棒がテロリストの棒より高くなっています。得点が高いほど許されるという向きなので、この二群はテロリストよりも許されると評価していたことになります。
a=イ(道徳的に許されないと評価していた)【誤】
この場面で棒が低い、つまり許されないと評価しているのはテロリストの側です。一般市民や犯罪者をテロリストより厳しいとする記述は、比べる向きが逆になっています。
b=ウ(テロリストは犯罪者や一般市民よりも)【誤】
「意図あり・危害なし」の場面では、テロリストの棒が三本のうち最も高く、最も「許される」寄りに評価しています。テロリストのほうが許されないと評価したとするのは、比べる向きが逆です。
b=エ(犯罪者や一般市民はテロリストよりも)【正】
同じ場面で、犯罪者と一般市民の棒はテロリストの棒より低くなっています。低いほど許されないという評価なので、厳しく評価していたのは犯罪者と一般市民の側です。
c=オ(意図よりも結果)【正】
テロリストは、意図が無くても危害が生じた行為を厳しく評価し、意図があっても危害が生じなかった行為をゆるやかに評価しています。つまり、意図の有無ではなく結果の有無で判断が動いています。
c=カ(結果よりも意図)【誤】
意図を重んじるなら、危害の意図があった「意図あり・危害なし」の場面をより厳しく評価するはずですが、テロリストの評価はむしろ他の二群より高くなっています。図の結果と合いません。
正解【③】
aがア、bがエ、cがオの組合せで③です。
問8:正解 ④(解答番号32/配点4)
<問題要旨>
哲学者のG. E. M. アンスコムが二重結果原則を扱った論文「戦争と殺害」から、意図とはどのようなものかを述べた箇所が引かれ、その内容の説明として適当なものをア〜ウから全て選んだ組合せを答える設問です。資料は問題冊子では省略されています。
<考え方>
二重結果原則に対するアンスコムの批判の要点に戻ります。彼女は、意図を心の内側の出来事として自分の思いのままに生じさせたり向きを変えたりできるとみなす見方(デカルト以来の心理学に由来する見方)を退けました。そのうえで、その見方を「行為の善悪は意図で決まる」という考えと組み合わせると、心の中で意図を言い換えるだけでどんな行為も正当化できてしまうと指摘しました。ア〜ウが、この批判の向きに沿うものか、それとも彼女が批判した側の言い分かを判定します。
<選択肢>
ア【正】
意図を、本人が思いのままに生じさせたり向きを変えたりできるものとみなす考え方は、まさにアンスコムが退けたものです。「否定している」という向きが合っています。
イ【正】
行いの善悪が意図次第だとする考え方と、意図を心の内で自在に操れるとするデカルト心理学とを組み合わせると、どんな行いでも正当化できてしまう、というのがアンスコムの批判の核心にあたります。
ウ【誤】
「罰になるのを避ける目的であれば、やむを得ない手段として正当化される」という弁明は、アンスコムが批判の対象とした型の正当化そのものです。彼女がそれを認めたとするのは、批判と主張の向きを逆にしています。
正解【④】
アとイがアンスコムの批判の向きに沿い、ウだけが向きを逆にしているので、アとイの組合せで④です。
問9:正解 ③(解答番号33/配点4)
<問題要旨>
行為の是非と意図についての記述のうち、第4問Ⅰの会話と、先生Tが示した「二重結果原則」の板書およびそれをめぐる会話の趣旨に、最もよく合致するものを選ぶ設問です。
<考え方>
板書の二つの条件に戻します。【条件①】意図されているのが良い結果だけで、悪い結果ではないこと。【条件②】良い結果が、悪い結果を埋め合わせられるほど望ましいものであること。この二条件と、会話でT・G・Hがそれぞれ述べたことに照らして、一つずつ確かめます。
<選択肢>
①【誤】
Tは「同じように悪い結果を生じさせる行為でも、それを起こす意図があったかどうかで、許されたり許されなかったりします」と述べています。結果が同じなら扱いも同じになるという記述は、この原則の趣旨と正反対です。
②【誤】
板書の【条件①】は、意図されているのが良い結果だけであることを求めています。悪い結果が意図されていても正当化できるという記述は、この条件を満たしません。
③【正】
板書の【条件②】に対応します。Gも、まだ治せる患者が亡くなってしまう場合には、つらい治療を避けられるという良さだけでは埋め合わせられないと述べており、良い結果が悪い結果を埋め合わせるほど大きいことが条件になるという記述と一致します。
④【誤】
Tは「この原則については正しくないという意見もあります」と述べ、Hも意図が本当にはっきり分かるのかと問い返しています。「疑いの余地がない」という言い切りは、会話の趣旨と合いません。
正解【③】
板書の【条件②】とGの発言に正面から対応する③です。
※ 本記事の解答・解説は当サイトが独立に作成したものです。公式の正解および配点は大学入試センターの発表をご確認ください。

