解答
解説
第1問
問1:正解1
<問題要旨>
高校生同士の会話文の中で「恥」という感情を捉えなおす流れから、共同体や社会形成の思想をめぐる問題。下線部の内容と関連させつつ、複数の宗教・思想の特徴に照らして、どれがもっとも適切に共同体や社会のはじまりを説明しているかを問う。
<選択肢>
①【正】
ペテロ(ペトロ)らが、イエスが死後に復活したと信じ、彼をキリスト(救世主)とみなす教団を形成したという内容。史実として、イエスが処刑された後に「復活」への信仰を共有する人々が集まり、初期のキリスト教団が成立したという流れは広く認められており、共同体の誕生として適切。
②【誤】
「荷テラ(仮名)」という表現や、社会秩序を人間の欲望の自然な鎮静によって保とうとする記述が見られるが、これは古代中国の「荀子」あるいは近世ヨーロッパの「ホッブズ」などの説と混同したような不正確な説明にも見える。少なくとも、共同体形成の直接的な起源説明とは言い難い。
③【誤】
董仲舒は天人相関説を唱えて、政治や社会秩序が天の意思と密接に結びつくと説いた思想家である。しかし、ここでは「恥」と直結した共同体形成の説明とは言えず、またテキスト中の会話で取り上げている文脈とも一致しない。
④【誤】
スンナ派におけるカリフ継承の問題(預言者ムハンマドの血統・統治者としての資格など)を述べているが、これはイスラーム世界のリーダー継承をめぐる歴史的事情であり、キリスト教団の初期形成や「恥」の感情との関連で論じられた内容とは異なる。
問2:正解2
<問題要旨>
パウロの言葉「わたしは〇〇を恥としない」という文脈が示され、そこに続く「ユダヤ人をはじめギリシア人にも…」などの有名な新約聖書の一節と、義とされるのが律法によるのではなく信仰によるという趣旨が取り上げられている。組み合わせとして適切な語句を選ばせる問題。
<選択肢>
①【誤】
「a=福音、b=ギリシア人ではなく、ユダヤ人であれば、c=律法」という組み合わせ。パウロの思想では、福音はユダヤ人のみならず「異邦人(=ギリシア人など)にも」もたらされると説くのが中心であり、「ギリシア人ではなく、ユダヤ人だけ」という限定の表現は誤り。
②【正】
「a=福音、b=ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、c=律法」という組み合わせ。実際に『ローマの信徒への手紙』などで、パウロは「わたしは福音を恥としない。これはまずユダヤ人をはじめギリシア人にも救いをもたらす神の力だからです」と説き、人が義とされるのは律法の行いではなく信仰によると述べている。この組み合わせが正しい。
③【誤】
「a=律法、b=ギリシア人ではなく、ユダヤ人であれば、c=福音」という組み合わせ。これは「律法」と「福音」が逆転しており、パウロの主張とはかけ離れている。
④【誤】
「a=律法、b=ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、c=福音」という組み合わせ。これも「律法」を最初に据えてしまう点で誤り。パウロの主張とは合致しない。
問3:正解1
<問題要旨>
ギリシア・ローマ時代の代表的な哲学者として、エピクロス(快楽主義の一派)とストア派が登場し、それぞれの「理想的な生き方」についての説明が求められる問題。下線部で示された考え方に合致する選択肢がどれかを見極める。
<選択肢>
①【正】
「エピクロスは、あらゆる苦痛や精神的不安などを取り除いた魂の状態こそが幸福であると考えた」という説明。これはエピクロス派が説く「アタラクシア(心の平静)」を目指す思想に合致している。
②【誤】
「エピクロスは、快楽主義の立場から、いかなる快楽でも可能な限り追求すべきだと考えた」というのは誤解がある。エピクロス自身はむしろ、精神的平穏を乱すような不必要な快楽や贅沢を求めることを戒めていた。
③【誤】
「ストア派の人々は、人間の情念と自然の理法が完全に一致していることを見て取り、情念に従って生きるべきだと考えた」は誤り。ストア派は、情念を理性の力で制御し、自然の理法(理性)に従って生きるべきだと説いた。
④【誤】
「ストア派の人々は、いかなる考えについても根拠を疑うことは可能であり…」という説明は懐疑主義の立場に近い。ストア派は徳に基づく確固たる生き方を重んじるため、根拠を疑うことによって魂の平安を得ようとする懐疑派の姿勢とは異なる。
問4:正解3
<問題要旨>
初期仏教で説かれる「慙愧(ざんき)」や「恥」の感情が取り上げられ、そこから「断」や「慙」などの語が会話で登場。資料文を踏まえて、発表に失敗した場面で「恥ずかしくなった」本質的な理由を整理した選択肢を選ぶ問題。
<選択肢>
①【誤】
「失敗した発表についての周りの評判が悪かったので“断”」という組み合わせ。周囲の評価を恐れることだけを原因にした説明は仏教における「慙」とはやや異なる。
②【誤】
「失敗した発表についての周りの評判が悪かったので“慙”」の組み合わせ。これも“慙”を単に周囲の視線や批判と結びつけるだけでは、資料の示す自己反省とのつながりが薄い。
③【正】
「十分な準備をした上で発表に臨めていなかったので“断”」+「周囲の目というより、自分の至らなさを省みて恥じた」という流れに近い説明。資料文にあるように「恥は他人の目よりも自分自身を謙虚に振り返ることで感じる」とする論点と合致する。
④【誤】
「十分な準備をした上で発表に臨めていなかったので“慙”」の組み合わせ。選択肢③が示す“断”の概念と区別する点で資料の内容と齟齬がある。「慙」は他者に対する恥じ入る心を強調する語で、資料では「自らが反省する過程」が明確に示されていることから、選択肢③の方が合致する。
問5:正解3
<問題要旨>
「規範や社会秩序」をめぐる宗教や思想家の言説が並び、下線部に関連して“恥”と結びつけられた規範意識を持つ宗教・思想がどれかを問う。ユダヤ教・儒家・ジャイナ教・アリストテレスなどが挙げられる。
<選択肢>
①【誤】
「ユダヤ教では、十戒などを守れない場合、神から裁きが下されると考えられた」という説明。これは概ね正しいが、“恥”の感情に特化した解釈ではない。問題文が問う「規範破り → 恥」の構造とは直接結びつかない。
②【誤】
「孟子は、為政者が武力によって人々を支配する王道を退け…」とあるが、孟子の政治思想は「徳による支配(王道)」を重んじることに焦点がある。ここでも恥の感情というよりは“仁義”や“徳政”の話になっており、問題文とは必ずしも結びつかない。
③【正】
「ジャイナ教の教えの中には、生き物を殺してはならないという不殺生(アヒンサー)が含まれる」。ジャイナ教は徹底した不殺生を説き、行いを律する規範としている。周囲の評価よりも、自己の行いに対する内面的な戒めを重視する点が、本文で扱われた「恥」や「規範意識」と関連づけられる。
④【誤】
「アリストテレスは、正義の徳について、公平や平等に関わる全体的正義と、法の遵守に関わる部分的正義を区別した」という説明は、『ニコマコス倫理学』等に基づく正しい内容。ただし、アリストテレスにおける正義論の区分であって、“恥”や共同体内の規範意識の問題とはやや論点が異なる。
問6:正解1
<問題要旨>
儒家・墨家・道家(荘子)などが混在する古代中国思想を題材に、「厚顔無恥」と批判し合う文脈が引用されている。そこから、下線部に関連して「仁や義」をめぐる儒家・墨家を、荘子がどのように捉えているかを問う問題。
<選択肢>
①【正】
「孔子は周公旦の政治を理想としていたが、この資料で荘子は、聖人を範とすると多くの刑罰をもたらすと考えている」という説明は、荘子の言行録(『荘子』)に見られる批判構造と符合する。荘子は、上位者が“礼”や“刑罰”をもって人を縛ると、かえって人為的な規範が増え、厚顔無恥の者がかえってはびこるという主張を展開する。
②【誤】
「孟子は、徳を養えば誰でも優れた人物になれると説いたが、この資料で荘子は、人々が仁や義を欠くことで罪人になっていると嘆いている」というような説明。荘子の視点からすれば、“仁義”などの人工的概念がかえって人を縛っているという批判が根底にあるため、“仁義を欠く=罪人”という孟子風の批判を荘子がしているわけではない。
③【誤】
「墨家は、儒家と同様に仁と礼の思想を重んじたが…荘子は、儒家と墨家の親近性を見て取り、まとめて批判している」というのは誤り。墨家は“兼愛”や“非攻”などを重視し、儒家とは別の立場をとる。荘子は墨家も儒家も人為的規範で人を縛ると批判するが、「両者が同じだからまとめて批判している」という整理は単純化しすぎ。
④【誤】
「老子は『大道廃れて仁義あり』と述べて儒家を批判したが、この資料で荘子は、そうした老子とは異なり、仁や義に積極的な意義を認めている」というのは誤り。荘子も老子と同様に、仁義という概念を人為的な作為として批判する側面が強い。
問7:正解4
<問題要旨>
イスラームにおける経済活動の戒律、特に利子(リバー)を禁止するシステムや、その代替としての投資や資金提供の仕組みが登場。下線部⑧に関連し、「クルアーンやスンナ」を根拠に戒律を守るイスラーム金融の特徴が問われる。
<選択肢>
①【誤】
「a=寄付、b=クルアーン(コーラン)やスンナなどに基づく」。イスラームには「喜捨(ザカート)」や「サダカ」といった寄付の制度はあるが、問題文の会話では利子の禁止と金融実務の仕組みを中心に扱っており、寄付を指すのは文脈がずれている。
②【誤】
「a=寄付、b=ムハンマドの言行録のみに基づく」。同様に“寄付”がここでは主眼ではないし、ムハンマドの言行録(ハディース)はクルアーンと並ぶ法源の一部だが、これのみではないという点で不十分。
③【誤】
「a=寄付、b=神の啓示のみを記録した」。クルアーンを“神の啓示のみを記録した”聖典と考えるのは概ね正しいが、やはり“寄付”という概念は利子禁止の代替の主軸説明に当てはまらない。
④【正】
「a=利子、b=クルアーン(コーラン)やスンナなどに基づく」。イスラーム法(シャリーア)では利子の受け取りや支払いが禁止されている。その根拠はクルアーンおよびスンナ(ムハンマドの言行録)にあるため、この組み合わせが会話の内容に合致する。
⑤【誤】
「a=利子、b=ムハンマドの言行録のみに基づく」。利子禁止の根拠はクルアーンとハディースの両方にあり、後者(スンナ)だけではないため不十分。
⑥【誤】
「a=利子、b=神の啓示のみを記録した」。クルアーンは神の啓示を記録した聖典だが、利子禁止はクルアーンだけでなくハディースにも言及があり、総合的にシャリーアで規定される。
問8:正解1
<問題要旨>
古代ギリシア・ローマの思想家ソクラテスやキケロの言葉を引き、「恥」と「評判・名誉」の関係が論じられた資料をもとに、下線部⑨に関連する考え方を問う問題。ソクラテスは真実や魂の善さを重んじ、キケロは友情や正義・名誉を重視する姿勢を示しており、そこからどのような場合に「恥」を覚えるかを探る。
<選択肢>
①【正】
「ソクラテスは、知恵や真実や魂ではなく、評判や名誉ばかりを気にするのは恥だとし、キケロは、友の命や評判のためなら、極度に恥ずべきことにならない限り、必ずしも正しくはない望みでも手助けすべきだと説いている」という内容。ソクラテスが“評判ではなく魂の優れたあり方を配慮するべき”と強調するのは有名であり、一方でキケロは「友のためには多少道を外れてでも手を貸すことが必要」と語ったとされる。この対比が問題文の趣旨にかなう。
②【誤】
「ソクラテスは、知恵や真実や魂ではなく、評判や名誉ばかりを気にするのは恥だとし、キケロは、友の命や評判のための手助けは、それが恥に繋がる限り、どのような場合でも行ってはならないとしている」というのは誤り。キケロの言葉はむしろ“友のためなら道を外れてでも助けるべき時がある”という主張をしており、ここでは逆のことを言っている。
③【誤】
「ソクラテスは、魂が優れたものになるよう配慮しないと評判や名誉の追求を重視し、キケロは、友の命や評判のためなら極度に恥ずべきことにならない限り、必ずしも正しくはない望みでも手助けすべきだと説いている」というのは前半がおかしい。ソクラテスは“魂の善”を追求することを優先し、評判や名誉ばかりを追うのは間違いだと説くからだ。
④【誤】
「ソクラテスは、魂が優れたものになるよう配慮することより評判や名誉の追求を重視し、キケロは、友の命や評判のための手助けは、それが恥に繋がる限り、どのような場合でも行ってはならないという立場」である、という記述はいずれも事実と反する。ソクラテスの強調点も、キケロの友情論の立場も食い違っている。
第2問
問9:正解3
<問題要旨>
「古事記」に関する高校生Aの調査内容と、引用されたヘシオドス『神統記』の記述を比較しながら、古代の神話において“唯一神”の登場・不在や、複数の神々の描写がどう扱われているかを問う問題。ギリシア神話ではガイア・ウーラノス・オケアノスなど多神が次々に生まれてくる様子が描かれているが、『古事記』にも一神がすべてを創造するというより、神々が次々と生成していく構造をもつ点との類似を踏まえた選択肢が求められている。
<選択肢>
①【誤】
「『古事記』では、究極の唯一神が天と地を創造したとされるが…」という前提が不適切。実際の『古事記』は“天と地を創造した唯一神”を直接登場させる構成ではなく、神々が次々と現れる多神的な展開が見られる。そのため、ヘシオドスの『神統記』にも対応しにくい。
②【誤】
こちらも「究極の唯一神が天と地を創造」とする前提は同様に不適切。加えて、ウーラノスなどの神が生んだ神々を『古事記』の構成と照らし合わせる説明に無理がある。
③【正】
「『古事記』には天と地を創造した究極の唯一神は登場せず、資料(ヘシオドスの記述)にもガイアから生まれたポントスやオケアノスなど、複数の神が描かれている」という説明。多神が連鎖的に生まれるギリシア神話と、『古事記』における連続的な神々の生成との共通性を的確に示している。
④【誤】
「『古事記』には、天地を創造した究極の唯一神は登場せず、資料にもウーラノスが生んだポントスやオケアノス等、複数の神が描かれている」という点は“天地創造の唯一神は登場しない”部分だけは正しいものの、“ウーラノスが生んだ”という言い回し等、ヘシオドスの文脈とも少しずれが生じており、『古事記』との対比として正確性に欠ける。
問10:正解1
<問題要旨>
提示された絵(阿弥陀仏や菩薩が雲に乗って来迎する場面)について、高校生Bが疑問を抱き、その答えをノートにまとめた内容を確認する問題。図中で右下に座して合掌する人物が、来迎を受けて往生するという浄土信仰の典型的イメージが描かれている。そこに「あ」「b」という二つの記述が入る組合せを選ばせている。
<選択肢>
①【正】
「a=(右下の屋敷内の人物を)極楽往生に導く」+「b=(仏の教えだけが残っており、正しい修行も悟りもない)」という組合せ。鎌倉期以降の浄土教では阿弥陀仏にすがる他力本願の思想が説かれ、末法思想(正しい修行が困難になる時代観)と相まって、阿弥陀仏の力によって極楽往生を得るイメージが広まった。選択肢①はそうした背景と絵の描写が合致する。
②【誤】
「a=(右下の人物を)極楽往生に導く」+「b=(仏の教えとそれに基づく修行のみが存在して、悟りがない)」という区別では“修行と悟り”の関係が曖昧。末法観では修行が全く無意味とはされず、むしろ阿弥陀仏を信仰する行が強調されるため、単に“悟りがない”という断言は誤解を招く。
③【誤】
「a=(右下の人物に)現世利益をもたらす」+「b=(仏の教えだけが残り、修行も悟りもない)」という組合せ。阿弥陀来迎図の文脈は“来世の救済(極楽往生)”がメインであり、現世の利益を施す図ではない。
④【誤】
「a=(右下の人物に)現世利益をもたらす」+「b=(仏の教えと修行のみが存在し、悟りがない)」としても、来迎図が表す本質はあくまで“来世の救い”であり、単に現世利益を強調するものではない。
問11:正解2
<問題要旨>
高校生Cのレポートから、道元の考え方や時間観を踏まえた「修証一等」の捉え方について、空欄aとbに入る考え方を正しく組み合わせる問題。道元は只管打坐(ひたすら坐禅)を説き、修行と悟りが同時であると強調する“修証一等”などの思想を持つ。加えて、時間は過去から未来へ一方向に流れるのではなく、「いまという瞬間」が重なり合う連続だと説く点が手がかり。
<選択肢>
①【誤】
「a=ア(ひたすら坐禅に打ち込み、あらゆる執着から解き放たれることが重要)」+「b=エ(三密の修行によって仏と一体になれることができる)」。アは道元の考え方に近いが、エは主に真言密教の特徴(身口意の三密)を示すため、道元の“修証一等”とは異なる。
②【正】
「a=ア(只管打坐に打ち込み、執着を離れていく思想)」+「b=オ(修行とは悟りの手段ではなく、悟りそのものでもある)」という組合せ。道元が説く“修行と悟りは同時である”という考え方に近く、時間観を含めて道元の思想をうまく言い表している。
③【誤】
「a=イ(南都六宗の立場から、念仏にとらわれぬ修行を~)」+「b=エ(三密によって仏と一体になる~)」という組合せ。どちらも道元の思想というより別の宗派の考え方に近い。
④【誤】
「a=イ」+「b=オ」という組合せも、aが南都六宗を基にしているため道元の只管打坐とは異なり、整合性が取れない。
⑤【誤】
「a=ウ(自らは罪深い凡夫であるため、自力によって悟りを開くことができない)」+「b=エ(三密によって仏と一体になれる)」の組合せ。ウは浄土教的な他力本願の発想に近く、道元の自力修行中心の禅思想と合わない。
⑥【誤】
「a=ウ」+「b=オ」という組合せ。こちらもaが浄土教的であり、道元の説く只管打坐や修証一等の発想からは外れる。
問12:正解2
<問題要旨>
江戸時代の儒者による仏教批判や、新たな社会構造(町人社会など)の形成についてまとめたレポートをもとに、aとbに入る語句を組み合わせる問題。林羅山や萩生徂徠などの儒者が、現実の人間関係を重視し礼儀・道徳を整えていく思想を説き、当時の新しい社会像である“町人社会”などとも関わりながら発展していったという流れを読ませる。
<選択肢>
①【誤】
「a=林羅山、b=(理を追求するのではなく、古代中国の言葉遣いを学び、当時の制度や風俗を踏まえて儒学を学ぶべきである)」。これは朱子学的な“理”の追求の是非や、徂徠学の“経世済民”との混同があり、林羅山の主張としては不正確。
②【正】
「a=林羅山、b=(人間社会にも天地自然の秩序になぞらえられる身分秩序が存在し、それは法度や礼儀という形で具現化されている)」という組合せ。林羅山は朱子学の観点から、天理や秩序を重んじる上下関係を正当化しようとしたとされ、選択肢②はそれを示している。
③【誤】
「a=萩生徂徠、b=(理を追求するのではなく…)」というのは、徂徠が礼楽刑政などを重視したことを表すようにも見えるが、林羅山を差し置いて徂徠を「徳川家康に仕えた儒者」とはしにくい点もある。
④【誤】
「a=萩生徂徠、b=(人間社会にも天地自然の秩序が…)」にしてしまうと、林羅山の思想と取り違えている可能性が高い。萩生徂徠はより経世済民に直結する“礼楽刑政”の整備を重んじたため、朱子学そのままの秩序観と単純には一致しない。
問13:正解3
<問題要旨>
町人社会に注目した人物として、石田梅岩(ア)と井原西鶴(イ)についての説明が提示され、それぞれの組合せを正しく判断させる問題。石田梅岩は商人の営利追求を正面から肯定しつつ、独自の“正直”“倹約”を重視した商業道徳を説いた一方、井原西鶴は浮世草子において人々の欲望や恋愛などを積極的に描いた。
<選択肢>
①【誤】
「ア正 イ正」=どちらも正しいとしているが、井原西鶴は町人の欲望追求に肯定的に描いたのは事実だとしても、石田梅岩が町人の営利追求を“厭(いと)しいもの”として否定したかは疑わしい。むしろ梅岩は商人の正当性を説いた。
②【誤】
「ア正 イ誤」=石田梅岩について正しいとしつつ、井原西鶴について誤りとするのは不自然。西鶴は町人の欲望・富の追求を『日本永代蔵』などで描き、世相を映し出したことで知られる。
③【正】
「ア誤 イ正」=アで「石田梅岩は町人の営利追求を厭(いと)しいものとして否定し、『正直』と『倹約』を説いた」とあるが、実際は梅岩は“商業の正当性”を肯定し、その上で道徳的規範を与えた。そのため「営利追求を厭う」という解釈は誤り。一方、イで「井原西鶴は町人たちが自らの欲望に従って富を追求する姿などを熱心に描いた」というのは正しい。
④【誤】
「ア誤 イ誤」=両方とも誤りとしてしまうのは不適切。西鶴の描写については正しい評価とされる面が大きい。
問14:正解5
<問題要旨>
近代以降の日本社会や思想の在り方を考察した複数の思想家についての説明文を、ア~ウの内容と人物名(小林秀雄・吉本隆明・丸山眞男など)を正しく組み合わせる問題。アは“近代社会を担う主体性の確立”を問題にした論考、イは“近代批評の確立を目指すとともに意匠や理論を批判した”という方向性、ウは“国家や社会組織の本質を問い直す中で、共同幻想論などを通じ自立の思想を追求”といった記述。それぞれを誰が説いたかを区別する。
<選択肢>
(ここでは①~⑥の6通りが示されており、そのうち⑤が正解とされている)
①~④・⑥【誤】
小林秀雄・吉本隆明・丸山眞男の誰がどの批評を展開したかがズレている。たとえば、丸山眞男は『超国家主義の論理と心理』『日本政治思想史研究』などで近代主体の欠如を批判し、吉本隆明は『共同幻想論』で国家などの共同幻想を問い直し、小林秀雄は文学・芸術批評を大成した。
⑤【正】
「ア=丸山眞男、イ=小林秀雄、ウ=吉本隆明」という組合せ。丸山眞男は日本政治思想や主体性確立の問題を研究し、小林秀雄は名高い文芸批評家として近代批評を追究、吉本隆明は“共同幻想論”などによって国家観や社会組織の本質を問うた。
問15:正解4
<問題要旨>
南方熊楠に関する説明で、民俗学や神社周辺の森林(鎮守の森)保護運動への取り組みなど、どれが正しいかを問う問題。南方熊楠は日本の博物学者・民俗学者としてだけでなく、神社合祀による森林破壊や生態系の乱れに反対し、自然保護運動に携わったことで知られる。
<選択肢>
①【誤】
「フランスの民権思想の影響を受けて主権在民を主張し…」は南方熊楠ではなく、主に自由民権運動家などの話を混同している。
②【誤】
「『先祖の話』を著し…無名の人々の生活や習俗を明らかにしようと試みた」は柳田國男の業績と混ざった説明。柳田が民俗学の祖とされ、『先祖の話』などを残した。
③【誤】
「足尾銅山事件が起こったとき…」は田中正造の公害反対運動に関連するエピソード。南方熊楠が足尾銅山問題に直接携わったわけではない。
④【正】
「神社合祀によって神社やその境内の森林が破壊されることに反対し、鎮守の森の保護運動を推進した」という説明は、南方熊楠のよく知られた活動である。
問16:正解4
<問題要旨>
詩人・高村光太郎が芸術作品の永遠性について論じた文章を引用し、その内容を解釈する問題。作品が“無始の太元”に根ざして存在するように見え、作者の個人的視点を超えて「無所属的公共物」になるなど、高次の普遍性を帯びる様子を論じている。どの選択肢が最も的確に要約しているかを問う。
<選択肢>
①【誤】
「芸術作品の永遠性は、作品を無始の太元からあったもののように感じさせる一方で、その作者の存在を強く意識させる」。本文では作者の存在感が薄れ、むしろ“誰が作ったのか”を超えた普遍性が浮き出るとあるので合わない。
②【誤】
「芸術作品の永遠性は、作品を無始の太元からあったもののように感じさせる一方で、いずれは消滅することを予感させる」。本文ではむしろ、永遠性をもつ作品が限りない時間にわたり存在するという趣旨が述べられている。
③【誤】
「永遠性を有する芸術作品は、誰かの創作物であるという性質を失うこともなく、人々の心の中に浸透していくこともない」。本文では、むしろ創作物としての個人性が超克され、“公的な存在”となり得るという指摘がなされている。
④【正】
「永遠性を有する芸術作品は、誰かの創作物であるという性質を失うとともに、限りない過去から悠久の未来にわたって存在すると感じさせる」。本文中で、作者が誰なのか分からないほど普遍性を帯び、“無所属的公共物”とまでなる、という論旨を言い表しており最も適切。
第3問
問17:正解1
<問題要旨>
ルターの「良心」に関する思想が、宗教改革や近代以降の社会・政治・経済の発展にどう影響したかを論じた文章をもとに、後世に与えた役割について「適当でない(当てはまらない)」説明を選ぶ問題。引用文では、ルターが形骸化していた宗教権威を個人の内面へと還元し、そこから生まれる平等・民主主義・自己決定といった理念を広げる基盤となったことが指摘されている。
<選択肢>
①【誤】
「ルターの思想は、個々人の良心を政治や経済の諸問題から切り離すことで、信仰の純粋性を守る役割を果たした」という説明。実際には、ルターの“信仰義認”や「聖書の言葉に立ち返る」思想は、むしろ信徒個人が社会的な課題や政治的権威に対しても自らの良心に基づき応答する道を開いた。政治・経済に一切かかわらず内面に閉じこもることを促したわけではないため、この主張は不適切。
②【正】
「ルターの思想は、人が現実世界に対峙することを通して自らのアイデンティティを確立しようとする努力を支える役割を果たした」という説明は、個人が直接神と向き合い、周囲の権威に盲従しない姿勢を見せる背景となったことを示しており、後世における主体性・自我の確立に影響した点でおおむね妥当。
③【正】
「ルターの思想は、人間としての尊厳があらゆる人に備わっている、という考えを用意する役割を果たした」という説明。“万人司祭説”をはじめ、個人がそれぞれ神の前で直接に向き合うという思想は、人間の尊厳や平等という概念と結びついているため、妥当性がある。
④【正】
「ルターの思想は、平等・民主主義・自己決定など、その後の社会のあり方を支える諸概念の形成を促す役割を果たした」という説明。宗教改革から近代思想への流れの中で、個人の意思や良心を重んじる潮流を強めたことは、多くの研究者が指摘している。
問18:正解3
<問題要旨>
デカルトが説いた「高遠の精神(générosité)」について、主に情念や理性の観点からどのように説明されているかを問う問題。デカルトは『情念論』などで、理性の確実な真理から身体や情念を統御しようとする合理的な態度を「高遠の精神」と呼んだ。
<選択肢>
①【誤】
「高遠は、自分が独断や偏見、不寛容に陥っていないかどうか謙虚に自己吟味を続ける、懐疑主義的な精神である」という説明はややずれている。デカルトは懐疑によって真理を探究したが、“高遠の精神”とはむしろ理性を根拠に情念を主体的に統御する積極的態度を指す。
②【誤】
「高遠は、あるがままの人間の姿を現実生活に即して観察し、人間の本来的な生き方を探求する、モラリストの精神である」というのはモンテーニュなどの“モラリスト”的な立場に近い。デカルトの“高遠”は純粋理性に立脚する能動的・主体的な心の力を強調する。
③【正】
「高遠は、身体と結び付いた情念に左右されることなく、情念を主体的に統御する、自由で気高い精神である」という説明が最もデカルトの趣旨に近い。人は理性によってこそ情念に振り回されず、自由な行為が可能になるという観点を示している。
④【誤】
「高遠は、絶対確実な真理から出発することで、精神と身体・物体とを区別し、機械論的な自然観を基礎付けようとする、合理論的な精神である」というのは“合理論”そのものへの定義に近く、“高遠の精神”のニュアンスからはやや離れている。高遠の精神は情念への能動的な優位の確立を指す概念であり、機械論的自然観を直接説くものではない。
問19:正解4
<問題要旨>
ルソーの『エミール』における「良心」をめぐる記述を踏まえ、人間社会の“通念”が良心を抑圧してしまう状況を身近な例にたとえて整理した選択肢を問う問題。引用文では「良心は内気である」「世間の通念こそ良心の最大の敵になり得る」と述べられており、それを具体的にどのように捉えるかが焦点となる。
<選択肢>
①【誤】
「嘘をついた後に良心が感じるやましさは、嘘が必要な場合もあるという社会の通念への反発から、逆にいっそう強くなっていくものでもある」という説明はやや不自然。引用文の趣旨は、世間の通念に無理に合わせることで良心を押し殺す動きが起きるという指摘であり、嘘の必要性とは直接関係しない。
②【誤】
「たとえ、年長者に従うのが世間の常識だったとしても、年長者の命令が自分の良心に照らして不正ならば、そうした命令に従う人は誰もいない」というのは理想論的であり、実際には社会的圧力によって従ってしまう人が多い可能性がある。引用文が強調するのは“通念”に流されて良心を押し殺す危険であり、この選択肢は逆の論旨。
③【誤】
「困っている友達を見捨てた後で良心が苛まれるのは、良心を生み出した世の中のモラルによれば、友人は大切にするべきものであるためだ」という説明だと、“世間のモラル”が良心の源泉になっている形。引用文はむしろ世間の通念と良心がしばしば相反することを述べており、この選択肢は文意と合わない。
④【正】
「苦境にある人たちの存在を知って良心が痛んだとしても、彼らのことを軽視する風潮に流されているうちに、その痛みを感じなくなってしまう」というのは、引用文の「良心は誰にも相手にされないと意欲をなくし、押し黙る」という主張と合致する。世間からの無視や通念の圧力によって良心が呼び戻せなくなる状況をうまく言い表している。
問20:正解5
<問題要旨>
キルケゴールが説いた実存の三段階(美的実存・倫理的実存・宗教的実存)について、提示されたア(自分の社会的責務を引き受け努力する様子)、イ(自らの無力さを痛感し神の前に単独者として立つ)、ウ(享楽を追い求めて欲望のまま生きる)をそれぞれ第一・第二・第三段階のどこに当てはめるかを問う問題。
<選択肢>
①【誤】
「第一段階=ア、第二段階=イ、第三段階=ウ」という割り当て。アはむしろ倫理的段階に近いイメージで、ウは美的段階に近い享楽態度を示すため、順番が合わない。
②【誤】
「第一段階=ア、第二段階=ウ、第三段階=イ」。アが第一段階、ウが第二段階という組合せも、一般的には美的段階が“享楽を追う”ウ、倫理的段階が“義務や責務を引き受ける”ア、宗教的段階が“神の前に立つ”イとされるため、順番が崩れている。
③【誤】
「第一段階=イ、第二段階=ア、第三段階=ウ」も同様に、イ(神の前に立つ)の位置づけが第三段階であるべきところに来ておらず不適切。
④【誤】
「第一段階=イ、第二段階=ウ、第三段階=ア」という組合せも論理的に合わない。
⑤【正】
「第一段階=ウ(感覚的な快楽に溺れる美的段階)、第二段階=ア(社会的責務を担い行動する倫理的段階)、第三段階=イ(神の前に単独者として生きる宗教的段階)」という定型に合致する。
⑥【誤】
「第一段階=ウ、第二段階=イ、第三段階=ア」という組合せは第二・第三段階が逆転している。
問21:正解6
<問題要旨>
19~20世紀における思想家たちが時代の現実に向き合い、社会改良や共同体構想を示したが、実際の社会問題解決には困難があったことを指摘する文章。テキストでは“a”や“フーリエ”と並べられた人物が、「労働者が低賃金で酷使される現状に向けて理想的共同体を構想したが、マルクスにより“b”と呼ばれた」という流れを問う。
<選択肢>
①~⑤【誤】
「a=エンゲルス」「a=オーウェン」、および「b=科学的社会主義」「b=社会民主主義」「b=空想的社会主義」などの組合せが並んでいるが、多くの場合、ロバート・オーウェンやフーリエ、サン=シモンなどがマルクスによって“空想的社会主義”と批判された。一方、マルクスとエンゲルス自身は“科学的社会主義”を提唱した。
⑥【正】
「a=オーウェン、b=空想的社会主義」。工場経営者でありながら理想的共同体の建設を試みたロバート・オーウェンは、マルクスやエンゲルスによって“空想的社会主義”と位置づけられた。これは史実にもとづく妥当な組合せ。
問22:正解2
<問題要旨>
ハイデガーに影響を与えたフッサールの現象学に関して、“エポケー”や“意識の内面にある事象そのものへの探究”をどう捉えるかを問う問題。提示されるア・イのいずれがフッサール的現象学の説明として正しいかを判定する。
<選択肢>
①【誤】
「ア正 イ正」としてしまうと、イが“自覚なき自己意識こそ精神の基本的な働きであり、人間は他者との関係を通じて自己を外化し自由を得る”と述べる点は、むしろヘーゲル的な“自己意識と他者”の弁証法にも近い。フッサールはあくまでも“意識の志向性”や“本質直観”を強調するため、この説明は微妙にずれる。
②【正】
「ア正 イ誤」。アの“自然的態度を一時停止し、意識の内面にあらわれる事象そのものにアプローチする”という解説は、エポケーの概念に合致する。一方イの“自覚なき自己意識こそ精神の基本であり、他者との関係により自由を獲得”というのは必ずしもフッサール的現象学の説明ではない。
③【誤】
「ア誤 イ正」では、アを誤りとするのは現象学の中心的手法(エポケー)を否定することになり不自然。
④【誤】
「ア誤 イ誤」と両方を誤りとするのも、アの方は現象学に合致しているため適切とは言えない。
問23:正解1
<問題要旨>
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』の一節をめぐって高校生同士が議論している場面。そこに空欄a・bに入る語句を、会話で示された「いじめ」「後悔」「人間としての行動」などの文脈から、どのように捉えるかを問う問題。
<選択肢>
①【正】
「a=ア(自分はそうでなく行動することも出来たのに…と考える)」「b=ウ(自分で自分を決定する力をもっている)」の組合せ。いじめを止められなかったことへの後悔は、“もっと別の行動ができたのでは”という省察(ア)とつながり、一方で“人は自分の意志で他者を助ける行為を選べる”という姿勢(ウ)へと発展する。
②【誤】
「a=ア、b=エ(自尊心を傷つけられるほど卑屈な思いをすることはない)」だと、後悔に基づく省察と“卑屈な思いをしない”という点がどう結びつくか不明瞭。文脈に合致しない。
③【誤】
「a=イ(つまらない虚栄心が捨てられない)、b=ウ(自分で自分を決定する力をもっている)」では、“いじめられていた子を見捨てた後悔”の説明として“虚栄心が捨てられない”は噛み合いにくい。
④【誤】
「a=イ、b=エ」も同様にミスマッチ。後悔や決断というテーマと“つまらない虚栄心”“卑屈さ”の関係が弱い。
問24:正解3
<問題要旨>
「良心の声はどこから聞こえてくるのか?」という問いに関連し、英語の“conscience”の語源(con+science)をめぐる会話。そこから「誰かと共に知る」というニュアンスを含み、人を傷つけた時に痛むのは、自分と他者との関係を大切にするという感覚を表すのではないか、という内容が示される。空欄aに入る言葉として最も適切な選択肢を選ぶ問題。
<選択肢>
①【誤】
「『誰か』として、各自の周りにいる人が最も重要だとされてきた」という説明は、個別の人間関係を指し示すだけで、引用文が言う“誰かと共に知る”という根底的な発想(他者と存在を尊重し合う)を十分に表せていない。
②【誤】
「『知る』働きこそ、道徳や倫理を支える唯一の根拠であると考えられてきた」というのは、“conscience”の語源解釈を単に知識面のみで捉えており、“誰かと共に”という他者性に焦点を当てる文脈から外れる。
③【正】
「『誰か』とは、自分を見つめる自分自身のことだとされる場合もあったが、いまは自分以外の他者との関わりを尊重することが焦点になる」という流れに近い。会話からは“誰か”を自分と別の存在として捉え、互いを大切にする意識が良心の痛みに関わるという主題が示唆されており、それをうまく言い表している。
④【誤】
「『知る』働きが停止してしまう危険性は、問題にされてこなかった」というのは真逆であり、むしろ引用文では“考えが停止し、良心が麻痺してしまう状況”が大きな問題として提示されている。
第4問
問25:正解4
<問題要旨>
「歴史の捉え方や、歴史の中で生きる人間のあり方」に関する思想家の主張を紹介した選択肢を比べ、どれが最も適切かを問う問題。本文では、時間の経過の中で現在の行為が未来の世代に与える影響について責任を持つべきだという考え方に言及されており、それがヨナス(ドイツの哲学者)の「責任という倫理思想」と結びつく。
<選択肢>
①【誤】
リオタールは「ポストモダンの状況」で“大小さまざまな物語(メタ物語・小さな物語)”を論じるが、ここで述べられているように「乱立する小さな物語を批判し、統一的な物語を復権させた」と断定するのはやや不正確。むしろリオタールは“大きな物語”の権威を疑い、多様な語りを肯定する立場に近い。
②【誤】
フーコーは「知の考古学」「系譜学」を通じ、歴史の中で生じる権力や真理の構造を分析した。人間が“絶対的真理”に向かう普遍的理性に立脚していると見るよりは、むしろ歴史的かつ相対的に変化する権力・知の有り様を探究するので、この選択肢の表現とはずれる。
③【誤】
レヴィ=ストロースは構造人類学の研究者で、未開社会と文明社会の比較や、神話研究を通じて人間の思考様式を究明した。ここで提示されているような“未来社会を生きる人々の思考の独自性を強調する”という要約は、彼の構造主義の特質を十分に言い表していない。
④【正】
ヨナスは「責任という原理」の著者として、現代の科学技術が将来の世代や自然環境に及ぼす影響を重視し、「現在の行為には未来への責任がある」という倫理を説いた。本文が示唆する「時間の経過の中で、現在の行為が将来にも影響を与える」点はヨナスの議論と合致する。
問26:正解1
<問題要旨>
パーソナリティを分類した人物として、テキスト中には「ア」と「イ」の二つの説明が示されている。片方は“心のエネルギーや関心の方向性”によって内向型・外向型を区別する理論、もう片方は“人生のどこに価値を置くか”によって6つの類型を定める理論。誰がどの分類を提示したのかを問う問題。
<選択肢>
①【正】
ア=ユング … 心的エネルギーの向きを基準に内向・外向を区別するパーソナリティ論。
イ=シュプランガー … 人生の価値領域によってパーソナリティを理論型・経済型・審美型・社会型・権力型・宗教型の6つに類型化。
この組合せが適切。
②【誤】
ア=ユング / イ=オルポート という組合せ。オルポートは特性論の視点から個人の特質を重視したが、選択肢に示されるような6類型分けはシュプランガーの理論である。
③【誤】
ア=クレッチマー / イ=シュプランガー では、クレッチマーは体型(肥満型・細長型など)と気質の関連を論じた精神医学者であり、内向・外向型の分類とは異なる。
④【誤】
ア=クレッチマー / イ=オルポート も同様に誤り。そもそも“心のエネルギー方向”や“6類型”の説明と噛み合わない。
問27:正解3
<問題要旨>
リップマンが論じたマスメディアによる“錯覚や偏ったイメージの形成”を取り上げた問題。なぜマスメディア報道によって「その街全体が危険だ」というような誤った印象が広がるのか、要因を選ぶ。
<選択肢>
①【誤】
「アとイ」=ア(マスメディアの情報は常に疑われ、本当らしい情報としては受け取られにくい)+イ(多くの場合、選択や加工を経たイメージ)。前半の「常に疑われる」は説明として行き過ぎ。
②【誤】
「アとウ」=ア(常に疑いの目)+ウ(マスメディアが提供するイメージによって形成される世界は、人間が間接的にしか体験できない)。アはやはり内容が不自然。
③【正】
「イとウ」=イ(マスメディアが伝達するものは多くの場合、選択や加工・単純化などを経たイメージ)+ウ(そうしたイメージによって形成される世界は、人間が直接体験できない間接的なもの)という組合せがリップマンの論旨に合致する。メディアが切り取った報道がステレオタイプを生む要因を的確に表現している。
④【誤】
「アとイとウ」をすべて組み合わせる選択肢は存在しないが、仮にあっても「ア」の記述はそのままだと筋が通らないので不適切。
問28:正解6
<問題要旨>
青年期における“葛藤やストレス”への対処を心理学理論(精神分析を踏まえたエス・自我・超自我のモデル、ストレス対処の分類)に即して整理し、a・bの組合せを問う問題。aでは「エス(イド)・自我・超自我」の関係がどう位置づけられるか、bでは「問題焦点型対処」「情動焦点型対処」をめぐる発言の例が挙げられている。
<選択肢>
①~⑤【誤】
aを「エス(イド)が自我と超自我」「自我がエス(イド)と超自我」など取り違えていたり、bを「今回は運が悪かった」と思い込む、あるいは「落ち込んでも仕方ない」という情動焦点型対処を指すものにしているなど、テキストの提示からずれがある。
⑥【正】
「a=自我がエス(イド)と超自我を調整する」+「b=勉強不足が原因だと分析し、計画的に勉強しようとする(問題焦点型対処)」という組合せ。精神分析理論で言う自我はイド(本能的欲求)と超自我(規範・良心)の仲介役を担い、理性的に対処しようとする主体である。bは“状況を変える方法を考える”という問題焦点型対処の典型例で、本文の流れに合う。
問29:正解2
<問題要旨>
バリアフリーの具体例を高校生同士が紹介する場面で、どれが“自分たちの周りに見えにくい人への配慮”として不適切(つまり実際には“排除”の意図が強い等)かを問う問題。
<選択肢>
①【正しい例】
「信号機が音声でお知らせしてくれると、視覚障害のある人でも横断歩道を安全に渡れる」といった内容で、バリアフリーの好例。
②【誤:本問の正解(不適当な実例)】
「空港などのベンチの真ん中に手すり・仕切りを作ることで、ベンチで横になって休めなくなった」。むしろこれはホームレスなどを排除する意図で設置される“排除アート”の一例とされる場合がある。バリアフリーとは逆に、特定の人を遠ざける手段になりやすいので、不適切な例として挙げられている。
③【正しい例】
「車椅子に乗っていて手の届かない人のために、お金の投入口が低い位置にある自販機を見たことがある」というのはバリアフリーの配慮として正しい事例。
④【正しい例】
「手の不自由な人にとっては、取っ手を握って開閉するドアよりも、押すだけで開く自動ドアが有用」というのもバリアフリーの好例。
問30:正解4
<問題要旨>
実験動物慰霊碑の写真に関する会話から、「歴史を書くこと」におけるaの態度と、「自然の生存権」に関するbの考え方を組み合わせた選択肢を問う問題。aは“何でも都合よく消すことなく意図的に取捨選択し、忘れないように書く”、bは“人間だけでなく自然そのものにも価値があると認める”といった趣旨が本文で示唆されている。
<選択肢>
①【誤】
「正しい書き方は決められず、自由に書くべきだ」+「現代の人間にとって有用な自然を優先的に保護する」という組合せ。これは本文の意図と合わない。
②【誤】
「正しい書き方は決められず…」+「人間だけでなく自然にも価値がある…」。前半は一見本文に近そうだが、そこに“取捨選択”や“忘れないで書く”という主張が明確に含まれていないのでズレがある。
③【誤】
「意図的な取捨選択に委ねず、忘れることなく…」+「現代の人間にとって有用な自然を優先的に保護する」。後半が“人間中心の自然利用”に偏った考え方であり、テキストの意図するところと異なる。
④【正】
「意図的な取捨選択に委ねず、忘れてはならない出来事をきちんと書き残す」+「人間だけでなく自然そのものにも価値があると認める」という組合せ。本文で語られる“歴史を書く態度”と“動物にも弔う対象として目を向ける意識”が合致している。
問31:正解4
<問題要旨>
記憶の定着度合いをめぐる実験(反復読みによる学習と、思い出し書きの練習=テスト効果)を比較して、表と図の結果を読み取り、空欄a~dに入る語句(「高い/低い」「アとイ/ウとエ」「一致する/一致しない」など)を正しく組み合わせる問題。本文や図から、A群は「反復読み」で5分後の記憶テストは高得点になる傾向があるが、1週間後はB群(思い出し作業)の方が正答率が上がる。さらに「思い出す自信(自己評価)」はA群の方がB群より高くなりがち…という結果が示される。
<選択肢>
①~③【誤】
aを「低い」としたり、bを「アとイ」あるいは「ウとエ」とずらしているなど、図表の数値と整合しない。
④【正】
「a=高い」「b=アとイ」「c=ウとエ」「d=一致しない」といった組合せ。A群が思い出す自信(自己評価)はB群より“高い”が、実際の1週間後の記憶テストの成績はB群が上回り、“自信が成績と一致しない”という結果を表している。表や図の読み取りと照らし合わせると、この組合せが最も符合する。
⑤~⑥【誤】
「a=高い/低い」の取り違いや、「d=一致する」としているなど、図表の結果と合わない。
問32:正解2
<問題要旨>
ベンヤミンが言う「解放」という言葉をめぐり、そこにはマルクスの歴史観が背後にあると先生が言及した会話部分で、“マルクスについての説明で適当でないもの”を選ぶ問題。マルクスは「歴史を弁証法的に捉えるヘーゲルの影響」「物質的生産関係こそが歴史の原動力」「階級の対立を通じて歴史が展開する」と考え、「資本主義は労働者階級による革命で打破される」と主張した。そこから外れる不正確な説明がどれかを見抜く。
<選択肢>
①【正しい説明】
「歴史を弁証法的に捉えるヘーゲルの影響がある」という点は史実に合う。
②【誤:本問の正解=適当でない】
「彼は物質的生産関係を否定し、観念的理念のみを歴史の原動力とした」などの誤った解釈が示されている(仮定)。実際には、マルクスは“唯物史観”として物質的生産関係を重視する。もし選択肢②がそういう内容であれば「適当でない」説明に該当する。
③【正しい説明】
「階級が対立する闘争によって歴史が展開する」と考える点はマルクスの史観の核心。
④【正しい説明】
「労働者階級による革命が起こることで資本主義が打破される」という論旨もマルクスの主張として妥当。
問33:正解5
<問題要旨>
Pがベンヤミンの文章を読んでレポートを書き、その中で[a][b][c]に何を入れるかを問う問題。選択肢として「歴史は多様に書き得る」「忘却されつつある人々を呼び戻すこともできる」「現時点ですべてを記録するのは不可能だが、過去の出来事を正確に書かなければならない」といった複数の論が並ぶ。本文では“ファシズム時代の抵抗”や“忘れ去られる人々や出来事を呼び起こす歴史を書く可能性”などを肯定的に論じており、PがQとの議論を経て「自分は昔はこう思っていた(a)が、いまはこう学んだ(b)、そこにベンヤミンの主張(c)が響いてきた」という流れ。
<選択肢>
①~④・⑥【誤】
a,b,cの入れ替えが本文の言う「(かつての自分の考え)→(Qとの議論を通じて学んだこと)→(ベンヤミンの主張)」と合わない。あるいは「歴史には唯一の正しい書き方がある」と見なす内容が紛れ込んでいるなど、本文の論旨と不一致。
⑤【正】
「a=ウ(歴史は、過去に起こった様々な出来事を正しく記録したものであり、そこには正しい書き方が存在すると昔は考えていた)」
「b=ア(歴史は多様に書くことができ、忘れ去られていた存在をもう一度呼び戻すこともできる、という考え方を学んだ)」
「c=イ(歴史上のどの出来事にも意味があり、現時点では書ききれないが、だからこそ回想されねばならない、というベンヤミンの主張)」
この組合せによって、Pが「かつての自分の固定観念(a)→Qとの議論で学んだ新しい見方(b)→ベンヤミンの文章によっていっそう深まった理解(c)」という流れが成り立つ。