2017年度 大学入試センター試験 本試験 世界史B 解答・解説

2017年度 大学入試センター試験 本試験「世界史B」の解答と解説です。全設問の正解と考え方を一問ずつ解説し、公式の解答PDFもあわせて掲載しています。大学受験の森が独自に作成した、無料で読める解説です。

目次
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解答

解説

2017年度 大学入試センター試験 本試験「世界史B」の解答・解説です。第1問〜第4問(各25点)がすべて必答で、100点満点。各大問はA・B・Cの3つの文章からなり、それぞれに3問ずつ、合計36問が出題されています。解答番号は 1 〜 36 の通し番号です。

設問ごとにアコーディオンを開くと、<問題要旨><考え方>と、正解の根拠および他の選択肢が誤りである理由が読めます。

第1問 A 単性論とコプト教会(キリスト教の異端・アフリカ・地中海世界)

エジプトのコプト教会を導入に、キリスト教の異端、アフリカ史、地中海地域の諸国家を問います。

問1:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
世界史上のキリスト教の異端について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
どの派がどの公会議で異端とされたか、そしてその教説を確認します。

① ネストリウス派はエフェソス公会議(431年)で異端とされ、その後ササン朝を経て唐代の中国に伝わり景教と呼ばれた。漢代ではない。誤り。
② フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議(1414〜18年)。トリエント公会議(1545〜63年)は対抗宗教改革の会議。誤り。
③ アリウス派はイエスの神性を否定した。三位一体説を唱えたのはアタナシウス派で、ニケーア公会議(325年)で正統とされた。誤り。
④ 南フランスに広まったカタリ派(アルビジョワ派)に対し、教皇インノケンティウス3世が十字軍を呼びかけた(アルビジョワ十字軍、1209〜29年)。正しい。 ←
問2:正解 ③(配点3)

<問題要旨>
アフリカの歴史について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
王国と河川、王と美術、植民地と宗主国の対応を確かめます。

① モノモタパ王国はザンベジ川流域(ジンバブエ)に栄えた。ニジェール川流域に栄えたのはガーナ王国・マリ王国・ソンガイ王国。誤り。
② アマルナ美術が栄えたのはアメンホテプ4世(イクナートン)の時代。クフ王はギザの大ピラミッドを築いた古王国の王で、時代が大きく異なる。誤り。
③ 北アフリカの先住民であるベルベル人は、7世紀以降のアラブ人の進出とともにイスラーム教へ改宗が進み、ムラービト朝・ムワッヒド朝を建てた。正しい。 ←
④ マダガスカルは1896年にフランスの植民地となった。ドイツではない。誤り。
問3:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
地中海地域のキリスト教諸国について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
国家の成立過程と建国者、十字軍の回数を確かめます。

① アラゴン王国とカスティリャ王国が統合してできたのはスペイン王国(1479年)。ポルトガル王国はカスティリャから自立して成立した。誤り。
② ラテン帝国は第4回十字軍(1202〜04年)がコンスタンティノープルを占領して建てた。第7回ではない。誤り。
③ シチリア王国はノルマン人(ルッジェーロ2世)が建国した(両シチリア王国、1130年)。アヴァール人はパンノニアに侵入した遊牧民。誤り。
④ ビザンツ帝国の皇帝レオン3世が726年に聖像禁止令を出し、ローマ教会との対立を深めた。正しい。 ←

第1問 B インドのヒンドゥー教徒とムスリム(ムスリム連盟・ムスリム王朝・海上交易)

グジャラート暴動を導入に、インド近代史の年代、ムスリムの君主や王朝、そしてインド洋交易を問います。

問4:正解 ②(配点2)

<問題要旨>
年表に示した a〜d の時期のうち、全インド=ムスリム連盟が結成された時期として正しいものを選ぶ(1905年 ベンガル分割令、1924年 カリフ制廃止、1947年 インド独立)。

<考え方>
ベンガル分割令への反応として何が起きたかを思い出します。

ベンガル分割令(1905年)はヒンドゥー教徒とムスリムを分断する意図をもつもので、これに対抗して国民会議派はカルカッタ大会(1906年)で4綱領を採択した。同じ1906年、イギリスの支援を受けてムスリムの政治団体である全インド=ムスリム連盟が結成された。

1906年は1905年と1924年の間なので、b の時期にあたる。
問5:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
ムスリムの君主や王朝について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
王朝の創始者と、王朝が支配した地域を確認します。

① アイバクが創始したのは奴隷王朝(1206年、デリー=スルタン朝の最初の王朝)。カージャール朝はイランのトルコ系王朝(1796年〜)。誤り。
② アイユーブ朝のサラディンは1187年にイェルサレムを奪回し、これが第3回十字軍を招いた。正しい。 ←
③ ムワッヒド朝はモロッコを中心に北アフリカ西部とイベリア半島南部を支配した。アナトリアではない。誤り。
④ アチェ王国はスマトラ島北端に成立したイスラーム国家。セイロン島(スリランカ)ではない。誤り。
問6:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
海上交易について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a チョーラ朝が、海上交易で栄えた。
b イギリスが、ゴアをアジア貿易の根拠地とした。

<考え方>
南インドの王朝と、ゴアを拠点にした国を確かめます。

a チョーラ朝(9〜13世紀)は南インドのタミル系王朝で、東南アジアや中国との海上交易で栄えた。宋に使節を送り、シュリーヴィジャヤに遠征したことでも知られる。正しい。

b ゴアを1510年に占領してアジア貿易の根拠地としたのはポルトガル。イギリスの拠点はマドラス・ボンベイ・カルカッタ。誤り。

第1問 C ロシアのドイツ系住民(ロシアの対外関係・工業化・少数民族)

ロシアのドイツ系住民を導入に、ロシア・ソ連の対外関係、銑鉄生産量のグラフ、そして少数民族をめぐる年代を問います。

問7:正解 ③(配点3)

<問題要旨>
ロシアやソ連の対外関係について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
条約の相手国、領土の売却先、撤退を決めた指導者を確かめます。

① アイグン条約(1858年)はロシアと清との間で結ばれ、黒竜江以北をロシア領とした。明ではない。誤り。
② ロシアは1867年にアラスカをアメリカ合衆国に売却した。カナダではない。誤り。
③ 独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、ソ連は1940年にラトヴィア・リトアニア・エストニアのバルト三国を併合した。正しい。 ←
④ ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)からの撤退は、ゴルバチョフ政権下の1989年に完了した。フルシチョフではない。誤り。
問8:正解 ③(配点2)

<問題要旨>
1890年から1940年にかけてのイギリス・ドイツ・ロシア(ソ連)の銑鉄生産量の推移を示したグラフから読み取れる内容について、次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a 第一次世界大戦後、ドイツの銑鉄生産量が、イギリスの生産量を初めて上回った。
b ロシア(ソ連)では、第2次五か年計画の時期に、銑鉄生産量が大幅に伸びている。

<考え方>
a は「初めて」という語の当否、b は第2次五か年計画の年代がポイントです。

a グラフを見ると、ドイツ(細い実線)がイギリス(太い実線)を上回るのは1900年代半ばで、第一次世界大戦(1914〜18年)よりずっと前。したがって「第一次世界大戦後に初めて」は誤り。

b ソ連の第2次五か年計画は1933〜37年。グラフのこの時期、ロシア(ソ連、破線)は 6,000 から 14,000 を超える水準まで急激に伸びており、イギリスを追い抜いている。正しい。
問9:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
年表に示した a〜d の時期のうち、チェチェン紛争が勃発した時期として正しいものを選ぶ(1916年 中央アジアで民族反乱、1941年 ヴォルガ=ドイツ人の強制移住命令、1986年 ペレストロイカの本格的始動の宣言)。

<考え方>
チェチェン紛争がソ連解体の前か後かを考えます。

チェチェン共和国は1991年のソ連解体に際して独立を宣言し、これを認めないロシア連邦との間で1994年に武力衝突となった(第1次チェチェン紛争)。

年表の最後の項目が1986年のペレストロイカなので、1994年はそれより後、すなわち d の時期にあたる。

第2問 A フランス1791年憲法(世界史上の憲法・議会・共和政)

フランス革命期の1791年憲法を導入に、各国の憲法、議会、共和政の成立を問います。

問1:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
世界史上の憲法について述べた文として誤っているものを選ぶ。

<考え方>
それぞれの憲法がどの国のものかを確かめます。

① 日本国憲法(1946年公布)は主権在民・平和主義・基本的人権の尊重を三大原則とする。正しい。
② アメリカ合衆国憲法(1787年)は立法・行政・司法の三権分立を採用した。正しい。
③ ヴァイマル憲法(1919年)は20歳以上の男女普通選挙、社会権の保障などを定め、当時最も民主的な憲法とされた。正しい。
④ ミドハト憲法(1876年)はオスマン帝国の宰相ミドハト=パシャが起草したアジア初の近代憲法。インドではない。誤り。 ←
問2:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
世界史上の議会について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
議会の名称がどの国・どの時代のものかを整理します。

① メッテルニヒが失脚したのは1848年のウィーン三月革命。フランクフルト国民議会はその後に開かれたドイツ統一のための議会で、因果が逆。誤り。
② 古代アテネでは、成年男性市民全員が参加する民会が最高議決機関であった。正しい。 ←
③ 模範議会(1295年)はイギリスのエドワード1世が招集したもの。フランスの身分制議会は三部会。誤り。
④ ドゥーマ(国会)は1905年のロシア第1次革命の結果、ニコライ2世が開設を認めた議会。ハンガリーではない。誤り。
問3:正解 ①(配点2)

<問題要旨>
世界史上の共和政や共和国について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a ルイ=フィリップの亡命により、フランスで共和政が復活した。
b 列強がアフリカの植民地化を進めるなか、リベリア共和国は独立を維持した。

<考え方>
フランスの政体の変遷と、アフリカで独立を保った国を確認します。

a 1848年の二月革命でルイ=フィリップの七月王政が倒れ、彼はイギリスへ亡命した。これにより第二共和政が成立した。第一共和政(1792〜1804年)以来の共和政の復活である。正しい。

b 19世紀末のアフリカ分割のなかで独立を維持したのは、解放奴隷が建てたリベリア共和国と、アドワの戦いでイタリアを破ったエチオピア帝国の2国。正しい。

第2問 B ロストフツェフとローマ史(ローマの政治体制・東方貿易・ロシア革命)

ロシア出身の古代ローマ史家ロストフツェフを導入に、ローマの政治体制、中世の東方貿易都市、そしてロシア革命を問います。

問4:正解 ①(配点3)

<問題要旨>
古代ローマの政治体制について述べた文として最も適当なものを選ぶ。

<考え方>
王政 → 共和政 → 帝政 という流れと、その節目の人物を確認します。

① ローマは前8世紀頃に建国され、初期の王政期には先住のエトルリア人出身の王が存在した。前509年に王を追放して共和政に移行した。正しい。 ←
② 共和政期に執政官(コンスル)などの要職を独占したのは貴族(パトリキ)。平民(プレブス)はこれに対抗して身分闘争を進めた。誤り。
③ 帝政が始まったのは前27年、オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を得たとき。コンスタンティヌス帝は4世紀の皇帝。誤り。
④ ローマ帝国が東西に分裂したのは395年、テオドシウス帝の死後。ユスティニアヌス帝は6世紀のビザンツ皇帝。誤り。
問5:正解 ②(配点2)

<問題要旨>
中世ヨーロッパにおいて東方貿易に従事し、香辛料の取引で栄えた都市の名と、その位置を示す地図中の a または b との組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
東方貿易(レヴァント貿易)の中心都市はどこかを考え、地図で位置を確かめます。

中世の東方貿易(レヴァント貿易)で香辛料の取引を独占して栄えたのは、北イタリアのヴェネツィアやジェノヴァ。ヴェネツィアはアドリア海の最奥部に位置し、地図では b にあたる。

アムステルダムはネーデルラント(オランダ)の都市で、地図の a の位置。17世紀に世界商業の中心となったが、中世の東方貿易の担い手ではない。
問6:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
ロシア革命について述べた文として誤っているものを選ぶ。

<考え方>
「どの国の革命の出来事か」を取り違えないようにします。

① 十一月革命(十月革命)直後の全ロシア=ソヴィエト会議で「土地に関する布告」「平和に関する布告」が採択された。正しい。
② キール軍港の水兵反乱(1918年11月)はドイツ革命のきっかけ。ロシア革命の発端は1917年3月のペトログラードでの労働者のデモとストライキ。誤り。 ←
③ 亡命先から帰国したレーニンが、1917年4月に「四月テーゼ」を発表して「すべての権力をソヴィエトへ」と訴えた。正しい。
④ 三月革命後の臨時政府で、ケレンスキーが7月に首相となった。正しい。

第2問 C 20世紀の革命と政治指導(メキシコ革命・国民政府・民主化)

中国国民革命の三段階論を導入に、メキシコ革命、国民政府統一後の中国、そして戦後アジアの民主化を問います。

問7:正解 ①(配点3)

<問題要旨>
メキシコでは、独裁体制を敷いていた[ア]大統領の打倒を目指す武装蜂起が、全国規模の革命に発展した。[イ]ら農民指導者に率いられた農民運動も革命に加わるなかで、民主的憲法が制定された。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
倒された独裁者と、農民運動の指導者の名前です。

[ア]ディアスは1876年から30年以上にわたってメキシコで独裁体制を敷いた大統領。1910年にマデロらが蜂起し、翌1911年に亡命した(メキシコ革命)。フランコは1930年代のスペイン内戦で権力を握った将軍で、国もちがう。

[イ]サパタは南部で「土地と自由」を掲げて農民運動を指導した。ビリャとともに革命の代表的な農民指導者である。ペロンは20世紀半ばのアルゼンチンの大統領。

1917年には土地改革や労働者の権利を盛り込んだ民主的なメキシコ憲法が制定された。
問8:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
国民政府が統一した後の中国政治について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
会談の参加国、政権の所在地、宣言の主体を確かめます。

① カイロ会談(1943年)に参加したのはアメリカのF.ローズヴェルト、イギリスのチャーチル、中国の蔣介石。ソ連は参加していない。誤り。
② 1940年、重慶を脱出した汪兆銘が南京に日本の支援を受けた親日政権(南京国民政府)を樹立した。正しい。 ←
③ 中華ソヴィエト共和国臨時政府(1931年)は江西省の瑞金に成立した。重慶は日中戦争期の国民政府の臨時首都。誤り。
④ 八・一宣言(1935年)は中国共産党が発した、内戦停止と抗日民族統一戦線の結成を呼びかけるもの。国民党ではない。誤り。
問9:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
民主化政策や民主化運動について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
どの国の指導者か、どの事件がどの国のものかを確かめます。

① チャウシェスクの独裁体制が崩壊したのはルーマニア(1989年)。ポーランドでは「連帯」による民主化が進んだ。誤り。
② 朴正煕は1961年の軍事クーデタで権力を握り、開発独裁体制を敷いた。民主化を推進したのではない。誤り。
③ 九・三〇事件(1965年)はインドネシアで起きたクーデタ未遂事件。中国の民主化運動が武力で抑圧されたのは1989年の天安門事件。誤り。
④ 台湾では、1988年に総統となった李登輝が戒厳令解除後の民主化を進め、1996年に初の総統直接選挙が実施された。正しい。 ←

第3問 A アッバース朝の統治(土地制度・思想統制・探検)

アッバース朝のディーワーンやミフナを導入に、世界史上の土地制度、思想・言論への国家の介入、そして探検を問います。

問1:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
土地の管理や租税徴収の制度について述べた文として最も適当なものを選ぶ。

<考え方>
制度名とそれを実施した王朝・国家の対応を確認します。

① コロナトゥスは、小作人(コロヌス)を用いる大土地経営で、帝政ローマ後期に広まった。共和政ローマ期にはラティフンディア(奴隷制大土地経営)が主流。誤り。
② イクター制は、軍人に俸給の代わりに土地の徴税権を与える制度で、10世紀のブワイフ朝で初めて実施され、セルジューク朝以降に広まった。正しい。 ←
③ 均田制を創始したのは北魏の孝文帝(485年)。隋・唐に受け継がれた。元ではない。誤り。
④ ティマール制はオスマン帝国の制度で、騎士(シパーヒー)に分与地の徴税権を与えた。セルジューク朝ではない。誤り。
問2:正解 ③(配点3)

<問題要旨>
思想・言論・宗教に対する国家の介入について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
弾圧を行った人物と時代の対応、そして法律の目的を確かめます。

① 文字の獄は清の康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代に行われた反清思想の弾圧。朱全忠は唐を滅ぼして後梁を建てた人物で、時代が異なる。誤り。
② 焚書・坑儒を行ったのは秦の始皇帝(前3世紀)。曹操は後漢末の武将。誤り。
③ 日本では1925年に治安維持法が制定され、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社を取り締まった。言論や社会運動の抑制に用いられた。正しい。 ←
④ カトリック教徒解放法(1829年)はイギリスの法律。スペインはもともとカトリック国であり、この法が必要な状況にはない。誤り。
問3:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
[ア]は、1870年代に、アフリカ大陸の内陸部を探検し、横断に成功した。20世紀に入ると、国の威信をかけた極地探検が本格化し、イギリスのスコットに先駆けて、1911年に、ノルウェーのアムンゼンが[イ]点に到達した。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
アフリカ探検家の名前と、アムンゼンが到達した極を確認します。

[ア]スタンリーはアメリカの新聞社の依頼で、行方不明のリヴィングストンを捜索してタンガニーカ湖畔で発見し(1871年)、その後アフリカ大陸横断に成功した。タスマンはオランダの航海者で、17世紀にオーストラリア周辺を探検した人物。

[イ]アムンゼンは1911年12月14日、スコット隊に先んじて南極点に到達した。スコット隊はその約1か月後に到達したが、帰路に全員が死亡した。
(なお北極点への到達はアメリカのピアリが1909年に主張している。)

第3問 B 中国の南北統合(大運河・諸勢力の交流と対立・唐代中後期)

中国における南北の統合を軸に、隋の大運河、諸国家間の出来事、そして唐代中後期の制度変化を問います。

問4:正解 ④(配点2)

<問題要旨>
文章中の空欄[ア]に入れる語と、その位置を示す地図中の a または b との組合せとして正しいものを選ぶ。[ア]は、隋の進めた事業で、乾燥した北部と湿潤な南部の統合の基盤となったものである。

<考え方>
「南北の統合の基盤」という説明から事業を決め、地図で位置を確かめます。

【語】
隋の煬帝が完成させた大運河は、華北の黄河流域と江南の長江流域を結び、江南の物資を華北へ運ぶ大動脈となった。乾燥した北部と湿潤な南部を経済的に統合する基盤である。黄河の治水は歴代王朝の課題ではあるが、南北の統合の基盤とは言えない。

【地図】
地図 b は華北から江南へ南北に伸びる水路が描かれており、これが大運河。地図 a は北西部(黄河上・中流域)を指しており、大運河の位置ではない。
問5:正解 ③(配点3)

<問題要旨>
諸国家や諸勢力の間で起こった出来事について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
対立した相手国、独立した相手国、衰亡させた勢力を確かめます。

① 契丹(遼)が燕雲十六州の領有をめぐって争ったのは宋。936年に後晋から燕雲十六州を得て、以後宋と対立した。秦ではない。誤り。
② ユトレヒト同盟(1579年)を結成したネーデルラント北部7州が独立を宣言した相手はスペイン。フランスではない。誤り。
③ 米州機構(OAS)は1948年、アメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国によって結成された地域機構。正しい。 ←
④ エフタルの侵入で衰えたのはインドのグプタ朝(5〜6世紀)。ムガル帝国は16〜19世紀で、時代がまったく異なる。誤り。
問6:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
唐代中後期に起こった出来事について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
唐代中後期(8世紀以降)という時期の限定で絞り込みます。

① 五胡(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌)が華北に勢力を広げたのは4〜5世紀の五胡十六国時代。誤り。
② 均田制の崩壊にともない府兵制が維持できなくなり、8世紀前半には傭兵を用いる募兵制が導入された。節度使の設置もこの流れの中にある。唐代中後期の出来事として正しい。 ←
③ 康熙帝がジュンガルと戦ったのは清代(17〜18世紀)。誤り。
④ ロシアが沿海州を獲得したのは1860年の北京条約。誤り。

第3問 C 中世ヨーロッパの戦争(貨幣制度・傭兵・統治制度)

騎士から傭兵、そして常備軍へという軍隊の変化を軸に、世界史上の貨幣、傭兵や兵士、統治制度を問います。

問7:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
世界史上の貨幣や貨幣制度について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
貨幣の名称と、それを発行した王朝・政権を確かめます。

① 五銖銭を発行したのは前漢の武帝(前118年)。東周(春秋戦国時代)には刀銭・布銭・蟻鼻銭などが用いられた。誤り。
② 交鈔は金・元で用いられた紙幣。北魏ではない。誤り。
③ レンテンマルクを発行してインフレを収束させたのはドイツのシュトレーゼマン内閣(1923年)。ストルイピンは20世紀初頭のロシアの首相。誤り。
④ 世界恐慌のなか、イギリスのマクドナルド挙国一致内閣は1931年に金本位制を停止し、翌年オタワ連邦会議でブロック経済へ移行した。正しい。 ←
問8:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
世界史上の傭兵や兵士について述べた文として最も適当なものを選ぶ。

<考え方>
戦いの勝者、退位させられた相手、指揮した軍を確かめます。

① マラトンの戦い(前490年)でペルシア軍を破ったのはアテネの重装歩兵軍。スパルタは間に合わなかった。誤り。
② 傭兵隊長オドアケルが476年に退位させたのは西ローマ皇帝ロムルス=アウグストゥルス。フランク王国の成立は481年で、まだ存在しない。誤り。
③ ヴァレンシュタインは三十年戦争で神聖ローマ皇帝軍を率いた傭兵隊長。スウェーデン軍を率いたのはグスタフ=アドルフ。誤り。
④ 1857年、イギリス東インド会社のインド人傭兵シパーヒーの反乱をきっかけにインド大反乱が起こった。正しい。 ←
問9:正解 ③(配点2)

<問題要旨>
国家の統治制度や軍事制度について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a モスクワ大公国では、プロノイア制が用いられた。
b 漢の高祖は、郡国制を採用した。

<考え方>
制度名がどの国のものかを確かめます。

a プロノイア制は11世紀以降のビザンツ帝国で、軍役と引き換えに貴族へ土地の管理権を与えた制度。モスクワ大公国のものではない。誤り。

b 漢の高祖(劉邦)は、都に近い地域には秦以来の郡県制を、遠方には一族や功臣を諸侯王として封じる封建制を併用した。これを郡国制という。正しい。

第4問 A スペインとアメリカ大陸の銀(征服者・銀の流通・海戦)

アメリカ大陸の銀を軸に、スペインの征服者、太平洋を渡る銀の流れ、そして世界史上の海戦を問います。

問1:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
インカ帝国の位置を示す地図中の a または b と、その征服者の名との組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
アステカとインカがそれぞれどこにあり、誰に滅ぼされたかを確認します。

インカ帝国はアンデス山脈沿いの南アメリカ大陸西部(現在のペルーを中心とする地域)に栄えた。地図では b。1533年にピサロによって滅ぼされた。

地図 a はメキシコ高原で、ここに栄えたアステカ王国は1521年にコルテスによって滅ぼされた。

「アステカ ― メキシコ ― コルテス」「インカ ― アンデス ― ピサロ」とセットで覚えておく。
問2:正解 ④(配点3)

<問題要旨>
ボリビアの[ア]などの銀鉱山で採掘されたアメリカ大陸の銀は、メキシコのアカプルコから太平洋を渡って、スペインの拠点である[イ]に至る航路によって、アジアにもたらされた。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
ボリビアの銀山と、スペインのアジアの拠点です。

[ア]ポトシ銀山は1545年に発見された、現在のボリビアにある世界有数の銀鉱山。先住民をミタ制で酷使して採掘された。クスコはインカ帝国の首都で、銀山ではない。

[イ]スペインは1571年にマニラを建設し、アカプルコとの間をガレオン船で結んだ(アカプルコ貿易)。ここで運ばれた銀が中国の絹・陶磁器と交換され、大量の銀が明に流入した。フエはベトナムの阮朝の都。
問3:正解 ③(配点3)

<問題要旨>
世界史上の海戦について述べた文として正しいものを選ぶ。

<考え方>
どちらが勝ったかを一つずつ確認します。

① アクティウムの海戦(前31年)でアントニウスとクレオパトラの連合軍を破ったのはオクタウィアヌス。誤り。
② トラファルガーの海戦(1805年)ではネルソン率いるイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を破った。イギリスの敗北ではない。誤り。
③ プレヴェザの海戦(1538年)でオスマン帝国のバルバロス=ハイレッディンが、スペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊を破り、地中海の制海権を握った。正しい。 ←
④ ミッドウェー海戦(1942年)でアメリカ艦隊が日本の主力空母4隻を撃沈し、太平洋戦争の転換点となった。アメリカの敗北ではない。誤り。

第4問 B 海洋交易(自然哲学と薬学・港市国家・船)

帆船から蒸気船へという交易の変化を軸に、自然哲学と薬学、東南アジアの港市国家、そして世界史上の船を問います。

問4:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
自然哲学や薬学について述べた次の文a・bの正誤の組合せとして正しいものを選ぶ。
a タレスは、万物の根源を水だと考えた。
b 宋応星が、『本草綱目』を著した。

<考え方>
イオニア自然哲学の祖と、明代の実学書の著者を確認します。

a タレスはミレトス出身のイオニア自然哲学の祖で、万物の根源(アルケー)を水と考えた。正しい。

b 『本草綱目』は明の李時珍が著した薬学書。宋応星が著したのは産業技術書『天工開物』である。誤り。
(明代の実学書としては、ほかに徐光啓の『農政全書』がある。)
問5:正解 ①(配点2)

<問題要旨>
2世紀に成立し、インド文化の影響を受けた国家の名と、その位置を示す地図中の a または b との組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
成立年代の2世紀という手がかりで国家を決め、地図で位置を確かめます。

チャンパー(林邑・環王・占城)は192年、ベトナム中部にチャム人が建てた国家で、インド文化の影響を受けた。地図では a のベトナム中部にあたる。

マタラム王国はジャワ島(地図の b)に成立した国家だが、古マタラム王国は8世紀、イスラーム化した新マタラム王国は16世紀末で、いずれも2世紀ではない。
問6:正解 ②(配点3)

<問題要旨>
世界史上の船に関する出来事について述べた文として最も適当なものを選ぶ。

<考え方>
船の種類と、それを用いた国・人物の対応を確認します。

① 無制限潜水艦作戦を実行したのは第一次世界大戦中のドイツ(1917年)。これがアメリカ参戦の一因となった。イギリスではない。誤り。
② 三段櫂船(トリエレス)は多数の漕ぎ手を必要とする軍船で、アテネはこれを用いてサラミスの海戦(前480年)でペルシア艦隊を破った。無産市民が漕ぎ手として活躍し、その発言力が高まった。正しい。 ←
③ 蒸気船を実用化したのはアメリカのフルトン(1807年)。ハーグリーヴズはジェニー紡績機の発明者。誤り。
④ 亀甲船は朝鮮の李舜臣が豊臣秀吉の侵攻に対して用いた軍船。琉球の交易船ではない。誤り。

第4問 C 「木の時代」のドイツ(河川と水路・木材と鉄・自然科学)

木材を運ぶライン川の水運を導入に、世界史上の運河や開発、木材や鉄に関わる歴史、そして自然科学の発展を問います。

問7:正解 ①(配点3)

<問題要旨>
河川や水路の整備・開発について述べた次の文a〜cが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを選ぶ。
a スエズ運河が開通した。
b アメリカ合衆国で、テネシー川流域開発公社(TVA)が設立された。
c ナセル大統領の下で、アスワン=ハイダムの建設が目指された。

<考え方>
19世紀 → 1930年代 → 1950年代 と、はっきり時代が分かれています。

a スエズ運河の開通… 1869年。フランス人レセップスが完成させ、1875年にイギリスが株を買収した。
b TVA の設立… 1933年。F.ローズヴェルトのニューディールの一環で、失業対策と地域開発を兼ねた。
c アスワン=ハイダムの建設… 1950年代にナセルが計画。米英が資金援助を撤回したためスエズ運河国有化を宣言し、最終的にソ連の援助で1970年に完成した。

よって a → b → c。
問8:正解 ②(配点2)

<問題要旨>
木材や鉄に関わる歴史について述べた文として、波線部の正しいものを選ぶ。

<考え方>
波線が引かれた語(民族・都市・人物)が正しいかどうかだけを判定します。

① 鉄製武器を初めて本格的に用いたのはインド=ヨーロッパ語系のヒッタイト人(前17世紀頃〜)。アッカド人はセム語系で、前24世紀にメソポタミアを統一した。波線部は誤り。
② クシュ王国は、都をナパタからメロエに移した後、製鉄と交易で繁栄した(メロエ王国)。波線部は正しい。 ←
③ ハンザ同盟の中心都市はリューベック・ハンブルクなど北ドイツの都市。フィレンツェは北イタリアの都市で、毛織物業と金融で栄えた。波線部は誤り。
④ コークス製鉄法を発明したのはダービー父子(18世紀)。ジョン=ケイは飛び杼の発明者。波線部は誤り。
問9:正解 ①(配点3)

<問題要旨>
スウェーデン人の[ア]は、18世紀に植物分類学を確立した。19世紀前半に『ファウスト』を著した作家[イ]もまた、植物学や鉱物学の研究に携わっていた。[ア]・[イ]に入れる語の組合せとして正しいものを選ぶ。

<考え方>
「スウェーデン人・18世紀・植物分類学」と「『ファウスト』の作者」の2点です。

[ア]リンネはスウェーデンの博物学者で、生物を属名と種小名で表す二名法を確立し、近代的な分類学の基礎を築いた。メンデルはオーストリアの修道士で、19世紀に遺伝の法則を発見した人物。

[イ]『ファウスト』を著したのはドイツの文豪ゲーテ。若い頃はシュトゥルム=ウント=ドラング(疾風怒濤)の中心人物で、色彩論や植物変態論など自然科学の研究も行った。シラーは『群盗』『ヴィルヘルム=テル』の作者。

※ 本記事の解答・解説は当サイトが独立に作成したものです。公式の正解および配点は大学入試センターの発表をご確認ください。

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