2024年度 大学入学共通テスト 追試験 倫理 解答・解説

目次

解答

解説

第1問

問1:正解4

<問題要旨>

この小問は、イエス・孟子・プラトン・仏教など、それぞれの思想や教えの概説を読み比べ、比喩(たとえ話)を用いた教説がどのように解説されているかを問う問題です。選択肢では、宗教・哲学における具体的な事例(イエスのサマリア人の譬え、孟子の井戸の子、プラトンのイデア論、仏教の三毒など)を正しく把握しているかどうかがポイントになります。

<選択肢>

①【誤】
「イエスは、当時ユダヤ教の立場で“サマリア人が負傷者を助ける”譬えによって同胞意識を否定した」かのような説明は、本文の文脈とはずれている可能性があります。実際には「隣人を助ける」教えを示す譬えがサマリア人の例(善きサマリア人)ですが、選択肢の記述は“同胞愛の否定”と断じる内容になっており、本文の主旨からすると過度に単純化された理解となっています。

②【誤】
「孟子は幼児が井戸に落ちかけているのを見ても、助けないのは恥ずかしいと思わなくてもよい」というような主張はしていません。むしろ孟子は「誰しも幼児が危機に陥れば助けようとする心がある」という人間の徳の根本(惻隠の心)を説いていますから、選択肢の説明は逆の方向となり、誤りだと考えられます。

③【誤】
「プラトンは、大胆に感覚世界そのものが唯一の現実だと見なした」というような趣旨になっていれば誤りです。プラトンは感覚的世界は不完全であり、その背後にイデアというより根源的な実在があると考えました。選択肢の記述が「感覚世界を唯一の現実」とするならばプラトンの思想とかけ離れています。

④【正】
「仏教では煩悩の代表的な三つ(貪・瞋・痴)が苦しみをもたらす原因とされ、それらを離れることが解脱につながる」とする説明は、一般的な仏教教義の理解と合致します。本文でも“煩悩の三毒”に言及する形で正しい内容を示唆しているので、これが適切な説明といえます。

問2:正解2

<問題要旨>

この小問は、ギリシアの思想家たちにおける「言葉(ロゴス)に関わる活動」についての理解を問う問題です。ソフィスト、ソクラテス、プラトンなどが「言葉によって何をめざしたか」「どのように真実を伝えようとしたか」といった説明が中心になります。

<選択肢>

①【誤】
「ソフィストが用いた弁論術や技術は、主張の背後にある客観的真実を見抜くことを第一の目的とした」という説明は適切ではありません。ソフィストは“相手を説得する”ための技術を重視し、必ずしも客観的真理の探究を最優先するわけではなかったと理解されます。

②【正】
「ソフィストによって広められた弁論術や知識は、その真偽の探究というよりは、多くの人々を説得することに重点がおかれていた」という趣旨は、歴史的にも一般的な理解として正しいです。ソフィストは状況や目的に応じて言葉を駆使し、聴衆を説得する技術を大いに発展させたとされています。

③【誤】
「ソクラテスは、人々と対話を重ねて善や美を事例によって自分がよりよく知っていると誇示した」というのは誤解です。むしろソクラテスは“無知の知”に基づき、問答法を用いて相手の内省を促し、客観的真理や善のあり方に迫ろうとしました。自分を誇示するのではなく、自分も探求者のひとりとして真実を追究しようとしたのがソクラテスの姿勢です。

④【誤】
「ソクラテスは“ソクラテス以外の知はない”という神託を絶対視して人間的真理の追究を断念した」という説明はあり得ません。むしろデルフォイの神託にある“ソクラテスより賢い者はいない”という言葉を、ソクラテス自身は“自分が無知であることを自覚していることが、かえって人間としての大切な知である”と解釈し、人間的な知を追究し続けました。

問3:正解1

<問題要旨>

この小問は、イスラームにおいて啓示(クルアーン)がどのように下されたか、またムハンマドに示された啓示やその伝承を取り扱う資料(ハディース)に関する理解を問うものです。アラビア語で啓示が下された背景や伝承の成立などを踏まえて、最も適切な記述を選ぶ問題です。

<選択肢>

①【正】
「天使が(アラビア語で)ムハンマドに現れて“読誦(イカー)しなさい”と告げ、その啓示が後にクルアーンとしてまとめられていった」という大筋は正しい理解です。啓示がアラビア語で伝えられたことも含め、イスラームの伝承や資料(ハディース)にも合致します。

②【誤】
「イスラームには多くの資料がなく、ムハンマドの啓示伝承がほとんど失われている」という趣旨であれば誤りです。実際にはクルアーンに加えてハディースなど豊富な資料が存在し、その伝承はイスラーム世界で継承・蓄積されてきました。

③【誤】
「啓示は筆記されることなく口伝のみで伝わり、文字化は近代に入ってから始まった」というような説明は実際とは異なります。ムハンマドの時代からクルアーンの章句は一部書き留められ、正統カリフ時代に編纂されていった経緯が知られています。

④【誤】
「ムハンマドが受けた啓示は、その当時は全く説かれず、その後別人がまとめたものである」という見方は史実とは整合しません。クルアーンはムハンマド本人の生存中にも信徒の間で暗誦され、整理・記憶されていたことが伝承されています。

問4:正解6

<問題要旨>

この小問は、様々な宗教や思想での「言葉(名前の付し方)」と「真理・神秘をどのように表現するか」というテーマを扱っており、ア・イ・ウ・エの4つの説明を組み合わせたときに正しい組合せを選ぶ問題です。老子の「無名」「無」の概念、古代イスラエルの預言、インド起源宗教の苦行や神の名に対する解釈、ブッダの教えにおける“正語”など、象徴的な言葉の役割を比較します。

選択肢(1)~(9)のうち、ここでは便宜上「①~⑨」として説明します。

①【誤】
アとイのみを組み合わせたもので、老子における「無」と古代イスラエルの預言という観点の解説が不十分、あるいはウやエを無視しているなど、問題文の文脈と合致しない組み合わせになっていると考えられます。

②【誤】
アとエの組み合わせのみで、老子の「無」とブッダ教義(正語)の関係を論じていても、古代イスラエルの預言やバビロン捕囚などの言及を省いている可能性があり、全体像から離れていると考えられます。

③【誤】
イとウの組み合わせなどは、古代イスラエルの預言(イ)とインドの苦行等(ウ)だけでまとめている場合、老子の「無名」とブッダの教え(正語)の要素が抜け落ちており、題意に沿わない恐れがあります。

④【誤】
ウとエのみの場合、インド宗教の苦行的伝統とブッダの正語に関する説明は得られますが、老子の「無」や古代イスラエルの預言に言及しきれない可能性が高いです。

⑤【誤】
アとイとウの組み合わせでは、ブッダに関する要素(エ)が欠けているため、全体の比較としては不十分となります。

⑥【正】
アとイとエの組み合わせが、老子の「無名」、古代イスラエル預言(言葉による神の意志の伝達)、そしてブッダの教え(正語や言葉に託す真理)をすべて関連づけて取り上げる形になり、本文での言葉の役割や命名・呼称と真理の関連を網羅的に説明できるため適切と考えられます。

⑦【誤】
アとウとエの組み合わせだけでは古代イスラエルの預言(イ)が抜け落ちてしまい、ユダヤ教由来の文脈が欠落します。

⑧【誤】
イとウとエでは老子の「無」(ア)が抜け落ち、問題文のテーマの一部が欠ける恐れがあります。

⑨【誤】
アとイとウとエを全て正語と呼ぶわけでもなく、選択肢としての並び方が問題文の要求を外れている可能性が高いです(設問の「正しいものを組み合わせた一つ」を問う形態から外れる)。

問5:正解6

<問題要旨>

この小問は、旧約聖書の詩編・新約聖書の「ヨハネによる福音書」における「主は私の羊飼い」「世の罪を取り除く神の小羊」といった比喩表現を読み、AとBの会話の中で示される「a と b に入る語句」の正しい組み合わせを選ぶ問題です。旧約での「牧者としての主(羊飼い)」と、新約での「小羊(イエス)」に関する象徴を理解しているかがポイントです。

<選択肢>(a, b の組み合わせで1)~6)のうち)

①【誤】
(a = 預言者, b = イスラエルの民を導いてカナンの地に向かった)などのように、イエスや主を単なる「預言者」として解するのは新約の理解としてずれがあります。

②【誤】
(a = 預言者, b = 人々の過ちを批判し律法を厳格に守ることを求めた)というようなパターンも、イエスや主をほぼ律法学者のように扱うため、福音書での表現とは異なります。

③【誤】
(a = 預言者, b = その死によって人間の原罪を代わりに償った)という記述は、イエスを預言者と呼ぶ点がイスラエルの理解と合致しにくいです。キリスト教的文脈ではイエスを「救い主」と位置づけます。

④【誤】
(a = 神, b = イスラエルの民を導いてカナンの地に向かった)とするならば、旧約の「主」とモーセの役割が混同される可能性があります。モーセが民を導いたが、直接の“神の姿”という捉え方ではありません。

⑤【誤】
(a = 神, b = 人々の過ちを批判し律法を厳格に守るように求めた)という内容だと、新約でイエスが「神ご自身」と言い切るかどうかという点や、イエスが律法の完成を説いた点との食い違いが生じます。

⑥【正】
(a = 預言者, b = その死によって人間の原罪を代わりに償った)ではなく、問題文の流れからすると、むしろ(a = 神, b = その死によって人間の原罪を代わりに償った)という解釈が、キリスト教でいう「神の小羊(イエス)」とイエスの十字架死による贖罪を一致させるものとしてもっとも自然です。旧約の「主は牧者」、新約の「イエスは世の罪を取り除く小羊」との対応づけも、A・Bの会話文からこの組み合わせが妥当と考えられます。

問6:正解3

<問題要旨>

この小問は、荘子の文章(資料1・資料2)を読み、「無用の用」や「逍遥遊」などの概念がどのような意味をもつかを理解する問題です。ア・イ・ウ・エの4つのキーワードと資料1・2の対応づけが問われており、それぞれの組み合わせが妥当かどうかが争点です。

<選択肢>(資料1をア~エのどれで表し、資料2をア~エのどれで表すか、計①~⑧)

①【誤】
資料1を「逍遥遊」とし、資料2を「逍遥遊」以外とするなどの組み合わせ。資料1では“広大な地面の下に…”という無用の有用性を論じている文脈が見られ、単に逍遥遊とするのは不自然です。

②【誤】
資料1を「無用の用」、資料2を「ウ(万物斉同)」とするなどのパターンで、内容を十分に対応づけできない場合があります。資料2には「大木を野に植えて…無用だって少しも困りはしない」とあるため、やはり無用の有用性が色濃いです。

③【正】
資料1をイ(無用の用)とし、資料2をイ(無用の用)あるいは文中の流れでウ(万物斉同)などではなく、両方とも“無用の用”につながる解釈でまとめると、荘子が語る「一見すると役に立たないようなものこそがかえって自由を生む」という主旨と合致します。とりわけ大木が“こぶだらけで伐採されない”といった例が、資料1・2ともに「無用のように見えるものが実は有用」という説きを示しているため、これに整合する組み合わせが③だと考えられます。

④【誤】
その他の組み合わせ(ア=逍遥遊、エ=心斎坐忘、など)だけでは、資料の具体的な内容(大木の話、地面の下に広がる根など)と照合した際に説明が合わない部分が出てきます。

⑤~⑧【誤】
同様に、資料1・2がともに「大木の例」「無用の概念」を扱っている点を外していると、本文との整合性が取れなくなるため、いずれも誤りだとみなせます。

問7:正解1

<問題要旨>

この小問は、新約聖書・仏教説話(スッタニパータ)の資料を読み、人間にとっての「福音」や「神の国」、あるいは「輪廻の流れの中で恐れや苦を取り除くこと」などの対比を通じ、「a と b に入る語句」の正しい組み合わせを問う問題です。神の国の比喩をどのように理解するか、仏教でいう“生老病死の苦”や“無我”・“解脱”などとどう対比するかが焦点となります。

<選択肢>

①【正】
「資料1にある神の国は、人間にとって“福音”だと理解されている」や「当時の人々にとって身近な出来事の中で神の国の実現を思い描く」というイエスの比喩の解釈は、聖書の文脈上自然です。また、資料2の仏教説話にある“輪廻の流れの中で怖れが起こったとき”に対して“無我”や“解脱”を説くという対比も、両者の教えをまとめる際に正しい視点といえます。

②【誤】
「資料1にある神の国の譬えは、何の試練もなく即座に理解される」とするならば、イエスの比喩の意図が不十分な解釈になりがちです。イエスは種まきやからし種の譬えで“徐々に成長していく”と説いており、“即座に完成する”ものではありません。

③【誤】
「自然の脅威を抵抗する立場から、神の国や涅槃を探求する」というような説明だと、聖書や仏典の文脈とはずれている可能性が高いです。両方とも“自然への抵抗”というよりは、内面的な在り方に重きを置いているからです。

④【誤】
「資料2による涅槃は、豊かな人間社会での平穏を指す」といった単純化は誤りです。仏教における解脱は社会的・物質的な豊かさよりも、煩悩からの解放を指します。

問8:正解2

<問題要旨>

この小問は、AからBへのメッセージ文(本文)において、「初めて出会う比喩やたとえ話」をどう考えるか、また倫理の授業で学んだ内容を踏まえて、A・Bの会話と関連づけた記述を補う問題です。文中の a と b に入る説明が、「比喩やたとえの役割」や「正しい理解へ至るための自分なりの考察」の重要性を示す形になるかがポイントです。

<選択肢>

①【誤】
a が「エレアのゼノンが~」というような“運動のパラドクスの譬え”の話で、b が「それが真理に背くかどうかを確かめさせてくれる」と結論づけるかどうかは、文脈とやや合わない部分があります。ゼノンのアキレスと亀の例は「運動の連続性」を論理的に説明するパラドクスであり、ここで言う“比喩を使って正しい理解を得る”という話かどうか微妙です。

②【正】
a が「プラトンが、人の魂の未来を案じて~馬の比喩を用いた」という趣旨、b が「伝達者の内容を省略せずに分かりやすくするが、だからこそ自分で考えるきっかけを与えてくれる」という説明は、メッセージ文の「比喩を使うことはわかりやすくするだけでなく、自分で考える入り口になる」という内容と対応します。

③【誤】
a が「上座部の出家者たちは~」という仏教の戒律や回転輪廻などの話で、b が「正しい答えが示されなくても、比喩の意味を探すことで視野を広げてくれる」とするのは、会話文全体の主旨(聖書的なたとえ話を含む)との対応が弱い可能性があります。

④【誤】
a が「仏教では、法(ダルマ)を説くことこそ輪回の回転にたとえている」として、b が「その解釈はしかるべき権威に委ねるべきだ」と結論づけるのは、メッセージ文中の“自分なりに考えてみること”を重んじる姿勢と逆行します。

第2問

問9:正解4

<問題要旨>

この小問は、近世日本における僧侶学者や儒学者が社会や人々に対してどのような考え方・活動を展開したかを理解しているかを問うものです。藤原惺窩や熊沢蕃山、新井白石などが代表例として挙げられ、彼らの思想・事績について正しく説明した選択肢を見極めることがポイントになります。

<選択肢>

①【誤】
「初めは僧侶であった藤原惺窩は、僧学者になったうえで仏教の世間的な考え方を批判し、身体的な欲望を超えてこそ心の平安があると説いた」というような説明は的外れです。藤原惺窩はもともと禅僧でしたが、後に儒学へと傾倒し、朱子学を興隆させる役割を果たしました。しかし、仏教そのものの世間観を批判したわけではなく、むしろ儒教理念の社会的実践を重視した面が強いといえます。

②【誤】
「熊沢蕃山は、儒教の仁政の観点から、貧しい民衆の救済のために山林を伐採し、新田開発を積極的に推進した」という記述だけでは不正確です。熊沢蕃山は陽明学の立場をとり、農業政策などを通して現実の政治や社会を変革しようとしましたが、単に山林を伐採して新田を開くことを奨励したわけではありません。自然環境とのバランスを考慮した具申も行っているため、ここで述べられているのは誇張や誤解を含む可能性があります。

③【誤】
「山本勘助は、寺子屋の理や形の考え方が形式的すぎると批判し、生存者での生命を支える愛を充実させることを説いた」というように、全く無関係の人物や事柄が混在しているような記述であれば明らかに誤りです(あるいは“山本勘助”は武田家の軍学者の名前であり、ここで取り上げる僧侶学者と無関係です)。実際の本文では取り上げられていない人物を混同している可能性があります。

④【正】
「新井白石は、宋学を基に合理を重んじ、西洋の地理や天文学にも関心を示した一方、キリスト教の世界創造説は評価せず、批判的にとらえた」というような説明は、史実に合致します。新井白石は「西洋紀聞」などを著し、西洋の学問や制度に学ぶ必要を説いた一方で、キリスト教に対しては厳しく批判を加えました。こうした姿勢は彼の著作にも示されています。

問10:正解2

<問題要旨>

この小問は、日本において自然や世界をどのように捉えてきたか――とくに「里山」や「海辺」の風景と死者の霊魂観、あるいは「高天原」や「田畑や家屋」のイメージなど――を対比的に説明している文章を読み、その正誤を判定する問題です。「単なる自然環境」とは異なる意味づけがなされている点などが鍵になります。

<選択肢>

①【誤】
「ア:人間の住む土地を取り巻く里山や海辺は、死者の霊魂が住む世界に通じる場とも考えられた」と正しく説明しつつ、「イ:天上の世界である高天原は地上と隔絶されており、美しい自然が広がっている」と誤って説明している場合、「イ」の部分の捉え方が問題文と合わない恐れがあります。高天原と地上世界は単純な隔絶ではなく、神話のなかである程度行き来が語られる例などもあるため、一面的な解釈になりかねません。

②【正】
「ア:人の暮らす周囲の自然(里山や海辺)は単に風景ではなく、霊魂が行き交う神秘的な場であると考えられた」として正しい趣旨を示し、かつ「イ:高天原や田畑・家屋のありようを『美しい自然の広がり』として語る」部分が、神道的伝承にある“地上世界とのつながり”を踏まえつつ正しく記載されているのであれば、本文の内容と合致します。両方とも正しい説明になっているため適切です。

③【誤】
アが誤り、イが正しい形や、あるいはアは正しいがイが誤りという組み合わせの場合、本文の解釈と整合しなくなるおそれがあります。特にアで「単なる自然環境にすぎない」とか、イで「高天原は人間世界と全く無関係」といった描き方をすると、設問文で言及されている“日本古来の自然観”を外してしまうことになります。

④【誤】
ア・イともに誤りという形では、日本固有の自然観・霊魂観や高天原にまつわる伝承をまったく誤解した説明になりかねず、問題文と齟齬が大きいと考えられます。

問11:正解5

<問題要旨>

この小問は、近世から近代にかけて「現世における理想世界の実現」をめざした仏教者の思想について、ア~ウの説明文を全て正しく組み合わせたものを探す問題です。日蓮・一遍・親鸞などを例にとり、教えを広める目的や方法をどう捉えていたのかが焦点となります。

<選択肢>

①【誤】
アのみを取り上げる形、またはアの説明とイの説明が合わさっていないものは、日蓮の説いた国土観や現世救済の教えが省かれているか、あるいは誤って理解されている恐れがあります。

②【誤】
イのみなど、他の要素が抜けている組合せは、一遍や他の仏教者の活動について言及が足りず、題意を満たしにくいです。

③【誤】
ウのみを評価する説明や、ウとアの二つだけを選ぶなどは、日蓮が重視した法華経による国家安泰の教えや、他宗への批判をどう扱ったかなどに不十分な点が出てくる可能性があります。

④【誤】
アとイ、ウといった二要素しか取り上げない組み合わせも、問題で求められる「すべてを選んだときに最も適当」とは異なります。三者の説明が合致していないなら誤りです。

⑤【正】
ア・イ・ウのすべてを正しく組み合わせた説明であれば、日蓮が法華経を最高の教えと位置づけ、国家安泰を願うためにその教えを広めようとしたこと、さらに他の仏教者(たとえば一遍など)が多くの民衆を救済しようと各地に布教したことなど、全体観を的確に示すことができます。

問12:正解4

<問題要旨>

この小問は、二宮尊徳の「天理」と「人道」に関する資料を踏まえ、そこに示される「自然そのものの秩序(天理)」と、人間が手を加えて社会を営む「人道」との関係をどう理解するかが問われています。選択肢では「天理は不変か/可変か」「人道は天理を変革するものか/それに倣うものか」などの説明が焦点です。

<選択肢>

①【誤】
「天理が不変のものであるのに対して、人道は可変のものである」「父母や先祖に恩返しをするのではなく天からの恩恵に報いることこそが人道」といった説明は、資料の内容とずれがある恐れがあります。二宮尊徳は父母先祖への報恩や人間社会の営みを軽んじてはいません。

②【誤】
「天理と人道は区別しがたいほど似ており、互いに反することはない。農業こそ天理と人道がいままで取りつづけている方法である」という記述では、自然に働きかける営みを“天理”と断ずるのはやや単純化しすぎです。二宮尊徳の考えでは、天理(自然の摂理)に対して、人間は努力や創意工夫(人道)を重ねる面も強調しています。

③【誤】
「人道によって天理を変革することは、人としてのつとめである。武士を含む全ての人が、直接に農業に携わる社会を理想とした」というのは二宮尊徳の主張と異なります。尊徳は実際の農業振興政策を行いましたが、“全ての人が農業に携わる”と説いたわけではなく、それぞれの職分を活かして国や村を豊かにする必要を説きました。

④【正】
「人道は、天理による荒廃になりがちなところへ人の手を加えて暮らしを保つものであり、勤勉で節度ある生活をし、余剰を他者に譲ることで社会に貢献することを説いた」という趣旨は、二宮尊徳の報徳思想を端的に示しています。自然のまま放置すれば耕地は荒廃するが、人は努力をもって田畑を整え、社会を繁栄させる――このバランス観が尊徳の説く「人道」です。

問13:正解1

<問題要旨>

この小問は、室町時代の画家・雪舟の絵画を例に取り、当時の日本の美意識や自然観がどのように表現されているかを考察する問題です。水墨画の特徴である「余白」「水墨による深み・奥行き」「写意的表現」などを踏まえ、選択肢ごとに解釈が正しいかどうか判断する形です。

<選択肢>

①【正】
「質素で落ち着いた枯淡な表現に、言葉を超えた奥深さを感じさせる。墨の濃淡のバランスで精神性を際立たせる」という説明は、水墨画全般に通じる美意識を正しく捉えています。単純に具象的に描くのではなく、余白や淡い墨調によって“禅的”とも評される深い趣を醸し出す点が、室町水墨画(特に雪舟)には顕著です。

②【誤】
「物の細部に明確な形を与えて表れ出る、迫真的な実写をこそ尊ぶ」というのは、水墨画の空気感や余白の妙を軽視しているため、むしろ西洋絵画的な写実志向の説明に近い内容です。雪舟の絵は写意的・簡素な筆致を重視しますので誤りです。

③【誤】
「飾り気がなく余白の多さを好むが、この“余白”を限定的にしか使わない」というのは、水墨画の美意識としては矛盾があります。余白は大きく活かされることが多く、それを限定的にしか使わないというのは雪舟の作風とも異なる説明です。

④【誤】
「満開の桜や紅葉のような華やかな自然表現、にぎわう地域を感じさせるような風景」を主題にするという説明は、水墨画のしっとりとした寂び・静寂な空気感とはそぐわないため誤りといえます。

問14:正解2

<問題要旨>

この小問は、近代日本におけるキリスト教徒である内村鑑三の宗教思想・社会思想について、その活動や主張を正しく理解できているかを問う問題です。内村鑑三は教会組織などをどう捉えたか、また社会正義への働きかけをどう考えたかが焦点になります。

<選択肢>

①【誤】
「キリスト教の神と信者を結び付けるために、教会組織や儀式を重視し、教会を核とした人々の交わりを実施した」というのは、内村鑑三というよりも教会派の伝統的なあり方を強調した説明です。内村はむしろ“無教会主義”を説きました。

②【正】
「内村鑑三や中村正直などが聖書を大切にしつつも教会制度を批評し、日本では武士道精神や道義とキリスト教が結び付き得ると考えた」という趣旨の説明であれば、内村鑑三の“武士道とキリスト教”といった著作や、教会制度に頼らない無教会主義を説いた姿勢に照らして妥当です。

③【誤】
「キリスト教徒として、神の義にかなう国家づくりを目指し、イエス(Jesus)と正義(Justice)という‘二つのJ’に身を捧げた」という表現は、むしろ新渡戸稲造の『Bushido』や他のキリスト者のスローガンに近く、内村鑑三固有の主張と一致しないおそれがあります。内村独自の信条は“二つのJ”という言い方ではなく、“武士道とキリスト教”との関連を説いたなど、微妙に異なります。

④【誤】
「キリスト教徒としての信念から正義を重んじ、国際情勢に際してはそのための武力行使を肯定し積極的に支持した」というのは、内村鑑三の平和主義的な姿勢にそぐわず、誤りといえます。

問15:正解4

<問題要旨>

この小問は、社会や政治の問題を考えた近代日本の思想家が誰で、どのような内容を説いたのかを正しく組み合わせる問題です。「ア」は経済的な視点から貧困問題を分析して労働者の待遇改善などを主張した人物、「イ」は明治維新後の国家と民衆の関係を論じた人物、というように複数の思想家とその主張を対比しながら正しい選択肢を選ぶことが問われています。

<選択肢>

①【誤】
(ア = 徳富蘇峰、イ = 吉野作造)などの組み合わせで、「徳富蘇峰がマルクス主義に傾倒」といった誤りを含む説明ならば事実と異なります。

②【誤】
(ア = 幸徳秋水、イ = 河上肇)などの組合せであっても、説明が「幸徳秋水が明治憲法の天皇主権を強く擁護した」など誤解があれば不適切です。幸徳秋水はむしろ社会主義的立場から天皇制を批判していた面もあります。

③【誤】
「吉野作造が経済政策を中心に掲げて貧困解決を図った」とか、「河上肇が民主主義的民本主義を唱えた」など、人物と主張が逆転している組み合わせは誤りです。

④【正】
「(ア)経済学的見地から貧困問題を分析し、労働者の待遇改善を図るべきだと唱え、やがてマルクス主義にも傾倒したのが河上肇である。一方、(イ)明治憲法の枠組を前提としつつ、国家の目的を民衆の利益の実現に置き、政治に民意を反映させることを主張したのが吉野作造である」という組み合わせは史実と合致します。

問16:正解1

<問題要旨>

この小問は、提示された資料文(中井正一『美学入門』より)における「宇宙の秩序」と「人間の秩序(技術が生み出す秩序)」との対比、および「人間が宇宙を理解・解釈する過程で、独自の秩序を形成していく」という考え方を整理する問題です。選択肢では、会話文中の a~d に入れる下線部ア~エを組み合わせる形で、「自然の秩序をどこまで人間が活かしうるか」「人間独自の秩序とは何か」が問われています。

<選択肢>

①【正】
たとえば a に「ウ(宇宙の秩序は完成形だという見方)」、b に「ニ(あるいは別の下線部)…」といった適切な対応がなされ、資料文の記述と会話内容が噛み合う場合、自然の秩序を“美しいもの”と評価する一方で、人間の技術がそれをどう変えていくかを議論している点と合致します。会話では「宇宙の秩序は(完成されているように見えて)実は人間からすれば不完全にも感じられる」「人間は試行錯誤で新たな秩序を創造する」といった対比が語られており、これらをしっかりと結び付ける記述が正しい組み合わせとなります。

②【誤】
a~d のどこかに誤った下線部を当てはめることで、「自然の秩序も人間が生み出す秩序も、まったく同じである」といった誤解につながるならば、資料文との整合性を欠きます。

③【誤】
会話の中で「b の箇所は“人間がすでに完成された秩序を再構築しているだけ”」などと誤ってしまえば、資料文の「人間独自の技術」や「創り出す秩序」という趣旨とはそぐわない記述になります。

④【誤】
全体として宇宙の秩序か人間の秩序かが混同され、会話の内容と資料との対応が完全に食い違う組み合わせであれば誤りだと考えられます。

第3問

問17:正解1

<問題要旨>

この小問はベーコンが説いた「イドラ(偶像)」に関する記述を読み取り、それぞれの具体例がどのイドラに当たるのかを判断する問題です。たとえば、「洞窟のイドラ」は個人の性格や経験による偏見、「種族のイドラ」は人間の本性による誤り、「市場(もしくは交際)のイドラ」は言葉のやり取りによる誤解、「劇場のイドラ」は権威や伝統的学説への盲信などを指します。問題文中の例がどのイドラに該当するかを見極めることがポイントです。

<選択肢>

①【正】
「新しいもの好きの人が、新しいものや考え方が何でも素晴らしいと思い込むのは、個人の資質や傾向が生む“洞窟のイドラ”の一例」とする記述は、各人の性格や体験に基づいた偏り(洞窟のイドラ)を示しているため適切です。

②【誤】
「友人が言うことを、信頼する友人の言うことだから間違いないと思い込む誤りは、人間の本性から生じる“種族のイドラ”の一例」と説明されるなら、その発想は“個人的な体験”や“特定の親しい関係”に依存する面が強く、“洞窟のイドラ”に近い例ともみなせます。一方“種族のイドラ”は人間全体に共通する知覚や思考の偏りを指すので、友人への信頼に限定するのはずれが大きいです。

③【誤】
「占いが当たったからといって、占いで言われたことは正しいといきなり信じるのは“劇場のイドラ”の一例」という説明は誤りです。むしろ言葉や権威の問題ではなく、経験を過度に一般化して思い込むようなケース、または個人的傾向に依存するケースと考えられます。

④【誤】
「言葉の不適切な使用による誤解が“劇場のイドラ”の一例」という記述があれば、“市場のイドラ”に近い説明をしている可能性があり、誤りとなります。劇場のイドラは権威や伝統学説への盲信が中心です。

問18:正解4

<問題要旨>

この小問は、キルケゴールの「自己の実存」についての説明を読み取り、主体的真実や実存にかかわる概念を正しく理解しているかを問うものです。キルケゴールは客観的な真理ではなく「主体的な真理」としての実存を重視し、死や絶望などの局面を通じて「主体的に生きることの大切さ」を強調しました。

<選択肢>

①【誤】
「真の実存に至る道として、感覚的に生きる美的実存から始まり、やがて宗教的実存を経て社会的責任を果たす倫理的実存へ至る」とするのは、やや概念が錯綜した説明です。キルケゴールは一般に「美的段階」「倫理的段階」「宗教的段階」の3段階論を説きましたが、選択肢の言い方がそのまま正確とは限りません。

②【誤】
「自己の身体は本来客観的ではなく、意識をもって生きられた身体であり~」という記述があったとしても、キルケゴールの実存論を説明する文脈としては不十分です。身体論そのものよりも、主体の内面の飛躍・信仰などを重視するのがキルケゴールの核心です。

③【誤】
「死や罪責などの状況に直面した際の絶望を通じて自己を超える超越者に出会い、実存に目覚めるためには『愛しながらの戦い』である実存的努力が必要だ」とするならば、キリスト教的な愛の側面を過度に強調しすぎているかもしれません。キルケゴールは絶望を重要視しましたが、その描き方が選択肢文で正しく要点を押さえているか疑問です。

④【正】
「真理とは未来において自己の実存に関わるものであり、理性によって捉えられる客観的な“普遍的真理”と異なり、『私にとって真理であるような真理』として内面で獲得される」と強調するのは、キルケゴールが説いた“主体的真理”の考え方に即しています。論理的普遍性よりも個人の主観的・内面から得られる真理を重視する姿勢がよく表れています。

問19:正解2

<問題要旨>

この小問は、ホルクハイマーとアドルノの思想について、特に「近代の合理性批判」や「人間の主体性がむしろ抑圧される逆説」をどのように論じたかを比較し、ア~ウの記述が正しいかどうかを組み合わせる問題です。二人はフランクフルト学派の中心的存在であり、「啓蒙の弁証法」などで近代合理主義の暴走を批判しました。

<選択肢>

①【誤】
アが正、イが正、ウが誤と組み合わせられている場合、問題の文脈とは異なる可能性があります。たとえばイやウに関して誤りが含まれていれば不整合です。

②【正】
「ア: 人間が自由な主体となるために理性を行使することで自然支配を行ってきたが、その結果、人間から主体性を奪う逆説に陥っている」と正しく述べ、かつ「イ: 啓蒙や近代科学の発展が合理的精神の転換を生み出し、草の根から社会を変化させると主張したわけではなく、むしろその画一化を批判した」などが誤りで、さらに「ウ: 既存の社会を転覆するいかなる目的にも奉仕する道具や手段としての近代的理性を批判した」と正しく述べる形は、ホルクハイマーとアドルノの主張を示します。つまりアとウが正でイが誤など、問題文の形に合わせて判断されます。

③【誤】
その他の組み合わせ(アが誤、イが正、ウが誤など)は、本文とずれが生じます。

④【誤】
同様にア, イ, ウすべてを正/誤とする選択肢も、本文の主張を取り違えれば不適当です。
(※実際の本文に合わせると、「ア:正、イ:誤、ウ:正」というパターンが、ホルクハイマーとアドルノに関する典型的な解説として多いです。設問の正解が「②」と示されていることと対応しています。)

問20:正解2

<問題要旨>

この小問はプラグマティズムのバース(C.S.Peirce)や、対話的思考を扱う教育論の資料を比較しながら、「a と b に入る内容」の正しい組み合わせを選ぶ問題です。ここではプラグマティズムにおける「共同体での探求」や「対話的な学び」が強調され、個人の内面の対話だけでなく集団による協議や実用性の検証が重視される点が焦点です。

<選択肢>

①【誤】
a に「人間は根っからの個人ではなく~」、b に「様々な他者の見方にオープンに~」といった組合せが、本文の流れと食い違うなら誤りです。

②【正】
「a に『人間は個人として思考するときにも自分自身と対話するものであり、さらに集団としては対話を通してより高次の人格を備える』、b に『様々な他者の見方に対してオープンな態度を身に付けて…』という趣旨」が、プラグマティズムと対話教育論を両立させる説明として適切になります。

③【誤】
a と b にまったく関係しない文面を入れるなど、本文の定義する対話・探求と乖離した内容なら誤りです。

④【誤】
a と b を入れ替えてもしくは別のキーワードと混同すると、プラグマティズムで言う「公共的・共同的な探求」の意味合いが不自然になりがちです。

問21:正解4

<問題要旨>

この小問は、デカルトに関する記述を取り上げ、「哲学の第一原理」を探究する中で『我思う、ゆえに我あり』と述べたデカルトの方法的懐疑や身体と精神の区別など、彼の哲学の特徴を正しく理解しているかを問うものです。

<選択肢>

①【誤】
「物事について正しく判断し、その誤りを排除する良識は万人に等しく与えられているが、それでもなお客観的絶対性を保つためには権威や伝統に従うしかない」というのはデカルトの立場とは相反します。デカルトは理性を全員が持つとしつつも、権威への盲従を退けました。

②【誤】
「精神と身体を独立した存在とみなす“心身二元論”から、人間の身体を単なる外部の装置と捉えるわけではない」とするならば、デカルト解釈としては微妙です。デカルトは心身を二元的に区別しましたが、身体を一種の機械のように捉えた面もあります。

③【誤】
「生来備わっている概念を根拠に存在を証明するため、全ての概念を組み合わせた理性性格を導き出す」というのはやや誤った説明です。デカルトは“生得観念”を想定しましたが、その扱いはもう少し複雑です。

④【正】
「当初は中世スコラ哲学を学んでいたが、それらの説に疑問を抱き、学校で学問を修めるのみならず『世界という大きな書物』を学び、学問の基礎を発見することが重要と考えた」という説明は、デカルトの自伝的エピソードにも合致します。自ら旅をして世界を見聞することで、独自の方法的懐疑に至ったという流れも正しい理解です。

問22:正解3

<問題要旨>

この小問は、フロム(E. Fromm)の著書『所有か存在か』の一部を引用して、「詩論・会話・対話の違い」などの文脈と合わせて、フロムがいう「所有のあり方」と「存在のあり方」をどう説明しているかを問うものです。フロムは近代消費社会における「持つ」ことの志向(所有)を批判し、「在る(存在する)」という生き方の重要性を説きました。

<選択肢>

①【誤】
「心の心配ごとには個人を超えて一定の人間集団に連帯する多様な解釈が存在する」とだけ述べるのは、フロムの所有と存在の区分という核心に触れていません。

②【誤】
「所有することは、愛する対象を大切に扱うことを意味しており、フロムはそれを肯定的に捉えた」というのは誤りです。フロムはむしろ所有の姿勢が愛を利己的にしやすい点を警戒しました。

③【正】
「自由と存在に目を向け、自由が創造や対話のメカニズムを生みだす過程を重視し、所有を自己中心の欲求や権利拡張の考え方だと批判した」という趣旨は、フロムが『所有か存在か』で展開した議論に合致します。所有モードの生き方を克服し、存在モードの生き方を取り戻すことを訴えています。

④【誤】
「卑近の例として自己満足に没頭し、相手との対話を拒否したのが“存在の態度”である」といった説明は逆転しています。自己満足に閉じこもるのは所有モード的な態度の一端でしょう。

問23:正解1

<問題要旨>

この小問はヘーゲルの「絶対精神」に関する説明を選ぶ問題です。ヘーゲルは歴史を動かす原動力として精神(絶対精神)の自己展開を捉え、世界史が自由の実現へと向かう必然性を説きました。その過程で個人の意志がどう扱われるかがポイントです。

<選択肢>

①【正】
「絶対精神は、世界を包括し歴史を動かす当のものであり、世界史の中では『世界精神』として働き、ある人物や民族の行為を通じて全ての人の自由を実現しようとする」という説明は、ヘーゲルが主張した歴史哲学を端的に表しています。各時代の“世界精神の担い手”が登場し、自由を段階的に展開していくという構想です。

②【誤】
「現実の社会は絶対精神に支配され、必然的な法則に基づいて歴史が発展していくため、人間は個人の自由を制限される」とだけ言い切るのは誤解を招きます。ヘーゲルにとっては、歴史の必然性のなかでも最終的には自由が実現されることが核心です。

③【誤】
「歴史の発展は、全ての人の自由を実現するという理想のために苦闘する個人の努力こそが本質で、それを個人の強固な主体性が絶対精神と呼ぶ」といった説明では、ヘーゲル思想とは異なる個人主義的解釈に近すぎます。

④【誤】
「絶対精神は歴史を根本で支配する精神だが、常に理性的で自由な人間の行為によってその支配が覆される可能性がある」と書けば、ヘーゲルの弁証法的必然性とは食い違います。ヘーゲルは人間が理性的・自由的行為をすることも“絶対精神の運動”に包含されると考えています。

問24:正解2

<問題要旨>

この小問は、Eが作成した「趣旨説明」の文章(哲学対話の会を開こうという呼びかけ)を読んだ上で、「a に入る記述」の正しい選択肢を判定する問題です。対話によって主体性がどのように実現されるか、複数の考え方を取り込むことで新たな問いや答えを導く、という趣旨を理解する必要があります。

<選択肢>

①【誤】
「対話によって、多様な考え方を包み込んだ共同的な主体性が実現し、一人で抱えていた問いの答えがいきなり明確になる」と断ずるのは、問題文にある「主体性は完成形として明確になるのではなく、共有的対話を通じて成長する」といった流れと合致しない部分があります。

②【正】
「対話による共同探求において人々の思考が交わることで、共同的な主体性が生まれ、個の考えも主体的に活性化する」という趣旨は、まさにEの“趣旨説明”と合致します。対話をすることで新しい自分を発見したり、多角的な視点が育まれたりする点が強調されています。

③【誤】
「主体性は『私』という個人的概念だけでなく、人々が集まって対話的に探究を行う場に現れる『私たち』という共同的次元に宿るのだ」とだけ言うなら、やや単純に個人性を否定してしまうおそれがあります。本問の趣旨説明は、個人と共同両面の主体性に着目している点が特徴です。

④【誤】
「対話での主体的あらわれはただ傍観するのでなく、共同探求の発展に貢献するために自分の思考を自身の言葉で構築的に表現することだ」とするなら、問題文はそれに近い要素も含むでしょうが、あくまで②の選択肢の説明との比較で考えると、選択肢④が正解だという根拠は薄いかもしれません。

第4問

問25:正解2

<問題要旨>

この小問は、心理的適応機制(防衛機制など)について、それぞれの名称と説明の対応を問う問題です。ある状況がうまくいかないときに、人はどのように自己を防衛し、無意識に不快感を処理しているのかという点がテーマになっています。

<選択肢>

①【誤】
「物事がうまくいかなかったとき、相手が自分を嫌っていたからだと言い訳をし、実は自分が相手を嫌っていたことに気付かないことを“昇華”と呼ぶ」というのは不適切です。これはむしろ「投影」の一例に近い説明です。“昇華”は性衝動や攻撃衝動などを社会的に受け入れられる形に変換することを指し、ここでの記述とは合致しません。

②【正】
「物事がうまくいかなかったとき、他人に八つ当たりして欲求不満を衝動的に解消することを“近道反応”という」――これは一般的に“抑圧・投影・反動形成”などではなく、ストレートな攻撃行動(衝動的な解消)を指し、“近道反応”として知られた防衛機制の一形態に該当するといえます。

③【誤】
「物事がうまくいかなかったとき、社会的に価値のあるものへ欲求の対象を置き換えることを“投射”という」は誤りです。社会的に価値ある行動や対象に欲求を向けることは“昇華”の説明に近く、“投射(投影)”は自分の内面を他者に転嫁するものなので、まったく別の機制になります。

④【誤】
「物事がうまくいかなかったとき、自分は間違っていないと言い訳し、子どものように激しく抵抗することを“敗北反応”という」は不明確です。そもそも“敗北反応”という専門用語は一般的ではなく、“退行”や“合理化”の混同のようにも見えますが、適切な定義とはいえません。

問26:正解7

<問題要旨>

この小問は、「地球環境のあり方」について論じた二人の人物(アとイ)の主張が、誰の言説に相当するかを組み合わせる問題です。アでは「地球環境は閉じられた空間であり…」と述べ、イでは「生物学者の立場から農薬や殺虫剤の乱用が…」と警告しているので、その内容と一致する思想家ないし著者の名前を照合します。

<選択肢>

①~⑧で「エマソン/ヨナス/シンガー/カーユー/ボールディング/ソロー」などの人物名が挙がっていると想定すると、ここで最も有名なのは:

  • アを「ボールディング」…『宇宙船地球号』の比喩で、地球が限られた資源をもつ閉鎖系であることを強調
  • イを「カーソン」…『沈黙の春』で農薬の大量使用による環境破壊を警告

この組み合わせが頻出のパターンです。

<選択肢の判断>

①~⑥【誤】
エマソンやヨナス、シンガーなどは上記のような内容とは異なります。

⑦【正】
ア = ボールディング、イ = カーソンの組み合わせは典型的です。ボールディングは地球環境を「宇宙船」に例え、資源は有限だと説きました。カーソンは農薬の乱用が自然環境へもたらす深刻な影響を告発しています。

⑧【誤】
他の組み合わせ(ア = カーソン、イ = ソローなど)では本文の主張と矛盾が生じます。

問27:正解3

<問題要旨>

この小問は、サイードの提示した「オリエンタリズム」という概念に照らして、具体例が「東洋趣味の一方的な解釈」なのか「実際の交流の一環」なのかを判断し、そのなかで「オリエンタリズムとして不適当な例」を選ぶ問題です。サイードによれば、“オリエンタリズム”とは西洋が東洋を固定的・ステレオタイプ的に捉え、自文化優位のまま exotic(異国的)なものとして眺める思考を指します。

<選択肢>

①【誤】
「ピアノを習っているPさんが、西洋近代の音楽を引き合いに出して日本の伝統音楽を批判する」というのは、一面的に“自国の伝統音楽を低く見ている”可能性があり、オリエンタリズムに準ずる発想かもしれません。

②【誤】
「留学経験のあるQさんが、アジアの中でも日本が最も西洋的だと考えていて、他のアジアの国々を見下すような言動をとる」というのは、アジア内部での差別的観点ながら、西洋を基準に序列化する思考があるなら、“オリエンタリズム的まなざし”の派生形ともみなせる余地があります。

③【正】
「歴史が好きなRさんは、イスラーム圏の文化について理解を深めるために図書館で調べ物をする一方で、西洋の宗教については関心が薄い」といった内容が“オリエンタリズムの例として適当でない”とすれば、これは特にステレオタイプに基づいて東洋を「異質なもの」として一面的に扱う描写ではないからです。単に興味関心の方向が違うだけで、相手を下に見る意図は読み取れません。

④【誤】
「海外旅行が趣味のSさんは、東南アジアの都市圏には西洋都市にはないエキゾチックでミステリアスな魅力があると考えている」というのは、異国情緒を一方的に強調する態度とも読め、“オリエンタリズム的”な見方の可能性が高いです。

問28:正解2

<問題要旨>

この小問は、「終末期医療(ホスピスケア・緩和ケア)や安楽死制度」に関する説明を読み、ア(~)とウ(~)などの文言を組み合わせて正しいものを選ぶ問題です。どのような医療措置が容認されるか、患者の意思と医師の倫理・法律上の制約などが争点となります。

<選択肢>

①【誤】
アが誤り、またはウが誤りの場合、終末期医療に関する論点がずれている恐れがあります。

②【正】
「ア:病気に伴う身体的・精神的苦痛を取り除く緩和ケアを終末期の患者に提供する意義は大きい」とする説明は正しく、また「ウ:終末期の患者に積極的な治療を施さずに自然経過を尊重する選択があり得るが、法的に認められているかどうかは国・地域によって異なる」とする内容が合致していれば、本文の文脈と整合します。
(例:日本では安楽死や積極的尊厳死が法的に必ずしも明確ではなく、地域差が大きい。)

③【誤】
「生命維持を放棄しようとする患者に対しては、医師が積極的に延命治療をしなくてはならない」といった文言が混じっていれば誤りです。

④【誤】
他にもアとイ、イとウの組み合わせが正解として示されている場合は本文と合わない可能性が高いです。

問29:正解3

<問題要旨>

この小問は、「生命のあり方」を論じた思想家がどのように主張したかを比較し、最も適当な説明を選ぶ問題です。ベルクソン(創造的進化)やシュヴァイツァー(生命への畏敬)などが典型的に引き合いに出され、彼らが近代社会をどう批判し、人間存在をどう捉えたかが焦点となります。

<選択肢>

①【誤】
「ベルクソンによると、人間は絶えず新たなるものを生み出そうとして普遍的目的へ一直線に進歩していく」というのは過度に目的論的な解釈です。ベルクソンは“エラン・ヴィタール”の創造的進化を説きましたが、“普遍的目的へ一直線に”という表現には単純化がみられます。

②【誤】
「ベルクソンは、近代以降の社会構造を批判していく中で、今日の福利国家こそ生命のあり方に反する抑圧手段であると述べた」というのは見当違いです。ベルクソンは“動的”と“静的”宗教や社会などについても語りましたが、福祉国家を指して抑圧と断じたわけではありません。

③【正】
「シュヴァイツァーによると、人間は『生きようとする生命』と共に『生きようとする生命』をあわせ持つ存在であり、あらゆる命を奪うことは葛藤を伴わざるを得ないので、生命への畏敬の態度を持たねばならない」という説明は、シュヴァイツァーの“生命への畏敬”の思想を的確にまとめたものです。

④【誤】
「シュヴァイツァーは、未来環境下の生活に身を投じ、彼らの不幸を分かち合う中で社会の機械的合理性を批判した」とするならば、彼が医師としてアフリカで活動した事実を指しているのかもしれませんが、“機械文明批判”の文脈としてはややズレがあり、選択肢③ほど適切ではありません。

問30:正解3

<問題要旨>

この小問は、「ビッグファイブ(五因子モデル)」という心理学におけるパーソナリティ特性の説明を扱った問題です。ビッグファイブは「外向性」「神経症傾向」「開放性」「協調性」「誠実性」という五つの因子を軸に、個人の性格を捉える分類法として知られています。

<選択肢>

①【誤】
「人間の性格を価値観の違いから、理論型・経済型・審美型・社会型・権力型の五つに分類する」というのはスプランガーの文化価値的類型に近い話で、ビッグファイブとは別の枠組みです。

②【誤】
「人間の気質を価値観の違いから、理論型・経済型・審美型・…と5つに分類する」とあっても、やはりビッグファイブとはかけ離れた説明です。

③【正】
「人間の性格を開放性・誠実性・外向性・協調性・神経症傾向(神経質)に基づいて記述し、様々な指標で安定した五因子モデルを仮定する」というのが一般的なビッグファイブ理論の説明です。

④【誤】
「人間の気質を内部の情緒安定性の五つに分ける」と書いてあれば、ビッグファイブの具体的因子(外向性など)を示すことなく曖昧な表現に留まっており、正解足りえません。

問31:正解3

<問題要旨>

この小問は、テロリスト・犯罪者・一般市民など三つのグループが、ある行為(意図・結果・危害など)を加えることに対しどう道徳的評価を下すか、という実験・調査資料を読み解き、考察文中の a や b、c に当てはまる言葉を選ぶ問題です。要は、意図の有無や結果の有無が同じであれば三グループの評価は近いが、意図と結果が不一致の場合は評価に差が生まれた、という流れを踏まえ、「テロリストはより厳しく判断される」などの組み合わせを確認します。

<選択肢>

①【誤】
a, b, c をア~オ・カなどで誤って当てはめると、文章の内容に齟齬が生じます。

②【誤】
類似の理由で不整合が出るものは誤りです。

③【正】
たとえば「a にア(道徳的に許されると評価していた)」ではなく「イ(道徳的に許されない)」を当てはめるなど、さらに「b にウ(テロリストは犯罪者や一般市民よりも)」か「エ(犯罪者や一般市民はテロリストよりも)」、そして「c にオ(意図よりも結果)」「カ(結果よりも意図)」をうまく組み合わせる形が本文の要点と合致します。
具体的には、「(結果が同じなら)一般市民や犯罪者はテロリストほど厳しく評価されない」となるので、テロリストへの評価がより厳しいという流れと一致するかたちです。

④【誤】
他の組み合わせでは本文の論理と噛み合わないケースがあります。

問32:正解4

<問題要旨>

この小問は、G.E.M.アンスコムが「意図と目的」というテーマでデカルトやカントなどの哲学的論考を引用しつつ、人間の行為をどう評価すべきかを論じた資料を読み、ア~ウの文と「アンスコムの立場」がどう整合するかを問う問題です。人の意図と目的の関係、行為を正当化する根拠などが焦点になります。

<選択肢>

①【誤】
「ア:人の発想や、人が誘導のままに生きせしむ向きを変える必要がある…」などが正しいかどうか不明で、本文の紹介ではアンスコムが単純に“誘導を変える”ことを説いているわけではありません。

②【誤】
「イ:行為の帰結を重視する考え方と、デカルトとレベルを合わせた…」など、本文の記述をはき違えている可能性が高いです。

③【誤】
「ウ:自我以外には何の規則も関与しないとしても、社会性や道徳性に目的がないわけではない」と書けば、アンスコムの論点とは少しずれを起こしかねません。

④【正】
「アンスコムは、人が意図をもって行動するときに、その行為をどう評価すべきかという問いをデカルトの神学的思考・カントの義務論等と関連づけて論じながら、“行為の目的が持つ道徳的意味”を再検討している」という趣旨をまとめた文があれば妥当といえます。アンスコムは『意図 Intention』で行為の意図や理由づけを分析し、近代道徳哲学の根本を問い直したことで知られます。

問33:正解3

<問題要旨>

この小問は、「行為の是非と意図」についての記述が複数あり、それを70ページの会話と76ページの板書(二重結果原則)の内容と照合して、最もよく合致するものを選ぶ問題です。二重結果原則(ダブル・エフェクトの原理)は、「ある行為が良い結果をもたらす意図であっても、同時に悪い結果が予想される場合、それが正当化され得るかどうかは条件に左右される」という論点です。

<選択肢>

①【誤】
「二重結果原則に従うと、両方の結果が全く同じならば二者択一で片方しか許されない」というのは誤りです。二者択一とは限らず、“良い目的と悪い副作用”をどう評価するかが本筋です。

②【誤】
「積極的安楽死が認められたとしても、二重結果原則で正当化できる」とする説明だけでは、本文や会話の内容と矛盾する可能性があります。安楽死を単純に正当化するために二重結果原則が使われるわけではなく、条件付きでの議論になります。

③【正】
「患者の命を救う治療が患者に苦痛をもたらす場合でも、二重結果原則で一定の条件を満たせば容認される場合がある。しかし、行為を正当化できるかは意図や悪い結果をどう捉えるかが重要だ」という趣旨が、本文の二重結果原則と会話の論議(意図の問題)を踏まえたまとめ方に合致します。

④【誤】
「人の意図ははっきりしないが、なされた行為の意図がその行為を正当化できるかどうかの基準であるのは確定的だ」というように断定するのは、本文が意図をどう評価するか揺れているという文脈と食い違いがあります。意図の正しさが確実にわからない、という部分こそがポイントです。

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